道徳・前校長の講話を聞いて(11/29・第7限)

☆前校長先生の話を聞いて、めぐり会いから今のことについて、もう一度考えました。
 まず、良いめぐり会いと悪いめぐり会いがあることがわかりました。
 良いめぐり会いについては、僕が生まれたときが良いめぐり会いだと思いました。この自分の親に生まれた子で良かったと思っています。僕は、家族がいて、今の自分がいると思います。母と父もめぐり会いだと思います。父と母がめぐり会わなかったら、僕は、今はいなかったかもしれない。
 だから僕は、親に感謝します。自分を育ててくれたし、毎日朝早く起きて弁当を作ってくれる。岩井先生の話で、昔は弁当を持ってこられないで昼にはどこかみんなのいない場所へ行ってしまう子もいたということだった。でも僕は、毎日弁当を持っていっている。良いめぐり会いはそういうことからも感じられると思いました。
 僕には今、悪いめぐり会いはないので、これからも無いように生きていけたらいいなぁと思いました。

☆前校長の話を聞いた。話は多岐にわたっていたが、テーマは同じであったと思う。そのテーマは「礼節」だろうと思う。
 前校長の話の中に出てきた、「戦時中の空腹」「エチオピア」の話は貧困に由来するものである。脱脂粉乳のおいしさ、学校に屋根がついた、というのは豊かな現代日本では体感できない。空腹で完全に心がすさんでしまうというわけではないだろうが、「礼節」を知ることはきっと難しい。
 「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。読んで字のごとくだが、やはり「衣」と「食」という最も基本的なこのふたつが欠けていたら「礼節」を忘れてしまうのだろう。たとえて言うなら難民の母子がいたとして、子に着させる暖かい着物、食べさせる食料がないならば、母はどうするだろう。盗みをはたらいてしまうかもしれない。そうすると、「礼節」を大きくそれた行動をとったことになる。
 「礼節」とは前記のことをふまえて言うならば、他人との交流の潤滑油である。「ありがとう」の一言で場の空気が和んだり、喜びを得たりするのである。最低限の基本ルールでありもする。
 先生の講演を聞き、そう思った。

☆今回は、前校長先生の話を聞きました。前校長といっても、私が学校に入学をした時にはやめていたので、見たことがあるだけで、実際に話したことはありません。今も学校に来ていて、さらにお寺で住職をやっているらしくて、とても大変そうだと思いました。
 今回の話で一番気になったのは新薬の開発にかかわっているということです。
 新しいものを作るはとても大変なことだし、作るものが「薬」なのでさらに大変だと思います。
 薬というものは病気を治したり、良い方へいくようにするためのものですが、ひとつ間違えれば、効果を発揮しないだけでなく、病気を悪化させてしまう可能性もあります。
 そういう大変なことと、他の仕事も両立させている先生はすごいと思いました。
 先生を見習って、私も一番身近なテストからがんばるようにして、日々の事柄を大切にしようと思います。
 今回はお話をしてくださり、ありがとうございました。

片鱗。

2005年11月24日 学校・勉強
 賢帝として名高い唐・太宗は、かつて敵対した魏徴に諫議大夫などの職を歴任させ、身の近くに置いて諫言や直言を求めた。
 魏徴も、主君が激怒していようがそうであるまいが、臣下として自身の能力を尽くして利不利を述べた。
 太宗は帝位につく以前から政戦両方に深く通じ、その功績に報いるために新たな役職が作られるほどの天才ぶりを発揮していた。言うなれば、並の者には太刀打ちできないほどの能力に恵まれた人物であった。それでもなお、献策を欲したのである。
 唐という世界帝国の最高位の皇帝である。逆らえる者などいないのだ。まして皇帝が怒れば、それは竜になぞらえて「逆鱗」と称し、触れれば命の危険を意味した。
 
 人間は自分に甘い。そして、虚栄心は甘言を欲する。なのに、忠告とはその性質上、欠点の指摘とならざるを得ない。耳を傾けても楽しくはない。たとえ、理屈では正しいと分かっていたとしてもだ。
 諫言が容れられない理由である。
 
 
 せきね(仮名)が学校で話をする時は、おそらく諫言めいた雰囲気があるように、自分自身で感じる。個人的に話すほど、放課後に話すほど、そんな感じになっているような気がする。
 職場では、50歳近い方とも協力して仕事をすることなどむしろ当たり前だ。今10代の生徒たちであったとしても、学校での学習を終えれば同格の立場として仕事をしていくことは必然でさえある。
 その時のことを考えると、「こうした方がいいんじゃないかな」と思うことを、率直に言っておきたいという気持ちが強くなる。
 
 
 放課後になるとうちの教室にしょっちゅう遊びに来る生徒がいて、なにやらもめているようだった。
 詳しい話は省略するが、せきね(仮名)はその生徒に対して言った。
 「おまえさん、1年の頃からソコラヘンが変わらないよね。少し気をつけた方がいいよ」
 
 普通なら、ここで終わる。
 
 ところがその生徒はせきね(仮名)の指摘が気になっていたようで、また放課後にやって来て、「どういうことですか」「どうしていくといいですか」と言うのである。
 いささかの驚きを込めて、その生徒の顔を見返してしまった。
 
 場合によっては自分で聞くのがイヤなことを聞かされるかもしれないのだ。
 それでもこだわりを持って、「気になる」と思って、教員のところにやって来る。
 
 伝説の名君でもなければ、伝説の忠臣でもない。
 
 しかし、他者の意見に耳を傾けようというその姿勢には。
 晴れわたる将来の、片鱗が見えた。
 行動原理を自身の快不快に置く者たちの将来に、暗雲がたれ込めるのを感じ取ったように。
 
 
 言葉を必要以上に飾らぬとしても。
 他者の意見を聞くと言うことは、無形の財産を譲り受ける機会が与えられたことと等しい。
 
 この生徒の、この件で言うならば。
 せきねという30代教員とそれに連なる知恵知識からなる判断基準を知り、自身の検討をより鋭く行うことができる。
 また、自分以外に視点を持ち、自己を客観視する装置をひとつ作り上げたことになる。
 
 
「おまえは俺のファンネル。俺を守ってー。俺をダメにしようとする敵が来たら、撃ち落としてー」
 笑いながら言い、冗談のようでいて真剣な目でおれを見返してきた、あの視線を不意に思い出してしまった。
 ウチのクラスで調理実習があった。
「今年はまだ授業風景をビデオなり写真なりに撮って保護者に紹介していなかったな」と思いつつ、学級通信ネタにすべく出かけようとした。
 だけど公開授業期間でその時間は他の先生の授業を見に行かなきゃならなくなった。
 楽しそうに調理実習に励む生徒たちを激写する試みは、あえなく撃沈。
 
 
 つぅか、ありえん。
 
 朝・職員会議。
 出欠確認。
 臨時会議。
 1時間目・古典。
 2時間目・生活記録の確認。
 3時間目・現代文。
 4時間目・現代文。
 5時間目・授業研究会。
 6時間目・現代文。
 7時間目・特別活動、大学見学の事前ガイダンス。
 帰りの会。
 3学年国語科うちあわせ。
 生徒と掃除。
 生徒の完全下校後に、保護者と電話で話す。
 
 デスクワークや教材研究などは、全てその後。
 「ひとつの授業の準備には最低でも2時間はかけるべきである」なんていう教科教育法の教科書なんか真っ青だゾ。
 
 
 さらには、わさわさと落ち着かない生徒も。
 授業内容にはいちおうの落としどころを設けて「最低限これだけ勉強すりゃこの時間は合格」っていうのだけは外さないようにしているつもりだけれど。
 そのうち、おこるゾー。
 ↑もうおこってますけど(^^;;
 
 
 そんな残業手当も繁忙手当もない教員にとって、何よりもうれしいのは生徒たちの成長とほんの少しの心遣い。
 「調理実習どうだった?」
 「うどんできた? うまかった?」なんて聞きました。
 そうすると、オジーが「センセ、あげるよー」なんて言って、作ったうどんをくれるのです。
 どうやら、今回の調理実習では麺を作って家へ持ち帰って食べるようです。
 ……いや、見た目すごいんだけど。うどんと言うよりは粘土細工だよ。こりゃ。
 「どう食うの?」
 「ゆでるんだってさ」
 ふーむ。ここ数年、自分でうどん茹でた時ないや。
 オジーのくれたぶんだと夕飯にするにはちょっぴり量が足りなかったんだけど、セノケンもうどんをくれたんだな。
 ……って、切ったはずの麺がくっついていて、まるで白子かモツだよ、それ。
 「ちゃんと食ってね」「日記に書いてね」なんて言われてしまったが、なんか不安である。(^^;;
 
 
 で。
 職員室で「もらっちゃったんですよー」って隣の席の先生たちにふたりの作ったうどんを見せた。
 オジーの元担任曰く。
 「あーあ、明日せっかくの休みだっていうのに腹痛で寝て過ごすなんて(w 」
 セノケンの元担任曰く。
 「髪型気にして髪の毛ぺたぺたさわりながら作ったんじゃないですか、それ?(w 」
 さすが、元担任だけあって的確に不安がらせる指摘をなさることよ(笑
 
 
 ともかくも家に帰って、一抹の不安をぬぐい去れずに夕飯作りに取りかかる。
 ……どっちのうどんもくっついてしまって塊のままなのですが。
 仕方ないのでもう一度こね直し、切って麺にする。
 麺つゆにタマネギとかつお節をたっぷり入れて温め、つゆの方もがんばることに。
 ……でも、茹でていつまで経っても麺が柔らかくなった感じがしない。
 おいおい、と思いながらつゆの方に麺を移し替えて、煮込みうどんを目指してみる。
 
 
 どんぶりに移し替えて夕飯開始。
 
 ……。
 ………。
 …………。
 
 海原雄山ならこう言うだろう、と思った。
 
 「これは人の食べるものではないッ!」
 
 いや、これはいくら愛があっても「うまい」とは言えんな(笑
 でも食べたけどね。
 さあ、予言が現実になって明日は寝通しか?!
 
 
 花婿修行が必要だよ、ふたりとも。
 まあ楽しいからいいけどさ。
 なんとなくだと思うのだが、和太鼓部のやんちゃ君が来た。
 コヤツの吹く笛は元気があって良い。若い音色が良い。
 あらゆる意味でやんちゃ君なのだが、幸運なことに(失礼)、学級担任も授業担当もしていないので「かわいい、かわいい」でも「かっこいいね」でも好きに言っていることができる。
 
 結構な長身なのだが、同じくらい長身な生徒とぺったりくっついて教室にやってきて、「どーせーあい、どーせーあい」言いながら入ってくる。
 意味不明だ。さすがやんちゃ君。
 せきね(仮名)にとっていささか理解に苦しむ。ネットの友人にはいろんな種類の性癖を持つヤツらが居て、一時期まとめて送りつけられて悲鳴を上げたのだが、でもまあハードゲイとかいうモノがTVで流行るぐらいだから、おそらくそういうユーモアもアリなのだろう。
 
「いかんゾ、同性愛は。非生産的な(w 」
 柴田亜美の言葉で相手をした。
「あはは、非生産的か〜。そりゃそうッスね〜」
 ふと思った。
「ひょっとして、同性愛は世界を救うか? 人口問題が解決するぞ」
 うはー。
「法律を作ろう。同性としか結婚をしてはならないって。なんて頭良いんだ、おれはッッ!
 
 アホでごめんなさい(笑) 
 5教科の外部模試をやった。
 やれやれ、というのが1日終わった感想である。
 
 国語はかなり易しいし、わかりやすいな、と思った。
 論説文はマトモだった。模試なんだから、奇をてらったり風変わりな題材だと困る。「ありがち」で固めてもらいたいから、丁度良い。
 小説は映画のノベライズだった。かなり有名で、「たしか映画先行の小説版だったと思うのだが、いいのか?」と思ってしまった。たとえて言えば、「スターウォーズ」を小説で出題するようなものである。
 古文はなんと、文法事項が出なかった。過去問ではいちおう文法事項も出題されていただけに、肩すかしを食らったようである。
 うーむ。ビミョーだ。
 
 外部模試を採用するのだから、「まだ習っていないこと」が出題されていても、それはある意味当然だと思うしかない。
 もちろん勉強していた方がいい。
 けれど、同じ問題を全国単位で解くわけだから、誰かがどこかで習ってないという事態はどうにも避けようがない。
 その意味で外部模試は、定期試験ではなく入学試験に似た性格の試験だということができるだろう。
 つまり大切なのは。
 既に習っていることをどれだけ正確に答えることができたか、ということ。
 普段からどれだけの勉強を積み上げているか、ということ。
 
「習ってないからできない」
「習ったところはきっちりできた」
 両方とも同じような事実を表現している。
 けれど、この語の内に流れる真実は全く異なる。
 
 いいんだけどさ、それぞれの人生だから。
 後ろ向きだろうが前向きだろうが、所詮はそれぞれの人生。
 誰かがどうにかできるものじゃない。
 
 たかが模試。
 それはただ過ぎゆくもののひとつでしかない。
 けれど生涯は。
 ひとつひとつのできごとの片鱗が組み合わさって、できあがっていくもの。
 
 奔流のような世界にどう対峙していくか。
 呪詛を抱えて溺死するか、生きて生きて生き抜くために必死で泳ぐか、あるいはわが身を制御しきって波乗りを挑んでいくか。
 他ではない自分自身が、そういう選択をするのだ。
 
 だけど「死にたいヤツは勝手に死ね」っていうのは、良識のある者は言うべき言葉じゃない。
 それにまあ教員だから、言うわけさ。
「できるだけがんばってみたら?」
「勉強はするべきだと思うよ?」
 いちおう、期待はしているんだけどね。
というふうに聞かれた。

「んー、場合による」と言ったら納得しなかった。
 そんなの状況を知らなきゃ何とも言えないじゃん。
 意味論と語用論っていうヤツだよ。両方がわからなきゃ、判断の下しようがない。
 だから「そんなこと言う先生いるの?だれ?」と言っても「どう思いますか」の一点張りである。先にこっちの結論だけ引っ張り出そうといているわけだ。
 まぁその生徒はもともと小動物的にデリケートな子だから、そんな言い方しかできないのは知っているんだけどね。
「おまえって、前っからそういう話し方するよなぁ。卑怯なんだか臆病なんだかわからんけどさ、あんまり良いコトじゃないよ」
 我ながらひどい言い方である。
 だけど、結局のところそういう批評に対してどうするかは本人次第なのだ。聞き入れても、あえてそれで良いのだと開き直るのも、理解できなくても、相応に未来なり人間関係なりが連鎖を起こす。
 所詮、人生は自分の器量。
 
 
 で、せきね(仮名)の生き方は、何を持ってこられても自分のできる限りで納得いくように打ち返す生き方なワケだ。
 生徒の放ってきた問いには、基本的にそのまま全力で打ち返す。ホームランの可能性も、大ファールの可能性も、ピッチャー返しで直撃して大けがする時もあるかもしれないが。
 
 もし教員が「『この中坊が!』などと言って怒る」として、その状況はふたつ考えられるのではないかと思った。
 
 その教員が、授業がへたくそで配慮がなくて教室が騒がしくなっていて、それで「この中坊が!」と言ったならば、教員がダメなのだろう。そこには、未来を任せるべき中高生に対する敬意が無い。
 ただし、この場合の"敬意"とは、王や権力に対するような敬意であってはならない。後進が、訓練をし鍛えられて立派になっていくことを期待し、心から望む、そういう敬意であるべきだ。
 だから。
 言うべきを言い、語るべきを語り、学ぶべきを学ばせて、それでなお弛緩した雰囲気をぬぐい去れない者に対して「この中坊が!」と厳しく叱るのは正当であり、教員の理想としてかく在るべきではないかと思う。
 
「おれはそう思うけど?」
 以上のように言って、水を向けた。
 
 まあ、相変わらず微妙な表情だったけれど、言ったことの意味まできちんと理解できる聡明な生徒だから、それなりに受け取ってくれるだろう。
 
 
 しっかし、気になるな。
 別に管理職でもなんでもないんだけど、他の先生の授業を見て回りたいものだ。
 もちろん自分が教壇に立っていて気付かないことを学び、向上していくためのわけだが。
 詩歌の授業って、かったるい。
 実はその気持ちのほうが、せきね(仮名)自身にも長く染みついていたはずなのだ。
 なのに今は、全然そう思わない。
 きっと、昔はキライだったのに今はいつの間にかスキになってしまった、冷酒やら豆腐料理だかと同じようなものなのだろう。
 
 いつか「お、いいな」と思えるようになったらうれしい。
 今「けっこういいじゃん」と思えるようになったらもっとうれしい。
 古典で和歌を扱うに当たって、そう思う。
 
 そう思って教科書を見ると、無難すぎてその教材だけでは和歌の魅力を伝えてきれていないような気がしてくる。
 当然、学ぶべきことが多数含まれている教材をまとめてあるのが教科書であり、あまりにもアバンギャルドな教材を集めている教科書というのもアレなのであるが。
 
 せきね(仮名)個人の感性としては、明るい昼よりも暗い夜のほうが好きだったりする。
 万葉であれば挽歌。
 古今であれば哀傷。
 新古今であれば離別。
 
 けれども、若い人たちにそういうものを紹介するのもどうかと思うんだな。
 というわけで、相聞なり恋歌なりのほうが連想しやすかろうと判断してみる。
 「ああ、昔の人の気持ちも判るかもしれない」
 そう思えたら、古典の授業の目標は達成されてしまうのだから。
 
 
 堕天使よりも愛天使のほうが宜しかろう、というわけだ。
 愛を運ぶゼー。あははー。
 ↑……死になさい(笑
○10/29(土)講演「私らしく生きる(光をうしなっても)」より
【講演を聞いて考えてみて下さい】
視覚障害の方や盲導犬のために自分ができることは何だと思いますか?

☆盲導犬を連れている人の講演は小学校のころに聞いたことがある。
 改めて聞いて、やっぱり大変なことなんだと思う。少しずつ視力が失われていく…すごい恐怖だと思う。自分なら耐えられないと思った。
 二年生の時、駅で目の不自由な人に会った。困っていたので声をかけようと思ったが、声がかけられなかった。
「やさしさ+やさしさ=勇気」今なら声をかけられると思う。

☆今すぐやるのはムズかしいと思うケド… 徐々に障害者が盲導犬を必要としなくなるように、公共の場をもっと改善する。
 今できるコトは、盲導犬がいない障害者の人がいたら手伝ってあげたりすることだと思う。

☆やっぱり助けるのが一番だと思う。
 しっかり手をつないで助けるのがいいと感じた。
 もっとパピィウォーカーを増やして、盲導犬を増やさせるべきだと思う。
 盲導犬の行くところのじゃまをするのは良くない。
 盲導犬の理解をもっと浸透させるべきだ。また、ハーネスをつけている盲導犬には絶対に邪魔しないことをもっと義務づけるべきだと感じた。

☆もし盲導犬と視覚障害者が歩いていたら、ただ助けるんじゃなくて見守っているほうがいいんだとわかりました。助けるつもりで話しかけると盲導犬の仕事の邪魔になっちゃうのでダメなんだとわかりました。
 講演をなさった方は一生懸命努力しているということが伝わってきました。
 なので僕も色々と頑張ろうと思いました。

☆白い杖を持っていておどおどしている人には声をかけてみる。そして道がわからなかったら現地まで案内してあげる。
 将来の職業を、盲導犬を育てる人になる。
 普段からぶつからないように考慮しながら歩く。
 盲導犬には手を出さない。
 今日聞いたことを忘れないことが大事だと思う。

☆無断で自転車を放置しない。
 差別をしない。
 視覚障害者が困らないように、いろいろ助ける。

☆今日話を聞いて、5歳の娘さんに言われたコトバを聞いて、泣きそうになった。
 私は今まで1回も町中で盲導犬を連れた方を見たコトがないケド、もしこれから連れた方を見たら、右側(反対側)に走っていってお手伝いしてあげたいなぁと思います。

☆自分のできること。それは何だろう?
 一番最初に思いついたことは道で困っていたら助けてあげることだ。でもこれは当たり前のことだと思う。
 二番目に思いついたことは、かわいそうだと思わないようにすることだと思う。たしかに不自由になるけれど、私が見たかぎりでは講演をされた方は幸せそうなので。
 目が見えなくても幸せになれるってことが今日わかりました。ありがとうございました。
 
 
 このときの気持ちを、大切にしてほしいな、と思う。
 学校という場で、正義が通らないならば。
 この世の何処にも正義を伝えていくシステムは存在しないのだ。
 
 教職員に、その自覚はあるのだろうか。
 昔の人の戒め。
 心の師とはなるとも心を師とせざれ
 この古文の場合、「心」とは絶えず移り変わっていく「揺れ動く心」を指していると考えられる。意味を付け加えて現代語訳・解釈をすると、以下のようになる。
 ころころと変わりやすい心・感情を、師匠が教え導くようにコントロールするようにするべきであり、逆に感情に支配されて、その心のままに生きていくようなことがあってはならない

 今、せきねが一番好きな勉強は国語、その中でも古典だったりする。
 漢文を読むと、"中国4000年の歴史"から将軍や軍師や皇帝や、自分の仕事をやり抜いた人たちが飛び出してきて、目の前に立っていたり一緒に大平原を駆けているような気がしてくる。"卑弥呼より古い" 三国志の英雄が、戦場を暴れている姿が見えるようだ。
 古文を読むと、1200年くらい昔からのご先祖さまがいて、祖父・祖母から昔話やちょっといい話を聞いているような気分になる。たまに話が長くて退屈しかける時もあるけれど、どんな時代に生きていても、人間ってあたたかいな、と思う。
 他の教科のどこらへんが楽しいかは他の先生に聞くとして、国語の楽しみはこのあたりかな、とも思う。
 
「その時の気分で生きるのはなるべくやめよう」
「自分で気持ちをコントロールしていこう」
 そう、昔の人たちは言っている。語り伝えているのだから、それは昔からずっと難しいことで、いろいろな人が苦労してきたに違いない。だって、そうでなかったら伝えられる必要のない言葉になるからだ。
 
 ひとりでがんばり続けるのは、難しい。
 だから「学校」がある、と言ってもいい。
 みんなで競い合ったり。
 真剣になったり。
 のんびりしたり。
 語り合ったり。
 それが充実した生活であればあるほど、きっと世界に羽ばたく強靱な翼を持つことができる。
 
 基礎練習を軽んずるスポーツ選手は大成しない。
 たとえば走り込みをしなかったとすれば、動き続けることのできる時間が短くなってしまう。
 だから、基礎練習に対して 「なんでこんなこと」と思ったとたんに、最高峰から遠ざかる。
 
 学問も同様だ。
 数学の計算。
 英語の単語。
 理科や社会の専門用語。
 
 そして。
 国語の漢字。
 中編の小説教材と同じだけの時間をかけて、本校中等部・国語科は漢字の授業を持つ。
 おそらく他の学校には見られないほどの情熱を注いで、基礎基本をやりなさいと言う。
 
 
 漢字検定、おつかれさま。
 合格の峰へ、心をコントロールしてたどり着けるといいのですが。
 とても大切な意見だと思ったので、ほぼ全文を紹介する。
 最近思うこと。
 この学校の先生達は結局のところ「いい大学に行かせるための道具」としてしかこっちを見ていないんじゃないかと感じる。
 中学や高校は塾とは違う。勉強にだけ集中させる所じゃない。
 (今の)中学の部活はクラブ活動とも言っていいくらいだ。そんなことやっているから、今の学校生活を満足できないんだ。
 学年の人に聞いても、「満足してる」人は、1割もいませんよ?
 以下、この「生活記録」の記事に対して書いた返事。(一部書き直しあり)
?「学年の人」とは200人かな? その1割とは20人くらいだろうか。あとの180人は不満である、ということでいいのかな?

?なぜ満足でないならば他校を選ぶ者があまりに少ないのだろう、と考える。
 為すべきを為さず、良く生きるべく努力をしない姿は、見ていて悲しい。
 別にウチの学校なんかイチバンの学校じゃあないのだ。どうしてもイヤならば自分でよく考えて進路を他校にするなりすればいいのだ。そうだろう?
 結果、充実した学校生活を送る生徒がいなくなってこの学校が沈もうが、それは生徒の側から言えばどうでもいいことだ。

 学校は、「生徒のため」に在るのであって、「学校のため」に在るのでは無い。

 ただ、せきねは思うのだ。
「宿題を出さない」
「生活記録を出さない」
「成績表の受け取りを出さない」
 そして、不満。
 そういう生徒には「出しなさい」「勉強しなさい」と言うしかないのではないかと。

 人は毎日、瞬間瞬間にさまざまなことを考えて生きている。
 
 生徒は道具ではない。当然だ。
 
 同じく。
 教員も道具ではない。当然だ。
 
 この時期もなお、はるか昔が提出期限の宿題を「出しなさい」と言う、その教員の気持ちを考えたときはあるだろうか?
 こんなに苦しく、つまらないことはない。
 これは塾以下のありさまだと思う。
 
 せきねも含めてウチの学校の先生「達」と呼ぶならば、こう答えよう。
 
「『良い大学への道具』が欲しかったら、金にモノを言わせて良い道具をかき集めるだろう。『生徒の進路を"人として"拓きたい』と願うから、毎日のようにうるさく言うのだ」というように。
 
 人には、代替の利く者なんかいない。
 ただのひとりとして。
 だから、誰でもないその本人に対して、「学びなさい」と言うのだ。
 
 そして何よりも。
 後悔しない人生を送ってほしい。
 この世界中で、戦争や貧困によって死ななくて済む、希有な国に生きているのだから。
 
 せきねは「良き我が校」のために相応の努力(平均すれば12時間は職場にいる)をしているが、「その生徒自身の良い人生のためにウチの学校が不適切」であるならば、必ずしもまだ続く高校課程に行く必要はなかろう。
 
 一番愚かしいのは、消極的な選択や、今ラクをしたいために「このまま」という決定をすることだ。
 
 
 部活に関しては、またのちほど日を改めて。 
 体育祭、おつかれさま。

 大切なのは、「自分が勝ったのか、負けたのか」ということだ。

 せきねの場合は、文化祭が終わって以降、こっそり準備をしてきた。
 目標として、「クラス対抗リレーできっちり走りたい」と考えていたからである。去年は担任がアンカーで、前の順位の先生にもう少しで追いつきそうで追いつかなかったのだ。
 15人が頑張って手渡してきたバトンを、しっかり受け取ってゴールしたい、と思った。
 
 しかし、実際のところ、今年のクラス対抗リレーは16人全員が生徒、ということになってしまった。職員会議でそれを聞き、こっそりと、しかしけっこう落ち込んだ。
「せっかく準備したのに」とも思った。
 どうしたものかな、とも思った。
 
 
 そうして漫然と体育祭を迎えようとしていたとき。
 朝、せきねが学校に来るのと入れ違いに中庭へ出かけていく姿を見た。
 なわとびを持って練習をしに行こうとしている、ふたりの女子生徒の姿だった。
 
 練習をしたから、努力をしたから、それで即時の成功が保証されるわけでもない。
 
 けれど。
 
 前へ進もう、できる限りのことをしよう、そう思わなければ、そもそもの将来は無い。

 その時、その場で、自分のできることを探し、取り組んでいけばいいじゃないか。

 そうして、せきねがやったこと。
「鉄人レース」。
「今、会いに行きます」6回。
「みんなでジャンプ」。
「部対抗リレー」。
表彰係。
いくつかの種目の1位の生徒に、ノートを配る。

 応援団。はずかしいかもしれないけれど、引き受けてくれてありがとう。
「仲良くジャンプ」でのふたりのがんばりに、感動した。
「クラス対抗リレー」で、我がことのように本部から応援した。
「紅白リレー」でウチのクラスから出た3人の走りは、かっこよかった。
 
 みんなはどれだけ懸命になって、どれだけ気持ちよく疲れただろう。
 
 
 いつか振り返ったときに、「中学生活、良かったな」と思えるかどうか。
 長い生涯の果てに、「良い人生を送った」と思えるかどうか。
 そのカギは、ひとつひとつのできごとにどれだけ熱中できたかどうかだ。
 
 
 やっぱり、少しだけくやしい。
 白組が負けたから。わたしたちの側が。
 
 でも、次こそは。
 「普段の行い」+「行事のときのパワー」で、「勝った!」と言える時間を過ごしたいものですね。
 こんな古文がある。
ただ心こそ大切なれ
 「ただ」とは、「ひたすらに」「まさしく」という意味。
 「こそ−大切なれ」は、係り結びの強調。

「ひたすらに、心が大切なのである。」という現代語訳になるだろうか。

 では、その「心」とはなんなのだろう。
 どんな「心」なのだろう。

 さまざまに考えることができるが、生きるための知恵として上の文をとらえるならば、「より良く生きようとする心」「これからがんばろうという心」ではないかと考える。

 どんな物語も、ドラマも、マンガも、アニメも、主役が「向上する姿」「成長する姿」を大きなテーマとして話が展開されていく。
 人が生きるにあたり、これがどれだけ大事なことかを示していると言ってよい。

 それに対して。
 主人公たちに無様に打倒されていく対役は、決まって「自己中心」「過ちを認めない」「自分を成長させる機会を活かせない」「持論が絶対で他人の姿から学ぼうとしない」。

 子犬にひもを付け、その先を英語の授業で使うCDリピーター程度のものにつなぐ。
 子犬の力では、動かすことができない。
 そうすると。
 大きくなって力がついても、昔からの重石につながれると動けないそうである。
 犬ごとき(と言うと犬に失礼だが)でも、「習慣」は体に蓄積されていく。
 まして人間の普段から習慣づけた「心がけ」が、どれほどその生涯を変えていくか。
 
 
 体育大会の朝練習。おつかれさま。
 めんどうだと思わずに、がんばろうというその心がけが何よりも尊い。
 
「さようなら」を言ったあとに、いすを机の上にあげていく。ありがとう。
 自然にそれができる、その身に付けている振る舞いが、人生を大きく変える。
 
 チャイムが鳴ると、教員が来る前に着席している。すばらしい。
 あわてて授業の用意をする1年間と、最初から落ち着いている1年間。
 その積み重ねが、計り知れない大きな違いとなっていく。
 
 
 誰も見ていないようでも、誰かが必ず知っている。
 それを「お天道様は見ているよ」という言葉で昔から日本人は語り伝えてきた。
 太陽がわたしたちの行動を見ているかどうかは、わからない。
 けれど。
 その心がけは、必ず自分自身に反映されていく。
 
 すべての学校生活を、「かっこいい自分」になるために使っていきたいものです。
 (表は省略)

 クラス出席簿の裏には、上のような「出欠統計表」という記入欄がある。

 前期、ちょうど100日。
 4月・19日。 始業式からゴールデンウィークまで。
 5月・20日。 避難訓練や上野の科学博物館へ行った日々から始まったひと月。
 6月・25日。 中間試験、修学旅行出発までの不安と期待の日々。
 7月・12日。 大充実の修学旅行。平常授業の中で思い出をまとめて、そして夏休み。
 8月・4日。 夏休みが終わり、期末試験の直前。
 9月・20日。 期末試験、そしてあっという間の文化祭。

 見て、どうだろうか。
 途中でものすごく大きな事故などもなく、みんなで過ごしてくることができた。

 ただ。
 遅刻がやや多いかな。
 電車の遅れとかは仕方ない(遅刻に含まれない)けれど、朝のあいさつまでには来てね。
 
 ============================
 
 そしてこの「出欠統計表」の下には。
 
 「在籍の記録」という記入欄がある。
 そこには、転入、転出によるクラス人数の変化を書き記すようになっている。
 担任を持つようになってから、毎回、毎回、退学や休学による転出が無いことに胸をなで下ろしながら、「在籍の記録」に「変更なし」の斜線を引く。
 
「勉強したくないなら、学校やめなさい」
 その言葉は正当で、真実であるのだけれども。
 
 不本意ないきさつで学校を去ってしまう者がいないように、と願わずにはいられない。
 
 教員であるかどうかを別として、わたし自身は素朴に「スクールライフの良さ」を信奉しているから。
来場者1000人突破

「最上階のはじっこ」
 おまけに。
「研究発表・展示」
 文化祭では、ごく地味な文化部の定番である。
 退屈そうな受付と、たまーに覗いていく来場者。

 うちのクラスの置かれた立場は、まさに上のようであったと言ってよい。
 
 さらに悪いことに、「台風で中止になるかもしれない」と朝や帰りの会で連絡しなければならないような天気であった。
 
 
「1000人を超えるお客さんが来て、みんなでパーティーやれるといいね」
 そう、初日の終わりに言った。
 昨年度はお化け屋敷ふう迷路の出し物をやったクラスが大好評で、1000人を超えていた。(学校全体の来場者は約7000人)
 その時から、「来場者1000人」はひとつのラインだと思っていた。
 
 
 2日目の12時に、600名を超えた。
 「だめかな」という声をもらした者もいた。
 「友達や、他のところにいる客を呼び込みしておいで」とせきねは言った。
 
 
 1時半、800名を超えた。
 「どうだろうね」というふうに言う者もいた。
 「あきらめるのは早いよ」とせきねは言った。
 
 
 残り1時間、900名を超えた。
 皆が「いけるかもしれない」と考え、最終公演が終わった劇のクラスから友人やお客さんを連れてきた。
 皆が、目標を意識して客を誘ってきたのである。
 
 
 そうして、来場者1000名を超えた。終了10分前に。
 
 
 最後は、「1度来た人でもいいから」と言った。
 考えてみれば、ものすごくつまらない出し物だったら、2度も見に来ない。
 誘ったって、中に入ってくれないだろうと思う。
 今回の出し物に、相応の魅力があったからだ、と言っても良いのではないか。
 
 これも、文化祭実行委員のふたりを中心に、女子が心理テストの問題を考え、男子が手伝い、男子と女子で協力していったからである。
 
 
 うちのクラスは、またも勝った。
 春のスポーツデイに引き続いて。
 
 皆の力で、勝った。
 せきねにとって、我が事のように嬉しい。
 
 
 後期も、皆の力で勝っていこう!
 会えば必ず会話に熱中したが、筆無精にして環境が変わって以降まったく音信が途絶えてしまったという友人が幾人かいる。
 
 大学の学部生でいたころの、カズサと言う姓の友人もそうだ。
 カズサは名の知られた俊英であり、大学自治の中心者であり、政治にも経済にも詳しかった。間に幾人かの友達が入っていたはずなのだが、大学の3年次には、カズサが大学祭の実行委員で忙しいはずなのにほぼ毎日話をしていたように思う。
 
 大学の文化祭にもなると、熱心さも不熱心さもさまざまな各種団体が参加をする。それらの調整をするだけで文化祭実行委員は忙しいわけだが、カズサは周りがびっくりするぐらい果断に役割をはたした。
 
 文化祭参加の申請が遅れたグループがあった。
 留学生たちが自分たちの郷土料理を披露するというテントだった。その前年にも参加して、売上金でとある発展途上国に学校を建てたという留学生たちである。
 どんなサークルでも申込期間をぴったり区切って、容赦なく参加締め切りをしていたカズサが、アクセントのどこか違う「まだ大丈夫ですか?」という声に「オーケーですよ」と答え、その場でキャンパスへの出入り口に一番近いテント設営地を決定してしまったのである。「ここにしましょう。今年も大人気だと良いですね」と。
 それ、やっちゃって良いの、と聞いたら。
 「オレはあの留学生たちを超える熱意と真面目さのある団体を知らない。あれを最優遇しない大学祭などクズでしかない」ってさらりと答えたものである。
 
 敵も多かった。敵と言うと語弊があるなら、嫌っている者も多かった、と言うべきか。
 ひねくれ者というか、なんというか、そういう時はますます強気になって事を進めた。
 名言も多かったように思う。
 
「『文化祭は自己表現の場である』という考え方も認めなくはない。しかし、あのオタクどもは何だ? 来場者の楽しみようがない落書き展示は? あんなものは一番はじっこで細々とやっていればいいのだ。オレは、文化祭を精神的ストリップショーにしたくない」
 
「常々『大学は勉強だけじゃない』って言い続けていたヤツらがこういう時にどんな動きをするか、観物だぞ。何人の来場者を出せるか、どれだけ人を惹きつけられるか。見せてもらおうじゃないか」
 
「模擬店が出るだけなら、縁日と同じだ。テキ屋集団と同レベルというわけだ」
 
「在籍者数と来場者数を比べてみるといい。幾人が文化祭で活躍しているか。祭りの季節を休日と勘違いしているバカがどれだけ居るか。普段は『講義を面白くしてほしい』とか『大変だから減らしてほしい』とか言い、いざこういうイベントになると何もやらないでサボる。大して勉強していないヤツに限って文句ばかり、愚痴ばかり。教授たちはあきれるぐらい寛大だと思うよ」
 
 
 ひかえめに異議を唱えてみた時もあった。
「そうは言っても、いろいろな状況があって全力を尽くせないのかもよ? 楽しくしようと思えばいくらでも楽しくできるのにね」
 
「んー」
 カズサはせきねに対して苦笑してみせた。
 きっと、何を甘いことを、と思ったのだろうなあ。
「いざという時にその人物の正体が解る」という(ような言い回しの)箴言がある。 
 もっとも、学校という(最近はそうでもなくなっているが)安全な環境には、基本的には上記のような生き死にに関わるような「いざという時」は来ないようになっている。
 
 けれども敢えて言えば、イベントの時などは充分な「いざという時」を推し量ることができるように思える。
 
 せきね(仮名)は教員であり、かなり本気で、どの生徒であってもいとおしく思い、どの親御さんであっても子どもを立派にしてあげたいという気持ちに共感する。
 けれどもせきね(仮名)の構成成分は教員だけではない。
 他人が卒業していった後も大学に在籍していた中で修得した程度の、人間観察力やら何やらはある。
 
 
 博物館見学に行った。
 自由な場所に置かれると、それぞれはそれぞれの判断で動き出す。
 博物館や美術館などの見学は、相当な知性と教養、知恵と知識が必要だと思う。
 ウチの学校の生徒たちは、どうだっただろう。
 
 こういう施設は大体が。
 オコサマが行くところではない。
 2ちゃんねるふうに言えば、「シロウトにはお勧めできない」。
 
 だからこそ。
 ウチの生徒たちが出かけていくことで、何らかを得てほしいと思うのだが。
 そもそも、今回は欠席な者もかなり居た。体調ではなく、各家庭の都合によるものもあったようだ。国立博物館の見学以上のものを得た土曜日であってほしい、と願わずにはいられない。
 
 こういった博物館見学などのことを「総合学習」というのは言い得て妙、であろう。
 この場合の「総合」は、「各教科の総合」ではなくて、「人間全体の総合」という意味で名付けられたのではないかと思えてくる。
 
 博物館とはどのようなものか。
 
 何かを得ようと思って訪れた者に。
 文物は、限りない先人の知恵をもたらしてくれる。
 そうでない者に。
 文物は、ガラクタとしての姿しか見せない。
 そして、その後に無限の連鎖が起こって人生は織りなされていく。
 
 
 生徒たちのその行動に。
 今後、何が連鎖するのか。
 
 観物、と言うべきなのか。
 よくよく考えてみると授業が1回なくなったおかげで、前期期末までにできることが減ってしまった。
 
 今までの予定ならば、4回もしくは5回の授業で教科書の説明文を学習して試験に突入。
 それが。
 3回もしくは4回の授業時間数。
 最初の授業は漢字検定過去問テストなので、どう考えても残り2回の授業では説明文を終わらせることはできない。
 おまけに「夏休み中の宿題」の回収もありますので。
 
 授業に割り当てられる時間は、いちばん短いところで45*2-7*2=75。
 これで授業最初にだらだらしたり、作業指示をきっちり確認していったらさらに時間が減る。
 
「仕方ないですね。教材を変えましょう」
 ということで、説明文から詩に変更。
 
 …詩。
 ……詩。
 ………詩かよ! ←自分で決めたんだけどさ。
 
 詩や短歌や俳句を授業するって、おれにとってはホント難しい。
 
 詩の技法だけではなく。
 ただ読んだよ、っていうだけでなく。
 「授業として成立させる」ということが、殊の外に。
 
 試験範囲に仕立てると同時に、ちっこい解釈で終わらせない多重な受け止め方、そんな授業にしたいのである。
 
「ココはこう読むぞー!」と。
「ココはこう読んでもいいんじゃないかナー?」の。
 ふたつの世界が見える授業にしたいなあ、と思う。
 
 それが。
 かつて大学で。
 教授から学び、畏友から学んだことへの報恩だと思うから。
 
 
 ともかくも。
 台風が吹き飛ばしていったものは。
 
 授業準備をし直すことになったことでの、おれの土日の休み。
 準備していた説明文の授業。
 考え始めていた試験問題案。
 
 あ……なんかヒドくないか?(泣)
 昨日・今日の実力試験が終わり、全校集会。その後に解散。
 
 
 青申の言ったことを、思い返す。
 
「成人式で自分勝手に騒いだあげくに警察に捕まるようなヤツがいる。そいつらは今の中等教育課程を卒業した者たちだ」
 
「オマエの教育している子供たちは、集会の時にきちんとすることができるか?」
 
「静かに、話している者の目を見て話を聞くことができるか?」
 
 
 校歌斉唱。
 
 
 歌声を聞きながら、我が友の言葉を思う。
 
 現在のこの生徒たちの姿から、未来の行く手が見えるのだ、と。
 
 どんな式典にでもふさわしい態度を取ることのできる、世界のトップとなることができるのか。
 式典など声もかからない、誇りもプライドもないような人生を送るのか。
 
 
 
 我が友たちは、いずれもすぐれた者たちばかりだから。
 ときに、痛いところを突かれて苦しくなることがある。
☆修学旅行から、およそ1か月が経った。
 遠い昔だったような気がして、それでいてつい昨日のことのように彼の地を思い出す。あの時は勉強不足で気付かなくて、けれど実はすごかったんだなぁということが幾つもあった。
 あちらの中学校のこともそうだ。「校区を越えて通学したい」と希望する家庭が実際にあるくらいの中学だそうで、なによりもその中心者である校長先生ご自身が「州で最もすぐれた校長先生」と言われているそうである。

☆校長先生は、すごく良く動く先生だった。
 体験授業のためにバスで移動すると、入り口の外まで迎えに来てくれていた。
 ひとりひとりに、気軽にあいさつをしていた。
 "日本の中学生大歓迎"の掲示物を、自分で張りつけていた。
 休み時間後、コップなどの後かたづけを一番に始めていた。
 体調を悪くした生徒のために、自分で車を運転して病院まで連れて行ってくださった時もあった。
 スピーチはこれといった前置きをしなくても始まり、それでいて皆が注目するような態度、声調であった。

☆校長先生は、こちらの生徒も、教員も、常に気にかけてくださっていた。
 せきねは深い内容の会話をすることはなかったけれども、先生についてまわって、できるかぎりの手伝いをさせていただいた。にこにこして、校長先生は認めてくださった。
 気付いたことはやる。良いことはどんどんやる。
 そういう教員の在り方を、身でもって教えてくださったような気がする。

☆あの中学校のこと、これからのウチのクラスのことを考えながら、10時間かけて日本へ戻ってきた。
 そしてみんなには、「始めと終わりのあいさつはしっかりしよう」「そうじをきっちりやろう」と声を掛けてきた。
 普段から服装に気をつかうように心がけてくれた者もいた。
 せきねが声を掛けると、服装を直すようにしてくれた者もいた。
「先生から言われたら直さなきゃダメじゃん!」と言いながら、友人同士で楽しく声を掛け合ってくれた者もいた。
 また、教室掃除ではひとりひとりの分担を決めていくようにした。黒板もほうきも雑巾がけも、みんな競うように、楽しむようにしてやってくれた。
 時には二人一組になったりしながら、ていねいに机を運んでくれた。
 4階の教室から遠いにもかかわらず、せきねが声を掛けた者はみんなイヤな顔をせずにゴミを出しに行ってくれた。
 ひょっとしたら、ウチのクラスは学校の中で一番きれいな教室かもしれない。
 心から、「協力をしてくれてありがとう」と申し上げたい。
 "州で最上級の学校"と、張り合うことができるんじゃないかと思う。

☆これも、親御さんがあってのことだと思う。
 みんなが幼い時から、日常生活のルールを教えてくださっていたであろうから。
 
 
 夏休みの間、各家庭で、楽しく、元気に過ごしていってください。
 そしてまた、より一段と成長した姿で集い合いましょう!

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