わざわざ決まっているルールについて訊ねてくる。
 
 学校にサブバッグだけで登校していい?
 宿題、あとで出してもいい?
 
 などである。
 
 
 相当あやういんじゃないかと思う。いろいろな意味で。
 
 判っていることを、それでも敢えて確認せざるを得ない気持ち、あるラインを越えて優遇してほしいと考える気持ち、ソウイウモノがあるんではないか。
 
 
 たとえば。
 リストカットをするのは、生きることに執着があるから。生きていることを自分で確認し、他人にも確認してほしいから。
 
 ならば、ことさらにこう言ってのける心の奥底にあるものは?
 
何故にせきねは語るか
 
 
 大学に入ってしばらくして、小学3年生の家庭教師をすることになった。
「私立受験を考えて、塾に行き始めた。勉強に遅れないようにしたい」ということだった。中学受験でとても有名な塾だった。
 せきねは家庭教師として4教科全部を教えた。テキストはその塾のもの。その子には理解が難しそうな表現は改め、類似問題を考え出して解いた。
 少し勉強したら、「わかる」ようになった。それがさらに呼び水となって、彼はその塾の中でもどんどん成績が上がっていった。
 ものすごく集中して勉強し、休憩になるとぱっと遊んだ。彼の部屋には対戦型ゲームがあって、せきねはコントローラーごと体を動かしてよく笑われた。
 6年生の2月まで家庭教師は続き、本人とその家庭の志望どおりに、当時「御三家」と呼ばれる中高一貫の男子校に合格し、そこに通うこととなった。父母も本人も、そしてもちろんせきねも、大いに喜んだ。
 
 
 希望に満ちた中学生活の出発。
 物語ならば、話はそこで終わる。
 
 けれど、人生は物語ではなかった。
 
 
 その子は、言われたことはきちんとやることができる、とても素直な子だった。逆に、自分で考えて動くのには、少し時間を必要としたところがあった。
 通い始めたのは、ものすごい人数が東京大学に進学する学校。あっという間に授業が進んでいく。過ぎていく日々のめまぐるしさに、毎日つかれきっていたそうだ。
 そして受験が終わってから、彼の目の前には勉強量を支えてくれる有名塾も、時にはいっしょに遊んだりしてくれる家庭教師も存在しなかった。

 何をどうしていいのか判らない。
 迷いからか、いつしか煙草に手を伸ばすようになったらしい。
 
 家と学校とは、彼にはあまりにも遠かった。だから、下校時に寄り道をするようになった。ゲームセンターにいれば、一時的に心のもやもやを感じずにすんだ。けれどそのぶん、勉強からは遠ざかる。あっという間に学校との心の距離は遠ざかっていった。
 
 いつしか、家を普通に出ても、学校にはやって来ない日が重なっていった。
 家庭では、彼がかつてのまじめで素直だった時を信じ、ただ「信じる」以外には何の策も持たなかった。誰にも助けを求めず、保護者として全力で対決することもなかった。

 「進級することも危ういんです」
 何年か経った2月の末に、その家庭から連絡を受けてとにかく会うしかないと思って駆けつけた。
 けれど、何もできなかった。
 その子のノートは、最初の数ページで止まっていた。
 担当している教員がどういう性格でどんな授業をするか尋ねてみても、まったく要領を得なかった。
 「すみません。わたしにも何もできません」と言った。
 そう言うしかなかった。
 「前はあんなに教えてくれたじゃないですか」と彼の母上から言われたときの、身を斬られるような気持ちは今も忘れることができない。
 
 
 その家を辞去して夜道を最寄り駅まで歩く途中、悔しくて悔しくてならなかった。
 
 どうして彼に、勉強以外のことをもっともっと語らなかったか。
 どうしてあのゆるやかすぎる家庭に、率直な指摘をしなかったか。
 
 その時、思った。
 教育に関わる限り、妥協をするまい。
 ただ「その場」だけではなく、先を考えて、なけなしの力を尽くしていこう。
 
 
 せきねが、最初に担当した生徒の話である。
 
 
 だから、わたしはきみたちを楽にしないし、自由にもしない。
管鮑の交わり
 
 
 むかしむかし、中国がいくつもの国にわかれていた時代のことである。
 管仲には、若いころから鮑叔という友人がいた。鮑叔は、管仲がすぐれた人材であることを認めていた。
 管仲の家は貧乏で、いつも鮑叔をだましたが、彼は一貫して管仲に親切であり、管仲の行いによってその人柄を非難するようなことは言わなかった。
 
 時が経って、ふたりはそれぞれ敵対しあう君主に仕えた。管仲と鮑叔は知略を尽くして主君を支えたが、結果として管仲の側の君主が滅び、管仲も捕らえられることとなった。
 次々と敵対した者たちに対して刑が下されるなか、鮑叔は言う。
「我が主君、あなたがこの地方の領主のみで良いならば、私が軍師でよいでしょう。しかし天下に命令を下すような強国の領主となりたいならば、管仲を配下とし、第一の軍師としなければなりませぬ」

 そして赦された管仲は斉の国を発展させ、鮑叔の言うとおりに主君・桓公を強国の領主とした。

 のちに管仲は過去を振り返り、次のように言っている。
 「自分がもと貧乏であったとき、鮑叔とともに商売をしたことがある。売り上げた利益を分配するのに、その多くを自分で取った。しかし、鮑叔は私のことを欲深いと言わなかった。彼は私が貧乏であることを理解していたからである。
 自分が鮑叔のために知恵を貸し、かえって困難に陥ってしまったことがある。しかし鮑叔は私を馬鹿だとは言わなかった。彼は時の流れに運不運があることを理解してくれていたからである。
 自分は、三回主君に仕えて三回追い出された。しかし鮑叔は私のことを役に立たぬ人間だとは言わなかった。彼は私がその時の巡り合わせが悪かったことを理解していたからである。
 自分は、三度戦いに出て三度とも敗走した。しかし鮑叔は私のことを臆病だとは言わなかった。彼は私に老いた母親がいると知っていたからである。
 自分は、主君が捕らえられた時に、他の臣下とちがって自殺しなかった。しかし鮑叔は私のことを恥知らずとは言わなかった。彼は、私が小さな義理を恥とはせず、世間に功名があらわれないことを恥とするのを理解していたからである。
 私を生んだのは父母であるが、私を理解してくれる者は、我が友・鮑叔である」
 
 鮑叔は管仲を推挙してから進んで彼の配下となり、その子孫は斉の国に仕えて十数代におよび、引き続いて良心的な役人の家柄とうたわれた。
 天下の人々は、管仲の能力がすぐれていることを讃え、またそれ以上に、鮑叔が人物を認めることのひろさを誉め讃えたのであった。
 
 
 友人を友人として認め、尊敬していく際に、いったい何が重要か。
 ひとえに、短所ではなく長所を見るべきであるのだと思う。
 中国では、2000年以上も前からこのような話が伝わっているのである。
 
 
 せきねはこの漢文に触れるとき、友人としての在り方をいつも考え込む。
 
 みんなは、友人の長所を見ていますか?
 短所によって拒絶するのでなく、良き理解者であろうと努めていますか?
なみだは一流の証
 
 
 こんなに、もらっても残念に思う銅賞もめずらしい気がした。
 
 舞台というものはものすごく恐ろしく、そしてものすごく楽しい、というような言葉を演劇関係で聞いたおぼえがある。
 舞台では、予期せぬことが起きるのだ、と。
 実力以上のものが出てくるときもある。
 逆に、実力の一万分の一さえも出せなくて終わってしまうことがある。
 うまく行けば涙が出るほどうれしいし、涙を流して悔しいと思うこともある、と。
 
 先日のオペラ鑑賞でお会いした我が校卒業生の方も、そういう喜びや悔しさで涙を流す時も経て、一流のオペラ歌手として日本とイタリアとで活躍されているのだと思う。
 
 
 無いものが欲しいとねだって流す涙は、子どもの涙だ。
 現状が不満で、ただ愚痴をこぼしながら流す涙は、愚か者の涙だ。
 でも。
 自分の持てる限りの力を尽くして、そして得た結果からの涙は、かけがえのない宝だ。
 
 
 野球部の高校3年生たちが夏の大会に全力を尽くして挑んでいくのを、せきねは何度も見てきた。
 必死で。
 必死で。
 必死で。
 それでも勝負が決まって、ひとつの区切りがつく。
 
 セミの声以外、なにも聞こえない静寂。
 照りつける日差しで、漂白された風景。
 その中で、18歳が、17歳が、レギュラーが、補欠が、マネージャーが、涙を流す。
 うれしくも、くやしくも、その涙はかけがえのない宝となって、彼らの人生を輝かせるだろう。

  
 合唱祭前日、せきねは音楽の授業を見に行った。
 みんなの練習を聴いた。
 
 感動して、涙がこぼれそうになった。
 みんなの正面で合唱を聴いているのを後悔した。涙を流せないから。
 
 合唱、とても良かった。
 こんなに良かったのに、なぜ銅賞どまりなのだろう、と思った。
 3年生も2年生も押しのけて金賞を取れなかったのはものすごく残念だ。
 
 本当に、残念だ。
 
 
 でも、合唱祭のあと、深夜、せきねは新しい楽しみを思いついてワクワクしている。
 
 来年、別のクラスになった「もとせきね組の仲間」が、最高レベルの歌を競うのだ。
 ある場合には、指揮者として。
 ある場合には、伴奏者として。
 ある場合には、それぞれのクラス・それぞれのパートを支える柱として。

 なんと恐ろしく、そして楽しいことだろう。
 
 だからみんなには。
 さらに、さらに、前向きにがんばってほしいと思う。
 web日記人としては、やっぱり今日はこのネタでいくしかないよなあ。

ウチの中等部では、

勉強に必要ないものは持ってこない。

という最強の呪文が発動してしまいました。
 
 
 そもそも、ことは去年のバレンタインデーにさかのぼる。

 学校の休み時間とは、生徒にとっての休み時間であって、教員にはとても忙しい時間である。教室の移動、ぎりぎりで思い立ったプリントの印刷、生徒との対応など、10分ではなくもっと時間がほしいと思うことも多々ある。
 それが去年、お菓子を持った女子生徒たちが大挙して職員室に来たおかげで、全く仕事にならなかったそうである。
 休み時間のたびに、わーわーきゃーきゃー、だったそうな。
 かといって受け取った先生も「さっさと職員室を出ていくように」なんて言えないよなあ。
 さらに、その後にそれぞれの先生がお返しをしたわけだけれど、「あの先生はいいものくれた」「あの先生は少ししかくれなかった」なんていうことになったらしい。

 というわけで男性教員にはいろいろな意見がありそうだったものの、職員室の平穏を守るために以上のような仕儀となった次第。

 学校の教員って、こういう時にけっこうもらえたりする。
 もらって嬉しくないなんていうこともないけれども、でも、ちょっとめんどくさい面も確かにある。100%義理なんだけど、でも義理でも恩恵にあずかれない男の子たちとか、好きな子が義理でも他の人に贈り物をしているのを見ている男の子、の気持ちを考えると、うれしさも目減りするんだよね。
 ほら、男の子ってデリケートだから(笑
 (教員やっていてしみじみ思うんだけれど、決断とか割り切りとかって女の子の方がずっとスゴイ。女は基本的に果断。それに対して、男って、延々とつまらないことでへこんでいたりする)

 高等部でもびみょーな時があった。まして中等部では。
 というわけで、今回の方針を聞いて、せきね(仮名)センセはほっと一安心なわけです。
 
 
 昨日の帰りの会で、そういう話をしました。
「セイシュン、おおいに結構。ただし校外で」と。
「もし持ってきたら、どうなるんですか?」と聞かれた。
「学校に必要ないモノはどうするんだっけ?」
「没収?」
「はい」
 とたんに男子諸君から「えー」「センセが食うんだぜ」とか言われた。
「大事なものだから、親御さんを呼んで返そうか?」
「イヤすぎる〜」
 せきねセンセもそう思う。二重三重の意味で恥ずかしすぎる。

 いちおうちょっとふざけただけなんですが。ホントにせきねに没収されるかもと思ったらしく、ウチのクラスだけ担任の見える範囲ではお菓子は見えませんでした。みんな、えらいぞー。
 ……というかボクは「バトルロワイアル」の教師キタノなみの存在と思われているのかもしれない。ソレはソレでおもしろいけど。

 ま、今日だけ特別に、何回か視力が急激に落ちた時もありました。
 非常階段とか。特別教室棟とか。
 
 セイシュンだねぇ、あはは。
身のほどを知らず

 去年の末から、みんなにずっと伝えたいニュースがあった。

ライト兄弟復元機“失速” 100年前の再現ならず
 【キティホーク17日共同】米国のライト兄弟による人類初の動力飛行から100周年を記念し、米ノースカロライナ州キティホークで開かれた式典で17日午後(日本時間18日未明)、兄弟の複葉機「フライヤー」を忠実に復元した飛行機が当時の再現飛行に挑戦したが、離陸に失敗。100年前のライト兄弟の偉大さをあらためて印象付けた。
 復元した飛行機の最初の挑戦飛行は17日午後零時半(日本時間同午前2時半)前。当時と同様に滑走用に作られた50メートルほどの木のレールの終点近くで、パイロットのケビン・コチャスバーガーさんが昇降舵(だ)を操作して飛び上がろうとしたが、機体は持ち上がらず、水たまりの中に突っ込んでストップ。息をのんで見つめていた約3万人の観衆のため息に会場は包まれた。
 主催者側は「離陸の途中で急に風が弱くなったため」と失敗の理由を説明。午後4時ごろにも再度の挑戦を試みたが、風が弱く断念した。(共同通信)[12月18日8時40分更新]

 ライト兄弟が世界で初めて飛んでから100周年の日に記念式典を行ったが、肝心の飛行機が飛ばなかった、というしょんぼりな事件である。

 もちろんこの祭典のために相当な準備がされていた。ライト兄弟が開発した複葉機「フライヤー」を、現在の先端技術を駆使して細かな部品までほぼ忠実に復元したのだそうである。力を合わせたのは、民間のパイロットだけでなく、アメリカ航空宇宙局(NASA)や飛行機関連の企業。初飛行当時の写真や研究者の論文などを手掛かりに、ねじ1本まで可能な限り正確に復元したらしい。
 それでも、飛ばすことができなかった。

 人が空を飛ぶ。
 誰でも空を飛ぶ鳥を見て考えた時があるだろう願いを、ライト家の三男ウィルバーと四男オービルは、持ち続けたまま大人になった。自転車屋でありながら、人の乗る飛行機をつくりつづけた。
 大学で研究を学ぶこともなく、何度も、実現は無理ではないかと思った。
「神は人に翼を与えなかった。人が飛ぼうとするなど身のほど知らず。飛ぶことなど求められていないのだ」
 キリスト教の国であるから、このようにも言われたらしい。

 それでも、ライト兄弟は飛んだ。

 100年後に最先端技術で同じ物をつくっても飛べなかったのであるから、彼らの「なんとしても飛ぶ」という断固とした希望、目指したものに対する執念が、この世界初の偉業を成し遂げたのであろう。

 身のほどを知らなくたって、それのどこが悪いんだ。
 笑われたって、それがなんだというのだ。
 わかってもらえなくたって、それがどうだというのだ。

 願わなければ、飛ばない。

 抱えきれないほどの大きな夢に向かって進む、そういうわたしたちで在りたいですね。
新中1生、300人くらいかな。

いろいろ説明があって、最後に先生たちが出口に立って、ひとりひとりに握手をしました。

さあ、来年度はどんなドラマが起こるんでしょうね。
 今高校2年のヨシカワ君が、ケイタイでメールを送ってきていた。

 世界史受験をすることに決めて、K塾の冬期講習に通っているんですこど、何かおすすめの問題集や参考書があったら教えてくださいm(__)m

 どう答えるか相当迷って、それでも長い文を適度に分割しながら返事を書いた。

その1〜その6

 せきね(仮名)です。メール遅れてすまんです。
 K塾ですか。どうですか?ついて行けている?もし順調ではなかったら、「基礎の基礎」っていう売り込みのあるモノか、「実況中継」のシリーズから買っていって「センセイから授業を受けているかのように」勉強してみてください。(つづく)

 K塾でもまあ順調だったら、きっと基礎的な事項については押さえられているのではないかと思います。そうすると、「試験でいかに点を取るか」になります。世界史を理解していても、解答欄に書けなきゃいけない、と。
 そこで自分に問うてみてください。センター試験使いますか?使いませんか?(つづく)

 目指すところによるんですよ、やはり。センターのような選択肢から選ぶ問題ならば、その選ぶポイント、間違えるとヤバいわけです。「どうあってもセンター試験を受けるだろうな」というのならば、やはりセンター試験用の問題集を。そうでなければそうでないものを。(つづく)

 あと、世界史の試験の場合、「ある時代のある事件」だけを試験で聞かれ続けることなんか、まず無いです。数学で言えば大きな1番の計算問題みたいなもの。
 ごく簡単な例。
 ローマ帝国・五賢帝のころ、東アジアはどうなっていましたか?→後漢
 ハプスブルグ家はどうやってヨーロッパ内で勢力を拡大していきましたか?→結婚政策
 用語がわかって、さらにそれが使えないといけないわけです。(つづく)

 正直言って、きみがどの段階にいるのか今のボクにはわからない。
 だから、「これ!」とはとても言えないので悩んでいました。
 「基礎基本」や「1問1答」あたりから、最終的には「縦で見る世界史」「横で見る世界史」まで、自分の段階を考えて、やってみるしかないんじゃないかな?(ただし、「たて」「よこ」にこだわりだすと、学校での世界史の点が一時的に下がるかもしれない)(つづく)

 もし「ムチャクチャ具体的に」となると、今やっているものをみて、どれだけ得点できるのかをみて、狙っている進学先を考えて、さらに他の教科(英語とか、ね)との兼ね合いと、実際に本屋に見に行って決めるくらいのことはしないといけないかもしれない。
 そうしたければご連絡くだされ。中国の歴史→漢文つながりで、実は中学で国語の先生だったりするのですが、可能な限りお力になりとうございます。
 んでわ。   せきね(仮名)

 参考になりました。第一志望は○○大学○○学部で、センターも受けるつもりです。予備校の冬期講習のテキストは学校の授業より少し深くなっていますが、授業と同じように固有名詞を覚えるようになっています。確認問題では穴埋めと記述と記号があり論述は少なめです。
 これからは一問一答とテキストを使って18世紀までの固有名詞を4月末までに。19世紀からを一学期末までに覚えようと思います。固有名詞を押さえると同時に地図で場所と現在の地名も覚えようと思います。指定校推薦に関係があるのは3年の前期までなので夏休み(遅くとも2学期)からは応用力を養うようにしようと思います。

 すげーや。
 高2でここまで考えているのもめずらしいのでは。

 せきね。お返事を読んで思ったことを。
 いいペースですね。あと、模試を受けたら、必ず復習を。問題作成者にも意地がありますので、本番で当たるように狙っています。うまく利用しましょう。
 河合の出している「地図でおぼえる世界史」(1200)っていうのがあります。もし本屋で見つけてやれそうならば。←ややむづかしめ
 「論述は少なめ」とのこと。「少なくても問題になっている」ということは、相当重大な歴史事項だと思ってください。できることならば「模範解答を丸暗記するぐらいの勢い」で。
 指定校ねらいか。なんかもっといいところ行けそうでわ?もったいないなあ(笑)

 地図・一問一答・テキスト(教科書程度)・用語集を使って世界史の勉強をしているんですけど“詳細世界史ノート”のようなものは必要でしょうか?それとも今あるもの(先の4冊)をマスターしてから実践問題を解きながら覚えた方が良いでしょうか?(^o^;

 せきねです。パソコンのメールなんで、返事遅れてますね。でも、ケイタイだとくわしい返事打てないんで(笑
今やっていること、今考えていることでイイと思います。世界史ノートは必要ないんじゃないかな。一問一答とは同じレベルだと思うんで。それよりも終わらせてから見直しした方がよさそうです。
 あ、あと。おんなじようでどれにしようか迷ったら、「できたのが新しいもの」を選んでみてください。結構コロコロと内容変わっていたりしますんで。
では。

 石器時代以前はセンターや私大入試で問われますか?

 せきねです。多分、その可能性はとても少ないんじゃないかな?「世紀の大発見」があった場合には要注意だとは思いますが。そうでなかったら、きっと2年の世界史でやっている範囲以降の方が大事でしょう。歴史がごちゃごちゃしていて出題者が問題を作りたくなりそうだと思わない?(笑

 ということは先史時代以前を覚えるよりオリエントから覚えて最後余裕があればそこをやる。という感じでいいんですか?(^o^;

 そんなもんじゃないですか? そこらへんの問題が出てきたら解く程度でいいと思います、はい。

 まあ、まだやりとりは続いております。
 自分で読み返して思うけど、もっと頭いいこと言いたいねぇ。
 勝たせてあげたいなあ。
交響曲第9番「合唱つき」

 年末にさまざまな場所で聞くことができる、ベートーベンの"第九"。「歓喜の歌」とか、「よろこびの歌」とも呼ばれている、あの曲である。
 これは、ベートーベンの耳が聞こえなくなってから完成した作品だ。

 そもそも、このベートーベンという人、そうとう風変わりな人だったらしい。
 おまけに、ものすごく不幸なことが多かったようだ。
 伝記を読むとさまざまな事件が続いて、こりゃひどいなあ、なんて思ってしまう。

 ベートーベンだって、困ったことがあったら悩む。
 耳が聞こえなくなりはじめた時なんか、遺書を書いて自殺しようかとも考えた。

 けれども、それ以降ますます情熱的に新しい曲を発表し続けた。
 その中の最も後のほう、病気で亡くなる2年前に作られた曲が、"第九"。

 第1楽章から第3楽章まで、ベートーベンがそれまで積み上げてきた、作曲技術の全てを使った演奏が続く。
 けれど。
 第4楽章のはじまりでは、男性がひとりでこのように歌い始める(バリトンのソロ)。

おお、友よ、このような音ではない!
そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう!
そして、もっと喜びに満ちたものを!

「今まで」を全部放り出して、全く新しいものを始めてしまうのである。

 この曲がはじめて演奏されたとき,ベートーベンは指揮をしなかった。指揮者の隣に座って、オーケストラの方を向いていたという。交響曲に人の声(合唱)を入れたのは、これが最初であった。
 演奏が終わったとき、ベートーベンはオーケストラの方を向いたままだった。そこで指揮者がベートーベンの腕をそっと取って、観客の方を向かせた。ベートーベンの目に、総立ちになって拍手する観客の姿が飛び込んできたという。熱狂的な拍手であった。涙を浮かべている人もいた。
(なのに、これ以降「合唱つき」をやめてしまうかどうか、ずっと考えていたらしい。相当な前向きさ?である)

 せきねは年末に"第九"を耳にするたびに、こう思う。
「今まで」も大事。 だけれども、「これから」はもっと大事だ。

 保護者会のなかで、たくさんの話を聞いた。
 手伝いをする。尊い。
 自分から机に向かうようになった。えらい。
 目標を紙に書いて、部屋に張って勉強をがんばった。すごい。
 読書をたくさんした。すばらしい。

 中学生の今、どれだけ努力を重ねたか。
「これから」のために、どれだけがんばっていけるか。
 それによって、どんなに苦しいことがあっても、へこたれない自分になっていける。
 これから先の人生で、「ゆずれないこだわり」を持てるかどうかに関わってくる。

 今年一年、おつかれさま。
 来年、元気でお会いしましょう。

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 去年は80号まで行っていた。やや遅れている。なんとか100号までいって終わりにしたいのだが。

 でもねー。

 こうやってweb日記にほぼそのまま出せるような記事じゃあつまらないと思うんだよね。
 すくなくとも、「学級の通信」じゃあない。せいぜいがニュースサイトの劣悪版でしかない。

 「教室の事実」を持ってこないといけないんだなあ。
 んー。
 まだまだ無理そうかな。
 ↑「ずっと無理」かもしれないけど。
 好きな本・好きな場面を見つけられる読書ができるといいですね

 せきね組のロッカーの上に、せきねの趣味で何冊かの本を置いてある。みんなが読むとそれなりにトクになるかなあ、読書が好きになれるかなあと思っている本だけれど、その中に「十二国記」シリーズがある。
 (ファンタジー小説として刊行され、現在ではNHK教育、BSなどでアニメが再放送されている)

 高校2年生になったばかりの中島陽子は、クラスメートや親や教師たちの目を気にしながら、誰からもほめられるように生きてきた。
 ある日突然、ケイキという金髪の男が現れて、中国と似通っているがどこか別の異世界に連れ去られてしまう。
 そこで陽子は誰ひとりとして自分を知る者のいない中で、あてもなくさまようこととなる。「悪い海客(かいきゃく=違う世界からやって来た者)」だと理由もわからずに役人から追われる。善人に助けられたかと思えば、実は金のためにだまされる。毎晩、さまざまな姿形をした妖魔に襲撃される。蒼猿(あおざる)という化け物が、自分の心の中に押し込めている不安をことさらにあおりたててくる。行方不明になったケイキが、陽子に剣を持たせたが、その剣が陽子の居なくなった後の世界での人々のあきらめや誤解している姿をまぼろしとして見せる。

 流されてきた世界のすべてが、陽子にとって敵であった。「この世界すべてがわたしに死ねと言うならば、わたし一人だけでも生きてみせる」そう思いながらも、身も心もすさみ果てて冷たい雨の降る中に倒れたとき、楽俊(らくしゅん)というネズミの姿をした半獣に助けられる。

 楽俊は、初めて陽子を助けてくれた者であった。しかし、「その裏には何か目的があるのではないか」「信じてしまってまた裏切られて危険にさらされるのではないか」と思った陽子は、妖魔に襲われた混乱の中で、倒れた楽俊を置き去りにして逃げてしまう。

 悩み、落ち込みながら逃げる陽子を、蒼猿が追いかける。
「ネズミにとどめを刺さなくていいのか。あのネズミは、おまえのことを役人にしゃべるかもしれない。そうして捕まったら、おまえは殺されるんだ」
「ただ置き去りにしただけで、こんなに苦しいのに。そんなことが出来るはずがない」
「あいつはお前を信用させて! お前を利用して! そしてお前を裏切るんだ!」
 蒼猿の叫びに、陽子は言う。
「裏切ったら、裏切ったやつが卑怯になるだけだ!」
「わたしは、誰も優しくしてくれなくても、どんなに裏切られても、誰も信じない卑怯者にはならない!」
「世界も他人も関係ない! わたしは優しくしたいからするんだ! 信じたいから信じるんだ!」
 蒼猿を退け、陽子は自分の心に決着をつけて旅を続けた。
 そして、物語は続く。

「自分を囲む世界と、自分のありようとは無関係だ」
 この場面を読んでから、こんな気高さをせきねは身につけたいなあ、と思った。

 別に「十二国記」を人生の教訓として読もう、というわけではない。
 ただ単に、せきねはこのシリーズを読んでいておもしろいし、アニメも全部見ている。 (ちなみに、イナダ先生も「十二国記」ファンだと去年に知って、おおいに意気投合している)

 いよいよ冬休み。
 自分の指針が見つかるような、良い出会い、良い日々、あるといいですね。
 今日は何の日?

 1865年12月18日(日本では明治時代になる3年前)、アメリカでひとつの制度が廃止された。
 奴隷制度である。

 大農場を経営するために、アフリカの人たちを強制的に連れてきて働かせるということが、アメリカ南部では広く行われていた。一番最初の黒人奴隷がアメリカに渡ったのは1619年(江戸時代の初期ころ)のこと。それ以降、黒人奴隷貿易はずっと続き、アフリカから遠く異国に運び込まれた黒人の数は、総計1400万人近くにおよぶ。しかし奴隷船の環境は悲惨なもので、「1人の黒人を新大陸にもたらすまでには5人の黒人が途中で死んだ。」と言われている。(総計7000万人の黒人が故郷から連れ去られたことになる)

 1860年、以前から奴隷制に反対していたリンカーンが選挙に勝つと、アメリカ南部の各地方では危機感を強めて、ついに国内を二分する争いが起こった。有名な「南北戦争」である。(1861〜1865)
 奴隷制賛成の南部と、反対の北部。当初は南部が優勢であった。その中でリンカーンは、ゲティスバーグという地で演説をした。

 87年前、私たちの祖先はこの大陸に新たなる国家を打ち立てました。
 アメリカ合衆国は、自由、そして人はみな平等であることを原点とした国家です。
 いま私たちは、たいへんな内戦の中にあります。自由と平等の国家が、あるいはそのような主張をする国家すべてが、長らえることができるか試されているのです。
 私たちはその戦争の激戦地に集っています。
 私たちがここで話すことは世界の注目を集めることもなく,やがて忘れ去られるこ とでしょう。しかし、私たちの前には大いなる責務が残されています。
 名誉ある戦死者たちが、最後まで完全に身を捧げた大義のために、私たちも一層の 奮闘をもってあたること。
 戦死者たちの死を無駄にしないと高らかに決意すること。
 神の導きのもとに、この国に自由の新たなる誕生をもたらすこと。
 そして、人民の、人民による、人民のための政府を、この地上から絶やさないこと。 これこそが、私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです。
クレイグ・L・シモンズ 著 友清理士 訳 『南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記』(学研M文庫)より

 このリンカーンの演説については、「"結果として"奴隷解放になっただけである」という説や、「北部を有利にするための大義名分に過ぎなかった」という説もある。
 また、法律上で奴隷制度はなくなったが、以降も永く、人種による差別は続いている。

 しかし、この後の歴史に続く人種差別をなくすための運動の、第一歩であることは間違いない。
 肌の色がちがう。顔かたちがちがう。話し方がちがう。
 そんなことは当たり前で、かけがえのない個性ではないか、と声を上げていく、最初の一歩だったのである。
 人間はどこまでも人間同士であり、人種に関わりなく互いに美点を見つけていくことのできる、自由と平等の記念日が、12月18日なのだ。

 わたしたちは。
 顔かたちを話題にして、人を差別してはいないだろうか。
 話し方が今まで聞いたことがないからといって、人を軽んじてはいないだろうか。
ここでは初出なので、いちおう。

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諸葛孔明

 三国時代の知謀の士として名高い諸葛亮は、字を孔明といい、蜀の劉備に仕えた。当時、諸葛家は中国東部の名家であり、次男として生まれた彼は、"宝石のきらめくさま"という意味の"亮"という名を与えられた。
 のちに成人した諸葛亮は、"とてもあかるい"という意の"孔明"と名乗る。
 曹操の大虐殺によって故郷を追われ、乱戦の中に父を失い、一族が中国全土に別れて暮らすようになったなかで、自らの決意を字に託したのかもしれない。
 乱世に輝く光となろう、と。
 当時の中国は天災・人災ともにすさまじいものだった。
「イナゴの飛来によって作物も何もかもを失った家族が、たがいに幼児を取り替えた。もはや人肉以外に食べるものが無く、家族を殺すにはあまりにも哀れだったからである。」
「曹操は父親の仇と称して徐州で大殺戮を行った。軍が通った後には何もかもが殺戮され、鶏や犬の鳴く声さえ消えた。川には殺された人々が浮かび、そのあまりにも多い死体のために川の流れが止まったほどであった。」
 戦乱を荊州で避けながら、諸葛孔明は中国に一刻も早い平和をもたらす手段を考えた。
 たくさんの英雄の中で最も優勢な曹操でさえ、中国を統一できるかどうか微妙なところである。これが二大国でも戦争は続くだろう。しかし、もし三つの国が「三すくみ」になったら、お互いの緊張状態が続くとしても、戦乱が遠のくのではないか。
 こうして、「天下三分の計」が諸葛孔明の持論となる。
 北の曹操、東南の孫権、そしてあとひとりの英雄は。
 若き諸葛孔明の知謀を知って、熱心に通ってくる劉備という歴戦の英雄がいた。
 晩年の諸葛孔明は、このころを振り返って『出師表』に書き残している。
「先帝陛下(劉備)は私を身分いやしい若造だとは思わず、自ら三回も粗末な家まで訪問なさりました。そして私を天下の偉材と考えて、"この乱世をどうしたらよいか"をお聞きになったのです。私はここに感激いたしまして、先帝陛下のもとに奔走することを誓ったのです」
 以来、多くの将軍や軍師や、劉備までも世を去っていくなかで、諸葛孔明はひたすらつつしみ深く蜀の国を支え続けたのである。本来は政治で最大の能力を発揮したのであろうが、不得意であった軍事でも、些細なことから大事まで、彼は謹厳に激務をこなしていった。
 諸葛孔明と対決していた、魏の国の司馬懿が、彼の激務ぶりを聞いてあざわらった。
「そのようなことまでやっていては、あやつも永くあるまいて」
 おそらく司馬懿の考えたことは諸葛孔明も気付いていたはずである。しかし、劉備の後を継ぎつつも愚かであった皇帝の劉禅や、不満屋の将軍たちには、「戦乱の終わりを」「少しでも平和な時代を」という自身の大目的を分かち合えなかったのだろう。
 かくて諸葛孔明は司馬懿との対戦中、五丈原の地で過労に倒れる。そしてそのまま世を去った。その後、強敵の消え去った司馬懿は魏国の乗っ取りをたくらんで、諸葛孔明という柱のなくなった蜀の国は、もはや滅ぶのを待つばかりとなってしまったのである。
 陳寿は、歴史書『三国志』で、諸葛孔明のことをこう記す。
「諸葛孔明には、軍事的な才能はやや少なかったかもしれない。しかしその至誠は万人の広く知るところであり、厳しい法律を実施してもみな彼を尊敬し愛した。また、諸葛孔明によって処罰された者でさえ、彼の死を知って痛切に悲しんだほどであった」
 ずっと後になって、諸葛孔明は講談の中に蘇り、最高峰の軍師として英雄たちとともに三国志の世界で大活躍する。
 "とてもあかるい"の意味、そのままに。
 そして今もなお『三国志演義』で、諸葛孔明の誠実さは多くの日本人を魅了しているのである。

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帰りの会が終わってすぐに、勉強にあまり関心のない男子たちが集まって三国志の話を聞きたがっていたのが印象的であった。
 ただの教員として個人的な意見を述べれば。 試験前にアニメを見ること、遊ぶこと、手伝いをすること、これは何の悪いことでもない。
 問題は、試験に臨むにあたり、いい加減に準備をして区切りを迎えるということである。

「勉強はしている。そしてアニメを見たいから見る」のではなく、もし「勉強をしたくないから、とりあえずアニメを見る」のだとしたら、あまりにも境涯が小さいように思う。
 オタク度が足りない。
 アニメマニアとして純度が低い。

 ……冗談はともかく。

 勉強するのは。
 自分のため。
 もう少し前向きであれば。
 世界に貢献する自分になるため。

(ちなみにせきねが「貢献」と言った時に、必ずしも直接的なボランティア等を意味しない。大金持ちになって税を納めるのも、"世界への貢献"だと考える。その税が財政をうるおし、より良い社会システムを構築する可能性があるからだ)

 それを忘れなければいいのだと思う。

 いい加減に、適当に、なあなあに、そうしてきたものは身に付かない。

 どんな趣味だって、そうじゃないか。
 歌だって、楽器だって、文章を書くことだって、手抜きがあればモノにならない。
 仕事もそう。いつか「アイツは使えない」とささやかれながら生きていくようになる。

 だったら。

 就職活動だってそうなんじゃないか?
 ただどこかの企業に滑り込もうとするばかりで、自分の内面と向かい合おうとしなかったら、自分で自分を誇ることができるような"天職"に巡り会うことはできないんじゃないか?

 勉強もしかり。
 漫然と、与えられたものを与えられただけに見えるように取り繕って、それでこと足れりとする。
 中身を詰めず、叩けば乾いた音のするような知識のハリボテを、かろうじてこしらえて「学校の勉強は役に立たない」とシニカルに諷してみせる。
 役に立たないのは当たり前だ。役に立たないものしか、自分で作らなかったのだから。

(かく述べるわたし自身も、観念を振り回していい気になって、知識のハリボテしか持たない徒輩である。かろうじてそのことに気付いたのは、大学院に行って、ものすごい勢いで学び続ける畏友と出会ったからだ)

 こんな人生は、かなしい。

 今もたくさんの中国の人たちにそんけいされている、「こうし」という人が言いのこしたことばがあります。

 たとえ3人でみちを歩いたとしても、先生といっしょにいるようなものだよ。
 かならず、学ぶことができるんだよ。
 いっしょにいる人のいいところを見つけたら、それを自分のお手本にしよう。
 いっしょにいる人のわるいところを見かけたら、自分もそうなっていないか、はんせいしよう。

 
「自分」をどこかに置き去りにしなければ。
 心のアンテナを整備しておけば。
 あらゆるものから発見や学びを得られる。

 わたしは、そう思う。
 あなたも、そう思ってくれたらうれしい。
 初っ端からボクの担当している中1国語。
 範囲は「枕草子」など。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく……

 問・「やうやう」を現代仮名遣いで書きなさい。
 誤答・「だんだんと」

 問・「あけぼの」の語句の意味を書きなさい。
 誤答・「夜明けがとても良い」

夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ蛍の多く飛びちがひたる……

 問・「なほ」を現代仮名遣いで書きなさい。
 誤答・「なを」「また」

 最近のボクは、どちらかと言えばあまり怒らなくなった。
 「どうしたらこういう誤答が出てしまうのか」ということを考えてしまう。

 学問を、ただ説明をするだけで済むのならば、教員が在る必要がない。たとえば、教卓の上にテープレコーダーでも置いておけばいいのだから。

 40人ならば40人、「現代仮名遣いで書きなさい」という問いに正解させてみせて、そこで初めて教員の存在性に意味が生じるのではないか。

 昨日とテーマは同じ。
 「詰め」が必要なんだよね。
 お気に入り登録、来訪者、その他もろもろ、まあとにかく学生のみなさんへ。

 覚悟決めて、「やることはやらんといかん」のじゃないのかなと思うわけだ。

 不特定多数それぞれの人に、ボクは問おう。
 キミは、なんでその場にいるのかな?
 なんで勉強する施設にいるのかな?

 「勉強したいから」だったら、きっちりとやることはやろうよ。
 「親がやれと言うから」だったら、それはそれで親の言うとおりにやろうよ。

 「なんとなく」っていう選択肢は無いよ。
 その「なんとなく」を支えるためにどれだけの資金なり労力なりが割かれているか、考えなきゃ。
 たとえば、どんなに頼りなくとも、法律によって教育はさまざまな優遇をされている。
 また、そこまで大きく考えないとしても、親御さんは食費を切りつめたり、共働きをしたり、借金をしたりしながら、キミを教育施設に送りだしているんだよね。

 わかってるかな。
 寝たり無断欠席したり遅刻したりするって、親の財布から金つまみ出して水洗便所で流しているのといっしょだからね。

 ボクごときに言われたらずいぶんと気分を害するだろうけれど、その気持ちは親御さんがサボリまくる君に対していだく気持ちと似ているかもしれないよ。

 「そんなの、勝手に押し付けているだけ」
 そう思うんだったら、何から何まで、自分で全部やってみるしかない。

 独立。
 誰にも頼らずに、自分の力だけで日々を過ごす。
 できるわけがないのなら、受け取ったもののぶんだけ、義務が生じるわけだ。
 たとえ「親の身勝手」であろうとも、従わなければならないんだよね。

 ====================

 そんなことを考えなくても。
 自分の一生なんだから、なるべく有効に使った方がいいんじゃない?
 「だれだれのために」「だれだれのせいで」って不満を言い続けて、あらゆることを世界の責任にしてるのってむなしいよな。
 "一生"の無駄遣い。

 ====================

 ちなみに。
 勉強したことを役に立つ物にするか、役立たずにするか、これはまさしく本人の器量。

 「ゴミのような知識」「役立たずな勉強」ってね、正しく言うと「自分で学んだことをゴミくずに変えてしまった」「役に立たない程度しか勉強できなかった」ということなんだよね。

 スゴイヤツってね、どんなことからも学んでいるよ。
 キミが手を抜いているところから、さぁ。
上を向いて歩こう

 席替えをした。
 ウチの学校の教員の中で、空き時間に最も中学生たちのそばにいるせきねは、うわさなり何なりを聞くのはおそらく一番早い。
 せきね組のことも他のことも、たくさんの話を聞く。
 その中で、9月ころに、「せきね組で勝手に席替えをしてしまっている授業がある」と聞いて、どうしたものかと考えた。

 楽しい授業、いいことだ。
 自分なりに工夫をする授業、とてもすばらしい。
 しかし、一部の人間だけ都合の良い席を占めるのは、なにか違わないか?

「席替えなんか必要ない」と思っている教員も中にはいる。
 せきねは、そうは思わない。
 みんなが毎回の席替えを楽しみにし、大事に思っているのを、よく知っているから。

 席替えは公平で厳正でなければならない、と思った。
 きっちりとしなければいけないと思った。
 だから、「ルール違反をした者が自らの非を認め、『もうしない』と言うまで、席替えはずっとしない」と考えて、みんなの前できびしく言った。

 そして最近になって、せきねの知るかぎりの者たちが、全員、自分自身のルール違反を認めた。

 それによって、とてもきまりの悪い思いをした者もいるだろう。

 でも、こうして改めることができた。

 これはものすごく大事なことで、喜ぶべきことだと思う。
 なぜなら、集団生活でのルールを、改めて確認することができたからである。
 前進することができたからである。

 人として恥じるべきは。
 まちがえること、ではない。
 まちがいを改めないこと、向上しないこと、なのである。

 そもそも、「いたらない自分」を認めるのには、とても勇気が要る。
 そろそろ三十路のせきねでさえ、すぐにはできない。

 たとえば成績。
 せきねがどういう授業をして、どういう評価か。前回書き記した。
 こうして形に残し、他の教員や各ご家庭に公表することに対して、かなりためらった。

 たとえば席替え。
 教頭先生とカメヤマ先生とに朝の会へ来ていただき、その中でルールの再確認をした。教頭先生に「来てください」と言うかどうか、迷いもあった。

 たとえば授業。
 時にはやっている授業を他の教員に見てもらわないと、授業内容が高度で難しいのか、授業がへったくそで意味不明なのか、わからない。

 小さな自分の殻をうち破らなくては、より大きな自分になることができない。

 せきねは、他の人に後ろ指をさされるような毎日を送りたくない。
 こそこそとずるく立ち回るのではなく。
 相手によって意見を変えてしまうのではなく。

 それでは、自分の人生でもなんでもないじゃないか。

 みんなにも、誇り高く日々を生きてほしいと願っている。
 誰のものでもない、みんなひとりひとりの人生なのだから。
 書写の授業中に、放っておくとじゃれてばかりなウエキ君とナカヤ君のところに張り付いて指導する。

 ボクの書写は、ほめたり評価したりをその場ですることの多い授業。
「字がヘタなことは罪ではない。字がヘタで、さらにいい加減にしようという根性が気にくわない」
「自分の今の表現力を出しなさい。ていねいに書いているかどうかは、90人近い子の字を毎週見ていればすぐに判る。安心していいから」
「適当に終わらそうという気持ちが、払いの終わりに表れている。ふざけんな」

 水書版に見本を示したり、実際に書いて見せないのだが、まあ授業にはなっている。
 ただ、ボクのコメントがさらに反応を呼んで、なかなか静まりかえるような場面がない。

 ウエキ君とナカヤ君も、それぞれ一枚書いては軽口をたたき合うような仲である。

「偏と旁の間がひらいているから、それぞれが良くてもバラバラに見える」とボクが言うとする。
「そーだ、そーだ。へったくそ!」
「うるせーや。オマエもとっと自分のを書けよ!」 
「書くよーだ! オマエよりもじょうずなモノを書くかんなー」
「どうでもいいから二人ともしっかり書けや」
と言うノリである。

 ウエキ君がボクをちらちらと気にしながら、それでも言い足りなさげに言う。
「どーせナカヤなんか居なくたって、世界は動く」

 なんというするどい視点だろう。
 13歳にして既に深みを抱える精神に畏敬を覚えると同時に、ボクが彼らを対等なる者として論ずる気持ちにもなった。

「そうだなあ、そうかもなあ」
「ナカヤが居なくても世界は動く」
「ウエキが居なくても世界は動く」
「せきねが居なくても、世界は動いていく」
 存在の耐え難い軽さ、とは誰が言った言葉だったか。

「でもね」

「『世界は動いている』ということを理解できる者が居なくては、その事実には何の意味もない」

「たとえナカヤが居ない世界が動いていても、ナカヤにとって世界が動いていることには意味がない」
「たとえウエキが居ない世界が動いていても、ウエキにとって世界が動いていることには意味がない」
「たとえせきねが居ない世界が動いていても、せきねにとって世界が動いていることには意味がない」

「だから、ナカヤも、ウエキも、せきねも、生きられる限りは生き続けないといけない、そう思うんだよね」

 三人で互いに視線を交わす。
 「やれ」と、半紙に向かうことを指示する。

 さあ、次はどういうことを持ちかけてくるか楽しみである。

 ===================

 書写では、けっこう早めに作品を回収し始めている。45分授業で毎週1時間なので、そうでないと次の授業に間に合わないのである。困ったものだ。

 「センセってえろいっすよねー」「最初の時にえろ本持ってきたし」なんて言いながら、オバタ君やわっきー君が寄ってくる。

 ちなみに「えろ本持ってきた」っていうのは、もちろんそういうわけではなくて、前の時間の古文から連続で、書写の授業にやってきた時があった。

 その際に教材を全部持って移動していたのであるが、三枝克之『恋ノウタ』(角川文庫) をそのまま持っていたのである。
 ぜんぜん、えろくも何ともないです。
 古文のために必要だった教材に対して失礼な!

「人のことをいろいろ言うくせに、合宿でフロ入った時、おれのことをじろじろ見ていたじゃねーか」
「おとなだなー、と・・・ってそんなコトないっすよー」

「センセって結婚しないんですか?」
 話、変えるなよ(笑)
「スタンスのちがいだろ。特定の人とずーっといっしょに居る気になれないだけだから」
「そうなんですか?」
「タカハシ先生もイノウエ先生も『子どもかわいい』って言ってますよ?」
「どうかな? ずっとそう言っていられるかな? 言っていられれば、まあいいんじゃない?」
 人生、結婚したらハッピーエンドではないだろう。
 それからが、延々と続く筈だ。

「どういうことですか?」
「おまえさあ、親御さんの言うこと聞いてる? 手伝いする? 言われるとおりに勉強している?」
「・・・してない、かな」
「ちっちゃいうちはかわいくても、13歳くらいになったら、言うこと聞かないし、家でごろごろしてるかゲームするだけかだったりして、子どもがいたって憎たらしくなるかもよ?」
「そうとも限らないじゃないですか! カネコとかヤマトみたいに、良い子かもしれないよ?」
「カネコ君は良い子かもしれない。ヤマト君も良い子かもしれない。でも、おれの子が良い子になるかどうか、判らないじゃん」

「それだったら、好きな時に、好きな量、好きな人数アイしているほうが、シアワセなんだよね、おれは」
 とたんに大合唱。
 「センセ、えろ〜い!」

 そうか?
 ちぅか、なんでも「えろ」にしないでほしいなあ。

 ===================

 うーむ。
 今週の保護者懇親会、なんか言われるかな?
誇り高く、自身を成長させよう

 せきねが授業を担当して知っている、キミたちの先輩を紹介しよう。

 文化祭前、昼ご飯の時に来た中等部3年のセイヤ君は、覚えている人が多いかもしれない。代表委員の打ち合わせで、ウチのクラスまで連絡をしに来た男子生徒だ。あの時だけではなく、いつも場を和ませる、そういう先輩である。
 そういえば、セイヤ君が学校でグチを言っている姿をあまり見かけていない気がする。
 これってすごいことだ。
 自分のことだけをやっていても、イヤなことは多い。
 まして代表委員だとか、他の人のことを考えて行動する時なんかなおさらだ。
 夏休みに、学校からただひとり、市内の中学生が集まる会議へと出かけていった姿を見たこともあった。
 暑く、他に中等部の生徒が誰も登校していない日だった。
 それでもイヤそうな顔をせずに出かけていったのを、せきねはすごいなあと思った。
 笑顔とユーモアを絶やさない。これって優秀なリーダーには不可欠なことなのである。

 同じく中等部3年に所属しているタカツキ君は、テニス部の先輩だ。
 少し前に、せきねは7時くらいに学校に来た時があった。
 中等部の職員室にはまだ誰もいない時間。
 登校している生徒もごくわずかだろう。
 そんな時間から、タカツキ君は壁テニスをずっとしていたのである。
 ウチの中等部は、部活動の日が少ない。
 もちろん、高等部になれば部活動ができる時間はぐんと増えるが、中等部のうちに大会に出て他の学校と対戦してみると、悔しい思いをすることも多いだろう。
 タカツキ君は3年だから、中学の部活動は引退。
 そして普通の中学3年生は、高校受験のために、半年の間、部活動をしなくなる。
 しかしウチは中高一貫だから、やろうとする気持ちさえあれば、ずっと運動を続けることができる。
 そう、彼は誰も見ていない時間に、練習を続けているのである。
 タカツキ君が高等部でテニスを続けるかどうかはわからない。
 しかし、高等部になってから、どんなスポーツでも優秀な成果を修めるのではないかと思っている。

 高等部の2年に、テニス部に所属しているオンダ君がいる。
 夏休み前のこと。
 高等部校舎3階の男子トイレで、水があふれ出したことがあった。
 男子の小用の便器は上から水が流れるようになっているのだが、その上部のパイプが壁から力任せに引っこ抜かれていたのである。
(たくさんの生徒がいる学校だと、ごくたまにそういうことをする不届き者がいる。断固として許し難いことである)
 気付けば、トイレ全体が流れ続ける水であふれんばかりになっていた。
 普通ならば、教員に知らせて修理されるのを待つだろう。
 しかし、オンダ君は違った。
 待っている間にも流れ続ける水を見かねて、あふれる水の中を壊れている便器に近づき、水が制服にかかるのも構わずに、上部のパイプをまた元に戻したのである。
 使われる前の水だから、汚くはない。
 けれど、なかなかできることではないだろう。
 物事の是非を判断する知性と、善を断固として貫く勇気がなければ、できないことだ。
 せきねはこの話を聞いて、年齢や立場を超えて、頭が下がる思いがした。

 学校生活を送っていて、「あーあ、つまらないなあ」と嘆くのは簡単だ。
「やってられないよ」と不満をぶちまけるのは簡単だ。

 けれど大事なのは。
「今ある環境をどう変えていくか」
「どのようにしてより良くしていくか」
 こういう姿勢である。

 みんなで、先輩の良いところを見習っていきたいものですね。

 ===================

 学校という場で、ほめられるべきことって何なのだろう。

 高得点を取った試験の成績。
 優れた運動能力。
 何か特別な人助け。

 もちろんみんなすごいことなんだけど、それだけではないように、ずっと感じていた。

 目立たないこと。
 誰も気付かないような些細なこと。
 余裕のない世間では振り向きもされないようなことこそが、学校という場できちんと称揚されなければいけないような気がした。

 何もできない善人よりも、何かができる悪人の方がまだマシだ。
 この思いは変わらないけれど。
 当たり前ながら、能力のある善人が一番いいのは言うまでもない。

 クラスで配布する前に、「ウチのクラスのプリントに、キミのことを書いてしまった。もしイヤだったら出すのをやめるけど、どうだろう?」と、ひとりひとりに聞きに行った。

 みんな、快く了解してくれた。

 帰りの会で配布しながら、ウチの子たちが誇り高くなることを願う。

 他人の視線の有る無しで行動を変えないように。
 相手の持つ雰囲気で態度を変えないように。

 そういう卑劣な人格ではないように。
 透明な「荷造りテープ」だけは、文化祭で使っちゃいけませんでした。
 詳しい人には当たり前なのだろうな、と思いつつ。

 ポリッシャーかけようが何しようが、接着剤が落ちません。
 ひたすら「つかれたー」言いながら雑巾とシンナーでこすり落としました。

 無謀な人海戦術。
 軽度のシンナー中毒続出←誇大表現

 コレばかりは完全なボクのミス。

 文化祭なり大学祭なりに関わる方は、絶対に避けてください。みんなに大迷惑をかけます。
 すまぬぅ〜。

 ===================

 みんなでもぅぐったりしながら帰りの会。
 「たっぷり反省会をする」らしいような職員室での雰囲気だったんだけど、ボクから「平凡に留まろうとしなかったから苦労をしてしまった」っていうふうに総括をしておしまい。

 ホントに思うんだ。
 適当にやってしまえば。
 うれしさも、つらさも無かった。
 やれるだけのことを、やって来た。

 ===================

 放課後はとっとと下校したり、のんびり弁当を食べたり、おしゃべりをしたり、いろいろと。

 ボクが掲示物とかを貼っている間に、生徒たちはテレビの話題やら、恋愛の話題やら。

 ほー、そうですか。
 中学1年生、セイシュンまっただ中ですか。
 誰と誰がなかよしなの?

 近づくと、「センセは大人だからダメです!」だってさ。

 ・・・ヲジサン、さみしいなあ(笑)
 中高一貫制の文化祭。

 今日はなんとか無事に終わる。

 最終日なので校内巡回係の合間を縫って出し物を見て回る。

 ウチの学校は模擬店が非常に少ない。
 校内喫茶店3つと露店いくつか。すべて高等部3年。
 それ以外は研究発表とか劇とかになる。
 それぞれ楽しそうにやっていた。さすがに学年が上がるほど行き届いたものになってはいるが。

 15時終了。
 中等部は16時に完全下校となり、ボク自身も早めに職員室から撤収。

 高等部担当の時のように、後夜祭のあとに「生徒が羽目を外さないように校外を見回る」という役割が廻ってこないのは、まあラクなことだとは思う。

 ===================

 えらく懐かしいものに再会した。

 帚、である。

 人が歩けば埃が吹き寄せられて汚く見える。それを集めようとして、何気なく近くの道具入れから出してきた帚。

 「高等部1年せきね組」
 小さく油性マジックで書いた。

 初担任。
 勉強する場所はきれいでないといけない。
 そう思って、毎日放課後に机を整列し、黒板をきれいにし、この帚でゴミを集めた。

 自分のクラスは順調だ、そう思っていた。
 けれど実際は、3分の2が寝る授業やひとりかふたりしか聞いていない授業の連続だった。
 「ウチのクラスはどうですか」
 こう尋ねても、誰も何も言ってこない。
 裸の王様のまま、文化祭まで過ごしてきた。

 そんなままで無事に1年の終わるわけがない。
 停学を出した。
 クラス平均点の差が、他と10点も15点もついた。
 山のような乱れた姿の子たちだった。

 自分のクラスの授業担当は、週に2時間。
 週に2時間だけでは、教室の状態を立て直す力がなかった。
 改善しようと立てた方針のことごとくは、効果がないままだった。
 なにせ、ダメな授業はまったく変わらないのだ。「授業中に他のことをしてはならない」という当たり前のことを確認した次の授業には、何をしていても注意を払わない教員がやって来るのだ。

 毎日、帚を持って「せめて勉強がしやすいように」教室の掃除をするしかなかった。

 それだけ、だった。

 その帚はあまり大事にはされなかったようで、けっこう先が曲がっていた。
 それでも、まだゴミが集められた。

 苦しめば、形が変わる事もあるだろう。
 考えて使えば、まだまだ役に立つこともあるだろう。

 今のクラスの備品として持ち帰ることにした。

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