授業参観期間。

2003年11月12日 お仕事
 月曜から今日までの3日間、中等部内は保護者が自由に出入りすることができる授業参観期間であった。

 いやはや、しんどかった。
 はりきり過ぎちゃってさあ。

 実のところ、授業参観を受けた時はない。
 職員室で「母親としての意見」を聞いていろいろ考えた。

 普段の状況を確認する。
 これが授業参観の目的であるわけだが、あまりにも「普段そのもの」であっても、またおもしろいものではない。

 養護の先生などは、「普段通りの授業」ということで、我が子がプリントをせっせと解くのをひたすら見続ける授業参観をして、さすがに「なんだかなあ」と思ったそうだ。

 というわけで、教室内は展示を多めにした。
 まず、国語表現。「"秋"という語を使わずに"秋"を表現する」という題のものを。
 それから学級通信のうち、合宿などの写真で構成したものの元版(デジカメ写真を切り貼りして、パウチしたもの)を掲示した。

 授業も生徒主体のものを目指す。
 国語では「枕草子」第1段を次々と暗唱していくようにした。
 けっこう順調なように思えた。
 道徳が1時間あって、ビデオ映像を取り入れつつ視覚障害者の授業を行った。
 事前に時間をきっちり計っていたが、PC画面がモニターにつないだとたんに動かず、なんとかモニターを見ながらタイミングを読むしかなかった。ビデオを止める時が難しかった。

 他にも普段通りの業務はあって、何かひとつでも事故があったら立ちゆかなくなっていったところだった。

 やっと終わって、先の見通しはまっさら。今から用意せにゃならん。
 ふへー。
 中等部で、「チャイム着席をしよう」キャンペーンが行われている。提案したのはボクではないが、積極的に賛同している。

 担任をやってしみじみ思い知った。
「時を守る」とはものすごく大事なことであった。これを目標にするのは使い古されていて、漠然としているように感じられるが、そうではないことを実感した。
 正直に言うと、担任をしてみるまでは、「時間厳守=個人の心がけ、もしくは集団行動のために必要だ」程度にしか思っていなかった。

 目に見える形で、差が付く。
 
 授業開始時に、すっと学習に入れないクラス・生徒は、間違いなく成績が低い。
 遅刻を重ねるたびに、クラス・生徒の成績は下がる。

 どれくらいか?
 100点満点の試験の成績が、そのたびごとに平均点から1点ずつ下がる。
 教員を始めてから1000人以上の生徒の担当をしてきて、そう思う。

 授業が始まってから、「トイレへ行っていいですか」と言う。
 朝の会が始まってから、教室に入ってくる。
 1回あれば、-1点。たいしたことはない。
 数度重なれば-5点。
 10回、2週間ものあいだ遅れを取り続ければ、どうしようもないほどの成績の差が付く。

 慌てれば手落ちが多くなる。
 授業道具を忘れる。
 課題を忘れる。
 教科書のどこをやっているか、それを見失う。
 指示を聞き逃す。

 最初のボタンの掛け違いが、いつしか取り返しのつかない事態になる。

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 ウチのクラスが「チャイム着席」の週間目標を達成できずに、ペナルティとして清掃をすることとなった。
 体育館の倉庫を掃除しうかという話になっていたのだが、体育教官の時間の都合とクラスのとがかみ合わず、放課後に校外清掃へ出ることにした。

 最寄り駅の周辺である。

 投げ捨てられたタバコの吸い殻や、雨で地面にへばりついた紙片、空き缶などを拾わせた。
 特にひどかったのは公衆電話裏側、4畳ほどのデッドスペースだった。
 ビールケース、週刊誌、空き缶、弁当のゴミなどがごちゃ混ぜで、雨の湿気を吸って、虫がわいているようなゴミの山だった。

 持っていったゴミ袋がいっぱいになるまで、男子生徒10人ほどに片付けさせた。
 水がこぼれたり、虫が出てきたりするたびに大騒ぎをしていた。せきね自身がやってしまった方がよっぽど早かったのだが、敢えて生徒たちにやらせた。

 「街がきれいで在る」ということがどういうことか、感じてほしかった。
 ゴミを捨てる人と、ゴミを拾う人とがいる、そういうことに気付いてほしかった。

 軽薄な、"えろい"せきねセンセふうに言うとこうなる。

 みんなが大きくなって、デートをする。
 花火大会に、行くとするよね。
 渋谷とかに、行くとするよね。
 ジュースを飲みながら、買い物を楽しんでいるかもしれない。
 クレープを食べながら、映画の感想を話しているかもしれない。
 その時に。
 自分たちだけが楽しくて、他はどうでもいいっていうのは悲しいと思うんだよね。
 掃除をしている人がいるっていうこと。
 ゴミはゴミ箱へ捨てるということ。
 こういうことも忘れないでほしいんだ。

 眉をひそめられるようなふたり、じゃなくて、みんながいいなあと思うようなふたり、になれるといいですね。
 7限目が担任裁量の道徳だったので、授業案を書いてやってみた。

 授業をしようという教材の候補はずっとあって、迷いに迷って日が変わるころに授業案を書き始めた。

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 校長・教頭が来た。放課後に校長室に行き、それぞれより指導をいただく。

 ミシマ先生の所にも行き、批評をもらう。

 ごく簡単に言えば。

 「中学1年生にするべき授業・教材ではない」

 という結論になった。

 難しい題材であり、冒険である、と。
 敢えて行うならば中2後半〜中3、中高一貫ならば高1であろう、ということであった。
 保護者からの批判も覚悟したほうがいいかも、とも。

 自分のしている授業に対して意見を広く聞くことは、教員にとってむしろ義務。まして授業を受けている側からの批判であれば、それを受けることは大歓迎だ、と思うくらいで在りたいと思う。

 また、ミシマ先生、校長、教頭、いずれも自分にとって敬意を払うべき人たちであって、提案や指示のとおりにして悪くなったためしが無い。

 だけど。
 敬意とは別に、意見を採用して我を引っ込めることに抵抗を感じるのは何故だろう。
 ただ単に、自分のつくったものに対する感情的なこだわりなのかな。

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 帰宅後、とにかく眠いので寝る。

 授業記録をまとめるのは後で。
 ↑「あと」と「化け物」は出た時がない、というせきね家(仮名)の家訓あり(^^;;;

貴族社会。

2003年10月31日 お仕事
 ヤリタ先生が放課後の会議に遅れていらっしゃった。とてもめずらしい。

 会議後にヤリタ先生を含めて数名の教員でお茶話をしていたら、こんないきさつだった。

 生徒の下校時に、その教室の窓が開いていて「窓、閉めて」と言った。
 しかし3人居た男子生徒たちは、3、4度声をかけられても知らんぷりをして、そのまま帰ろうとしたらしい。
 で、先生が、出ていこうとする生徒のひとりの肩をつかんで「待ちなさい」と言ったところ。
「人にものを頼む時は『〜してください』でしょ」
 だそうだ。
 「なんだと?」と思いつつ名前を聞いても、「言う理由はありません」と突っぱねたそうな。

 他の教員の意見を総合すると、その生徒のひとりは、今日、課題をまったく出さずに手ひどく叱られ、頭にキていたらしい。

 だからそういうことをした、んだそうな。

 ある教員が言う。
「生徒と教師の差をつけさせない先生がいるから…」
「生徒とじゃれたりする先生、いるからねぇ」
 ・・・・・・あ、ボクですか?(^^;;
 そうですか。
 ごめんなさい。
 生徒と遊んだりしてしまうから、そういう事件が起こってしまうんですね。

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 諏訪哲二氏は言う。
「子どもは家庭においても主体であり、この爛熟した商品経済においても消費主体として自立している。」『なぜ授業は壊れ、学力は停滞するのか』洋泉社,2001

 全世界が「自分中心」であることを疑いもしない者が、自分の気に入らない事をするわけが無い。
 強要された課題など、意識に入れるはずもない。
 他者の指示に従おうという意志を持つはずがない。

 これを諏訪氏らのように、時代の趨勢で逆らいようがない、とする主張もごくまっとうで、正しいと思う。
 社会が総レジャーランド化する中で、過去から続く学校という施設は、もう機能を果たし得ないと認めてしまうのである。

 ゲームよりもおもしろい、メールよりもおもしろい、そんな勉強は存在しないのだ、ということである。
 会議室と現場とが同じである場合、なんて叫んだらいいんですかね?
 ごく簡単に言うと、会議の資料探し/資料まとめで、こっちを書いている余裕がありませんでした。ただあったことをメモ書きにするには職業的制限が多いのよ、ボクの仕事は。

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2003.10.28.(Tue.)
☆道徳授業案について  せきね(仮名)

▽資料内容
1)「相田みつを」作品を自分で書き、その詩から人間性を学ぶ(3枚)
2)「ドラえもん」を通してのいじめの授業(2枚)
3)「狼少女」「ストリートチルドレン」「ヘレン・ケラー」から教育の大切さを学ぶ(4枚)
4)「循環型社会とゴミ問題」(6枚)
5)13歳・14歳の自殺「遺書」および「実際に自殺したら」どうなるのか(10枚)

▽大前提
 教員の言うことが通らなければ、学級はくずれる

 →「有無を言わさない」授業
  (a)あらゆる手段で「強制」をする授業
  (b)教員が「説得力のある展開」のできる授業

 →教室内の秩序管理の在り方
  (a)違反に対する罰則
  (b)生徒に内在する善性(?)の伸長
   …善性の内在に対する是非は措く

▽資料の特徴・準備

1)ささくれだった感覚を和らげる効果を期待できる
 相田みつを作品集(せきね所持3冊)を拡大コピー
 (or画像取り込み→powerpoint加工)
 画用紙、ペンなど

2)親しみやすい
 Flashによる授業用データ(せきね所持)

3)「学ぶことの大切さ」を、他の人物を通じて知ることができる
 powerpointによる授業用データ(せきね所持)

4)「なぜ学ばなくてはならないか」を環境問題・地球的規模から訴えることができる
 powerpointによる授業用データ(せきね所持)
 ワークシート

5)「いじめ」が最終的にもたらし得る、動かしようのない事実を突きつける
 最終的な授業案・生徒配布のためのプリント
 (未完成)

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 道徳は、難しい。

 各生徒によって、家庭環境がちがう。
 各クラスによって、雰囲気がちがう。
 各担任によって、訴える切り口もちがう。

 「1か月に1度、なんとなく道徳用に作成された映像作品を見て終わり」というのでは、逆に道徳的内容を軽んじる風潮を産みかねない。

 それでは意味がない。
 まだ普通の教科をやっていた方がマシだろう。
 こう考えるところも多いように思える。

 自由で在れば、良い。
 そうして、日本は自己主張の集合体になった。

 (なんか長くなりそうだから思考を中略)

 ボク自身も日本のヒトだから、「他がどうなっても知ったことか」という気持ちはあるんだよね、たしかに。

微震か予震か。

2003年10月27日 お仕事
 ジンクスを信じたくなる心情も、判らなくもない。

「ウチのクラスはまあ順調です」と言ったとたんにイベントが起きてしまうようでは。
 見えているところでトラブルを起こすだけマシだ、なんて言いたくもなる。

 ・・・・・・。
 歯切れが悪くてめんぼくない。
 自分のところではないだけに、なんとも話にしにくい。

 ただ、自分自身、担当しているところが順調だなんて思っていなかったりする。

 疲労か緊張感のゆるみか、とにかく危うさを感じる。

 個別に名前を呼んで声をかけ続けないと動いていかない、掃除の様子。
 授業をしていて、教科書の指定されたページを開くのに時間がかかる様子。
 説明をしたそばから、まったく同じことについて質問し直してくる様子。
 ふと視線を向けると、隙間時間からずっと本を読み続けている、帰りの会の様子。

 騒乱状態、というワケでもない。
 けれども確実に。
 年度初めより、難しくなっている。

 ま、結局は良い授業をするしかないんだけどね。
 ネタ探さないと、ネタ。

多事/多難。

2003年10月24日 お仕事
 校内での怪我、ケンカ、いさかいなど多し。

 多事多難は必ずしも悪いことではない。それに対しての対応がどう行えているかである。

 「ひと」がふたり以上いれば、そこには人間関係というものが生まれる。

 優劣や強弱や。
 対立にせよ協調にせよ。
 友愛であれ憎悪であれ。

 もし何の関係も生まれないとすれば、それは「ひと」同士だという認識が無いかきわめて希薄かのどちらかであろう。
 たとえば道行く人などのように。

 ずっと公立の小中高に通い続けた自分を振り返ってみると、「私立の生徒=分別がある子ども」というイメージが抜けない。揉め事も自己の力で解決していきそうな感覚をどうしても持ってしまう。

 そんなことはあるはずもなく。

 むしろ、学力と引き替えに多くの物を失っているかのような錯覚さえ感じてしまう時さえある。
 特にこのところはそう思ってしまうようなことが続く。
 大事故などが起きているわけではないが、細かい事件でもひとつひとつ考えてみると、知識と性向とは何ら関連がないという結論を出してしまいたくなってしまう。

 たとえ話。
 やや孤立しがちな生徒がいて、どうもグループづくりがうまくいかない。
 さらに孤立する生徒がいて、その生徒に対して、些細ないやがらせを執拗に行い続ける。
 それを教室のほとんどは知っていて、両方に対してますます距離をおいてしまう。 

   弱い者達が夕暮れ
   さらに弱い者をたたく

   その音が響きわたれば
   ブルースは加速して行く

   見えない自由がほしくて
   見えない銃を撃ちまくる

   本当の声を聞かせておくれよ

 生徒たちが帰ったあとの校舎では、小さな声でもよく響く。
 ずいぶんきらいだった歌だ。

 「弱い者」って、だれ。
 「たたく/音」って、どういう音。
 「ブルース」って、なに。どうして「加速」するの。
 「見えない自由」って、どういう自由。
 「見えない銃」って、なんのこと。
 「本当の声」って、だれがだれに聞かせる、どういう声。

 意味がわからない。

 うたい手は歌えばいい。
 けれどボクは。
 意味を明らかにして事に当たらなければいけないのだろう。

休日出勤

2003年10月19日 お仕事
 日曜は目覚ましをつけずに気ままに寝るのが疲れを取る方法であったりする。そうして、だいたい9時30分過ぎに起きて、出かけたり何なりする。

 のだが。

 今日は。
 ウチの学校が会場になって、午前中は中学入試の模試、午後は英語検定、となる。で、ボクは午前中の塾関係者と連携を取るために、学校側の人間として出勤。
 がびーん。

 模試を受ける小学生の付き添いとして保護者が来ているのだが、試験中の待ち時間に、その人たちを相手に中学入試について説明をするのである。
 良い機会だと思って、会場の端で聞いてみた。

 へったくそ。
 がびかびーん。

 話を始めたのは「この道30年の社会科講師」。
 「詳しいことは手元の資料を」と言って、「中学入試いま・むかし」みたいなノリでのんびりとマイペースです。 
 入試に一生懸命なはずの視線が、話す人間ではなくて配付資料に向いてます。
 こういう時に期待される話がなんなのか、とんと無頓着なようである。
 サイテーだ(笑)

 ボクはただの会場役員ですので、とっとと撤退して職員室で自分の仕事を。あはは〜。

 仕事が終わってから、帰り際に午後の英検会場をのぞきに行く。中1たちがいました。若干の例外(欠席・既受験者)を除いて、みんなで5級を受けるわけです。
 わいわいがやがやと話をしながら試験開始を待っていました。

 楽しそうだなあ。んー。

 ・・・・・・。
 ひょっとして。
 ボクは、自分の失われた時間の代償がほしくてこの仕事をしているんだろうか。
 あまり認めたくない理由だなあ。

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 帰宅して、ぐったり。

 16時に寝る。
 19時に起きる。また寝る。
 2時に起きる。また寝る。
 6時に起きる。
(学級通信より)

 10月の初め頃、学校のシステムを改善していく係の先生たちからわたされて、朝みんなにアンケートをやってもらった時があった。
 気になったので、そこからデータを教えてもらって、自分の通知表を作ってみた。

☆1年国語(75名)

▽理解度…授業に対してどれだけ理解できているか
 5)よく理解できている
 3)普通
 1)まったく理解できない

 5…33(44%)/4…22(29%)/3…17(23%)/2…3(4.0%)/1…0(-)

    
▽進度…授業の進むスピードはどう感じているか
 5)とても早い
 3)ちょうど良い
 1)とても遅い

 5…1(1.3%)/4…8(11%)/3…63(84%)/2…2(2.7%)/1…0(-)

▽参加態度…授業を受ける態度はどうであるか
 5)良い
 3)普通
 1)悪い

 5…23(31%)/4…19(25%)/3…28(37%)/2…4(5.3%)/1…0(-)

▽おもしろさ…どれだけおもしろいと感じているか
 5)おもしろい
 3)普通
 1)つまらない

 5…23(31%)/4…24(32%)/3…16(21%)/2…7(9.3%)/1…1(1.3%)

▽試験対策…試験前に、どれだけ勉強をしているか
 5)たくさんした
 3)ほどほど
 1)しなかった

 5…18(24%)/4…25(33%)/3…20(27%)/2…7(9.3%)/1…2(2.7%)

▽家庭学習…普段自宅で勉強をどれだけしているか
 5)毎日やっている
 3)ときどき
 1)やっていない

 5…0(-)/4…8(11%)/3…33(44%)/2…24(32%)/1…10(13%)

▽提出物…宿題など、きちんと提出しているか
 5)必ず提出している
 3)だいたいは
 1)提出した時がない

 5…17(23%)/4…41(53%)/3…13(17%)/2…2(2.7%)/1…0(-)

▽忘れ物…授業の道具を忘れずに用意しているか
 5)必ず忘れない
 3)たまに
 1)持ってきていない

 5…23(31%)/4…25(33%)/3…24(32%)/2…1(1.3%)/1…1(1.3%)

 常々みんなに言っているとおり、成績とは「良くも悪くも自分の取った結果」である。思ったより悪くなかったのかな? (もっとも、評価を甘くしてもらったような気がしないでもないけれど)

 さしあたり自分の課題としては、「勉強を家できっちりやってもらうための方法」「緊張して受けることのできる授業」あたりを目指そうかな、と思った。

 もしせきね(仮名)センセへの所見を書いてくれるなら、"学校生活の日記"によろしくね。

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 慶事。心から祝賀を。

還る。

2003年10月17日 お仕事
 中高一貫・先取り学習の一環で、中3の古典が「児のそら寝」と用言に入っている。・・・なんてまったくの同業者にしかわからない表現だ。
 簡単に言えば、中等部が終わった頃に、普通の高校1年の夏休みくらいまで勉強が進むということだ。

 3年前、4年前、かつて何回もやった授業内容。
 幾人もの職人芸を目の当たりにし、批評を受けてきた授業内容。
 それを、そのままなぞることになる。

 どこでどういう発問をするとどうなるか。
 どういう所でひっかかるか。
 どういう話をするとおもしろいか。

 とても愉しく教壇に立つ。
 耳の底に、かつていっしょに仕事をした人たちの温雅な声を聞きながら。

 もちろん、違うところもある。
 最も違うのは、生徒たちの雰囲気である。

 かつては高校に入学してすぐ、緊張感を持って授業に取り組むことができる者たちばかりであった。
 今は。
 高校で喩えれば2年の後半、学ぶことに意欲のある者のほうが少ないような教室。

 いたらない授業を公開し、指導を仰ぐこと4年にして13回。上を見ればきりが無いが、授業をする力は、現在が最も高いとは思う。
 だが。
 いいところ、4割ほどしかしみ込んでいかない。ひょっとしたら2割ほどかもしれない。

 とにかく面倒なことは避けたがる。
 初めて習う事柄でありながら、活用表ひとつさえも満足にまとめずに、「わからない」を連発する。

 でも、不思議と落胆はしない。
 逆説的に言えば、ここで通じる指導があれば、それは、初めて詳しい古文に触れる高校1年生に絶対に受け入れられるモノだからである。

 ナマイキな言い方をすれば。
 もしこのだらしなくもある生徒たちに知識を身に付けさせることができたならば、そこで初めて、恩義ある人たちの力量を凌駕する可能性が出てくるのである。

 わくわくしてくる。
 救い難い性格だと自分でも思うが。

 わくわくしながら、締め切りを過ぎかけている「後期学習指導計画」を教務係に提出した。

10月…用言
11月…『徒然草』「ある人弓射ることを習ふに」
        「能をつかんとする人」
12月…漢文「蛇足」
     「漁父の利」
     「狐、虎の威を借る」
1月・2月…『伊勢物語』「芥川」or「あづさ弓」
           「筒井筒」
3月…漢文「水魚の交わり」

 チームを組んでいる教員に、「ホントにやるんですか?」と驚かれた。
 用言もやらずに「夢買ふ人の事」(宇治拾遺)なんかやろうと言う人なのに(笑)
 ↑けっこう無謀なのです

 まあ、やれなくても構わないとは思っている。
 所詮、何をやろうとほとんど忘れてしまう。ならば、ひとつの教材を3時間程度で終わらせて同じ発問を繰り返してもいいじゃないか。そうしていくうちに、「あ、コレ、読める」「あ、コレ、解る」となればいい。

通知表返却。

2003年10月10日 お仕事
 昨日の26時までかけて作った通知表を配りました。
 もちろん通常授業はあります。
 なにせ二期制にしたのは「授業時間数を確保するため」ですので。
 ちなみに「教員の健康を確保する」という勤務規定はありません。合掌。

 明日は学校説明会です。8:30から役員。

 誤解しないでほしいのは、自分のやっていることに誇りを持ちたいから、昼夜問わずに仕事をしているのだということ。

 ラクをしようと思えば、いくらでもラクをできる。
 手を抜こうと思えば、いくらでもそうできる。
 担任からの所見ひとりにつき160字前後、半分で済ませる教員もいる。
 短所を列挙してそれでこと足れりとするとする教員もいる。
 所見をクラス全員共通のコメントにしてしまう教員もいる。
 別に、そうしてはならないという規定はない。

 だがボクはそういう教員の仕事ぶりを、軽蔑する。
 職業選択を誤ったのではないかと冷笑しながら問うてみたい気もする。

 こだわりがあったから、38人全員に対して制限字数いっぱいに所見を書き記した。
 すべて違うコメントで、前向きに評価をしている。

 誰も気付かないから手を抜いてもいいというわけではない。

 天と、自分自身がその所行を見ているから。

 まあもっとも、そこらへんを気付く人を見つけたら生涯の忠誠を誓っても良いわけだけれども。
 午前中、講演会。
 2時間にわたって講演を聴くとあって、つかれるものはつかれる。
 それは仕方がないのだが。

 とてつもなくだらしなかった。
 ・・・・・・ウチの組が特に。

 話の途中でぐにゃぐにゃしているし。
 質問コーナーになって他の子が講演者に質問している時に、大きく手を上げて(手を挙げて、ではなく)伸びをしているし。
 講演者が回答している最中に、なんだか知らないが後ろを向いて話をしているし。

 ものすごくがっかりした。
 中高一貫の1年生だと考えて接していたら、小学校7年生であるということを見せつけられてしまった。
 そういう気持ちになった。

 講演後の退場を最後にしてもらって、ウチのクラスだけ怒りました。
 
 礼節って、自分の内面から出てくるもの。
 話を聞く姿勢だって、つかれた/つかれない で変わっていいものではない。

 折に触れて訴え続け、自分でも最大限の礼節を示してきた。
 「・・・その半年間の成果が、コレか」と痛切に思い知った。

 ひさびさに、ボクの中から"仕事成分"が枯渇してしまった土曜日なのでした。
 ふー。

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 やっぱ、読んでいておもしろくない日記になってきたね。
 ごめん。
 高等部の職員室に行って、理科の先生といろいろ話し込む。

 高等部の理科は、物理・化学・生物・地学と分かれているのだが、担任するクラスで、自分が教えているのとは違う分野の理科の平均点が、ものすんごく低いらしい。はっきりと覚えていないのだが、30点行かないだとかなんとか。もちろん満点は100点。
「自分でやってもうまくいかない可能性はあるよ。でもせめて自分で授業を持ちたいよ」と、その教員は言う。

 去年のボクとおんなじだ。
 自分の手出しできないところで悪いことが起きている、この悲しさ。
 「生徒の質問をなるべく多く受けてあげるしかないんじゃないかな」という程度しか言えなかった。

 ただ、ボクには相容れない意見もある。

 その教員は言うのだ。
「高等部3年で担当している文系理科がさ、悩みどころなんだよね。国公立を目指す子たちのために入試問題の過去問をやったりするんだけどさ、文系の私立大を目指している子たちにとって、授業は難しいし必要ないし、で熱意がまったく無いんだよね。内職しているから騒がないだけマシなんだけどさ」

「それは違うんじゃないかな」
 ボクとしては言わざるを得ない。
「授業である限りは、理科をやらせきゃダメでしょ。内職を認めたら、『授業中に授業と関係ないことをやっている』という意味じゃあ、マンガ読んだりケイタイいじっているのと変わらないよ」

 さらにボクは言う。
「私立志望だなんて言っても、先生の担当しているところは、たしか文系国公立クラスじゃなかったっけ?」
「そうだけど」
「じゃあ余計やらせなきゃじゃん。たとえ今年受験するのが私立だけでも、もし浪人したら志望先が国公立になる可能性だってあるし。そしたら先生のやっている理科の授業が大事になってくるかもしれないよ」
「まぁね」
「そもそも、『受験に使わないから理科やりません』『でも理科の成績ください』なんておかしいよ。もし授業を受けないっていうなら、"落第を覚悟して"理科をやらなければいいじゃない。それぐらいの度胸は見せてもらおうじゃん? 高3なんだからさぁ」
「んー」
「絶対、先生の"黙認"に甘えてるって。ボクさぁ、体育教官に対して、"受験に使わないから体育やらずに内職する"なんてヤツ見た時ないよ。あれってさ、怒られるからやらないんだろ?」

「んー」
 その教員は、困ったように笑っていた。
 まあ、この人は他人の助言が受け入れられない時はこうやって笑うのを知っているんだけどね。きっとあと少しの授業のあいだ、同じようにして授業は進んでいくんだろうね。

 寛容と無原則はちがう。

 生徒自身の利益を考えれば、「受験は私立だけ」なんていう狭い視点ではなく、国公立も視野に入れつつ実力を養っていった方が良いように思う。センター試験を受ける前から選択肢を減らしている気がするのだ。

 教員の側から見れば。
 教壇に立つかぎり、「内職を許さない」という気概を捨ててはいけないと思う。そう言いきれるだけのモノが教員になくてはならないだろう。
 ボクは、生徒たちとどんなに親しげでも、教員を始めた当初から「授業を聞け」という姿勢を崩すつもりはなかった。

 基本は、すべて没収。
 ケイタイいじっていたら、没収。
 授業中に鳴ったら、没収。
 マンガ、没収。
 文庫本、没収。
 別の教科の宿題、没収。

 なんかもそもそやっているのを見かけると、ボクはその子のところに近づく。
 授業以外のことをしていると、慌てて何かを隠すんだよね。
 そうすると、ボクは迫るわけだ。
「出しなさい」
 そういう時のボクは、イヤそうな顔をしても退かないのです。
「今しまったものを、出しなさい」
「預かります」

 そうして、皆に対して言う。

 授業は、せきねが責任を持って担当している。
 これは必死になって働いてお金をもらい、そこから学費を出している、キミらの親御さんとの約束だ。
 キミらがアタマ良くなるように、切実に願っている親御さんとの約束だ。
 なんとしても期待に応えなくちゃいけない。
 だから、授業中にちがうことをしていたら。
 その道具はお預かりします。

 ちなみに。
 授業後に「返してください」と言われても、その場では返しません。

 授業中は、せきねの責任でキミのものを預かりました。
 預かったものを返すかどうかは、各クラスによってルールが違います。
 だから担任の先生にご報告をしてお渡しします。
 あとでキミ自身から担任の先生に事情を話してください。
 それで返してもらえるかどうかは決まると思います。

 なんてことを言う。
 結構まじめである。
 担任が授業で起こったことを知らないところから、クラスの雰囲気が崩れていくだろうから。

 もし、ちょっとした気のゆるみだけが原因なら、すぐにモノは返される。
 逆に、毎日いいかげんなことをしていたら、モノはずっと返ってこない。
 すべて本人の日頃の行い次第だ。

 ボクはこういうやりようが良いと思っているんだけど。
 実際はどうなのかなあ。
 最近の若者は年輩を重んじない。
 それは、教員の姿を見ているからである。

 最近の若者はあいさつができない。
 それは、教員の姿を見ているからである。

 最近の若者は勉強をしない。
 それは、教員の姿を見ているからである。

 ===================

 教員は3年やればひととおり仕事ができるようになる。
 正確に言えば、ひととおり仕事ができるような錯覚を持つことができる。
 だからそれ以降は互いが全く同列であるかのように考え、発言をし、同業者を軽んずる。
 そして技量の向上もなくなる。
 かくして、相手を軽んじることでしか自我を維持できない教員ができあがる。
 ふと気付けば、それ以外に拠るべき物がないのだ。

 せきねはどうか?
 こうして堕落していくであろうことを自覚している。

 ===================

 最近の若者は年輩を重んじない。
 それは、自身に先賢への観察力がないからである。

 最近の若者はあいさつができない。
 それは、自身の怠惰さを対象になすりつけているからである。

 最近の若者は勉強をしない。
 それは、自身の将来だけは砂糖菓子でできていると勘違いしているからである。

 ===================

 どんなものからでも、ひらめきを得ることはできる。芸術でも、科学技術でも、新製品でもそうだ。世の中には「反面教師」という言葉さえある。

 相手があいさつをしない。それがなんだというのだ。たとえ教員や名士であろうとも、そいつの品性が下品で愚劣なだけではないか。調子を合わせる必要などない。

 混乱している時代だからこそ、身ひとつで切り抜けていく覚悟が要る。戦場に在る傭兵のように、生き延びるためにありとあらゆる知恵を身につけるのが正しい姿だろう。

 青い鳥は、自分の家にいた。
 幸・不幸は、極まるところ自分の中にしかない。

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