このたび君たちの担任をすることになった、せきね(仮名)です。副担任の先生とともに、君たちがとびっきりの高校生活を送ることができるように、全力でがんばっていきます。
 
 
 わたしは今まで、たくさんの生徒たちの姿を見てきました。
 たとえば。
 
 放課後になると素早く着替え、一目散にグラウンドへ飛び出してゆき、ひたすらボールを追いかける、サッカー部の姿。
 スパイクのつま先から髪の毛の先まで、体中を土埃まみれにしながらそれでも底抜けに元気な顔。
 
 中庭で、演奏が完璧であるのはもちろんのこと、団体で一糸乱れぬ動きの美を極めようと、拍子を取りながら"ステージドリル"の練習をする吹奏楽部の真剣なまなざし。
 
 冬の氷のような床に裸足で立ち、自ら課した朝練習に臨む剣道部の凛々しき影。
 声をかけることもためらわれるような、道場に満ちる緊張感。
 
 教室ではもの静かに過ごしているのに、全校集会ではまるで別人のように堂々とした振る舞いを自然に行う生徒会役員。
 学校行事を成功させるために、皆が楽しく学校生活を送れるように、たくさんのことを考えてゆく豊かな知恵。
 
 
 なんとすごい高校生たちだろう!
 こんな平凡な言葉で表現するのがとてももどかしいぐらい、ものすごい数の「がんばる人」「かっこいい人」に出会い、深く感動してきました。
 
 わたしは、こんな高校生たちが居る、「学校」という場が大好きです。
 そして今、新たに高校生活を始める君たちにも、先輩たちに続いて、「がんばる人」「かっこいい人」になっていってほしいと、強く願っています。
 
 
 そのために、ぜひ君たちに目指していってほしいのです。
 夢を抱く人生を送っていこう 
 もしかしたら、これから過ごしていく日々の中には、必ずしも楽しいことだけではないかもしれません。
 しかしそれでも、心にかかえる「夢」があれば。
 雨の降ったり風が吹きつけるような苦しい時があっても乗り越えていくことができます。
 
 そんな高校生ひとりひとりが集まった学校を見たい。
 これが、わたしの「夢」です。
 だから、仕事で少しぐらい大変なことがあっても、またがんばっていこうと立ち直ることができます。
 
 
 君たちとお会いするこの4月を、とても待ち遠しく感じていました。
 
 入学、おめでとう。
 どうか、最高の高校生活を送っていきましょう!
 率直に言って、苦しいことが多かった。
「もうやめよう」と、この仕事を見限ろうと思ったことも幾度となくあった。
 自分では正解だと思ってもうまくいかないことの多さに、自身の教員への適性を心底疑っていた。
 つい最近、1週間ほど前でさえやはりそのように考えていた。
 
 だから、「最後にどんな気持ちになれるか」と真剣に問いかけていたのは、わたし自身に対してであった。
 
 
 結論。
 泣きもしなかった。
 悲しくもなかった。
 
 ただ一点の曇りもなく。
 
 生徒たちへの。
 喜び。
 いとおしさ。
 感謝。
 
 それらが在った。
 
 
 春の訪れに対する、無心な喜び。
 
 薄い水色をした空一面に広がる、桜のはなやかさ。
 寒さの中で花開く、梅の気丈さと香り。
 生命の満ちあふれていく土色に映える、桃の豊かな色合い。
 新緑の中で清らかに咲く、李のつややかな輝き。
 
 
 慌ただしさに目が回りそうでありながら、自分でも不思議だった。
 有り難い、そんなことを思って佳節を過ごした。
 いよいよ、「高校人生」の最後の日となる。
最後に「幸せだった」と思うことができたら、その人生は最高だ。
 ことさらの箴言でもなく、わたしがこう思っているだけである。
 
 長い生活の中では、いろいろなこともある。
 嬉しい。
 腹立たしい。
 悲しい。
 楽しい。
 たくさんのできごとがある中で、さまざまなことを思って日々を過ごしてゆく。
 そうしてたどり着いた終わりの時に、振り返ってみてどう感じるか。
 それは、本人にしかわからない。
 たとえ他人をどう騙そうと、自分自身の実感として必ず返ってくる。
 
 だから、「心が大切だ」「やったことは必ず全部自分に返ってくるよ」と、この6年間言い続け、君たちに自覚を促し続けてきた。
 
 これらのことは当然のことながら、君たちだけのことではなく、誰よりも自分自身の問題としても考えてきたことである。
 わたしが教壇に立って示したことは、どれだけ気持ちを大切にしてきたことであるだろうか。
 わたしは若く希望ある者たちにどのように振る舞い、どのような結末につながる舞いをしてきただろうか。
 
 3月1日の朝、これからこの文を印刷する今、たどりついた心情は、
君たちとともに毎日さまざまなことを学んだこの6年間は、わたしにとってとても幸せな日々であった。
というものである。
 
 君たちに、私の願いがなかなか届かないことを苦しく思った日々。
 君たちの休み時間や放課後の姿を見て、その元気さを喜んだ日々。
 君たちが世を渡るために、何が必要かと考えて示し続けた日々。
 
 すべてを合わせて、幸せだった、と言うことができる。
 
 ありがとう。
 
 これからの卒業式、「かっこよくやりたいな」とは思っているのだけど。
 うまくいかなかったらごめん。
 今もちょっと泣きそうになった。
 なにかあっても、笑ってゆるしてもらえるとうれしい。
 右の写真は、河合塾で30数年の間働き、「名古屋にある地方塾」から「全国規模の予備校」「全国模試」を広めてきた牧野剛氏の書いた本である。偏差値というシステムが含む問題点や大学入試の現状について、長い経験の上から持論を展開している。
 
 その中からひとつだけ紹介したい。(同書p72~p80、趣意)
 筆者によれば、受験生の傾向は偏差値別に「45~55」「45以下」「65以上」「55~65」の4つのグループに分けられ、それぞれに特徴がある、という。
 現在の偏差値主義・偏差値構造の中での平均点前後である「45~55」の受験生は、他のグループよりも人数が多く、皆があまりにも同じような習慣を持っていることが多い。したがって、普通の勉強法を続けているかぎりは、伸び悩みをするというよりも、むしろこのグループからの脱出は不可能に近い、と述べる。
 ごく単純に考えて、「真ん中が偏差値50」である。
 他の受験生と同じように、高校へ通い、予備校へ行き、その他の余裕がある時間で自主勉強をする。そうしたならば、当然のように「真ん中の偏差値」であり、「真ん中の順位」となる。
 そこで、教え方や点の取らせ方のうまい予備校・塾・人気講師を探して、「バンバン答えを教わって現状から脱出できるようになる」という幻想がとても魅力的に感じられるようになる。
 しかし、同じぐらいの学力の受験生はだいたい同じような悩みを持っているわけで、「ナントカ予備校」が良いと聞けば皆でそろってそこに駆け込んでいき、結局、偏差値には目に見えた変化がないということになる。
 
 筆者は、河合塾の入塾式の講演では、次のような内容を話すそうである。
 
 今までの「生き方」「勉強の仕方」「考え方」ではダメ。
 今までの服装も髪型も付き合う友達も、歩く道さえも変えてしまうこと。
 みんなと別れて自分一人になってでも勉強することが必要なのです。
 一番失敗する可能性が高いやり方は、「みんなと合わせること」なのです。「いい先生がいるらしい」「いい予備校があるらしい」「みんなでそこへ行こう」という受験生たちが、受験で変わることができないままになるのです。
「発想の転換」「方法・生き方の転換」をすれば、変われます。
 そのためにはきっと、「親も変身が必要」です。親としては「子供への接し方」を変えることが必要でしょう。ひとことでいえば、「友達親子」をやめることではないでしょうか。
 
 どんな進路にしても諸君を取り巻く環境は大きく変わる。
 4月からどんな生活をしたいか、1年後にはどうなっていることを望むのか、考えていけると良いのではないかと思う。
 大学の受験勉強のために、高校の登校日を休む。
 
 大学って、何をしに行くのでしょうか。
 
 わたしは大学へは「高校よりも難しい勉強をしに行く」と思っていたのですが。
 あるいは、「社会に出るために大学へ様々なことを学びに行く」と思っていたのですが。
 
 今、課せられた学びをせずに、これからどんなことを学ぼうとするのでしょうか。
 今、ルールを守らずに、さらに高度なルールの存在する場所を目指すのでしょうか。
 
 わたしは疑問に思いながら見守っています。
 いずれ誰かが、答えをそっと教えてくれるのを待ちたいと思います。
図解アリエナイ理科ノ教科書IIB―文部科学省不認可教科書 (三才ムック―B-GEEKS advanced edition (Vol.128))
 
 
 理科の先生から、借りて読んじゃった。
 土日で、生徒会本部主催の合宿。
 メインの先生はいるし、生徒たちはがんばっているので、わたしがやるべきことは実際のところほとんど無い。
 
 もし万が一、レクリエーションで運動をしている間に生徒が怪我をして病院へ連れて行くようなことになった時に顧問が複数居ないとよろしくなかろうな、ということで、わたしは一応参加している。
 
 こういう時だけことさらに出ていくのも違和感を覚えるので、合宿している中に入り込んでいく、ということも特にしない。
 美意識、というのかな。
 「いつも居ないのにいきなり出てきていろいろしゃべる人」というのは、わたしにとって余り好ましい姿ではない。
 学習を除く中学生なり高校生なりの活動は、当事者が熱心にやっていけばいいのであって、大人は安全面への配慮と、支援する覚悟があればいいのかな、という気がする。
一葉の「たけくらべ」 ビギナーズ・クラシックス 近代文学編 (角川文庫ソフィア)
 
 
 今年度の10月から11月にかけて、森鷗外の「舞姫」を10時間くらいでやった。
 多分かなりすごいことなのだが、あまりすごくないことのように平然としてみせるのも才能のうちだろう、ということでさらりと高3現代文チームで敢行した。
 
1. 明治期の文学も、受験だけから考えても学習すべき内容であろうということ
 (私立大学の一般試験だけではなく、センター試験の漱石が出題されるということは、どうしても意識せざるを得ない)
 
2. 明治文語文のリズム・表現を体感するということ
 
3. 自分自身にも通じ得るテーマだと理解すること
 
 こんなことを考えて授業になった。
 「生徒みんなが舞姫のストーリーを理解して、『主人公ってどうよ?』『エリスカワイソス』『自分は鴎外の小説を読んだYO』なんていうことを言うことができるようになってほしいね」と考えた。
 
 その授業内容は省略するとして。
 
 鍵は、現代語訳と大学入試の過去問であった。
 
 
 
 それももう過去のこととなり、また「すごいこと」を探してわたしはうろうろしている。
 
 樋口一葉の作品を授業でやってみたいな、という気もする。
 
 素朴に、おさつになっているヒトがどんなことを言っていた人なのか理解している大人になってほしいな、とわたしは思っている。
 アメリカ人がワシントンやリンカン、ハミルトンやフランクリンがどんな人なのかを知らなかったら、どうかな、と思う。
 それならば、日本人で福澤諭吉、野口英世、樋口一葉を知らないというのはやはり恥ずかしかろうと思うのである。
 
 いささか話が散漫になった。
 散漫でもとりあえず書き付けておけば、また何かの役に立つ時もあるだろう。
 文化祭、おつかれさま。
 焼きうどん、大盛況だったのではないかと思う。
 
 利益については、学校の文化祭であることから慈善団体に寄付するという決まりになっているが、充分すぎるくらい立派な売り上げである。
 
 クラス全体で、よくがんばっていた。
 わたし自身も2日目の午後は調理室に入って手伝いをしたが、皆それぞれが本当によくやっていた。
 
 
 特に、企画運営に当たっていた生徒諸君は、今後社会に旅立っていった時のための貴重な経験ができたのではないかと感じる。
 企画成功のためのチーム編成。
 運営の流れ。
 他者への説明、仕事の監督。
 時間の使い方。
 これらは、外食産業はもちろんのこと、あらゆる会社組織にも通じる「学び」である。
 
 
 「世の中、勉強だけではない」
 とよく言われるとき、その「勉強よりも必要とされる何か」は、今回の焼きうどんの模擬店を通じて君たちが学んだことであろう。
 
 うまくいっている時、もっと盛り上がるためにはどうしたらよいか。
 うまくいっていない時、踏みとどまり立ち直るためにどうしたらいいか。
 
 それらのことを常に考え続け、しかし外にはいつも余裕の姿で、内に強さを秘めて機会をうかがう。
 そういう中心者に、皆が成長していってほしい。
 
 一方、フォークソング・和太鼓の晴れ舞台を自分で見ることができなかったのはわたしの心残りであるが、それぞれ感動的なものであったと伝え聞いた。
 また、野外ステージに出場した君たちの姿も、見ることができなかった。
 来場してくださった保護者の方々にも、なかなかご挨拶ができなかった。
 
 悔いが残らないわけでもない。
 けれども。
 それぞれがそれぞれの舞台で、為すべきことを為す。
 君たちの卒業後は、こういうふうになっていくことを考えれば、悔いよりも嬉しさが勝る。
 
 最後に、ご家庭での協力に感謝をし、良い文化祭であったと総括したい。
 遅刻が多い。
 とても多い!
 
 「誰だって時間に遅れる時はある」
 「体調不良は誰にでも起こり得る」
 というのがわたしの本来の考えである。
 
 恥ずかしながら、私も遅刻をした時がある。
 体調を崩して、如何ともしがたい時がある。
 ただし、「恥ずかしながら」という形容・修飾語が付く。
 遅刻をした日は自分でとてもイヤな気持ちになるので、2日連続で遅刻したことはないし、インフルエンザなどの感染力の強い病気にもかかった時がないので、3日以上休みをもらった時はない。
 
 また、「他者と自分は同じだ」という思考の方向性は、しばしば危険である。
 「それぞれ各個人で違い・個性がある」。
 だから、互いに大切にする。
 二十世紀に全体主義、軍国主義という負の歴史を学んだ人類にとって、差異を認めてゆくことが、得られた教訓なのではないかと感じる。
 
 
 だから。
 欠席・遅刻があっても、そういうものだ、と思いたい。
 
 それでも、いささか多すぎるのではないか。
 しかも、連絡が無い。
 
 事務室で外線を受けて、職員室の各担任の所へ連絡が届く。その間の手落ちもあるだろう。外線がつながらない、ということもあるかもしれない。
 が、中学14クラス・高校41クラス、全部8人ずつ居なかったら440人である。これは大変な数だ。事務職員の苦労を推して知るべし。
 
 先程も述べたように、一個人としては「各人の事情があるだろう」と思って終わりである。
 しかし、よくよく考えてほしい。
 
 社会人になったとして、企業など組織の一員となったとして。
 100人のうち20人ほどが連絡もなく、これといった事情もなく、仕事の開始時間に居ない。それが毎日。
 これがどれほどおかしいことか。
 
 想像できなかったら、保護者の方に質問してみなさい。
 もしくは、そういう人物だと書類で知った大学や専門学校が、それでもなお「我が校に必要な人材だ」と言ってくれるかどうか。
 
 
 大変な時だからこそ、しっかりとした生活を送っていこう。
 6月27日。
 今日は体験授業の最終日となっている。
 午前中に授業を受け、いったん寮に帰って準備をして、フェアウェルパーティをする予定である。そして明日から、ホストファミリーと合流して、それぞれのホームステイが始まる。
 
 もちろん、中学の修学旅行の話だ。
 同じ地球の上で、3歳年下の後輩たちが、そんな日々を送っている。
 
 あのときの不安。
 あのときの楽しさ。
 あのときの驚き。
 そして、あのときに考えた将来の夢。
 
 その延長線上に、今のわたしたちが在る。
 
 「今の自分」は「あのときの自分」へ何を語ることができるだろう。
 「今の自分」は「あのときの自分」からどんな声をかけられるのだろう。
 
 
 人生の本質は、誰か他者と勝負をつけることではないように思う。
 「あいつに勝っている」「あいつに負けている」その思いが建設的であればよいが、多くはその気持ちの奥にあさましい心が在るような気がする。
 
 昔の自分より今の自分の方が向上し、立派になっているか。
「より良くなろう」としているか。
 それは、こう考えてみるといい。
 「昔の自分」から見て、すごいなぁと賛嘆される「今の自分」か。
 今日は「大学相談会」である。
 5限・6限・7限、午後の授業全部を使う。
「5カ所以上のブースを回ってみよう」ということになっている。
 それだけ大切な行事だと、企画した教職員は考えている。
 人生の中で、何がきっかけ・転機になるかは、誰にもわからない。だから、今回の相談会をぜひ良いきっかけにしてほしいと願っている。
 
 考えてほしい。
 「今の自分」から見て、「3年後の自分」は「すごい自分」になっているだろうか。
 自然に、何もせずに、かっこいい自分になったりはしない。
 良い自分になりたいと思って、そうなるような場に身を置き、鍛えられるから、向上していくのである。
「今の自分」の、良いところはどんどん伸ばそう。
 イマイチなところはなるべく目立たないようにしよう。

 夏休みの間に作戦を立てよう。
  というように保護者会で話をした。
 あとどれぐらい点数が必要なのか、そのためにどれだけの勉強をするべきなのか、具体的に考えよう、と伝えたつもりである。
 
 
 ある大学の受験を想定してみる。
 英語(外国語)で150点、国語総合(漢文除く)で100点、日本史(その他社会)で100点の、350点満点の試験である。
 
 前回の入試では、合格最低点は236点であった。
 入試の目的は合格することであって、満点は必須ではない。
 したがって、この時に自分が受験した場合、236点以上であればいいわけである。
 日本史が得意で80点取れた。国語が70点だった。
 そうしたら英語150点のうちで86点、半分ちょっとあれば合格だ。
 
 英語の出題は3題。
 長文2題と、会話文が出題されることが多い。だから、会話文の定型の表現を押さえる必要がある。これは、覚えるしかない。
 長文は評論や随筆である。したがって、英単語を覚えたその上で、さらに論理の展開を着実につかむ力が必要になる。(わたしは国語科なので英語の評論は不案内だがおそらく)文の内容は硬い。根気強く英文に取り組む力も必要になるだろう。
 
 日本史は5題。
 そのうち2題は近現代で、配点は4〜5割に及ぶ。したがって、開国以降の富国強兵、不況、日清・日露戦争から世界大戦、戦後史までの流れ、それに対する歴代内閣の施策を理解していないと、試験の半分を得点することも危うい。
 さらに、1題は必ず史料による設問が出題されている。教科書で触れられている内容に加えて、対応している参考書で学ぶ必要もあるだろう。
 
 国語は評論・随筆・古文。残念ながら(?)小説は出題されていない。
 教科書にある評論・センター試験での評論レベルの文は、集中力を途切れさせずに読めるよう慣れておかなくては、正解までの道は遠い。
 古文はごく普通の文が、年度ごとに違うジャンルから出題される。標準的な古文であればざっと大意をつかめる程度の慣れ・文法の理解・古文単語の習得が必要だ。
 
 
 こういうことを、アドバイスを聞いたり、自分で考えたりするのである。
 彼を知り己を知れば、百戦して殆からず。『孫子』
(相手のつけいることのできる点を知り、自分の強みを知ると、たとえ百回戦ったとしても危険にさらされることはない。)

 雨が降る。人間が使うことのできる水が得られる。
 6月に雨が続くことによって、日本の豊かな風土は作られてきた。
 
 だから、「雨なんか降らなければいいのに」というのは、実はナンセンスな話である。
 「水は蛇口から出てくる」もしくは「水はペットボトルに入っている」という程度の認識だということを他者に告げているに等しい。
 
 「『魚は切り身で海を泳いでいる』と認識している子どもがいた」なんていうニュースが以前報じられていた。ジョークとしてはおもしろいが、そんな現状認識ではよろしくなかろうということは言うまでもない。
 
 
 雨が降る。それは必要なことだ。
 人知の及ばない世界で、絶妙なバランスの上に自然環境は成立している。
 
 
 たしかに雨の降る中を徒歩で移動するのはしんどい時もある。
 しかし、天候はどうしようもないことだ。
 何を思っても雨は雨なのだから、不満に思うぶんだけ自分が損をする。
 
 
 雨の日にも元気な君たちを見ると、ほっとする。
 どんよりと塗り込められた灰色に、ぽっと暖かくろうそくが灯るような、そういう穏やかさになる。
 
 
 ゆううつな雨の日にも、いつも通りに学校生活をつづっていくことができる。
 そういう人間関係を築くことのできた人生は、幸せだ。
 
「つきあいは学校で顔を会わせた時だけ」「なんとなくいっしょにいる時だけ」そんな人間関係では、いずれ、雨の降る日のわずかなゆううつさにも耐え難くなっていくだろう。
 
 人の心はその者自身のものであるから、他人には如何ともしがたい。
 それを理解しながらも、わたしは君たちには「小さいイヤなこと」にも負けない気持ちでいてほしいと願わずにはいられない。

「なんとなく」、やめよう。
 なんとなく遅刻。
 なんとなく机に落書き。
 なんとなくゴミを散らかす。
 なんとなく授業中寝る。
 
 ごく一部だが、わたしは心配している。
 人生でしばしば降る「雨」でも元気でいるために、必要なことを学校生活では学んでいく。無理なことは要求していない。
 ぜひ、当たり前のことを当たり前にやろう。
 『徒然草』にこのような冒頭から始まる章段がある。(第137段)
花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。
(桜の花は満開の時だけ、月は満月だけを見て楽しむものだろうか)
 雨降る日に、雲の向こうの月を想像する。
 夜明け近くになってようやく現れた月のかすかな光を感じる。
 いよいよ花開こうとする桜の枝先を見る。
 一面に花びらの散った庭先を眺める。
 それらに親しんで、「花・月を楽しむ」と言えるのではないか。
 
 そのように兼好法師は言うのである。
 
 
 「学校生活」を考える。
 
 雲ひとつ無い青空に、白くまぶしいグラウンド。
  昼休みに見ると、この組と隣の組とでサッカーに興じている。
 無心に、ボールを追って駆け回る。一進一退のゲーム。
 ひたすら体を動かす充実感。
 
 クラスの枠を越えて、友人との会話に興ずる休み時間。
 昨日のテレビ番組のこと。
 あるいは、おもしろいことを言っていたクラスメートのこと。
 尽きることの無い話題。
 窓の外は。
 曇り空に、ぱらぱらと降り出す雨。
 
 何を言うでもなく、友人と自動販売機に行く。
 ただジュースを買いに。
 たったそれだけ、と言えば事実。
 けれども、こうやって時間を共有して6年目。
 この「なんとなく」も、もしかしたら今年で終わる。
 いつもいつも、ケヤキの木の下を通り抜けていた日々。
 
 ぼんやりと窓の外を眺める。
 目に鮮やかな桜の若葉。かすかに吹き抜ける風。
 ふと、また桜の花開く春を思う。
 その時には、この教室は別の生徒たちが生活しているという予想。
 
 
 小学校で過ごしたはるか昔の日々を思い返すのと同じように。
 今の生活も、じきに思い出の世界に変わる。
 
 
 昨日。
 今日。
 明日。
 すべてが学校生活。
 たとえ特別なことが無い日々のように思えても。
 そのどれもが、どんなものとも換えることのできないものだ。
 天候に恵まれた球技大会となった。
 そのぶん、暑かったので疲れたのではなかろうか。
 本当におつかれさま。
 今晩はできるだけ早く休んで、体調を崩さないように心がけよう。
 
 毎日の校外での学習、昨日の外部模試、その中でも空き時間を見つけては、みんなよく球技大会の練習に励んできた。
 もちろん他の組もそれぞれがんばっていたから、連戦して連勝というわけにはいかないわけだが、それでも練習の時から明るく楽しくやっていた君たちの姿を目にしてきた。
おおむね、よくやっていたのではないかと思う。
 
 もっとも、この「おおむね」というところがポイントになっている。
 楽しい球技大会、同じ時間を共有するイベントのはずなのに、各自によってその「楽しさ」の実感が異なっているのはなぜか。
 
 各スポーツは勝敗を競うから、勝った数が多ければ「楽しい」のは、たしかに間違いない。しかし、「優勝者以外は楽しくない」とは限らないから、楽しさを実感する条件は、それだけではない。そもそも、イベント・行事によっては、勝敗の観点がないものもある。
 
 それでは、自分で大好きなものをやっているから「楽しい」のか。もともと好きなもの、得意なものをやるのは楽しい。それは事実だ。けれども、「やっているうちに楽しくなってきたから、長く親しむ趣味になった」とか、「自分の好みではなかったが、最初には思ってもいなかったぐらいの特技になっていた」とかいうこともある。
 
 最後の「勝った負けた」ではなく、最初の「好き嫌い」だけではない。
 たぶん、腹をくくって「楽しもう」と思ってイベントに飛び込んでいった者から、「良かった」「楽しかった」という実感が深くなるのだろうと思う。
「はまる」べし。「のめり込む」べし。
 自分で「懸命になるもの」を見つけることのできる人生は幸せだ。
 君たちの姿を見ていて、こういうことを思った。
 
 時間は、誰にでも同じだけ与えられている。
 機会・きっかけも、同じだけ与えられているような気がする。
 
 球技大会を楽しいものとした人も。
 いまいちだったな、という人も。
 これからのイベント・行事では、今以上に「楽しかった」という実感を持つことができるといいなぁ、と思う。
 担任は、自分のことを「文系らしい文系人間だろうな」と考えている。
 文系って、自由で、ちょっと変人。
 みんなにも通じる「文系」というくくりを、一般的に言う「褒め言葉」で表現しなくて申しわけない。けれども今回は「褒め言葉」のつもりで「変人」という言葉を使っている。

 明るく朗らかで、ちょっと失敗する時もある。
 不機嫌そうだけれども、実はものすごく深く考えていたりする。
 無関心のようでいて、イベントがあると丁寧に手伝っていたりする。
 アホっぽいくせに、ある物事だけは徹底的に追究していたりする。
 意外と涙もろい人情家。

 わたしの大学時代は、「愛すべき変人たち」がたくさんいた。
 春の日差しの輝き。
 初夏のさわやかな風。
 秋の紅葉の美しさ。
 冬のこたつの暖かさ。
 喩えればこういう表現になる学生たちがたくさんいて、ふと発せられた言葉にヒントを発見したことが幾度となくあった。

 そして、君たちもこんな「愛すべき才能たち」にきっと出会う。
 その時に、自分自身の才能をどれだけ輝かせられているだろうか。
 
 
 避難訓練、おつかれさま。
 いつも思うが、ただ参加していても意外と疲れる。
 その上で、さらに3年生代表としてクラスのふたりが消火器訓練をやったのも尊いことだと思われる。
 そもそも「クラスの代表」は、"ドラえもんの出木杉"のように、あらゆる意味で隙の無いキャラクターが就くようなイメージがある。
 わたしは昔から、それではつまらなすぎると感じていた。
 たくさんの個性が、それぞれの個性を伸ばすと同時に、譲り合いや支え合いもする、そういう多士済々・百家争鳴的なクラスが理想であると考えている。
 他の、優等生然とした生徒がクラス代表であるのも良いかもしれないが、個性的な委員長がいて、副委員長たちがいて、書記会計たちがいて、そういうこのクラスがとても気に入っている。
 
 そしてこのクラスで、たくさんの個性が才能を花開かせる姿がとても楽しみである。
 
 「文系らしく」
 今週、おつかれさま。
 来週もがんばっていこう。
【忙】 心部 3画 総画数 6画
■解字   会意兼形声。
 亡は、なくなる、ないの意を含む。
 忙は「心+音符亡」で、あれこれと追われて、心がまともに存在しない状態、つまり、落ち着かない気持ちになること。
■音   【漢音】ボウ(バウ) 【呉音】モウ(マウ)
■訓   いそがしい
■意味
 (ボウナリ)(バウナリ)いそがしい(いそがし)。
 あれこれとせきたてられている。あわただしい。せわしい。
 心が落ち着かない。
《対語》⇒閑(カン)・(ヒマ)。 《類義語》⇒急。「繁忙」
 「忙しい」の字を辞書で調べると、上記のようになる。

 「心がまともに存在しない状態」とは、なんとも危険な状態である。
 毎日をきちんと送っているのと、何かに追われているように過ごすのとでは、似たようでいて大きな違いがあるのは言うまでもない。
 
 部活動がある者は、大詰めの期間が続いているであろう。
 そうでない者は、おそらく学校が終わってからもさらに学習をしていることであろうと思う。
 
 その毎日は間違いなく尊い。
 
 尊いがゆえに、学校生活も大事にしていってほしい。
 学校で学習し、さらに学校外で学習する努力があって、成績は伸びていくのであり、学校外だけで学習するのでは、勉強する時間が昼から夜になっただけに過ぎなくなってしまう。
 懸命になってがんばっている事実が報われなくなってしまう。
 
 わたし自身の個人的な気持ちで言えば、「先生、がんばったよ!」とにこにこしながら近寄ってくる君たちを見ていたい。
「がんばったのに、うまくいかなかった」という姿を見るのは悲しい。
 
 少し関連して、今日うれしくなったことがある。
 昼休みに、たくさんの生徒が体育館でスポーツに励むのを見たことだ。
 球技大会のために、ものすごくたくさんの生徒がバレーやバスケットをしている中、クラスの諸君も、和気藹々と、元気に練習を楽しんでいた。
 ああいう楽しそうな姿を見ていると、学校生活っていいな、と素朴に感じることができる。
 「忙しく」なりかけている中で、それでも輝いている君たちに役に立つ仕事をしたいな、と自身を顧みることができる。
 
 ぜひ、「ハードだけれども充実した毎日」を、ともどもに目指したい。
 5月になった。
 4月からどんどん新しい葉を広げていく、木々の緑が美しい。
 伸びていこうとする人も、この新緑を超えるぐらい、また美しい。

 特に学習の面で、「がんばろう」「がんばっていこう」という気持ちで学校にいる者が、この組の中で多くなってきた。
 私にとって、これほど嬉しいことはない。
 そして、自分自身も努力をしなければ、と強く思う。

 毎日が大変であることもよくわかっているが、「今のまま、もしくは今以上に、勉強をしなさい」と私は言い続けることだろう。
 教養を蓄える時期、鍛える時期が今であると思うからだ。
 そして、他者に言うからには、自身も鍛える時期にしていくべきであろう。今年度の私は、国語の総合的な力を問われる「演習」「表現」を担当している。自分にとって仕事をするのに一番楽な、「教科書的な古典」をあえて外れる1年となった。

 この1か月間、ずっと勉強をしている。
 今までにも増して、授業の直前まで「少しでもいいからわかりやすく」「今よりも1歩でも半歩でも希望の進路に近づく授業」を考え続けるようになった。
 うまくいっていると良いのだが、そうでもない時も当然あるだろう。
うまくいかなくても、あきらめたらそれで終わりだ。
 自分では、そう思っている。
 たとえ今日は負けたように見えても、明日は勝とう。
 体調に充分気をつけよう。
 用心に用心を重ねていこう。
 
 まず、睡眠をよくとること。夜にはきちんと寝るべきである。
 眠いままで授業を受けても、学習の効率は下がる。寝たり起きたりしていては風邪をひきやすくなる。登下校で注意力が落ちていては、事故に遭う可能性さえあるだろう。
 3月に新宿の河合塾に行った時があって、合格体験談の掲示を見ていたところ、どの生徒も睡眠時間は6時間あった。
 もちろん、ただ寝ていれば良いというわけではないのだろう。
 必死で受験勉強をしていても、それだけの睡眠時間がないと良いペースにならなかった、ということなのではないかと解釈している。
 
 当然、あらゆることをいっぺんに進めることはなかなか難しい。
 どうしても学習のことを第一にせざるを得ないのだから、お楽しみの時間は今まで通りにはいかないだろう。
 各個人の「お楽しみの時間」は半分に。
 気分を切り替える時に「お楽しみの時間」を使おう。

 なぜ「国語」を学校で勉強するのか。
 わたしはこのように答える。
 リテラシー能力を身につけるため。
 リテラシー(英:literacy)は、「言語により読み書きできる能力」を指す言葉で、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉である。(wikipedia)
 
 ごく簡単に言うと「読み書き」のことであり、わたしの考える「国語」という教科の目的は、「読み書きする力を身につけること」である。
 
 言葉にすると簡単だけれども、実はかなり難しいのではないかと思う。
「人間が人間として存在できるのは言葉があるからだ」という大きなことを言うまでもなく、ごく当たり前にわたしたちはあらゆる言葉に囲まれていて、絶えず「読み書き」をしているのではないか。
 
 本や新聞などの活字を読むのはもちろん。
 他者と会話をすれば、その発された言葉だけでなく、口調や表情からも何かを読み取り、適切な返事をするために「リテラシー」が必要だろう。
 リズムやメロディーを気に入った曲がどんな意味か、「リテラシー」があれば、その音楽をより身近に感じることだろう。
 また、健康に関心を持ったものの「リテラシー」が無かったゆえに、テレビ番組の内容を疑わずに信じ込んでしまい、それが発覚してその番組が無くなるまで、誇大・虚妄の報道に踊らされてしまう危険もあるだろう。
 
 かくも「リテラシー」は重要なものなのである。
 そうであるからこそ、学校の「国語」は重要なのだ、と思っている。
 そして、重要であるならばこそ、学校の国語で、あらゆるものに対するリテラシー能力を持つことができる(もしくは「できる可能性」)を示すべきであろう。
 
 かくて、KOKIAの「ありがとう…」という曲と、それをBGMとして作られた「2ちゃんねる」のflashから、国語の授業案を考えた。
 「国語」の教科で身につけることを求めている「リテラシー能力」が、最も教科書から遠いと思われる言葉たちに通用し得るということを示したつもりである。
 
 「ありがとう」という言葉は、感謝の気持ちを表す言葉に決まっている。
 しかし、KOKIAのつけたタイトルは「ありがとう…」であった。
 「ありがとう」でも、「ありがとう。」でも、「ありがとう!」でもない。 感謝の気持ちを表す後に続く、この「…」は何なのかを、書かれている言葉を根拠に考える。
 そして、その読解には普遍性があるか否かを検討する。
 
 いつもいつもこのような授業をするわけではないのだが、国語の教員として、向上心を持って仕事をしたいな、と思っている。
 部活動の、高校最後の試合が行われてゆく季節となった。
 今までがんばってきた情熱を、この上ない「晴れ舞台」に置いてこよう。
 いろいろなことがあったはずだ。
 卒業していった先輩。
 君たちの後を追ってくる後輩。
 顧問の指導。
 ある時は心配し、ある時は喜んで、どんな時にも支えてくれていた家族。
 ともに悩み、ともに励まし合ってきた仲間。
 
 時にはめんどくさいと思ったときもあるだろう。
 勉強との兼ね合いに困ったときもあるだろう。
 むしゃくしゃした気分を、部活動で吹き飛ばしたときもあっただろう。
 
 それら全てを、コートに、フィールドに、ステージに。
 「晴れ舞台」に、輝かせる時が来る。
 
 わたし自身は、高校時代は文化部(生物部)、今は顧問としても文化部(文芸部)なので、実際に「晴れ舞台」と呼べるところに立ったことはない。
 けれども、高校時代には生徒会(会長)、今は顧問として生徒会(本部・執行部・文化祭実行委員)であるので、「晴れ舞台」に全力を賭けている仲間たち、生徒たちの姿を幾十幾百と見続けてきた。
 
 
  もしかしたら、勝つか負けるかは時の運なのかもしれない。
  けれども。
  最高に熱い試合をしてきてください。
  ひとりひとりが、遠い未来までずっと覚え続けているほど最高の。
  わたしたち全校生徒は、この学校から
  試合中の仲間たちのことを応援しています。
 
 いささか恥ずかしいが、高校3年の時、壮行会で生徒会長あいさつとして自分が言った言葉は、今も記憶に残っている。
 
 
 昨日14日は、わたしの知っているある生徒が、試合をしている日だった。
 わざわざ、決まった試合の日付をわたしに教えてくれたのである。
 変化した環境でも「がんばっている」「一生懸命にやっている」と。
 
 13日深夜まで、見に行こうかどうしようか、正直なところ迷っていた。
 
 結果として、そちらには行かなかった。
 そしてわたしは、今年度担当するクラスで次々と授業開きをしていった。そうすることが、自分なりの「晴れ舞台」というものに対する敬意だと思うことにしたからである。
 
 
 実は、「最初の授業」とは、教員にとって「晴れ舞台」たり得る。(個人的な見解であるが)
 自分の「晴れ舞台」を大切にせずに、他者の「晴れ舞台」を祝福することはできるのか、と自問した。その答えは、否であった。
 試合を見に行かないと決めたぶん、自分にはありきたりの授業開きができなくなった。
 普通に授業を始める予定を全部捨てて、今の自分にできることを考え、授業案を夜明けまで考えた。
 もちろん、必ずしもうまくいくかは、事前にはわからない。
 それでも、「晴れ舞台」で、自分のやりたいことをやろうと強く思っていた。

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