学習合宿1日目・初日。
2006年7月24日 お仕事 「ぐっはー、遅刻ー」と慌てて出発して、到着30分前に集合の時間を1時間間違えていたことに気付く。
まあ。結果的には遅刻しなくて良かったんだけど。
「現地集合」の着くまでにいろいろ気付いたことを、合宿の後半にやって来るクラスの生徒たち向けにwebに載せたいな、と思った。が、自分のケイタイでは更新できない。
生徒にメール送って臨時にその生徒から更新してもらおうと思ったが、それもできなかった。来ている生徒に「おまえのケイタイでweblogの更新できる?」と聞いてまわって「センセはそんなに日記更新したいんですか」と笑われてしまった……。
「しっかりしている」とはとても言えなくて、むしろ「うっかりクラス軍団」とでも言いたいような子たちだから、気になってしまったのである。
おれにとって、かくも担任という仕事は重い。
どうにかしたいのだが、どうにもならない。まあ、なるべく時間に余裕をもって来てくれればどうにかなるだろう、と思い込むことにする。
一方、今までにないくらい楽な仕事をしているように感じた。
合宿の前半グループ・1班には自分の担任する生徒は全くいない。
仕事に対して手抜きをしている気は決して無いのだが、強迫されて判断や対応を強いられないのが、これほど気分を軽くさせることなのだとものすごく実感した。
この実感を。
「いやー、髪の毛増えそう♪」と言ったら。
「自虐的ギャグは突っ込めないから少し減らして♪」と返事。
うぐぅ。
今日の言葉。
まあ。結果的には遅刻しなくて良かったんだけど。
「現地集合」の着くまでにいろいろ気付いたことを、合宿の後半にやって来るクラスの生徒たち向けにwebに載せたいな、と思った。が、自分のケイタイでは更新できない。
生徒にメール送って臨時にその生徒から更新してもらおうと思ったが、それもできなかった。来ている生徒に「おまえのケイタイでweblogの更新できる?」と聞いてまわって「センセはそんなに日記更新したいんですか」と笑われてしまった……。
「しっかりしている」とはとても言えなくて、むしろ「うっかりクラス軍団」とでも言いたいような子たちだから、気になってしまったのである。
おれにとって、かくも担任という仕事は重い。
どうにかしたいのだが、どうにもならない。まあ、なるべく時間に余裕をもって来てくれればどうにかなるだろう、と思い込むことにする。
一方、今までにないくらい楽な仕事をしているように感じた。
合宿の前半グループ・1班には自分の担任する生徒は全くいない。
仕事に対して手抜きをしている気は決して無いのだが、強迫されて判断や対応を強いられないのが、これほど気分を軽くさせることなのだとものすごく実感した。
この実感を。
「いやー、髪の毛増えそう♪」と言ったら。
「自虐的ギャグは突っ込めないから少し減らして♪」と返事。
うぐぅ。
今日の言葉。
責任、無形にかかわらずかくも重いもの
これから合宿の引率に行ってきます。
生徒は2泊3日なのですが、教員はそれを2グループぶん面倒見るので4泊5日という(汗
「だいありぃのーと」のケイタイからの更新の仕方がわからないので、今と同じまま1週間ほど放置です。
では。
生徒は2泊3日なのですが、教員はそれを2グループぶん面倒見るので4泊5日という(汗
「だいありぃのーと」のケイタイからの更新の仕方がわからないので、
では。
むしろ授業進度が速まる。
2006年7月12日 お仕事 痛いときは痛いが、そうでない時はいたって平穏な体調。
いつ突然激痛が起こるか判らない。そうしたら仕事どころではなくなる。
最悪の時は入院しないといかん。
そうすると元気なうちにやれるだけやる、進めるだけ進めておく、という結論になる。
先取りっ。先取りっ。
無事だったら、また後で復習すればいいから。
かくて、「生徒不在の授業」。
と言っても、全部せきね(仮名)が説明してしまうという意味だが。
実は、そういうやりようはわたしの本意から大きくずれている。
教員は、生徒に「学ばせる」のが仕事であると考えられる。
究極のところ、教員が居眠りしていても生徒が勉強すればいいのである。
個人的な独断と偏見なのだが、世の中にはあまりにも親切な先生が多い。
一生懸命に語り、きれいに板書をまとめ、学習内容をまとめていく。
それはとてもすごいことだ。目指すべきことだ。
しかし。
その教室で生徒が寝ていたり、私語が止まなかったり、学習していなければ、どんな授業行為であっても意味を失う。
そんな授業には。
意味が、無いのだ。
なぜもっと強く「学べ」というひとことを放つことができないのだろう。
廊下から見える授業に、たびたび心の中で思う。
なぜ、「やれ」と言えない?
それは、別に教室で暴れるということではなく。
「授業である限り、徹して学び続ける」という当然のことのために。
まともな授業をしなければ殺すぞ、というぐらいの気迫が生徒には何故無いのか。
まともに勉強しなければ殺すぞ、というぐらいの気迫が教員には何故無いのか。
生徒にしろ教員にしろ、緊張感が足りない。ものすごく。
せきね(仮名)の授業では、面倒くさいことに「やれ」が多い。
それは、あまり国語科らしからぬようであるが。
学ばなければ、勉強しなければ、それは少なくとも授業とは呼べないのではないか、と思うからである。
その「やれ」がなくして「生徒の伸びようとする力を信じましょう」などという耳障りだけ良い言論があると、「わたしは信じませんよ」という暴論を吐いて研修会の雰囲気をぶち壊してしまいたくなる。
「なぜか、いつまでも『伸びようとしない』生徒ばっかりなんですよね、見ていると」なんて苦笑混じりに発言するのである。
まあ、高校生にもなれば理屈も言わずに一方的な「やれ」では通じないこともある。そりゃあ相手もほぼ大人だから。
しかし、完全に大人の、趣味の教室ではないのだから、「やりたくない」では済まないのである。
なので、配布物で告知をし、事前に話しておくなどしてルールと要求は明確にするように心がけている。
そのルールは、さほど奇をてらったものではない。
授業中、寝ていて声をかけてもずっと起きなかったら、その時間に応じて遅刻や欠課と同様の出欠席を付ける。
提出物によって相応の平常点を付ける。
音読テスト、暗唱テスト、漢字テストなど、学習行為への評価を積極的に行う。
小テストができなかったら、できるまで放課後などの空き時間を使ってやる。
宿題を家でやって提出できないのだったら、学校でやって提出する。
1年間赤点の続いた者が年度末最後の試験で逆転することは本来とても奇異なことである。したがって、特別な事情を勘案する必要がない限り、国語の追認試験は行わずそのまま留年と判定する。
そうしてこれらのルールによって、せきね(仮名)の学習への評価は年度初めから進行している。
常々生徒に呼びかける、「いっしょに卒業しよう」という言葉はわたしの心の底からの願いだが、かといってそれは無条件に進級・卒業することを意味しない。鍛えに鍛え、練習を重ねてたどりついた部活動の成果のように、苦楽をともにして分かち合うべきものであると強く思う。
弛緩した何の感慨もない年月の経過は、禽獣の持つ時間感覚であろう。
中高一貫部の3分の2ほどの生徒の学校生活はおおよそ理解している。この年度の最後に、進級させるか否か、賛成票を投じるか反対票を投じるかの決断はつけた。(もちろん今後それが変わることもあり得るが)
進級になんら問題のない生徒もいるが。
……教員の判断として、進級に異議を差し挟まねばならぬ生徒も。
折に触れて、改善すべき点については全て本人に話すのだが。
これが。
なかなか通じないのだな。
いつ突然激痛が起こるか判らない。そうしたら仕事どころではなくなる。
最悪の時は入院しないといかん。
そうすると元気なうちにやれるだけやる、進めるだけ進めておく、という結論になる。
先取りっ。先取りっ。
無事だったら、また後で復習すればいいから。
かくて、「生徒不在の授業」。
と言っても、全部せきね(仮名)が説明してしまうという意味だが。
実は、そういうやりようはわたしの本意から大きくずれている。
教員は、生徒に「学ばせる」のが仕事であると考えられる。
究極のところ、教員が居眠りしていても生徒が勉強すればいいのである。
個人的な独断と偏見なのだが、世の中にはあまりにも親切な先生が多い。
一生懸命に語り、きれいに板書をまとめ、学習内容をまとめていく。
それはとてもすごいことだ。目指すべきことだ。
しかし。
その教室で生徒が寝ていたり、私語が止まなかったり、学習していなければ、どんな授業行為であっても意味を失う。
そんな授業には。
意味が、無いのだ。
なぜもっと強く「学べ」というひとことを放つことができないのだろう。
廊下から見える授業に、たびたび心の中で思う。
なぜ、「やれ」と言えない?
それは、別に教室で暴れるということではなく。
「授業である限り、徹して学び続ける」という当然のことのために。
まともな授業をしなければ殺すぞ、というぐらいの気迫が生徒には何故無いのか。
まともに勉強しなければ殺すぞ、というぐらいの気迫が教員には何故無いのか。
生徒にしろ教員にしろ、緊張感が足りない。ものすごく。
せきね(仮名)の授業では、面倒くさいことに「やれ」が多い。
それは、あまり国語科らしからぬようであるが。
学ばなければ、勉強しなければ、それは少なくとも授業とは呼べないのではないか、と思うからである。
その「やれ」がなくして「生徒の伸びようとする力を信じましょう」などという耳障りだけ良い言論があると、「わたしは信じませんよ」という暴論を吐いて研修会の雰囲気をぶち壊してしまいたくなる。
「なぜか、いつまでも『伸びようとしない』生徒ばっかりなんですよね、見ていると」なんて苦笑混じりに発言するのである。
まあ、高校生にもなれば理屈も言わずに一方的な「やれ」では通じないこともある。そりゃあ相手もほぼ大人だから。
しかし、完全に大人の、趣味の教室ではないのだから、「やりたくない」では済まないのである。
なので、配布物で告知をし、事前に話しておくなどしてルールと要求は明確にするように心がけている。
そのルールは、さほど奇をてらったものではない。
授業中、寝ていて声をかけてもずっと起きなかったら、その時間に応じて遅刻や欠課と同様の出欠席を付ける。
提出物によって相応の平常点を付ける。
音読テスト、暗唱テスト、漢字テストなど、学習行為への評価を積極的に行う。
小テストができなかったら、できるまで放課後などの空き時間を使ってやる。
宿題を家でやって提出できないのだったら、学校でやって提出する。
1年間赤点の続いた者が年度末最後の試験で逆転することは本来とても奇異なことである。したがって、特別な事情を勘案する必要がない限り、国語の追認試験は行わずそのまま留年と判定する。
そうしてこれらのルールによって、せきね(仮名)の学習への評価は年度初めから進行している。
常々生徒に呼びかける、「いっしょに卒業しよう」という言葉はわたしの心の底からの願いだが、かといってそれは無条件に進級・卒業することを意味しない。鍛えに鍛え、練習を重ねてたどりついた部活動の成果のように、苦楽をともにして分かち合うべきものであると強く思う。
弛緩した何の感慨もない年月の経過は、禽獣の持つ時間感覚であろう。
中高一貫部の3分の2ほどの生徒の学校生活はおおよそ理解している。この年度の最後に、進級させるか否か、賛成票を投じるか反対票を投じるかの決断はつけた。(もちろん今後それが変わることもあり得るが)
進級になんら問題のない生徒もいるが。
……教員の判断として、進級に異議を差し挟まねばならぬ生徒も。
折に触れて、改善すべき点については全て本人に話すのだが。
これが。
なかなか通じないのだな。
親不知、子不知。(おやしらず、こしらず。)
2006年7月11日 お仕事 コテンと寝てしまって、起きたのは朝の6:30。結果としてまるまる12時間を寝たことになった。
たまたまというか、今日は午前研修というやつで、5限めの授業に間に合うようにすればいいという日だった。
「研修」とは「自由に勉強なりをすればいい」というわけであって、生徒の家に行った時もあったし、普通と同じように朝から学校に出かけていって他の先生の授業から学んだりしたこともある。
わたしの場合、大抵は、前日の夜からがーっと国語のことを考え続ける。
デスクトップのパソコンがこたつテーブルに置いてあり、そのわきにもうひとつテーブルがあって、本とノートを広げ、百科事典のような感じでweb検索をして、調べたことが合っているかを確認している。そうしていろいろ考えたまま寝て、研修の午前中に調べ物を続けたりしている。
まぁ週末の方がそういうことを徹底してやれるんだけど、午前研修もあればあったで使えないことはない。
留守電が入っていて、それは実家の母親からであった。
昨日のことを心配していたのだろう。
時間をみて、電話をかけた。
せきね(仮名)一族には、教員は誰もいない。
もっと言うと、大学を出た者も本当に少ない。
祖父・祖母の代は商売人であり、農家である。
文字通りに、地に根を張るようにして暮らしてきた。
だから、大学に行けば盆と正月がいっぺんに来たかのような騒ぎだし、教員になったと言えばものすごい喜びようだった。
……だった。
実際には、あまりに感覚が違っているようで、どうにもそこがやりきれない思いになる。
もはや、子は成人してずいぶん経つから、学校に入るなんてことはないのだろう。学校に対する考え方が、ニュースやドキュメンタリーやドラマなんかで偏向が強まったものになってしまっていて、時折あまりの頑迷さに辟易してしまう。
今回も、そうなりそうだなと思っていたら、やはりそうなってしまった。
「もう夏休みが近いんだから、再検査まで休みを取ったら?」とか言う。
いや、今の勤め先は夏休み明けすぐに期末試験だから、と言うと。
「勉強する子はするし、しない子はしないから(別に先生が休んだってどうっていうこと無い)」とか。
……そりゃそうなんだけど。
「休んだぶん、試験範囲せまくしちゃえばいいじゃない」
……それじゃ生徒の勉強が薄っぺらになるじゃん。
そんなやりとりから、悪いことでも一族で見ない経験をすることに対しての愚痴が出る。抜け毛があって、いまだに独身で、おまけに今回へたすれば入院に至るような病気の可能性。
全部まとめて「誰かが積極的に評価して大切にしてくれるわけでもなし、自分を犠牲にしたり体を壊したりするほど仕事をすることはない」ということになってしまう。
だいたいのことは黙って流すのだけれど、仕事のことばかりはそういかない。
いつまで独身だろうが、ストレスで体を悪くしようがソンナモノは些事でしかない。
今の世に、うまくいって当たり前、少しでも至らないことがあればさんざんバッシングされる教員という仕事をしているのだから、少々の不具合など出てきて当然、むしろ今まで救急車に乗らなかったのが幸いと言うべきだ。
結石程度では人は死なない。(むちゃくちゃ痛いけど)
そもそも。
生き死にとは、自分の意志でどうにか成るようなものでは無い。
家族がどう心配しようと。
人は意思に因らず勝手に生き、勝手に死んでいく。
そこまで言ってしまった。
もしかしたら、話が終わってから。
電話の向こうで泣いたかもしれない。
親は、いつまで経っても家族のことが心配で、第一なのだと思う。
子だって、いつまでも親は親だ。できれば第一に考えたいけれど。
だいたい、偉そうに言ったって。
きっと。
教室には、菓子の袋が放置されているだろう。
掃除場所の階段は、埃がたまっているだろう。
授業では。
相変わらず適当に聞いているふりをして。
適当におしゃべりをし。
適当に居眠りをする。
叱っても、たいして変わらないだろう。
それでも。
どれだけ苦しくても。
生徒たちへのいとおしさは何故か已まない。
それは。
むしろ表れる言葉としてはキツイ。
ペットを飼うように愛玩し、飽きたら捨てるのとは違うから。
生徒たちが世界に出ていって、相手にされないのでは哀しいから。
ただただ「かわいい」「かわいい」と言うことでは意味がないから。
そもそもが。
わたしがやろうと決め、やりたいと願った仕事だから。
たまたまというか、今日は午前研修というやつで、5限めの授業に間に合うようにすればいいという日だった。
「研修」とは「自由に勉強なりをすればいい」というわけであって、生徒の家に行った時もあったし、普通と同じように朝から学校に出かけていって他の先生の授業から学んだりしたこともある。
わたしの場合、大抵は、前日の夜からがーっと国語のことを考え続ける。
デスクトップのパソコンがこたつテーブルに置いてあり、そのわきにもうひとつテーブルがあって、本とノートを広げ、百科事典のような感じでweb検索をして、調べたことが合っているかを確認している。そうしていろいろ考えたまま寝て、研修の午前中に調べ物を続けたりしている。
まぁ週末の方がそういうことを徹底してやれるんだけど、午前研修もあればあったで使えないことはない。
留守電が入っていて、それは実家の母親からであった。
昨日のことを心配していたのだろう。
時間をみて、電話をかけた。
せきね(仮名)一族には、教員は誰もいない。
もっと言うと、大学を出た者も本当に少ない。
祖父・祖母の代は商売人であり、農家である。
文字通りに、地に根を張るようにして暮らしてきた。
だから、大学に行けば盆と正月がいっぺんに来たかのような騒ぎだし、教員になったと言えばものすごい喜びようだった。
……だった。
実際には、あまりに感覚が違っているようで、どうにもそこがやりきれない思いになる。
もはや、子は成人してずいぶん経つから、学校に入るなんてことはないのだろう。学校に対する考え方が、ニュースやドキュメンタリーやドラマなんかで偏向が強まったものになってしまっていて、時折あまりの頑迷さに辟易してしまう。
今回も、そうなりそうだなと思っていたら、やはりそうなってしまった。
「もう夏休みが近いんだから、再検査まで休みを取ったら?」とか言う。
いや、今の勤め先は夏休み明けすぐに期末試験だから、と言うと。
「勉強する子はするし、しない子はしないから(別に先生が休んだってどうっていうこと無い)」とか。
……そりゃそうなんだけど。
「休んだぶん、試験範囲せまくしちゃえばいいじゃない」
……それじゃ生徒の勉強が薄っぺらになるじゃん。
そんなやりとりから、悪いことでも一族で見ない経験をすることに対しての愚痴が出る。抜け毛があって、いまだに独身で、おまけに今回へたすれば入院に至るような病気の可能性。
全部まとめて「誰かが積極的に評価して大切にしてくれるわけでもなし、自分を犠牲にしたり体を壊したりするほど仕事をすることはない」ということになってしまう。
だいたいのことは黙って流すのだけれど、仕事のことばかりはそういかない。
いつまで独身だろうが、ストレスで体を悪くしようがソンナモノは些事でしかない。
今の世に、うまくいって当たり前、少しでも至らないことがあればさんざんバッシングされる教員という仕事をしているのだから、少々の不具合など出てきて当然、むしろ今まで救急車に乗らなかったのが幸いと言うべきだ。
結石程度では人は死なない。(むちゃくちゃ痛いけど)
そもそも。
生き死にとは、自分の意志でどうにか成るようなものでは無い。
家族がどう心配しようと。
人は意思に因らず勝手に生き、勝手に死んでいく。
そこまで言ってしまった。
もしかしたら、話が終わってから。
電話の向こうで泣いたかもしれない。
親は、いつまで経っても家族のことが心配で、第一なのだと思う。
子だって、いつまでも親は親だ。できれば第一に考えたいけれど。
だいたい、偉そうに言ったって。
きっと。
教室には、菓子の袋が放置されているだろう。
掃除場所の階段は、埃がたまっているだろう。
授業では。
相変わらず適当に聞いているふりをして。
適当におしゃべりをし。
適当に居眠りをする。
叱っても、たいして変わらないだろう。
それでも。
どれだけ苦しくても。
生徒たちへのいとおしさは何故か已まない。
それは。
むしろ表れる言葉としてはキツイ。
ペットを飼うように愛玩し、飽きたら捨てるのとは違うから。
生徒たちが世界に出ていって、相手にされないのでは哀しいから。
ただただ「かわいい」「かわいい」と言うことでは意味がないから。
そもそもが。
わたしがやろうと決め、やりたいと願った仕事だから。
「学校での子どもの様子がわからん〜」という親御さんがかなり多いことに驚く。それじゃこまりますよ。普段のことぐらい話しなさいってば学校では楽しくやっているのだから(汗
というわけで、前日比1.5倍で生徒諸君の小悪事ちょっといい話を連発。"今明かされる衝撃の事実"にびっくりしたり笑ったりという懇談会に。
…… だ か ら ウ ケ を 狙 っ て ど う す る (笑)
終了予定時刻を15分過ぎてしまったのは反省点。
今週はめいいっぱいきつかったからか、帰宅したらそのまま昼寝してしまった。
そうして夕方に起き出して、のんびりのんびり。
というわけで、前日比1.5倍で生徒諸君の
…… だ か ら ウ ケ を 狙 っ て ど う す る (笑)
終了予定時刻を15分過ぎてしまったのは反省点。
今週はめいいっぱいきつかったからか、帰宅したらそのまま昼寝してしまった。
そうして夕方に起き出して、のんびりのんびり。
手詰まり、意外と致命的。
2006年6月22日 お仕事 試験の結果なんぞ「良い点数」であるのが、みんな一番の幸せであるはずである。
教員だってにこにこしながら採点して、自分の仕事が楽しくなったり。
保護者だって子どもが良い点数を取ればコヅカイでもやろうかなとか思ったり。
生徒だってそりゃ成績が悪いより良い方が嬉しかろう。
授業とは真剣な学びの場である。ゆえにせきね(仮名)が授業中に要求することは細かいし、しつこい。
けれども厳しいだけが自分の本意であるというわけでは、無い。
別に生徒を落第させたいわけでは無い。
別に同僚とことを構えたいわけでも無い。
できることならば、みんな明るく楽しいのが一番だと思っている。
かといって安易に楽な試験ばかりを作り、それが卒業した後に何の進路にも繋がらないのではどうしようもないのである。
だから。
笑うべき時にきちんと笑うことができるように、きちんとするべき時にきちんとすることを求め、そして皆で喜べるのが一番なのだ。
これは現在担当している生徒だけにとどまらない。
今担当していない生徒たちに対しても、同じく考えている。
もうどうしようもなくやる気の無い生徒は別として。
少しでも成績を良くしたいと思う生徒に、自分は何かできることはないか。
たとえ違うクラスであっても、「良い点でよかった」「がんばってよかった」と思えるような試験の結果に、繋がるようにはできないか。
そうしてまずともかくも、他の担当の授業がどうなっているか知るべきであろうと思った。現状の認識から、何とかして向上の策を模索し、その策を学年で実施をし、国語全体の水準を引き上げる。
担当しているクラスの授業を実習生に任せ、同じ時間に行われている他クラスに出かけていく。
教科担当の許可を取り、教室の後ろに入る。
……そこまでだった。
せきね(仮名)が、取り立てて目立つようなことをしたわけでもない。
ただそっと教室に入っただけで、授業開始のあいさつもままならない、騒然とした状態になってしまったのである。
これではどうにもならない。
授業担当に謝罪をして、すぐにそこから撤退するしかなかった。
もちろん、授業後に残っている板書からも得られるものは有る。
料理人の見習いが師匠の料理の鍋に残ったスープを舐めて味の研究をするように、どんな授業が行われていたかをたどろうということには敏感でいたいと思っている。
けれども、授業のその場にいて、40人の生徒たちの動きと教員の発する声の調子、板書のありようを見ることができるかどうかで、授業に対する理解は雲泥の差となるのである。
もし仮にその授業形式に適したワークシートを作成し、学年全体で活用することができれば、"みんなが嬉しい"世界に到達できるはずなのに。
課題があれば、まず現場へ。
刑事ではないが、実情に即した善後策を立てるためには、現場である教室に飛び込まなければならないはずなのに。
しかし、教室に行けば。
「滅多にないイベントだ」と浮かれてしまう者。
「自分は何も悪いことをしていないのに」と勝手に敵意を積み上げる者。
これでは、どこをどうすれば良いのかという決断ができない。
誰も嬉しくならない悪循環の入り口が足元にあるかのように感じてしまう。
心の片隅で、生徒たちの無邪気さが、幼さが恨めしい。
思い返せば。
中等部のころからそうだったか。
この生徒たちを担当して何度目かの苦い思いを、またもかみしめることになってしまった。
教員だってにこにこしながら採点して、自分の仕事が楽しくなったり。
保護者だって子どもが良い点数を取ればコヅカイでもやろうかなとか思ったり。
生徒だってそりゃ成績が悪いより良い方が嬉しかろう。
授業とは真剣な学びの場である。ゆえにせきね(仮名)が授業中に要求することは細かいし、しつこい。
けれども厳しいだけが自分の本意であるというわけでは、無い。
別に生徒を落第させたいわけでは無い。
別に同僚とことを構えたいわけでも無い。
できることならば、みんな明るく楽しいのが一番だと思っている。
かといって安易に楽な試験ばかりを作り、それが卒業した後に何の進路にも繋がらないのではどうしようもないのである。
だから。
笑うべき時にきちんと笑うことができるように、きちんとするべき時にきちんとすることを求め、そして皆で喜べるのが一番なのだ。
これは現在担当している生徒だけにとどまらない。
今担当していない生徒たちに対しても、同じく考えている。
もうどうしようもなくやる気の無い生徒は別として。
少しでも成績を良くしたいと思う生徒に、自分は何かできることはないか。
たとえ違うクラスであっても、「良い点でよかった」「がんばってよかった」と思えるような試験の結果に、繋がるようにはできないか。
そうしてまずともかくも、他の担当の授業がどうなっているか知るべきであろうと思った。現状の認識から、何とかして向上の策を模索し、その策を学年で実施をし、国語全体の水準を引き上げる。
担当しているクラスの授業を実習生に任せ、同じ時間に行われている他クラスに出かけていく。
教科担当の許可を取り、教室の後ろに入る。
……そこまでだった。
せきね(仮名)が、取り立てて目立つようなことをしたわけでもない。
ただそっと教室に入っただけで、授業開始のあいさつもままならない、騒然とした状態になってしまったのである。
これではどうにもならない。
授業担当に謝罪をして、すぐにそこから撤退するしかなかった。
もちろん、授業後に残っている板書からも得られるものは有る。
料理人の見習いが師匠の料理の鍋に残ったスープを舐めて味の研究をするように、どんな授業が行われていたかをたどろうということには敏感でいたいと思っている。
けれども、授業のその場にいて、40人の生徒たちの動きと教員の発する声の調子、板書のありようを見ることができるかどうかで、授業に対する理解は雲泥の差となるのである。
もし仮にその授業形式に適したワークシートを作成し、学年全体で活用することができれば、"みんなが嬉しい"世界に到達できるはずなのに。
課題があれば、まず現場へ。
刑事ではないが、実情に即した善後策を立てるためには、現場である教室に飛び込まなければならないはずなのに。
しかし、教室に行けば。
「滅多にないイベントだ」と浮かれてしまう者。
「自分は何も悪いことをしていないのに」と勝手に敵意を積み上げる者。
これでは、どこをどうすれば良いのかという決断ができない。
誰も嬉しくならない悪循環の入り口が足元にあるかのように感じてしまう。
心の片隅で、生徒たちの無邪気さが、幼さが恨めしい。
思い返せば。
中等部のころからそうだったか。
この生徒たちを担当して何度目かの苦い思いを、またもかみしめることになってしまった。
実習のまとめ、研究授業。
2006年6月20日 お仕事 長いようで短いような3週間の教育実習期間も、今日・明日で終わる。
いよいよ、教育実習での評価が下る、研究授業をしなければならない。
3クラスのうちの、どこのクラスで研究授業をしようか、という話は早くからあった。
3クラスとも中高一貫で、特進クラスと、普通クラスと、担任をしているクラス。
どこもそれぞれのクラスの雰囲気があって、また何時間目かによっても、やはりずいぶんと授業の雰囲気が違う。
「せきね(仮名)センセが研究授業をするとしたら、どのクラスでやりますか?」
その問いには、即答して言ったように思う。
「担任していない普通クラスの、午後もしくは1限めですね」
わたしが研究授業を行う一番の目的は、『今より良い授業をするため』という、ただひとつしかない。
そのためには。
最も不得意な教材や、最も労力を要するクラスで授業をして、それを見た他の教員からアドバイスを受けてマシになるしかない。
昨年度は、最も不得意な教材で、最も集中させる雰囲気を出しづらかったクラスで授業の公開をした。そこで敢えて厳しい評価や課題点を挙げてもらったことで、自分はおおいに学ぶことができたと思う。
だから。
今もし研究授業をやれと言われたら、わたしは担任をしていない普通クラスの、1限目か6限目を選ぶだろう。もちろんそれ以外でも指導してくださる方がいればものすごく有り難いし、日程の都合もあるわけだが。
担任している生徒たちもいとおしい。
けれども、気持ちで寄り掛かってしまうかもしれない。
特進クラスの生徒たちはすばらしい。
けれども、生徒たちの能力に寄り掛かってしまうかもしれない。
わたしは残りおよそ30年、教員をやっていきたいと思っているから、研究授業はそういうふうにやりたいと思っている。
「けれども先生の場合は」
実習生に言った。
実習生の研究授業は、大学の試験と同じように、その成果で評価が下るという大切な研究授業である。
決して課題山積の授業をしているわけではない。むしろ、並の教諭よりも良い授業展開をしているかもしれない。
だから、特進クラスの4時間目というこの上なく良い環境で、安心して研究授業をしてはどうか。
それはそれで、良いのではないかと思う。
こんなことを言うと、「しばらく考えます」と返事をした。
生徒に対するのと同じで。
細かいことでも直すといいなと思うことは、必ず言う。
大事な決断については、その選択をするとどうなるかの予測をしたあと、基本的に放置。
「自分で納得のいくこと」
「後悔してもしなくても、自分で選ぶこと」
これが一番大切だと思うから。
「担任しているクラスの、5時間目にします」
次の日、実習生はそう言った。
担任が言うのもナンだが、決して行儀のいい生徒たちではない。飽きれば授業への関心を失うし、時間や雰囲気にルーズな面はあるし、叱ったりなだめたりして、ようやく高入生と同レベル程度の国語の力を保っているのである。
実はムチャクチャかわいがっているけれども、毎日毎日叱らない日が無いような生徒たち。
しかも昼休みの後の授業。
「……いいんですか?」
「ええと、たしかに遊びから戻って来ない心配もあるんですけど、実習の担任クラスの生徒たちですから、ここで研究授業をやって、たとえどんな結果になっても納得できると思うんです」
すごいなあ。
しっかり考えて決断をして、そうして出した結果にウチのクラスを選んでくれた。それが我が事のように嬉しかった。
そうして。
参観した教員が10人を超えるほどで、あとで「自分で何を言っているか覚えていないところもあった」と言いつつも、悠然と研究授業をやりきったのである。
普段と同様、いやむしろ細かな流れは洗練されていた。
しかも、終了時間までぴったりという。
きっと「良い授業をしよう」という気迫が、ベストの結果をもたらしたのだろうと思う。
やはりどう考えても。
この期間で一番学んだのは自分のようである。
いよいよ、教育実習での評価が下る、研究授業をしなければならない。
3クラスのうちの、どこのクラスで研究授業をしようか、という話は早くからあった。
3クラスとも中高一貫で、特進クラスと、普通クラスと、担任をしているクラス。
どこもそれぞれのクラスの雰囲気があって、また何時間目かによっても、やはりずいぶんと授業の雰囲気が違う。
「せきね(仮名)センセが研究授業をするとしたら、どのクラスでやりますか?」
その問いには、即答して言ったように思う。
「担任していない普通クラスの、午後もしくは1限めですね」
わたしが研究授業を行う一番の目的は、『今より良い授業をするため』という、ただひとつしかない。
そのためには。
最も不得意な教材や、最も労力を要するクラスで授業をして、それを見た他の教員からアドバイスを受けてマシになるしかない。
昨年度は、最も不得意な教材で、最も集中させる雰囲気を出しづらかったクラスで授業の公開をした。そこで敢えて厳しい評価や課題点を挙げてもらったことで、自分はおおいに学ぶことができたと思う。
だから。
今もし研究授業をやれと言われたら、わたしは担任をしていない普通クラスの、1限目か6限目を選ぶだろう。もちろんそれ以外でも指導してくださる方がいればものすごく有り難いし、日程の都合もあるわけだが。
担任している生徒たちもいとおしい。
けれども、気持ちで寄り掛かってしまうかもしれない。
特進クラスの生徒たちはすばらしい。
けれども、生徒たちの能力に寄り掛かってしまうかもしれない。
わたしは残りおよそ30年、教員をやっていきたいと思っているから、研究授業はそういうふうにやりたいと思っている。
「けれども先生の場合は」
実習生に言った。
実習生の研究授業は、大学の試験と同じように、その成果で評価が下るという大切な研究授業である。
決して課題山積の授業をしているわけではない。むしろ、並の教諭よりも良い授業展開をしているかもしれない。
だから、特進クラスの4時間目というこの上なく良い環境で、安心して研究授業をしてはどうか。
それはそれで、良いのではないかと思う。
こんなことを言うと、「しばらく考えます」と返事をした。
生徒に対するのと同じで。
細かいことでも直すといいなと思うことは、必ず言う。
大事な決断については、その選択をするとどうなるかの予測をしたあと、基本的に放置。
「自分で納得のいくこと」
「後悔してもしなくても、自分で選ぶこと」
これが一番大切だと思うから。
「担任しているクラスの、5時間目にします」
次の日、実習生はそう言った。
担任が言うのもナンだが、決して行儀のいい生徒たちではない。飽きれば授業への関心を失うし、時間や雰囲気にルーズな面はあるし、叱ったりなだめたりして、ようやく高入生と同レベル程度の国語の力を保っているのである。
実はムチャクチャかわいがっているけれども、毎日毎日叱らない日が無いような生徒たち。
しかも昼休みの後の授業。
「……いいんですか?」
「ええと、たしかに遊びから戻って来ない心配もあるんですけど、実習の担任クラスの生徒たちですから、ここで研究授業をやって、たとえどんな結果になっても納得できると思うんです」
すごいなあ。
しっかり考えて決断をして、そうして出した結果にウチのクラスを選んでくれた。それが我が事のように嬉しかった。
そうして。
参観した教員が10人を超えるほどで、あとで「自分で何を言っているか覚えていないところもあった」と言いつつも、悠然と研究授業をやりきったのである。
普段と同様、いやむしろ細かな流れは洗練されていた。
しかも、終了時間までぴったりという。
きっと「良い授業をしよう」という気迫が、ベストの結果をもたらしたのだろうと思う。
やはりどう考えても。
この期間で一番学んだのは自分のようである。
先日に実施した中間試験は、国語総合と世界史Bの2科目が中高一貫生・高校入学生を問わず、同じ問題で行われた。
こんなことは、実際にはそうそう無いことである。
下手をするとそれぞれのクラスによって全部問題が異なってしまっていて、クラス内得点以外の比較ができないことさえある。
そもそも試験というもの自体が。
多いようでいても、落ち着いて考えると滅多に無いものなのだ。
なのでつい、出てきた結果にこだわってしまう。ただ「共通問題だった」というだけではもったいないので、この結果が示す意味をどう読みとることができるかと考える。
そうして今日は。
おおよそ出揃った得点から、学年全体で国語の順位をつけて並べてみた。
1番から、最下位まで。
中学って、なんなのだろう。
高校って、なんなのだろう。
授業って、なんなのだろう。
宿題って、なんなのだろう。
生徒とは。教員とは。教室とは。家庭とは。
国語とは、なんなのだろう。
人文科学の学徒として、これほど興味深いこともそう無い。
教員として、どの生徒が、どうすると、どうなるのか、それも見えてくる。
分析とは大事だな、という当たり前のことを感じる。
あとはウラ。
こんなことは、実際にはそうそう無いことである。
下手をするとそれぞれのクラスによって全部問題が異なってしまっていて、クラス内得点以外の比較ができないことさえある。
そもそも試験というもの自体が。
多いようでいても、落ち着いて考えると滅多に無いものなのだ。
なのでつい、出てきた結果にこだわってしまう。ただ「共通問題だった」というだけではもったいないので、この結果が示す意味をどう読みとることができるかと考える。
そうして今日は。
おおよそ出揃った得点から、学年全体で国語の順位をつけて並べてみた。
1番から、最下位まで。
中学って、なんなのだろう。
高校って、なんなのだろう。
授業って、なんなのだろう。
宿題って、なんなのだろう。
生徒とは。教員とは。教室とは。家庭とは。
国語とは、なんなのだろう。
人文科学の学徒として、これほど興味深いこともそう無い。
教員として、どの生徒が、どうすると、どうなるのか、それも見えてくる。
分析とは大事だな、という当たり前のことを感じる。
あとはウラ。
水曜なのに木曜な時間割のせきね(仮名)。
2006年6月14日 お仕事 コメント (3)教育実習・田村隆一「木」3回目。
1限目、厳しく評価してC。らしからぬ凡ミスあり。
4限目、A’。もう少し厳しくやった方が生徒の力が付くかもしれない。
6限目、A。あれだけヘンな始まりを「うるさい!」などと大声を出さずにきちんと捌いて普通の授業に持っていったところがすごい。
指導教官は教育実習生の評価をして成績を出す(そして大学に結果を送る)わけだが、それと同時に今まで通り生徒の授業態度を評価している。せきね(仮名)の頭の中では当然すぎるほど自明だったのだが、そのことを生徒の前で言ったら驚かれる。いや、後ろから見ていてしょうもない授業態度の生徒や、真剣に取り組んでいる生徒の、それぞれに対する評価をしているのである。
放課後の掃除は、監督を全くしない。
昨日の話の通り、教員という他者に信用を求め、その言葉のままにできるかどうか、内心は信用を勝ち取るような行動を願いつつ、敢えて放置しておく。
生物・世界史の教員と打ち合わせ。
どんな結果であろうと、不屈に善後策を講じるしか無い。
生物の教員には「氏名・課題のメモさえもらえれば、居残りをさせて担任が監督をしても構わないから、とにかく勉強をやらせるようにする」、世界史の教員には「『孫子』にあるように、ひとたび教壇に立てば、教科担当の独断によって最高の結果を目指していって構わない」とお話しする。
それだけ、ためらいを許さないような成績のワケである。
文芸部の部誌印刷。
とても時間がないので、悪いなと思いつつ、せきね(仮名)の主導でやらせてもらう。20分で終了。
職員室で実習の反省、打ち合わせ。
6限に見学した実習生も含め、4人に対して話をさせていただく。別に偉ぶるわけでもなく、「この指導教官はこんなことを見ているんだ」という参考として。
国語科の退職された先生も交えての懇親会・柴又。
年に1回なので、忙しいと思いつつ参加。古今を通じて変わらない原則は、やはり存在するように思う。
21:00過ぎに国語科懇親会より帰還、保護者会資料の第1案作成。
親御さんのほとんどが絶望の余りに家へ帰れなくなるような資料ができあがってしまう。……多分この資料は作り直しだな。
せっかく学校に来てくれるのだから何か得したと思えるような保護者会にしたい。
これがせきね(仮名)の基本方針である。そうしてやってきて、今まで保護者会はきらいな方ではなかったが、今回だけは笑って解散できそうにない。……「今回だけ」と思いたい。「これからずっと」ではつらすぎる。
同じ学校、それも学年で持ち上がり続けている担任である。
今回個別に話すことは、せきね(仮名)からはほとんど無い。
個別面談をやっても、おそらく今までの担任が話してきた内容から外には出ないであろうとしか思えないのである。まして今回のクラスはかなりの数の「親御さん」を知っているくらいである。
だから、個別に話すことはほぼ無い。
けれども、全体に大学への推薦や、文系・理系クラスについて、成績について、話すことは多々ある。なので今回の保護者会は懇談会形式で行う。
それでウチのクラスの一般的な生徒を仮定してみたのだが。
……どこからどう見てもキビシイ。
かと言って、ウソをついてもどうしようもない。
あと1週間かけて、もう少し考えよう。
1限目、厳しく評価してC。らしからぬ凡ミスあり。
4限目、A’。もう少し厳しくやった方が生徒の力が付くかもしれない。
6限目、A。あれだけヘンな始まりを「うるさい!」などと大声を出さずにきちんと捌いて普通の授業に持っていったところがすごい。
指導教官は教育実習生の評価をして成績を出す(そして大学に結果を送る)わけだが、それと同時に今まで通り生徒の授業態度を評価している。せきね(仮名)の頭の中では当然すぎるほど自明だったのだが、そのことを生徒の前で言ったら驚かれる。いや、後ろから見ていてしょうもない授業態度の生徒や、真剣に取り組んでいる生徒の、それぞれに対する評価をしているのである。
放課後の掃除は、監督を全くしない。
昨日の話の通り、教員という他者に信用を求め、その言葉のままにできるかどうか、内心は信用を勝ち取るような行動を願いつつ、敢えて放置しておく。
生物・世界史の教員と打ち合わせ。
どんな結果であろうと、不屈に善後策を講じるしか無い。
生物の教員には「氏名・課題のメモさえもらえれば、居残りをさせて担任が監督をしても構わないから、とにかく勉強をやらせるようにする」、世界史の教員には「『孫子』にあるように、ひとたび教壇に立てば、教科担当の独断によって最高の結果を目指していって構わない」とお話しする。
それだけ、ためらいを許さないような成績のワケである。
文芸部の部誌印刷。
とても時間がないので、悪いなと思いつつ、せきね(仮名)の主導でやらせてもらう。20分で終了。
職員室で実習の反省、打ち合わせ。
6限に見学した実習生も含め、4人に対して話をさせていただく。別に偉ぶるわけでもなく、「この指導教官はこんなことを見ているんだ」という参考として。
国語科の退職された先生も交えての懇親会・柴又。
年に1回なので、忙しいと思いつつ参加。古今を通じて変わらない原則は、やはり存在するように思う。
21:00過ぎに国語科懇親会より帰還、保護者会資料の第1案作成。
親御さんのほとんどが絶望の余りに家へ帰れなくなるような資料ができあがってしまう。……多分この資料は作り直しだな。
せっかく学校に来てくれるのだから何か得したと思えるような保護者会にしたい。
これがせきね(仮名)の基本方針である。そうしてやってきて、今まで保護者会はきらいな方ではなかったが、今回だけは笑って解散できそうにない。……「今回だけ」と思いたい。「これからずっと」ではつらすぎる。
同じ学校、それも学年で持ち上がり続けている担任である。
今回個別に話すことは、せきね(仮名)からはほとんど無い。
個別面談をやっても、おそらく今までの担任が話してきた内容から外には出ないであろうとしか思えないのである。まして今回のクラスはかなりの数の「親御さん」を知っているくらいである。
だから、個別に話すことはほぼ無い。
けれども、全体に大学への推薦や、文系・理系クラスについて、成績について、話すことは多々ある。なので今回の保護者会は懇談会形式で行う。
それでウチのクラスの一般的な生徒を仮定してみたのだが。
……どこからどう見てもキビシイ。
かと言って、ウソをついてもどうしようもない。
あと1週間かけて、もう少し考えよう。
放課後のせきね(仮名)。
2006年6月13日 お仕事 コメント (2)帰りの会に教室へ行ったら、つぼみのままでバラの花が飛び散っているのを発見。花の命は短くて……じゃねーよ。やや怒り。
「置いた花が傷んでしまう教室」なんか、まともな教室ではない。
ウチの生徒は、教室の中でボール遊びをするのである。よりによってサッカーやバレーをするのである。小学生だってやらないだろう……いや、最近の小学校はソウイウノが流行なのだろうか。
ボール遊びをしているのを注意するのは、1回や2回ではない。今年度になってから、複数の教員に両手の指に余るぐらい注意され続けているのであるから学校を舐めている。
「『外で遊べ』という指導をし続け、そのことひとつさえ守れない者に、何を言っても無駄。これはお前たちに言葉で説き続けてきたせきね(仮名)の不明である。今後ボールを持っているのを見かけるたびに、どこであろうが必ず没収する」
そう述べて帰りの会を終わらせる。
何の関係もない高入生が遊んでいても、皆の前でボールを没収したせきね(仮名)である。残念な限りだが、外で遊ぶにしても鬼ごっこあたりにしてもらうしかあるまい。
……そう思ったら放課後すぐにボール遊びをしていた生徒たちが寄ってきた。話し合いの末に、「今年度いっぱい、校舎内でボール遊び・バドミントンをしない」という約束をする。約束を破ったら、たとえ誰のものであっても「没収・捨てる・使えないように壊す」ということに。さらに「高3で大学への推薦があった際に、せきね(仮名)は必ず反対票を投じる」ことも述べる。ここまでが約束で、今までの反省として、7日間の掃除当番も。
学校が「教育を行う施設」であるかぎり。
「学ぶことを強いるのが教育である」という意味において、「学校には人権なぞ無い」。
したがって、マンガだろうがケイタイだろうがボールだろうが、学習の妨げとなる遊び道具すべてを没収するのがいちばん後腐れなくて楽なのだが。
あと少しだけ見守る機会を持ってもいいかもしれない。
文芸部がミニ文化祭のために印刷作業。顧問ゆえに印刷室へ付き添い。
ばっちり2時間以上かかる。
印刷途中でページ数がおかしくなったらしい。
……いや、印刷室に来る前にコピーで見本誌ぐらい作っておいた方が良いんじゃないかと。ページ数だけじゃなくて原稿がどっち向きとか印刷の濃さがどうとかを印刷室で話し合う前にさぁ。
たっぷり待たせてしまった実習生に謝罪しつつ、授業の検討と実習日誌の点検。
本当に何も問題が無い(もしくはせきね(仮名)程度にはもはや改善案が見あたらない)ので、「もうそろそろセンセイひとりだけで授業しませんか」と言うと、「それだけは困ります」……らしい。いつか教員となった時に役に立つような、充実した実習になるのが第一だと思っているので、指導教官が居て思い切って授業できないなら居なくてもいいだろう、と思うのだが、どうやら居た方がいいようで。さいですか。
ホント細かいことを打ち合わせして終了。なんか20:30を過ぎていたりして。慣れない控室でじっとしていて煮詰まってもいけないので、授業展開を考えるにしても家に帰るよう勧める。
中間試験のデータが揃っているのを確認し、検討する。
国語総合の成績、一貫生全員のぶんを眺めて考え込む。
なんと言おうと、今現在、誰が国語の責を負うかと言えばやはりせきね(仮名)だろうな、と思う。だから、教科担当になっていてもそうでなくても、できることなら何とか良い形にしたい。勉強をする気がなければ手の届かせようが無いが、少しでも気のある者には、何とかその道を作っておきたいとは思うのである。
仕事の実力も、我が儘を通す権力も、後押しをする援護も、何もかもがかなり不足しているのは承知の上で、それでもなお担任グループの苦労に報いたい、親御さんを嘆かさないようにしたい、生徒たちが良い成績を自慢しあえるようにしたい、そう思う気持ちは絶えず心に止まない。
そうして。
何かをする時の第一歩は、状況の分析からである。
21:30を過ぎて帰宅。
今日も、長いようであっという間な放課後が終わる。
「置いた花が傷んでしまう教室」なんか、まともな教室ではない。
ウチの生徒は、教室の中でボール遊びをするのである。よりによってサッカーやバレーをするのである。小学生だってやらないだろう……いや、最近の小学校はソウイウノが流行なのだろうか。
ボール遊びをしているのを注意するのは、1回や2回ではない。今年度になってから、複数の教員に両手の指に余るぐらい注意され続けているのであるから学校を舐めている。
「『外で遊べ』という指導をし続け、そのことひとつさえ守れない者に、何を言っても無駄。これはお前たちに言葉で説き続けてきたせきね(仮名)の不明である。今後ボールを持っているのを見かけるたびに、どこであろうが必ず没収する」
そう述べて帰りの会を終わらせる。
何の関係もない高入生が遊んでいても、皆の前でボールを没収したせきね(仮名)である。残念な限りだが、外で遊ぶにしても鬼ごっこあたりにしてもらうしかあるまい。
……そう思ったら放課後すぐにボール遊びをしていた生徒たちが寄ってきた。話し合いの末に、「今年度いっぱい、校舎内でボール遊び・バドミントンをしない」という約束をする。約束を破ったら、たとえ誰のものであっても「没収・捨てる・使えないように壊す」ということに。さらに「高3で大学への推薦があった際に、せきね(仮名)は必ず反対票を投じる」ことも述べる。ここまでが約束で、今までの反省として、7日間の掃除当番も。
学校が「教育を行う施設」であるかぎり。
「学ぶことを強いるのが教育である」という意味において、「学校には人権なぞ無い」。
したがって、マンガだろうがケイタイだろうがボールだろうが、学習の妨げとなる遊び道具すべてを没収するのがいちばん後腐れなくて楽なのだが。
あと少しだけ見守る機会を持ってもいいかもしれない。
文芸部がミニ文化祭のために印刷作業。顧問ゆえに印刷室へ付き添い。
ばっちり2時間以上かかる。
印刷途中でページ数がおかしくなったらしい。
……いや、印刷室に来る前にコピーで見本誌ぐらい作っておいた方が良いんじゃないかと。ページ数だけじゃなくて原稿がどっち向きとか印刷の濃さがどうとかを印刷室で話し合う前にさぁ。
たっぷり待たせてしまった実習生に謝罪しつつ、授業の検討と実習日誌の点検。
本当に何も問題が無い(もしくはせきね(仮名)程度にはもはや改善案が見あたらない)ので、「もうそろそろセンセイひとりだけで授業しませんか」と言うと、「それだけは困ります」……らしい。いつか教員となった時に役に立つような、充実した実習になるのが第一だと思っているので、指導教官が居て思い切って授業できないなら居なくてもいいだろう、と思うのだが、どうやら居た方がいいようで。さいですか。
ホント細かいことを打ち合わせして終了。なんか20:30を過ぎていたりして。慣れない控室でじっとしていて煮詰まってもいけないので、授業展開を考えるにしても家に帰るよう勧める。
中間試験のデータが揃っているのを確認し、検討する。
国語総合の成績、一貫生全員のぶんを眺めて考え込む。
なんと言おうと、今現在、誰が国語の責を負うかと言えばやはりせきね(仮名)だろうな、と思う。だから、教科担当になっていてもそうでなくても、できることなら何とか良い形にしたい。勉強をする気がなければ手の届かせようが無いが、少しでも気のある者には、何とかその道を作っておきたいとは思うのである。
仕事の実力も、我が儘を通す権力も、後押しをする援護も、何もかもがかなり不足しているのは承知の上で、それでもなお担任グループの苦労に報いたい、親御さんを嘆かさないようにしたい、生徒たちが良い成績を自慢しあえるようにしたい、そう思う気持ちは絶えず心に止まない。
そうして。
何かをする時の第一歩は、状況の分析からである。
21:30を過ぎて帰宅。
今日も、長いようであっという間な放課後が終わる。
いよいよ後半に入って、教育実習生が授業を持つことになる。
7時間の授業実習、予定では詩2編。
田村隆一「木」および三好達治「甃のうへ」。
指導教官としてあんま役立たずでもどうかと思ったので、先週のテスト返却の後に吉野弘「I was born」を無理矢理授業して、せきね(仮名)なら詩をこんなふうに授業する、としたのだが。
いや、授業が上手い。今までどっかでセンセイやっていませんでしたか、と聞きたいぐらい。
しかも、持ちコマの1時間目より4時間目、それより5時間目、と授業展開が良くなってきてしまうという。3回同じ授業を見て、内容も充分わかっていて、それでもせきね(仮名)は飽きなかった。
せきね(仮名)より上手なんじゃないかと。……こりゃあ引退の時期か?
どこの学校の職員室でも多く聞かれる、半分都市伝説になりかけたようなもっともらしい言葉に、「実習生がやった授業はあとでもう一度教員がやり直さないとお話にならない」というものがあるが、今回それはまったく無し。
いやはや、感嘆である。
それと同時に、生徒のためにも幸せなことだと思う。
こんな授業をするために、きっとせきね(仮名)にも見せないような努力をしているのだろうなあ。
普通は実習生の尻を叩くようにしていくのかもしれないが、最後まで充実した実習を送ることができるように、逆に無理をしすぎないように見守ることが必要かもしれない。
ともかく、有り難いことである。
7時間の授業実習、予定では詩2編。
田村隆一「木」および三好達治「甃のうへ」。
指導教官としてあんま役立たずでもどうかと思ったので、先週のテスト返却の後に吉野弘「I was born」を無理矢理授業して、せきね(仮名)なら詩をこんなふうに授業する、としたのだが。
いや、授業が上手い。今までどっかでセンセイやっていませんでしたか、と聞きたいぐらい。
しかも、持ちコマの1時間目より4時間目、それより5時間目、と授業展開が良くなってきてしまうという。3回同じ授業を見て、内容も充分わかっていて、それでもせきね(仮名)は飽きなかった。
せきね(仮名)より上手なんじゃないかと。……こりゃあ引退の時期か?
どこの学校の職員室でも多く聞かれる、半分都市伝説になりかけたようなもっともらしい言葉に、「実習生がやった授業はあとでもう一度教員がやり直さないとお話にならない」というものがあるが、今回それはまったく無し。
いやはや、感嘆である。
それと同時に、生徒のためにも幸せなことだと思う。
こんな授業をするために、きっとせきね(仮名)にも見せないような努力をしているのだろうなあ。
普通は実習生の尻を叩くようにしていくのかもしれないが、最後まで充実した実習を送ることができるように、逆に無理をしすぎないように見守ることが必要かもしれない。
ともかく、有り難いことである。
試験最終日のせきね(仮名)の1日。
2006年6月8日 お仕事 コメント (2)出欠確認。
お前さん、登校時刻が30分遅くなっても、テスト期間でも、やっぱギリギリなのな。やれやれ。さっそく人生の選択肢減らしていくわけだな。
朝連絡。
「今日は無し」というひとことを言うだけにも時間がかかるのは、ウチの組クオリティなんだろうか。
さっさと座って話聞けよ。
つぅか朝の会や帰りの会でジュース飲もうとするの有り得ない。糖尿病になるよ。
1限目
そのまま試験監督。
2限目
高入生のクラスで試験監督。
いや、おれどっちかというと今年授業に入っていない一貫生のクラスに、こんな時ぐらいは行ってみたいんだけど。
3限目
特活。進路希望調査・カリキュラムの話。
去年さんざん苦労させられた話を全部ぶちまけ。
夜の9時と11時に三者面談した話とか、昼間に通報があって生徒を捜しに校外を駆けずり回ったとか。
いやー、今となっては良い思い出だy……んなわけあるか。
当時さんざん罵倒されまくったので、自分に多くの非があるかどうか、今後時間をかけてたくさんの人に話をしたいと思っている。
ともかくも、「お互いに幸せになるために、提出期限とルールは守れ」という意味を込めて説明する。
明日行う小論文テスト用のミニ冊子を、やって提出した者から順次解散。
だって、こんな冊子ただ配ったってやるわけないもん。
小論文やら自己推薦書やらって、ものすごく大事だ。
できによって、この生徒たちの将来、相当変わるから。
さっくりやって、だいたいの生徒が20分。全く目を通さないよりはマシだとは思う。
リセットボタン無し、セーブ無しの人生フラグ立て、たった20分。
放課後。
アオキユータとミキヤとがわざわざ離れたクラスからウチの教室に来て、あまつさえおれに近寄ってくるので、適度にたわむれる。この学年に入ってから、なぜかやって来る。きっと期間限定。どうせダチと合流するんだから、おれなんか放置しておいて全然かまわないのに。というかむしろそれが普通。だいたい、その片一方は、決して自分から教員に近寄ってくるようなタマじゃない。ふと思えば、かつて担任した1年間よりも、もう既に会話している気がするゾ。
まぁおれといっしょで性格悪いから、そこらへんで言いたい放題言えるのが良いのかもしれない。ちなみにこの場合の「性格悪い」は、おれにとってかなりランクの高い褒め言葉。
実際、会話もかなり悪辣(邪悪+辛辣)なので愉しい。
放課後の某室。
約束の定時より、高等部1学年国語チーム会議。
ちょwww高校クオリティwwwww
放課後の職員室。
会議での指針をもとに、大胆に採点が訂正される。
ま、所詮赤点は赤点だが。
酔狂に、おれが担当している生徒を得点順に並べてみた。
テスト同じ。教員同じ。
……特進クラスの半分は入れ替えになりそうだな。国語だけなら。
ん? おや、予告通りになった。
さらに予告してみるかな。裏で(w
放課後の職員室。
実習生と今日の反省および授業計画の話し合い。
聡い人だけにこちらも熱心にならざるを得ない。
自分が勉強させてもらっている。いやホントに。
帰りがけの中庭。
カズマ+体操部らと遭遇。試験の結果だかなんだかで、「センセ、なぐさめてくださいよー」とか言う。昼間「どうしたら国語できるようになるんすかー」ってぼやいていたのと変わらないノリだった。なんかこの様子は誰かに似ていると思ったら、へこんだ時のタカヤに似ているんだ。そっか。
「がんばれ」といい加減に言っておいた。
冷たい対応なのだけど、適当にあしらっておくわけだ。
もう高校生だし。
もちろんカズマだけに冷たい(?)のでなく、だいたいの生徒に同じように冷たい(?)。おれはドラえもんじゃないし、生徒たちはのび太でもないんだから。
簡単なのである。
家で、国語のために時間を充てる気があるか。
そういう気持ちがなかったら、何をやってもダメ。
聞いただけで成績が上がる勉強法があったら、おれが知りたい。
問題集を買ってやるとかよりもまず、漢字と古典文法を身に付けようとしているかどうか。
具体的に。
漢検2級を合格する。
用言の活用を見分けられるようになる。活用表を書ける。
助動詞の意味を覚える。活用表を書ける。
そうしてなお「国語ができるようになりたい」というのなら協力するつもりだけどね。実際に今までそうしてきたわけで。
自宅。
夕飯後に、詩の授業案を書く。授業案を書いたのは昨年度の俳句から2か月ぶり。一晩かかってもいいやと思っていたら、3時間ほどでできあがる。少しは成長したか?
自宅。
今、日記書いた(笑
お前さん、登校時刻が30分遅くなっても、テスト期間でも、やっぱギリギリなのな。やれやれ。さっそく人生の選択肢減らしていくわけだな。
朝連絡。
「今日は無し」というひとことを言うだけにも時間がかかるのは、ウチの組クオリティなんだろうか。
さっさと座って話聞けよ。
つぅか朝の会や帰りの会でジュース飲もうとするの有り得ない。糖尿病になるよ。
1限目
そのまま試験監督。
2限目
高入生のクラスで試験監督。
いや、おれどっちかというと今年授業に入っていない一貫生のクラスに、こんな時ぐらいは行ってみたいんだけど。
3限目
特活。進路希望調査・カリキュラムの話。
去年さんざん苦労させられた話を全部ぶちまけ。
夜の9時と11時に三者面談した話とか、昼間に通報があって生徒を捜しに校外を駆けずり回ったとか。
いやー、今となっては良い思い出だy……んなわけあるか。
当時さんざん罵倒されまくったので、自分に多くの非があるかどうか、今後時間をかけてたくさんの人に話をしたいと思っている。
ともかくも、「お互いに幸せになるために、提出期限とルールは守れ」という意味を込めて説明する。
明日行う小論文テスト用のミニ冊子を、やって提出した者から順次解散。
だって、こんな冊子ただ配ったってやるわけないもん。
小論文やら自己推薦書やらって、ものすごく大事だ。
できによって、この生徒たちの将来、相当変わるから。
さっくりやって、だいたいの生徒が20分。全く目を通さないよりはマシだとは思う。
リセットボタン無し、セーブ無しの人生フラグ立て、たった20分。
放課後。
アオキユータとミキヤとがわざわざ離れたクラスからウチの教室に来て、あまつさえおれに近寄ってくるので、適度にたわむれる。この学年に入ってから、なぜかやって来る。きっと期間限定。どうせダチと合流するんだから、おれなんか放置しておいて全然かまわないのに。というかむしろそれが普通。だいたい、その片一方は、決して自分から教員に近寄ってくるようなタマじゃない。ふと思えば、かつて担任した1年間よりも、もう既に会話している気がするゾ。
まぁおれといっしょで性格悪いから、そこらへんで言いたい放題言えるのが良いのかもしれない。ちなみにこの場合の「性格悪い」は、おれにとってかなりランクの高い褒め言葉。
実際、会話もかなり悪辣(邪悪+辛辣)なので愉しい。
放課後の某室。
約束の定時より、高等部1学年国語チーム会議。
ちょwww高校クオリティwwwww
放課後の職員室。
会議での指針をもとに、大胆に採点が訂正される。
ま、所詮赤点は赤点だが。
酔狂に、おれが担当している生徒を得点順に並べてみた。
テスト同じ。教員同じ。
……特進クラスの半分は入れ替えになりそうだな。国語だけなら。
ん? おや、予告通りになった。
さらに予告してみるかな。裏で(w
放課後の職員室。
実習生と今日の反省および授業計画の話し合い。
聡い人だけにこちらも熱心にならざるを得ない。
自分が勉強させてもらっている。いやホントに。
帰りがけの中庭。
カズマ+体操部らと遭遇。試験の結果だかなんだかで、「センセ、なぐさめてくださいよー」とか言う。昼間「どうしたら国語できるようになるんすかー」ってぼやいていたのと変わらないノリだった。なんかこの様子は誰かに似ていると思ったら、へこんだ時のタカヤに似ているんだ。そっか。
「がんばれ」といい加減に言っておいた。
冷たい対応なのだけど、適当にあしらっておくわけだ。
もう高校生だし。
もちろんカズマだけに冷たい(?)のでなく、だいたいの生徒に同じように冷たい(?)。おれはドラえもんじゃないし、生徒たちはのび太でもないんだから。
簡単なのである。
家で、国語のために時間を充てる気があるか。
そういう気持ちがなかったら、何をやってもダメ。
聞いただけで成績が上がる勉強法があったら、おれが知りたい。
問題集を買ってやるとかよりもまず、漢字と古典文法を身に付けようとしているかどうか。
具体的に。
漢検2級を合格する。
用言の活用を見分けられるようになる。活用表を書ける。
助動詞の意味を覚える。活用表を書ける。
そうしてなお「国語ができるようになりたい」というのなら協力するつもりだけどね。実際に今までそうしてきたわけで。
自宅。
夕飯後に、詩の授業案を書く。授業案を書いたのは昨年度の俳句から2か月ぶり。一晩かかってもいいやと思っていたら、3時間ほどでできあがる。少しは成長したか?
自宅。
今、日記書いた(笑
試験3日目(合掌)。
2006年6月7日 お仕事 コメント (4) 国語総合の試験実施。
さっくり3クラス分の採点終了。
……こりゃひどいわ。
高等部1年国語チームの教員の中には、他学年に担当がまたがっている者もいるから、チームの中では、実際にはまだせきね(仮名)が採点業務を終わらせただけ。けれども、中高一貫部がドンケツになるのは間違いなさそう。
そういう責任は当然、教科担当に及ぶべきだ。
おれの誤りは、生徒たちの勉強ぶりを見誤ったこと。「イマイチ緊張感ねぇな」と感じつつも、「試験になればきちんとやるだろう」と思った結果、背後から鉄バットでぶん殴られたぐらいスゲー。
政治屋たちのタカ派ハト派右派左派じゃないけれど、教員にも当然だが様々な意見を持つ者たちがいる。
たとえば中高一貫教育に賛成の者もいれば反対の者もいたならば、一貫部でよろしくないことが起きたらまぁ勢い付くだろう。正直ウンザリである。けれども「生徒の状況に即した対応」が甘かったのと言われれば、返す言葉も無かろう。
そもそも、自分自身が目立たないように仕事をしているとは言い難いからなあ。保護者とは気安い雰囲気で話をするわ、生徒とはビミョーなスタンスを取るときはあるわ、仕事ぶりが順調でなければそれは良い攻撃材料になりかねませんな。
ま、しょーがねーや。
おれの代わりに誰が来たら今より良くなるかはわからないが、それで生徒たちが良くなるんならまぁいいかなんてちょっぴり思ったりもするし。さらにおれじゃない方が喜ぶヤツの顔も思い浮かんじゃったし。
そのうち左遷されるその時の、準備でもしておくか?
いっそその前に転職か? 転職先求む! おぉ人事、おぉ人事♪ <ぉぃ
さっくり3クラス分の採点終了。
……こりゃひどいわ。
高等部1年国語チームの教員の中には、他学年に担当がまたがっている者もいるから、チームの中では、実際にはまだせきね(仮名)が採点業務を終わらせただけ。けれども、中高一貫部がドンケツになるのは間違いなさそう。
そういう責任は当然、教科担当に及ぶべきだ。
おれの誤りは、生徒たちの勉強ぶりを見誤ったこと。「イマイチ緊張感ねぇな」と感じつつも、「試験になればきちんとやるだろう」と思った結果、背後から鉄バットでぶん殴られたぐらいスゲー。
政治屋たちのタカ派ハト派右派左派じゃないけれど、教員にも当然だが様々な意見を持つ者たちがいる。
たとえば中高一貫教育に賛成の者もいれば反対の者もいたならば、一貫部でよろしくないことが起きたらまぁ勢い付くだろう。正直ウンザリである。けれども「生徒の状況に即した対応」が甘かったのと言われれば、返す言葉も無かろう。
そもそも、自分自身が目立たないように仕事をしているとは言い難いからなあ。保護者とは気安い雰囲気で話をするわ、生徒とはビミョーなスタンスを取るときはあるわ、仕事ぶりが順調でなければそれは良い攻撃材料になりかねませんな。
ま、しょーがねーや。
おれの代わりに誰が来たら今より良くなるかはわからないが、それで生徒たちが良くなるんならまぁいいかなんてちょっぴり思ったりもするし。さらにおれじゃない方が喜ぶヤツの顔も思い浮かんじゃったし。
そのうち左遷されるその時の、準備でもしておくか?
いっそその前に転職か? 転職先求む! おぉ人事、おぉ人事♪ <ぉぃ
高等部でのんびりさ加減その他になんか慣れない。
んだけど、もの慣れないままに、4月以降今回の中間試験までの仕事をひととおり終えた。
あとは明日の中間試験の無事故と、結果の成績入力だけ。
そういうわけで、実習生は「実習時間が3時まで」教員は「とりあえず生徒を無事に帰せば終わり」というルールを盾に、実習生を非情にも学校に置き捨てて(苦笑)さっさと退勤。
自分が授業するだけなら、教壇に立つその直前まで授業について考えていればいいのだけれど、指導教官なんてモノになるとそうは行かず。やる気がある人なだけに、むしろ自分の仕事に対する見識をもっとレベルアップさせなければならないことを痛感する。
実習生が担当するのは、詩。
自分がやらないからと言って実習生をほったらかしにするのではなく、「自分ならどう授業するか」を示し、さらにそれを超えるような授業計画を組めるようにして、初めて指導教官などとエラそうに言えるのではないかという気がしてしまう。
簡単に言って、薄いのである。
頭髪を指して言っているのではないッ!!
教材について話すほど、己の仕事ぶりが薄っぺらなのだと感じるのである。
とっとと退勤して、池袋に出かける。
今回は学習参考書・教育・文庫・新書だけでなく、サブカルチャー新刊・書画芸術・農学・生物学・ビジネス新刊まで回ったけれど、これだ!という資料は発見できず。
うーむ。
いずれ何かの役に立つことを期待して、いつものように40センチほど単位がちがうが気にしないように(笑)本を買ったけれども。
高校(だけではないかもしれないが)の授業の何がつらいかと言えば、先行実践がなかなか見つからないということ。
ホント、無い。
だからそういう時の頼みの綱は同僚や先輩や師匠なのだけれど、なかなか他の仕事をしていて時間がかみ合わなかったり、すぐにぱっと聞けるほど近くにはいなかったり。
ま、拙者の不徳ゆえのことでゴザルな。
んだけど、もの慣れないままに、4月以降今回の中間試験までの仕事をひととおり終えた。
あとは明日の中間試験の無事故と、結果の成績入力だけ。
そういうわけで、実習生は「実習時間が3時まで」教員は「とりあえず生徒を無事に帰せば終わり」というルールを盾に、実習生を非情にも学校に置き捨てて(苦笑)さっさと退勤。
自分が授業するだけなら、教壇に立つその直前まで授業について考えていればいいのだけれど、指導教官なんてモノになるとそうは行かず。やる気がある人なだけに、むしろ自分の仕事に対する見識をもっとレベルアップさせなければならないことを痛感する。
実習生が担当するのは、詩。
自分がやらないからと言って実習生をほったらかしにするのではなく、「自分ならどう授業するか」を示し、さらにそれを超えるような授業計画を組めるようにして、初めて指導教官などとエラそうに言えるのではないかという気がしてしまう。
簡単に言って、薄いのである。
教材について話すほど、己の仕事ぶりが薄っぺらなのだと感じるのである。
とっとと退勤して、池袋に出かける。
今回は学習参考書・教育・文庫・新書だけでなく、サブカルチャー新刊・書画芸術・農学・生物学・ビジネス新刊まで回ったけれど、これだ!という資料は発見できず。
うーむ。
いずれ何かの役に立つことを期待して、いつものように40センチほど
高校(だけではないかもしれないが)の授業の何がつらいかと言えば、先行実践がなかなか見つからないということ。
ホント、無い。
だからそういう時の頼みの綱は同僚や先輩や師匠なのだけれど、なかなか他の仕事をしていて時間がかみ合わなかったり、すぐにぱっと聞けるほど近くにはいなかったり。
ま、拙者の不徳ゆえのことでゴザルな。
どんな理由によるものか、教育実習生の指導教官になってしまったせきね(仮名)ですこんにちわ。
思った以上にしっかりした方だったのでこれは良かった。
ウチの学校ではなくても、教育実習生の伝説はいろいろ聞きますからねぇ。
実習中もアルバイトを続けて手抜き授業をするとか。
ロン毛でさらに薬指に指輪をして学校にやってくるとか。
同窓会と勘違いして毎晩実習生たちだけで大騒ぎになるとか。
実習中に休んで就職活動行っちゃうとか。
大事なのは生徒だ。
だから、提出物を出せと迫るし、授業中寝ていれば声をかける。
どうにでもなれと思えば、放置しておけばいい。
叱ることに無用なエネルギーをかけなくてもいいし、嫌われることもないし、相手をしなくていいのだから楽なものだ。
何も学ばず学校を出たあとに、どこで野垂れ死にしようとニートになろうと構わないわけだ。
第一、給料が変わるわけでもない。
けれどもまず大事なのが生徒だから、実習生が愚図だったら教壇に立たせる気もなかったりした。
「授業を持たせないし、成績に不可を付けても良いのでしょ?」と会議で言ったら仰天されてしまった。
「せきね(仮名)さん、それはマズイって。大学との関係もあるんだから」なんて、ね。
そういう大人の判断が気にくわなかったので、秘技「ワータシ、ソレ、ワカリマセーン」をかますつもりでいました。
けれどいやはや。
それは全くの杞憂だったようでめでたい。
生徒もめでたいし、高等部もめでたいし、あちらの大学もめでたいし、おれも無用な波風立てなくて済んでめでたい。
あんまりにもイイカンジの実習生さんだったので、今日の6限には音読テストの評価を手伝ってもらってしまう。
実習初日にして教科指導をするという。
別な意味で鬼なおれ。(^^;;
でもすごい熱心なんですよ。ホントえらい。
自分も見習わないとなあ、と感じた。
これから3週間で、また仕事の基礎基本を学び直そうと思った。
思った以上にしっかりした方だったのでこれは良かった。
ウチの学校ではなくても、教育実習生の伝説はいろいろ聞きますからねぇ。
実習中もアルバイトを続けて手抜き授業をするとか。
ロン毛でさらに薬指に指輪をして学校にやってくるとか。
同窓会と勘違いして毎晩実習生たちだけで大騒ぎになるとか。
実習中に休んで就職活動行っちゃうとか。
大事なのは生徒だ。
だから、提出物を出せと迫るし、授業中寝ていれば声をかける。
どうにでもなれと思えば、放置しておけばいい。
叱ることに無用なエネルギーをかけなくてもいいし、嫌われることもないし、相手をしなくていいのだから楽なものだ。
何も学ばず学校を出たあとに、どこで野垂れ死にしようとニートになろうと構わないわけだ。
第一、給料が変わるわけでもない。
けれどもまず大事なのが生徒だから、実習生が愚図だったら教壇に立たせる気もなかったりした。
「授業を持たせないし、成績に不可を付けても良いのでしょ?」と会議で言ったら仰天されてしまった。
「せきね(仮名)さん、それはマズイって。大学との関係もあるんだから」なんて、ね。
そういう大人の判断が気にくわなかったので、秘技「ワータシ、ソレ、ワカリマセーン」をかますつもりでいました。
けれどいやはや。
それは全くの杞憂だったようでめでたい。
生徒もめでたいし、高等部もめでたいし、あちらの大学もめでたいし、おれも無用な波風立てなくて済んでめでたい。
あんまりにもイイカンジの実習生さんだったので、今日の6限には音読テストの評価を手伝ってもらってしまう。
実習初日にして教科指導をするという。
別な意味で鬼なおれ。(^^;;
でもすごい熱心なんですよ。ホントえらい。
自分も見習わないとなあ、と感じた。
これから3週間で、また仕事の基礎基本を学び直そうと思った。
ここのところ学級通信に手を付けていない。
もっとも、そのぶんだけ授業での指導は今までになく行き届いているように感じられる。
まあその感覚もただの妄想かもしれない可能性もあるのだが。
ちなみに、職場では仕事100%にしたいので、わたしはweb巡回をしていない。職場でのweb巡回は遊びとの区別が不分明になっていくような気がしてしまうからである。そうしたい時は早めに帰宅する。そうして検索やリンクをたどってさまざまなことの概略や珍説奇説の類を知ることとなる。
羅生門の授業のために、たとえばgoogleで検索をかける。
キーワード「羅生門」で約52万件。
そこに「授業」と付け加えると45800件。
大学付属高校などのシラバスや授業案から、どんな授業が行われているのか考える。
授業実践を公開している方のページを拝見し、時に考え込み、なるほどと感嘆する。
大学の研究室や草の根サークルの記録から、斬新な視点を発見する。
そして。
自分が高校1年生だった時のこと。
駆け出しの教員だった時、先輩たちがやっていた授業。
もし恩師ならば、どう授業するか。
これらに思いをはせながら、自分の授業を組み上げる。
実際に「羅生門」の授業を開始する前。
担任するクラスの雰囲気に注意を払いつつ、授業を通じて何を学んで欲しいのかを自問し続けた。
教科書に載っている現代文の教材など、極論すれば授業にかけなくても良いとさえ思っている。評論も小説も、世の中には無限と言っていいほど有るのだから。進学校らしく、模試や入試問題の過去問をやったって良いわけだし、それが文字である限り国語の教材にならない物は無いと本気で信じている。(少しの準備時間をもらえれば、『ハリー・ポッター』シリーズ、あさのあつこ『The MANZAI』、井上雄彦『リアル』あたりなら実際の教材として扱えると思う)
だからこそ、「なぜ勉強するのか」「そこから何を学べばいいのか」は教壇に立つ者が抱えているべきであると考えている。
もちろん、しんどい。
今回「羅生門」授業するために追うべきものを見つけるためだけに、2日かけてwebをさまよった。
仕事後の土曜日から日曜の朝、少し休んでからまた起きて日曜、月曜に日付が変わってもなおしばらくかかった。
わたしが非才であるゆえんである。
そして学ばせたいものに至るまでの道筋を考えて、生徒のつもりになってノートを書く。
実は板書が多い。
発問の積み重ねによる授業構成をしていない。
もっと時間をかけて、生徒たちに作業をさせるべきなのであるが、「どんなに時間をかけてでも教室の全員に思考させてノートにそれを書かせるぞ」というところまで決断できない。
反省すべき点である。
その一方で計画的なノート作りには長所もあると考える。
欠席した生徒にとって、友人からノートを借りて書き写すという作業だけでもある程度の理解を見込めるのである。また、試験前に見直して理解を深めることもできるだろう。
小学・中学と比べて、高校の教科書対応問題集など、皆無に等しい。実際に高等部1年で採用している教科書は、市販しているのは役に立たないような教科書ガイド1種類のみ、教員向けの指導書と例題集があるばかりで、生徒が手の届く範囲には復習するための教材など無い。
かくして「センセ、国語ってどうやって勉強すればいいんですか?」と言う生徒と、「地獄へ堕ちるしかないかもね(w」と言う教員との、まことに心温まる会話が生まれるわけである。
国語ができるようになりたいな、と思っても。
勉強するための物が、実は無い。
だからおそらく高校の国語、特に現代文分野が、旧態依然として敗戦以来相変わらずビミョーな授業なのであろう。
やれやれ、である。
わたしは言う。
本文を、もし仮にふりがなが振っていなくても、すらすらと読むことができますか。
登場人物が物語の最初と終わりでどのように変化しているか、書いて説明することができますか。
登場人物の主張や心情を、書いて説明することができますか。
ポイントとなる風景描写を、指摘することができますか。
その風景描写が何を象徴しているか、書いて説明することができますか。
物語の主題・テーマを、書いて説明することができますか。
漢字、書けますか。
意味調べ、してありますか。
たとえ問題集が無くても。
こう具体的に指示するのもまた、教員の役割なのだろうと思う。
もっとも、そのぶんだけ授業での指導は今までになく行き届いているように感じられる。
まあその感覚もただの妄想かもしれない可能性もあるのだが。
ちなみに、職場では仕事100%にしたいので、わたしはweb巡回をしていない。職場でのweb巡回は遊びとの区別が不分明になっていくような気がしてしまうからである。そうしたい時は早めに帰宅する。そうして検索やリンクをたどってさまざまなことの概略や珍説奇説の類を知ることとなる。
羅生門の授業のために、たとえばgoogleで検索をかける。
キーワード「羅生門」で約52万件。
そこに「授業」と付け加えると45800件。
大学付属高校などのシラバスや授業案から、どんな授業が行われているのか考える。
授業実践を公開している方のページを拝見し、時に考え込み、なるほどと感嘆する。
大学の研究室や草の根サークルの記録から、斬新な視点を発見する。
そして。
自分が高校1年生だった時のこと。
駆け出しの教員だった時、先輩たちがやっていた授業。
もし恩師ならば、どう授業するか。
これらに思いをはせながら、自分の授業を組み上げる。
実際に「羅生門」の授業を開始する前。
担任するクラスの雰囲気に注意を払いつつ、授業を通じて何を学んで欲しいのかを自問し続けた。
教科書に載っている現代文の教材など、極論すれば授業にかけなくても良いとさえ思っている。評論も小説も、世の中には無限と言っていいほど有るのだから。進学校らしく、模試や入試問題の過去問をやったって良いわけだし、それが文字である限り国語の教材にならない物は無いと本気で信じている。(少しの準備時間をもらえれば、『ハリー・ポッター』シリーズ、あさのあつこ『The MANZAI』、井上雄彦『リアル』あたりなら実際の教材として扱えると思う)
だからこそ、「なぜ勉強するのか」「そこから何を学べばいいのか」は教壇に立つ者が抱えているべきであると考えている。
もちろん、しんどい。
今回「羅生門」授業するために追うべきものを見つけるためだけに、2日かけてwebをさまよった。
仕事後の土曜日から日曜の朝、少し休んでからまた起きて日曜、月曜に日付が変わってもなおしばらくかかった。
わたしが非才であるゆえんである。
そして学ばせたいものに至るまでの道筋を考えて、生徒のつもりになってノートを書く。
実は板書が多い。
発問の積み重ねによる授業構成をしていない。
もっと時間をかけて、生徒たちに作業をさせるべきなのであるが、「どんなに時間をかけてでも教室の全員に思考させてノートにそれを書かせるぞ」というところまで決断できない。
反省すべき点である。
その一方で計画的なノート作りには長所もあると考える。
欠席した生徒にとって、友人からノートを借りて書き写すという作業だけでもある程度の理解を見込めるのである。また、試験前に見直して理解を深めることもできるだろう。
小学・中学と比べて、高校の教科書対応問題集など、皆無に等しい。実際に高等部1年で採用している教科書は、市販しているのは役に立たないような教科書ガイド1種類のみ、教員向けの指導書と例題集があるばかりで、生徒が手の届く範囲には復習するための教材など無い。
かくして「センセ、国語ってどうやって勉強すればいいんですか?」と言う生徒と、「地獄へ堕ちるしかないかもね(w」と言う教員との、まことに心温まる会話が生まれるわけである。
国語ができるようになりたいな、と思っても。
勉強するための物が、実は無い。
だからおそらく高校の国語、特に現代文分野が、旧態依然として敗戦以来相変わらずビミョーな授業なのであろう。
やれやれ、である。
わたしは言う。
本文を、もし仮にふりがなが振っていなくても、すらすらと読むことができますか。
登場人物が物語の最初と終わりでどのように変化しているか、書いて説明することができますか。
登場人物の主張や心情を、書いて説明することができますか。
ポイントとなる風景描写を、指摘することができますか。
その風景描写が何を象徴しているか、書いて説明することができますか。
物語の主題・テーマを、書いて説明することができますか。
漢字、書けますか。
意味調べ、してありますか。
たとえ問題集が無くても。
こう具体的に指示するのもまた、教員の役割なのだろうと思う。
アナハイム・エレクトロニクス社の試作機。
2006年5月30日 お仕事 「5単位・国語総合」を3クラス、というのが今年度わたしの担当する授業である。
長所としては「毎日忘れようがなく国語がある」という点なのだが、その一方「授業の連続で修正を考える余地がほとんど無い」というあたりはなかなかしんどい。
わたしは中等部からずっと持ち上がり続けている生徒たちが相手なので、どんな意味からしても「慣れている」のでどうにかなってしまう。けれどもこの5単位とは、一度関係がこじれたり小さな誤解がふくれあがったりするとえらくつらい時間になるだろうな、と思う。
つらいのだけれど、わたしは教壇では退かない。
わたしにとって、授業は45分で勝負をかけるコートのようなものになっている。
たとえミスをしようとも、そこで立ちすくめばサービスエースで沈むだけだから、雰囲気を自分に引っ張り寄せるために気を張ってい続けるべきだろうと思う。
それはさておき。
この「5単位」で少しでもまともな授業をしたいと思うと、事前にそれなりの準備をしておきたい。けれども下手をすると授業が連続していたり、そうでなくてもその日のうちに全部のクラスで学習内容が終わってしまう。のんびりと途中で修正している時間がない。
授業の構成ならば、まだ事前から時間をかけて考えればいい。(実際に授業をしたら良くない、なんていう時も当然あるが)
かなり致命的なのは、プリントを自作してそこに誤りがある場合である。
これはヤバイ。
訂正に時間が取られる。
訂正を徹底しなくてはならない。
間違えて覚えてしまうと余計な遠回りをする。
だから、実はプリントなんか出したくないのが正直な気持ちである。適切な問題集を買って、それをやることで済ませたいのが正直なところだ。
けれども、教員からただ一方的にしゃべって生徒に力が付くわけでもない。自分でやってみなくては修得できないのである。勉強に限らず万事に渡ってだけれども。
だからワークシートを作らざるを得ないのだな。
間違いが無く、生徒に力の付くような、適切な作業プリント。
うーむ。
放課後に考え込んでいると、某君がいた。
全部の発音に濁点が付くかのような声で「うわー」「やだー」とか言ってますが即捕獲(w
なぜその生徒か。
(1)わたしが良く知っていて。
(2)わたしの授業を受けてなくて。
(3)放課後に勉強をすることになってもまじめに取り組んで。
(4)プリントのミスに良く気付いて。
(5)授業でその内容を既に習っていて。
(6)率直に話ができて。
余計なところで従順とは言いがたいのだが(ヘンにへそ曲がりとも言う)、試作機のテストパイロットとしてはまあ優秀で、様子によっては量産化に踏み切ることもできる。
今日は他の子も居たのでいっしょにやってもらった。そっちは時間が無いとか言いながら抵抗せず。……某君とはえらい違いだ。でも、その子が最近の国語のどこでどう点が取れないのか今ひとつ判らないので、その点だけ微妙。
ふたりが帰った後で検討し、プリントに変更を加えたのは約10箇所ほど。同時に授業の展開を3つ考えた。
5人ぐらいいると良いかもしれないな、と思った。
と同時に。
高校の時の恩師を思い浮かべた。
恩師も、特定の高校生たちを連れて歩いているようなところがあった。
けれどそれは、「ひいき」とは雰囲気が違っていた。
少しだけそのメンツに入れてほしいな、とも思ったが、結局何も言わなかった。
ひょっとしたらあの時の恩師も、高校生たちの動きを見て、授業や仕事に役立てていたのかもしれない。
同じようなことをしていたのかもしれないなあと、ふと思った。。
長所としては「毎日忘れようがなく国語がある」という点なのだが、その一方「授業の連続で修正を考える余地がほとんど無い」というあたりはなかなかしんどい。
わたしは中等部からずっと持ち上がり続けている生徒たちが相手なので、どんな意味からしても「慣れている」のでどうにかなってしまう。けれどもこの5単位とは、一度関係がこじれたり小さな誤解がふくれあがったりするとえらくつらい時間になるだろうな、と思う。
つらいのだけれど、わたしは教壇では退かない。
わたしにとって、授業は45分で勝負をかけるコートのようなものになっている。
たとえミスをしようとも、そこで立ちすくめばサービスエースで沈むだけだから、雰囲気を自分に引っ張り寄せるために気を張ってい続けるべきだろうと思う。
それはさておき。
この「5単位」で少しでもまともな授業をしたいと思うと、事前にそれなりの準備をしておきたい。けれども下手をすると授業が連続していたり、そうでなくてもその日のうちに全部のクラスで学習内容が終わってしまう。のんびりと途中で修正している時間がない。
授業の構成ならば、まだ事前から時間をかけて考えればいい。(実際に授業をしたら良くない、なんていう時も当然あるが)
かなり致命的なのは、プリントを自作してそこに誤りがある場合である。
これはヤバイ。
訂正に時間が取られる。
訂正を徹底しなくてはならない。
間違えて覚えてしまうと余計な遠回りをする。
だから、実はプリントなんか出したくないのが正直な気持ちである。適切な問題集を買って、それをやることで済ませたいのが正直なところだ。
けれども、教員からただ一方的にしゃべって生徒に力が付くわけでもない。自分でやってみなくては修得できないのである。勉強に限らず万事に渡ってだけれども。
だからワークシートを作らざるを得ないのだな。
間違いが無く、生徒に力の付くような、適切な作業プリント。
うーむ。
放課後に考え込んでいると、某君がいた。
全部の発音に濁点が付くかのような声で「うわー」「やだー」とか言ってますが即捕獲(w
なぜその生徒か。
(1)わたしが良く知っていて。
(2)わたしの授業を受けてなくて。
(3)放課後に勉強をすることになってもまじめに取り組んで。
(4)プリントのミスに良く気付いて。
(5)授業でその内容を既に習っていて。
(6)率直に話ができて。
余計なところで従順とは言いがたいのだが(ヘンにへそ曲がりとも言う)、試作機のテストパイロットとしてはまあ優秀で、様子によっては量産化に踏み切ることもできる。
今日は他の子も居たのでいっしょにやってもらった。そっちは時間が無いとか言いながら抵抗せず。……某君とはえらい違いだ。でも、その子が最近の国語のどこでどう点が取れないのか今ひとつ判らないので、その点だけ微妙。
ふたりが帰った後で検討し、プリントに変更を加えたのは約10箇所ほど。同時に授業の展開を3つ考えた。
5人ぐらいいると良いかもしれないな、と思った。
と同時に。
高校の時の恩師を思い浮かべた。
恩師も、特定の高校生たちを連れて歩いているようなところがあった。
けれどそれは、「ひいき」とは雰囲気が違っていた。
少しだけそのメンツに入れてほしいな、とも思ったが、結局何も言わなかった。
ひょっとしたらあの時の恩師も、高校生たちの動きを見て、授業や仕事に役立てていたのかもしれない。
同じようなことをしていたのかもしれないなあと、ふと思った。。
ひとつめ。
国語科打ち合わせ。
うはwwwwwちょwwwwwwおまwwwwwwwおk?wwwwwww
ふたつめ。
ウチのクラス。
父ちゃん情けなくてナミダ出てくるぅあ!!
酒盛りしまくって寝ます……
国語科打ち合わせ。
うはwwwwwちょwwwwwwおまwwwwwwwおk?wwwwwww
ふたつめ。
ウチのクラス。
父ちゃん情けなくてナミダ出てくるぅあ!!
酒盛りしまくって寝ます……
見えないところで着々と。
2006年5月27日 お仕事 土曜講座。
と言っても講座の担当は基本的に外部の講師が行うので、国語科の担任が何をするわけでもなく、生徒たちの出欠確認をするだけ。
ホントは高2や高3たちが受けている国語の講座に行きたいのだけれど、何も考えずに着席しているにはいささか雑事が多い。
朝に全員がいて、何も言わずとも予備校講師が来るまでにさっくり移動教室して着席してくれていればいいのだけれど、なかなかそうもいかない。うーむ。
生徒でもないのに、誰も知りもしないのに、まさか途中から教室に入るわけにもいくまい。
というわけで今日の講座の時間中に中間考査問題の第1案が完成。
……我ながら、かなりエグイナイスな問題ができあがりまちた。
こりゃ赤点出るな。
ま、イイカゲンなヤツが撃沈するだけだからいいや。
さてさて、たまにはのんびりした日曜を過ごすか。
と言っても講座の担当は基本的に外部の講師が行うので、国語科の担任が何をするわけでもなく、生徒たちの出欠確認をするだけ。
ホントは高2や高3たちが受けている国語の講座に行きたいのだけれど、何も考えずに着席しているにはいささか雑事が多い。
朝に全員がいて、何も言わずとも予備校講師が来るまでにさっくり移動教室して着席してくれていればいいのだけれど、なかなかそうもいかない。うーむ。
生徒でもないのに、誰も知りもしないのに、まさか途中から教室に入るわけにもいくまい。
というわけで今日の講座の時間中に中間考査問題の第1案が完成。
……我ながら、かなり
さてさて、たまにはのんびりした日曜を過ごすか。
今日のできごとと思うこと。(超長文)
2006年5月25日 お仕事 1時間目。古文。「絵仏師良秀」終了。
基本ではおそらく3時間の教材だが、かつて無いほど時間をかける。
○読み・歴史的仮名遣い
○現代語訳
○主題
○用言の活用表
○用言の文法的説明
○係り結びの法則
○接続助詞「ば」の用法
○助動詞「き」「けり」「ず」「つ」「ぬ」「たり(完了存続)」「り」「なり(断定)」「たり(断定)」「む」「むず」
中等部に来客あり。
次の授業のために印刷に行ったところ、そこまで追いかけられて事務室から内線。こんな感じで「何故おれがココにいることがわかる?」度々ある。…ウチの事務室はタダモノではない。(^^;;
来客を受ける予定だった教員が休みらしく、昨年度まで担当だったおれが急遽代打となったようで。……ってその判断も事務室なんだからスゴイって。(笑
印刷室からとって返し、机の中から名刺一枚持って事務の窓口に行き、応接室で会ったのは漢検の人。
ありきたりの話をして何かの資料をもらって終わりかな、と思ったのは一瞬。すさまじいぐらい怜悧な人だったので、遠慮無くさまざまな話をした。
最初に内線を受けて「かんべんしてくれよ」と思っていたのも都合良くどこかへ放り投げて「こんな時に白羽の矢を立ててくれた事務室万歳」と思ったぐらいである。
公立中高の実情、大学の漢字への取り組み、企業の求める人材像、私立中高の様子。おれ一人では知り得ないこと、しかも知りたかったことが次々と話題に挙がっていく。
いやはや、天運を掴んだとしか思えない。だって、予定外のところからの巡り合わせなのだから。
中等部の教員から高等部の教員になっている。
会う予定の教員が急遽の欠席。
他の中等部国語科教員もすべて授業で出払っていた。
そもそも漢字検定の担当から外れていた。
それでもおれの空き時間である2限目・3限目かけてつねづね求めていた外の世界の国語教育をかいま見ることができた。
こういう縁は、一度逃すと絶対に取り返しがつかないものだ。
「この度は当初約束をいたしました担当の者が居りませんで、大変な失礼を致しました。しかしながら私としては貴重なお話をお聞きいたしまして、とても嬉しく思います。…もしよろしければ、今後担当の者が居ります時でも、私もお話に加えていただけませんか? というか『ダメ』と言われるまで担当外でもなぜか列席していますが(笑」
冗談っぽいが、気持ちは真剣に言ってみた。
「ぜひどうか、こちらこそお願いいたします」
……言わせましたぜ、ふっふっふっ。
4時間目・やはり「絵仏師良秀」。
直前までの知的興奮冷めやらず、燃える男のまま授業突入。
休み時間がまったく無いのだが、却って元気な有様。
ちなみに燃えて気分が高揚していると、普段はそれなりにおとなしくしているつもりのガラがけっこう悪くなってしまう。
「年相応に」とか「良識ある教員らしく」とか、一応考えてはいるのである。けれど、ときおり自分が高校生だった時のノリになってしまっているな、というのを感じるのである。
言葉の端々にまで気を配った発問・指示を心がけた、良識と知性のある授業をめざす自分。
ともかく勢い、学習事項の例文も徹底して"ふざけている"し、下品上等、生徒がだらしなければ「ふざけんな」言うわ、世の中に悪事があれば「脳ミソ腐ってますな」「足りないぶんカニミソ入れた方が良いんじゃない」ぐらい言ってしまう自分。
うーむ。
高校の時の「恩師」は、ガラが悪かったところがけっこう好きだった。
教員になってからの「恩師」は、どんな教材も知的な授業に変えてみせる姿に強くあこがれた。
やっぱものすごく影響受けているんだろうなあ。あっはっはっ。
昼休み・5時間目。
ここのところ昼食を摂る日が週の半分ぐらいだったり。昼休みにハラ減ったとなかなか感じないこともある(午前中のデスクワーク時とか、放課後とかにそのぶん食べている)し、昼を食べなければ食べないで仕事ができるのでそれもアリかな、と。
で。
「生活記録」を、「ぅひぃぃぃぃぃ〜」という奇声を上げながらチェック。帰りの会までに片づける、時間ギリギリだからである。近くの机の先生たち、ごめんなさい……。
6時間目・漢文「漢文の基礎」。
時間前に教室に着いていたのに、5分以上も開始が遅れてしまう。
生徒が着席していない、ということもある。けれどもそんなことは判りきっていることで、それを見込んで授業を組み立てれば良いだけではないのかと最近思っている。
別に大したことではなく、「きちんと席に着く生徒」「授業の用意をしている生徒」が得をする授業開始になれば良いだけである。
いきなり復習。いきなり板書。
それだけできっと「準備をしている生徒」に報いることになるのではないか。
その後に、最後まで「場を読めていない」生徒には、「授業だ」ということを知らせれば良い。
そんな気がしている。
で、なんで遅かったのかというと。
前の時間でのプリントが6種類配られかけている状態だったから。
「…ちょっと待ってくれよ」と正直思ったが、ぐっと我慢する。
"いきなり"ができず、何回も呼びかけて生徒を着席させる。
「プリントが6種類あります」
「今ナンバー4を配ります」
「前の者は後ろの者のために、すばやくまわしなさい」
「余ったプリントは前に持ってきなさい」
「足りない人は前に取りに来なさい」
順番に指示していって、ようやく収拾をつけたのが5分強というわけだ。やれやれ。
いや、担任だけどさ。
教科担当としての授業時間を、他の教科のために削ることを強いられるのはあまり良い気分ではないよ。ましてプリント6種類を配ったんだか配っていないんだか判らない状態で教卓に半ば放置されているというのは。生徒の係にやらせるにしても、ちょっと多い気がする。みんなが座っていないと混乱のもとになるから。授業時間内でやってほしいところである。
ひょっとして授業が成立していないのかな、とも考えた。
もしそうならば教員もあんまり教室に入っていたくないわな。
それでも、授業の中で何とかしてほしいなあ。
授業では、教科担当が絶対の指導力を発揮してほしい。
他の授業がどうであろうと、自分の授業ではこうする、そうして生徒諸君には実力をつけてみせる、そういう自負を(たとえ強がりでも)持つのが、教員という職業だと思う。
本来、教員がこんな自信と責任とを持っていれば、よっほどのことがない限り、授業はきちんと成立すると思うのだ。
わかりにくい学習内容をわかりやすくする。
普通に学校へ来ている生徒、授業中に座っている生徒は、とりあえず授業を受けようという気持ちがたとえ0.01%でもあるから教室にいるわけで、そうでなければ立ち歩くか、どこかに隠れているか、そもそも学校に来ない。
授業に引きつけようという努力は、教員である限りは絶対になくならない。
その一方で。
授業が成立しなくなるような要素には徹底してひるまずに対決すべきではないか、特に最近の「学校」にはこの点が欠けているのではないかと思える。
授業中にトランプをしている。
ふざけるな、となぜ言えないのか。
お前に与える成績など無い、となぜ断言できないのか。
担任だから、担任ではないから、などはいっさい関係ない。
不思議で仕方がない。
体調が悪くて保健室に駆け込み、授業に居なかったら欠課である。
では、なぜ授業中にずっと寝ていても出席となるのか。
授業中にまったく勉強していなくても出席となるのか。
不思議である。
「おまえ、おれの授業居なくていいから」
「年間の3分の1以上、授業出るな。誰にも文句の付けようのない形で留年になるから」
「寝ていて、起こしても起きなかったら、時間に応じて遅刻や欠課にするから」
伝家の宝刀であり、そのうちこう言うかもしれないよ、と知らせた生徒もいる。
こう断言できるくらいの自信を持ち続けて教壇に立ちたいものだなあ、と思う。
話は戻って漢文。
書き下し文を16書かせた。
ただの語順は余裕である。
助詞・助動詞をひらがなに直すこともできている。ただし、活用させて書き下すことが少し弱い。助動詞「ず」などの活用表が書けて、音読を多くすれば書き下し文の感覚を体得できると思われる。(音読もしない者には手の施しようがない。うーむ)
置き字はなんとなくわかるようだ。
再読文字がほとんどできない。手を変え品を変え勉強し続けるしかなさそうだ。
最初のドタバタからか、終了時間を5分まちがえて早くやることが終わってしまう。でも実は特進クラスの105%で授業を巻いていたので、学習内容の進度には全く問題なしだったり。(苦笑
ちょっと早い帰りの会・掃除。
と言いつつ、明日の球技大会の説明があって他の日と同じくらいの終わり方をする。
今までやってきた「さっと掃除」ではきれいにならなくなってきたので、週に1度の教室大掃除を設定する。
同じく「生活記録」の提出がゆるくなってきたので、その未提出な生徒たちで教室掃除を編成する。
ぶぅぶぅ言う生徒たちの反応が内心ではかわいらしく思うのだが、いちおううるさく「掃除しろ」「掃除しろ」と急き立ててやらせる。
ひょっとしたら甘い顔なんかせずに厳しく叱りつけながらやった方が、掃除する時間も短くなって早く解放されるのではないか、却って生徒のためになるのではないか、と思った。
「コワイ」「威圧感たっぷり」と生徒から言われる同僚の顔を思い浮かべて、また楽しくなる。
そっか。「いやだいやだ」とだらだらやるよりは、さっとやった方がいいよな。
いつか教員のお食事会でもあったら聞いてみようかなぁ。
放課後。
職員室へ戻ったあたりから頭痛。ややひどい。
学級日誌、出席簿の確認、定期試験のために諸資料のコピーを取ってまとめたあたりで限界。
悪いな、と思いつつも生徒会の子たちの会議に出ずに撤退。
夕食の用意もせず、少しパンをかじって夕方から早々と寝てしまう。
基本ではおそらく3時間の教材だが、かつて無いほど時間をかける。
○読み・歴史的仮名遣い
○現代語訳
○主題
○用言の活用表
○用言の文法的説明
○係り結びの法則
○接続助詞「ば」の用法
○助動詞「き」「けり」「ず」「つ」「ぬ」「たり(完了存続)」「り」「なり(断定)」「たり(断定)」「む」「むず」
中等部に来客あり。
次の授業のために印刷に行ったところ、そこまで追いかけられて事務室から内線。こんな感じで「何故おれがココにいることがわかる?」度々ある。…ウチの事務室はタダモノではない。(^^;;
来客を受ける予定だった教員が休みらしく、昨年度まで担当だったおれが急遽代打となったようで。……ってその判断も事務室なんだからスゴイって。(笑
印刷室からとって返し、机の中から名刺一枚持って事務の窓口に行き、応接室で会ったのは漢検の人。
ありきたりの話をして何かの資料をもらって終わりかな、と思ったのは一瞬。すさまじいぐらい怜悧な人だったので、遠慮無くさまざまな話をした。
最初に内線を受けて「かんべんしてくれよ」と思っていたのも都合良くどこかへ放り投げて「こんな時に白羽の矢を立ててくれた事務室万歳」と思ったぐらいである。
公立中高の実情、大学の漢字への取り組み、企業の求める人材像、私立中高の様子。おれ一人では知り得ないこと、しかも知りたかったことが次々と話題に挙がっていく。
いやはや、天運を掴んだとしか思えない。だって、予定外のところからの巡り合わせなのだから。
中等部の教員から高等部の教員になっている。
会う予定の教員が急遽の欠席。
他の中等部国語科教員もすべて授業で出払っていた。
そもそも漢字検定の担当から外れていた。
それでもおれの空き時間である2限目・3限目かけてつねづね求めていた外の世界の国語教育をかいま見ることができた。
こういう縁は、一度逃すと絶対に取り返しがつかないものだ。
「この度は当初約束をいたしました担当の者が居りませんで、大変な失礼を致しました。しかしながら私としては貴重なお話をお聞きいたしまして、とても嬉しく思います。…もしよろしければ、今後担当の者が居ります時でも、私もお話に加えていただけませんか? というか『ダメ』と言われるまで担当外でもなぜか列席していますが(笑」
冗談っぽいが、気持ちは真剣に言ってみた。
「ぜひどうか、こちらこそお願いいたします」
……言わせましたぜ、ふっふっふっ。
4時間目・やはり「絵仏師良秀」。
直前までの知的興奮冷めやらず、燃える男のまま授業突入。
休み時間がまったく無いのだが、却って元気な有様。
ちなみに燃えて気分が高揚していると、普段はそれなりにおとなしくしているつもりのガラがけっこう悪くなってしまう。
「年相応に」とか「良識ある教員らしく」とか、一応考えてはいるのである。けれど、ときおり自分が高校生だった時のノリになってしまっているな、というのを感じるのである。
言葉の端々にまで気を配った発問・指示を心がけた、良識と知性のある授業をめざす自分。
ともかく勢い、学習事項の例文も徹底して"ふざけている"し、下品上等、生徒がだらしなければ「ふざけんな」言うわ、世の中に悪事があれば「脳ミソ腐ってますな」「足りないぶんカニミソ入れた方が良いんじゃない」ぐらい言ってしまう自分。
うーむ。
高校の時の「恩師」は、ガラが悪かったところがけっこう好きだった。
教員になってからの「恩師」は、どんな教材も知的な授業に変えてみせる姿に強くあこがれた。
やっぱものすごく影響受けているんだろうなあ。あっはっはっ。
昼休み・5時間目。
ここのところ昼食を摂る日が週の半分ぐらいだったり。昼休みにハラ減ったとなかなか感じないこともある(午前中のデスクワーク時とか、放課後とかにそのぶん食べている)し、昼を食べなければ食べないで仕事ができるのでそれもアリかな、と。
で。
「生活記録」を、「ぅひぃぃぃぃぃ〜」という奇声を上げながらチェック。帰りの会までに片づける、時間ギリギリだからである。近くの机の先生たち、ごめんなさい……。
6時間目・漢文「漢文の基礎」。
時間前に教室に着いていたのに、5分以上も開始が遅れてしまう。
生徒が着席していない、ということもある。けれどもそんなことは判りきっていることで、それを見込んで授業を組み立てれば良いだけではないのかと最近思っている。
別に大したことではなく、「きちんと席に着く生徒」「授業の用意をしている生徒」が得をする授業開始になれば良いだけである。
いきなり復習。いきなり板書。
それだけできっと「準備をしている生徒」に報いることになるのではないか。
その後に、最後まで「場を読めていない」生徒には、「授業だ」ということを知らせれば良い。
そんな気がしている。
で、なんで遅かったのかというと。
前の時間でのプリントが6種類配られかけている状態だったから。
「…ちょっと待ってくれよ」と正直思ったが、ぐっと我慢する。
"いきなり"ができず、何回も呼びかけて生徒を着席させる。
「プリントが6種類あります」
「今ナンバー4を配ります」
「前の者は後ろの者のために、すばやくまわしなさい」
「余ったプリントは前に持ってきなさい」
「足りない人は前に取りに来なさい」
順番に指示していって、ようやく収拾をつけたのが5分強というわけだ。やれやれ。
いや、担任だけどさ。
教科担当としての授業時間を、他の教科のために削ることを強いられるのはあまり良い気分ではないよ。ましてプリント6種類を配ったんだか配っていないんだか判らない状態で教卓に半ば放置されているというのは。生徒の係にやらせるにしても、ちょっと多い気がする。みんなが座っていないと混乱のもとになるから。授業時間内でやってほしいところである。
ひょっとして授業が成立していないのかな、とも考えた。
もしそうならば教員もあんまり教室に入っていたくないわな。
それでも、授業の中で何とかしてほしいなあ。
授業では、教科担当が絶対の指導力を発揮してほしい。
他の授業がどうであろうと、自分の授業ではこうする、そうして生徒諸君には実力をつけてみせる、そういう自負を(たとえ強がりでも)持つのが、教員という職業だと思う。
本来、教員がこんな自信と責任とを持っていれば、よっほどのことがない限り、授業はきちんと成立すると思うのだ。
わかりにくい学習内容をわかりやすくする。
普通に学校へ来ている生徒、授業中に座っている生徒は、とりあえず授業を受けようという気持ちがたとえ0.01%でもあるから教室にいるわけで、そうでなければ立ち歩くか、どこかに隠れているか、そもそも学校に来ない。
授業に引きつけようという努力は、教員である限りは絶対になくならない。
その一方で。
授業が成立しなくなるような要素には徹底してひるまずに対決すべきではないか、特に最近の「学校」にはこの点が欠けているのではないかと思える。
授業中にトランプをしている。
ふざけるな、となぜ言えないのか。
お前に与える成績など無い、となぜ断言できないのか。
担任だから、担任ではないから、などはいっさい関係ない。
不思議で仕方がない。
体調が悪くて保健室に駆け込み、授業に居なかったら欠課である。
では、なぜ授業中にずっと寝ていても出席となるのか。
授業中にまったく勉強していなくても出席となるのか。
不思議である。
「おまえ、おれの授業居なくていいから」
「年間の3分の1以上、授業出るな。誰にも文句の付けようのない形で留年になるから」
「寝ていて、起こしても起きなかったら、時間に応じて遅刻や欠課にするから」
伝家の宝刀であり、そのうちこう言うかもしれないよ、と知らせた生徒もいる。
こう断言できるくらいの自信を持ち続けて教壇に立ちたいものだなあ、と思う。
話は戻って漢文。
書き下し文を16書かせた。
ただの語順は余裕である。
助詞・助動詞をひらがなに直すこともできている。ただし、活用させて書き下すことが少し弱い。助動詞「ず」などの活用表が書けて、音読を多くすれば書き下し文の感覚を体得できると思われる。(音読もしない者には手の施しようがない。うーむ)
置き字はなんとなくわかるようだ。
再読文字がほとんどできない。手を変え品を変え勉強し続けるしかなさそうだ。
最初のドタバタからか、終了時間を5分まちがえて早くやることが終わってしまう。でも実は特進クラスの105%で授業を巻いていたので、学習内容の進度には全く問題なしだったり。(苦笑
ちょっと早い帰りの会・掃除。
と言いつつ、明日の球技大会の説明があって他の日と同じくらいの終わり方をする。
今までやってきた「さっと掃除」ではきれいにならなくなってきたので、週に1度の教室大掃除を設定する。
同じく「生活記録」の提出がゆるくなってきたので、その未提出な生徒たちで教室掃除を編成する。
ぶぅぶぅ言う生徒たちの反応が内心ではかわいらしく思うのだが、いちおううるさく「掃除しろ」「掃除しろ」と急き立ててやらせる。
ひょっとしたら甘い顔なんかせずに厳しく叱りつけながらやった方が、掃除する時間も短くなって早く解放されるのではないか、却って生徒のためになるのではないか、と思った。
「コワイ」「威圧感たっぷり」と生徒から言われる同僚の顔を思い浮かべて、また楽しくなる。
そっか。「いやだいやだ」とだらだらやるよりは、さっとやった方がいいよな。
いつか教員のお食事会でもあったら聞いてみようかなぁ。
放課後。
職員室へ戻ったあたりから頭痛。ややひどい。
学級日誌、出席簿の確認、定期試験のために諸資料のコピーを取ってまとめたあたりで限界。
悪いな、と思いつつも生徒会の子たちの会議に出ずに撤退。
夕食の用意もせず、少しパンをかじって夕方から早々と寝てしまう。