前ヘ、前ヘ。

2005年4月5日 お仕事
 新クラス発表など悲喜こもごもな生徒たちの相手をしながら午前中を過ごし、午後、お通夜の手伝いとして斎場に移動。
 
 実は、今までこういったことの役員をやったことがない。"教職員互助会"のメンバーとして1年間の役割を引き受けたのである。
 何事も経験であるし、ボク自身そもそもがたくさんの先生たちに助けていただいて仕事が続けていられるわけだから、その恩返しをしたい。
 
 といっても葬儀はしんどい。
 「できることならなるべくめでたいことで役員やりたいッスね」と移動中に言ったら、「せきねさんが結婚すりゃあ目出度いじゃん」と返されて、思い切り墓穴を掘った模様。
 飢饉で年貢が納められませぬのです、お代官さま〜(苦笑)
 
 50代後半の先生の、お母上が亡くなられたということで、御歳は90歳過ぎで在られた。「大往生ですね」と声を掛け合っていたけれど、正直言ってあまり好きな表現ではない。
 何歳になろうと、家族は家族だ。
 むしろ永く永く一緒に生きてきたぶんだけ、哀しさはつのるのではないかと思ってしまうから。
 
 "教職員互助会"のメンバー3人で、学校関係者の受付を行う。
 教職員、60名近く。
 その先生が長く顧問を務めていた部活の卒業生(といってもボクよりも年上の人たちだが)、20名ほど。
 いずれも年度初めで仕事が忙しい中、参列するのが当然という雰囲気でやって来て、家族代表のその先生にごあいさつをし、焼香をし、帰っていく。
 「ありがとう」「もうしわけないね」と、その先生は穏やかに微笑みかけていた。母親に対して、哀しくない筈も無いというのに。
 
 
 しめやかにお通夜はすすみ、無事に終わった。
 明日の午前中、告別式にもお手伝いをしようかという話になって、"互助会"3人が申し出たところ。
 
「そりゃあ気持ちは有り難い。けれど」
 その先生は、今まで穏やかにしていた表情を改めて、ボクたちに言った。
「教員はね、死んだ者のために在るんじゃない。
 明日は入学式があるじゃないか。
 あなたたちもそっちの仕事があるだろう。
 教員が、生きている、"これから"がある、大切な生徒のために動かなくてどうするんだ?」
 
 静かに、本当に静かに言ったその言葉は。
 ボクの心に、真っ直ぐに突き刺さった。
 むろん比喩なのだけれど、本当に、胸にぷっすりと突き立ったような気がした。
 
 少し話し合いをして、一番長くいっしょに働いている先生が、自分からの気持ちとして告別式に参加したいと告げて、役員を終えて学校に帰ってきた。
 
 
 職員室。
 自分の机に戻ってきて、中2のクラスのモノをしまった。
 
 苦しかった。
 落書きで、黒板に他人の悪口を書くようなクラスだった。
 苦労をすることがバカらしいと思うようなクラスにしてしまった。
 まじめなことがまるで損であるかのようなクラスにしてしまっていた。
 担任の教科でもある国語で、良い点数を取らせてあげることができなかった。
 ボクは、もう二度と返ることのない中学2年の生活に、楽しさと充実の両方のあるクラスを、38人全てに保証することができなかった。
 
 新年度の切り替わりで。
 自分のできなかったことはもう永遠にそのままであるという事実。
 身震いがしていた。
 
 
 死んだ者のためではなく。
 今目の前に生きている者のために働け。
 
 たしかに真実、その通りだった。
 
 終わってしまったクラスのことは、少しの間だけ忘れていよう。
 今ここに、これから始まろうとしているクラスがあるから。
 
 
 良いクラスにしたい。
 だから、これからのことだけ考える。
 
 ごめんね。
 職員室内の席替え。
 本格的に諸会議等。
 
 その後に各担任は教室の点検。
 
 ……ウチだけ。
 なぜかオカシイ机ふたつ。
 さらに椅子が6つも足りない。
 もちろん、春休み前に何があったかは今から判るはずもなく。
 数さえ足りていればのんびりと違う仕事をするつもりだったのに、けっきょくクラス人数分全ての机・椅子をチェックせざるを得ないと判断。他にも壊れたりしているかもしれないから。
 
 放っておけないんだよ、ソウイウノ。
 だってさあ、新学期で学校に来て、新クラス行ったらさあ、「自分の席がない」とか、「自分の席が使い物にならない」とかって、サイテーじゃないですか。
 
 少なくとも、せきねが中学3年生だったらそんなのはイヤだ。
 
 というわけで。
 けっきょく夜の校舎内を探し回って不足分を調達。
 その他、旧クラスのモノをとりあえず片づけるだけで精一杯。
 
 25時に終了させる。もちろん職員室にはせきねだけ。
 
 次は?
 明日どんなことを言って、どんなことをするか、予定立てないと。
 手際よく、さっくりやりたいんだけどなあ。
 
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 28時を過ぎた。
 ようやく学級通信を書き上げた。
 ともかく生徒たちに期待したいこと、求めることをまとめた。
細々としたことは、これから、具体的に、表現していこうと思う。
 
 
 今までずっと、こんなふうに仕事をしてきた。
 自分自身の持っている力を、惜しみなく注ぎ続けてきた。せきねにとって「全力を尽くして」は事実の表現としてきた。
 生徒が、どう無理解だろうが。
 保護者が、どう無反応だろうが。
 
 別に後悔らしいものは浮かばないところが救いか、もしくは救い難さか。

天命、下ル。

2005年4月1日 お仕事
 新年度。
 新体制。
 
 まあ、いろいろ思うことはあるけれど。
 
 いずれにせよ、受けたり与えたりした恩なりなんなりを、完全に返すすべなど無いということは判っていた。
 それはどうしようもないことで、とてもかなしいことでもある。
 
 ある意味で、人生はずっと中途半端で。やりっ放しで。
 「すぱっと区切りよく」なんて、そう滅多にあるものではない。
 まして順調でなかったならば。
 
 終わらせられなかったものばかりのような気がする。
 ごめん。
 
 そのぶん、新しいことに気持ちを込めていきます。
 本を読んでいても。
 花に水をやっていても。
 食事をしていても。
 
 学年末。明日は新年度の開始。
 不安のような、落ち着かないような、漠然としたものを感じる。
 
 
 新しい運命が、近づいてくる。

ミニ文化祭。

2005年3月26日 お仕事
 ひたすら「寝て」「体温測って」の繰り返しで、朝7時ころに体温だけはほぼ平熱に戻る。
 ともかくも出勤。
 
 体育館にて準備の手伝い。やっていくうちに気分を上げていくことを心がける。
 快復の悪さに寄る年波を感じるのであるが、歳を取れば体をだまして活動することも上手になってくる。
 もともと頑丈な方ではないけれど、36度代のうちはほとんど普通に動くことができる。(普通の人には大したことではないだろうが、個人的にはけっこうすごいことなのだ)
 
 
 ミニ文化祭本番。
 
 合唱。
 和太鼓。
 柔道。
 空手。
 保健委員。
 演劇・美術。
 報道委員。
 そして文化祭実行委員。
 
 いつの間にこんなにも立派になったんだろう、と思いながら各団体の発表を見ていた。
 前例がない中でよくぞこれほどまで、としみじみ感じた。
 昨日夜の教職員送別会から帰宅後、激しい悪寒。すぐに嘔吐。
 水を飲んでも吐くありさま。
 
 寝て起きても体温は37.8度。悪寒は止まず、関節は痛む。
 さらにトラブルもあって、1時間目終わりに出勤。
 
 同僚たちに多大な迷惑をかけてしまいながらも授業に出る。
 こんな日に限って特別授業・4コマ連続の予定であったりする。外部模試の答案返却と問題の解説、春休み課題の提示がその内容である。
 チームを組んでいるウメザワ先生が「わたしがやりましょうか」と言ってくれるが、そのウメザワ先生だって3コマ授業が入っている。半分自習にして、どうにかして同時に2クラスを見てくださるつもりなのだろう。本当に有り難い心づかいだと思いつつも、1コマめに続いてご迷惑をおかけできない。意地だけで教室に行った。
 
 きっと、ただの意地だけであっただろう。
 立っていれば足がふるえる。
 話をすれば吐き気がする。
 歩けばめまいがする。
 黒板に向かえば手を付いてへたり込みそうになる。
 当然のように、教室内で今・誰が・どんな作業をしているか(していないか)などはほとんど把握できなかった。
 チャイムぴったりで授業を終わらせることを信条にしているくせに、時間配分も何もあったものではない。
 
 ひとりでベンキョウするよりマシだから、ガッコウが在る。
 みんなでベンキョウしたほうがマシだから、ジュギョウが在る。
 このシステムの存在意義を、たかだか一個人の体調でないがしろにしてよいものでも無いだろう。
 
 まして。 「最後の授業」。
 
 たくさんの先人たちが、教壇に最高の敬意がはらわれていた時代からの先人が、教育者として通り過ぎていった、「最後の授業」なのである。
 その場にいないなどという選択肢があるはずもない。
 
 ともかくも、"最低から3番目"の状態で「最後の授業」を終えた。(きっと1番めは欠席、2番めは途中退場あたりだろうと思う)
 
 
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 放課後。
 
 ただぐったりしていたせきねの指示をよく受け入れてくれて、「小さな親切委員」の3年生たちが、今まで集めたプルタブを箱詰めしてボランティア団体に送る手配をしてくれた。感謝。
 ハヤシ君、キミ、高等部行かずに来年せきね組になってくれんかね?(笑)
 
 明日開催のミニ文化祭「垂れ幕」の作成を、監督であるせきねが思うに動けないところでありながら、実行委員の装飾係とタカハシ先生・マツイ先生とが動いてくださって、ものすごく良いものができあがった。3年生の子たちと、女子ばかりの中でも手伝ってくれたイノウエ君、特に塾の時間ぎりぎりまで手伝ってくれたトサ君に大感謝。
 
 来年度中学3年古典の新採用教材の選定を、国語科の先生たちでしてくださった。一番居なければいけないせきねを気遣っていただいた。有り難い。
 
 なんとしても報恩感謝せねばならぬ、この大感謝。
 
 
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 最低限のことが終わってから、病院へ行った。
 
 ごくごく簡単に言うと「腹痛」。情けないことである。
 極度のストレス、疲労、風邪、微熱、そこに慣れない食事、と全部が合わさって内臓が故障した、といったところであるらしい。
 内蔵の機能が回復するまで食事を摂らないことを指示され、採血と便検査、そして点滴を受けた。
 
 腕に点滴の針を打たれ、うす明るい天井を眺めながらぼんやりと過ごした。
 
 
 我ながら、サイテーな日々だったかもしれない。
 願わくは、これが笑い話になる日が少しでも早く来るように。

人物評。

2005年3月24日 お仕事
 通知票の「所見」が、実はそんなにキライではない。
 人間観察と言うのだかは知らないが、この人はどんな人なのかということを考えるのが好きだ。(もっとも、そのすぐ次の瞬間に絶望したりすることもあるが)
 
 さらに教員であり、若い人たちに期待することも多いからいろいろ言ったりもする。
 そして、期待すればするほど、聞き入れてもらえなかった時の悲しみは深い。
 どうでもよければ、夜の駅にたむろする者たちのように少しの嫌悪感を覚えるだけで済むのだが。
 
 ともかくも、年度末にまとめる書類が山のようにあって「うおー」「終わんねー」と言いながらも。
 担任した生徒たちのいとおしいところやすごいところをたくさん思い浮かべながら、せきねは仕事を続けている。
 保護者会。
 全体で修学旅行についての話があって、その後に各クラスで。
 
 ウチのクラスは保護者の方の力をお借りして、軽く食事しながら懇親会。
 食べ物の手配などは全部していただいて、ホントにありがたい。
 
 良くないのは教員の長話か(苦笑)
 ダメだねぇ。もっと言葉を少なくしないと。要修行。
 
 あとは、のんびり、のんびり。
 それぞれが自由にしゃべって、各自の都合に合わせて帰る。
 
 なんて言えばいいのかな。
 保護者会にきちんと来る親御さんなんだから、やんちゃ君・やんちゃさんで悩むのは教員だろうが親御さんだろうが同じではないのかなあ。
 親御さん同士が友達になるのも、すごく大事ではないのかなあ。
 そんなことを考えると、全体会を済ませた後は「おつかれさまでした」とか「ありがとうございました」とかひとこと言って、お茶会をすればいいような気がしてくるのだ。
 
 学校に来たら教員と必ず話をしなきゃイカンなんていうこともあるまい。
 教員と話をしたい人もいるだろうが、教員と話をしたくない(けれど連絡があるから仕方なく来た)人だっているはずなのだ。きっと。
 今まで教員という人種からいやな思いをさせられ続けてきて、それでいて、ウチの学校の教員は違うから信じろ、なんてとても言えない。
 それは、教員という職業全体の罪だ。
 
 信用ならぬ教員。
 それはそれで仕方がない。ならば、せめて親御さん同士のつながりを持つことができないか。
 保護者会は、そんな得難い機会にもなり得る。
 
 いろいろ考えながら親御さんと話をし、保護者会は無事終了。
 
 
 うーむ。
 来年度の最初も、お茶会の方がいいような気もするなあ。
 生徒は(宿題を出していなかったりする者以外は)自宅研修。
 センセイたちはデスクワークと、年に1度の健康診断。
 
 身長。体重。胸部X線。胃部X線。血圧。心電図。内科検診。採血。聴力。視力。眼底検査。それと検尿・検便の提出。
 
 
 センセイも人の子です。
 
 「針が苦手なんだよね」と言いながら、けっこうマヂで採血から目を逸らしているセンセイとか。
 
 体重を測る時に、ズボンの中の財布からティッシュまで全部出しちゃうセンセイとか。
 
 心電図のための吸盤を胸に付けられる時に、くすぐったくて身もだえしちゃっているセンセイとか。
 
 せきねは眼底検査の時に(目の前でフラッシュをたかれるようなことをするのです)「目が〜。目がァァ〜!!」とか小声でふざけてしまって、看護士に「次、行ってください」ってたしなめられたりして。(すみません!)
 
 そんなこんなで、「んもぅ! 生徒以下!!」って怒ったのは高等部の養護の先生でありました。老いも若きもみんなで「ごめんなさーい」と謝ったのはココだけのハナシ。
 
 
 で、検便の説明を読んでいて、偶然目に留まったこと。
 
 最近の検便容器は液体の入った試験管みたいなのに、小さく便を取る棒がついていると思いねぇ。
 
便のとりかた
〔注意〕
 採便容器は子供の手の届かないところに保管して下さい。
 採便容器内の液を捨てたり、飲んだり、点眼、点鼻しないで下さい。
 採便容器を肛門に刺さないで下さい。
 
 ……。
 
 ……飲んだり
 
 ………点眼
 
 …………点鼻
 
 いや、ソンナコトをした人がいるとは思いたくないが。
 注意事項になっているということは………
 
 
 肛門に刺す
 
 …………。
 
 たしかに都合良く出なくて困った時はあるけどさ、ちょっとばかり痛そうじゃない?

最後の授業。

2005年3月7日 お仕事
 試験直前の授業、学年末の授業、これらをどう使うか。
 
 個人的な志向としては、"自習"にはしない。
 教科担当がいて、生徒がいて、それで"自習"ということに釈然としないものを感じるからである。
 
 授業は、"自習"をする場所ではないのではないか。
 
 こう思うのである。
 
 わたしは、"自習"という行為にはそれなりの能力が必要とされると思う。
 じっと机に座る能力。
 他人の"自習"を邪魔しない能力。
 自分で教科書やノートを用意する能力。
 自分の克服すべき課題を見つける能力。
 克服すべき課題に挑戦する能力。
 これらの訓練がされていない生徒集団が"自習"をしても、時間のムダである。
 ごく一部の生徒が勉強をしている中で、立ち歩き、おしゃべり、ふざけあいが蔓延する。勉強に取り組む生徒にしても、意識するしないにかかわらず、集中できないことおびただしい。(パチンコ屋に行って勉強や読書をしようとすれば、騒音の煩わしさがそれなりに実感できるだろう)
 
 もちろん、もし仮に国語が"自習"にしたところで、他の数・英・理・社のように各自が学習に取り組むという想定が成り立ちづらい、という現実もあるわけだが。
  
 
 flashを使った授業案もあったが、それは思いついた時点で却下。結局、テスト範囲の学習内容を復習して最後の授業を終えた。
 まあ、常々言う「わたしは教師ではなく教員である」という主張にも合致するから、これで良いのだろうとは思う。
 
 ……そう思うしか、ないだろうなあ。
 中等部・高等部ともに自宅研修。
 新年度の入学予定者・保護者を対象とした説明会。
 
 校長による心構えなどの講話。
 英語科から新年度準備の説明。
 4教科から入学式までの課題の説明。
 
 せきねは急遽、カゼで声が出なくなった主任の代わりに国語科の説明。持ち時間5分のなかで、お約束っぽく自分が顧問をしている部活を強調してみたり。
 
 
 まあ、長いと言えば長かったのだ。ほぼ2時間くらいかかったから。
 
 けどさ、途中で寝ている子を見たのは残念だったな。
 今日の朝・昼・夕、ガッコからここに入った人、アウト。
 ガッコは勉強する(もしくは仕事する)ところです。
 あり得ません。
 
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 つくづく、ガキンチョはキライだ。
 かつて「処女・童貞禁止の会」と銘打って酒盛りを続けた時があったくらい、オコサマがキライだ。
 
 別に年齢のことを言っているのではない。
 振る舞いに対してこのように言っているのである。
 
 授業中に勉強をする。
 仕事時間中に仕事をする。
 他人を貶めて喜んだりしない。
 一生懸命な人をできる限り助け、協力する。
 
 やるべきことをやり、やってはいけないことはやらない。
 人として、これらはごくごく当たり前である。
 そこが判らない人とは無縁でいたい。
 
 今日で言えば、有り得ない時間にこのページのキーワードを検索かけて飛んでくる。学校であれば授業中だし、職場であれば仕事中であろう。
 その行動は正しくありません。
 考えてください。
 
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 学校で、デュエリスト狩りをした。
 
 ウチの中等部は、マンガやゲームなどの持ち込みは禁止。
 それにかかわらず、放課後の教室で遊戯王カードで遊んでいる者を見つけたのである。
 せきねは当然仕事中であるから、デュエルに夢中になっている男子生徒が気付くまで待って、言った。
「それ、没収。担任の先生に預けるからカードケースに入れるなり、輪ゴムで縛るなりしなさい」
 最初は「せきねセンセなら見逃してくれるでしょ?」という期待を持っていたような視線の男子生徒たちだった。
 けれど、せきねの「ダメなものはダメ」という主張を察して、結局は職員室までとぼとぼと付いてきた。そしてその後は、担任にバトンタッチしておしまい。
 
 狗の仕事である。とてつもなく下品な仕事。
 
 そんなものわざわざ学校でやらずに、とっとと帰宅してどっかに集まって遊べばいいだけなのに。
 集めたカードをまとめて失わずに済むのに。
 
  
 つくづくがっかりする。
 
 こんな有様では、せきねが感動し、また尊敬している、中村聡氏やいけっち店長たちの目指している世界はぐんぐん遠ざかっていく。
 遊びのすばらしさ、カードゲームのおもしろさは伝わらず、ただ誤解だけが広がっていく。
 
 実のところ、他の先生がデュエリスト狩りをしたと聞いた時に、放課後のんびりしていたその男子生徒たちの一部には言っていた。
 「学校でゲームすんなよ〜」と。
 「は〜い」と、明るく返事していた。
 
 でも。
 せきねがその場を見つけてしまった。
 
 カードゲームで遊んでいたのは別の者だったが、そのデュエルをじっと見ていたのはおれが声を掛けた生徒だった。
 「……おまえなぁ」
 「ぼくはやってないッスよ!」
 帰ってきた言葉とその思考回路を知って、かける言葉が思いつかなかった。
 たしかに"おまえ自身"はやっていないな、と褒めればいいのか?
 
 
 おれは、ここでいったい何をしているんだろう。
 中等部全部で、1日かけて大会。
 せきねの役割としては、分会場の読み手を午前8試合・午後3試合。表彰のための集計。中等部国語国語科全員がフル回転。ひとりでも休んだら大会が成り立たないというすごさ。
 
 源平合戦・チーム戦。空札なしの50枚形式。
 午前中は6班による総当たりリーグ戦。
 午後はリーグ内順位から別れたトーナメント戦。
 
 ここのところ毎回、大会の運営形式が違ってしまう。なのでドタバタすることも多い。
 
 あたしゃ疲れたよ。やれやれ。
 
 それでもうれしいのは、知っている子たちがよくがんばっていること。(裏方をやっていて試合の様子を見守り続けられないのがとても残念ではあるが。)
 「元せきね組は強いねぇ」と複数の先生に言われたのも、実はちょっとうれしい。決勝に残った2チーム6人のうち、3人が敵味方に分かれて、がんばって試合をしていた。あとは表にも出てこない「札獲得最多賞」候補者一覧でも、ぞろぞろと名前が挙がっていた。
 現在のせきね組は決勝戦にまで行けなかったけれど、分会場でのリーグ戦では、ものすごい不得意な子たちのチームでも6位にはならなかった。大健闘と言ってもよい。(もっとも、ウチのクラスは男女間の連携がとても弱い。そこらへんが良くなると相当変わるとも思うが)
 
 "元せきね組"なんて言ったって、今のせきねは何もやっていないに等しい。だから極論すれば「それがどうした」ということにもなる。
 だけど"今のせきね組"もそれなりにやれていたから、まあ、せきねのやり方でも、少しは効いているかな。そう思おう。
 
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 自分で仕事をしたり、提案をしたりしてずっと感じていたことがある。
 ひとつめ。
 近くにいる人は、せきねが何をしようとしているか判らない。
 ふたつめ。
 後になって、だいたいはせきねの考えていたようなかたちになっていく。
 みっつめ。
 せきねから距離をおいてから、良き理解者になってくれることがかなり多い。
 
 若い時はこれがものすごく苦しかった。なんで判ってもらえないんだろう、って夜中にひとりで悔しい思いをしたときもあったっけ。
 熱心に事の是非を説いても、意義を述べても、その場に賛同者はいないのである。心の中は知らない。良いも悪いもない。無反応。もう泣きながら笑っちゃうくらい。
 
 今もそんなもんだ。けれど、そう悲しくもない。言うだけ言ったからいいや、と思えるようになった。遠く遠く後に理解してもらえるときもあるだろうし、理解してもらえなくても、どうせせきねは居ないからいいや、と。
 
 
 現在、仕事をしていてこだわっていること。
 
「生活記録」
 せきねとつきあいが長い生徒ほど、書き方はいい加減だ。必要性をかなり長文で学級通信にしたが、あまりはかばかしくはない。せきねのコメントの方が長いという時が多い。
 きっと文章を書くときに苦労するだろうなあ。
 メモでも業務日誌でも報告書でも仕事のメールでも、ある程度の文をさっと書くことが求められる。そこでストレスを感じていたら仕事以前の問題だ。
 
「あいさつ」
 不思議なくらいできない。牽制し合っているのか、朝から葬儀の場のようである。せきねは頭を下げているから、誰がどうだか判らない。誰が礼をしているかどうかチェックするのは、はっきり言って気持ち悪い。
 礼儀というのは自分がするべきものだ。相手の品性なんか関係ないのである。自分の品性だ。
 あいさつができないのは下品な集団だとつくづく思う。あいさつどころか、あからさまに避けている生徒もいる。外面は中学生・高校生という若さがあるから美しい。けれど、醜いね。
 
「授業態度」
 授業をつまらないと思うかどうか、それは成績の善し悪しに関係しない。しかし成績の良い学校・生徒ほど、どんな授業からでも何かをつかみ取る。和田秀樹の著書にある、灘中・灘高の様子を知れば明確である。
 あくまで「自分がどうするか」である。
 教員によって態度を変える。犬畜生と言うべきである。
 せめて、「人間」でいてほしい。
 
「学級文庫」 
 ウチの教室では、備えつきの本棚いっぱいにせきねのお勧め本を置いてある。「トリビアの泉」や「空想科学読本」や「ハリーポッター」や齋藤孝のシリーズなどもある。
 本は自身の境涯を開く。
 まあ、図書委員会主体+国語科で「お勧め本についてレポートを書きなさい」という課題が出たときに、ぎりぎりまで手を付けず、最後に読んでもいない学級文庫から適当に出してきて本当に最低限の課題提出をした者がいた時には、自分のやったことは間違っていたか考え込んだが。

「百人一首」
 授業を6分だけ"巻いて"、可能な限り「五色百人一首」をやってきた。ここのところ最初から「やる気がない」「札を遊戯王カードのようにして遊んで進行を遅らせる」「つかみあいをする」といった生徒がいる。
 中学での学習範囲をやっているうちに百人一首を覚え、高校の学習範囲で本格的になる古典文法をよりよく理解する。百人一首から可能な限り文法事項の用例を持ってくることができたならば、これはこれで何かが変わるのではないだろうか、と考えてきた。
 そんなことはこだわらずに、昔ながらの「覚えろ」で終わらせたほうがいいのだろうか、と思わなくもない。
 
「学級通信」
 学級通信を書く。配る。昨年度は100号。その前も100号。
 今年度は、100号はきっといかない。その前にやることが多すぎる。
 世の中には「学級通信とかがなくてクラスの様子が判らない!」なんて苦情を言う保護者がいるようだ。担任の先生も、学級を必死に統率している上にそんなことを言われたら可哀想である。
 で。
 熱心な親御さんが多いはずの私立で教員をやっていて、学級通信を出していて思うんだけど。
 せきねが「学級通信に対して」今まで文章でコメントをいただいたのは、3年間で2通。お手紙とメールでそれぞれ。
 苦情は来ないし、会話でお褒めいただく時はあるけれど、よっぽど書いている文がひどいんだろうね。まあ、このweb日記に上げているから、ここを読んでいる人も悪文についてはご存じだ。
 ともかくも、保護者も器量を問われると思う。
 「最近の学校は何もしてくれない!」
 おっしゃることももっともです、学校も努力しないといけません。
 ところで。
 建設的なご意見は担任の先生に述べていらっしゃいますか。
 保護者会役員や、学校行事へは参加なさってますか。
 小さな交流を続けていくことで良くなっていくこともあると思いますよ。
 
 
 
 親御さんが読んでいて少しでもいやな気持ちになる学級通信は作りたくない。
 ……と思っていたら、最近は書いて印刷することがほとんどなくなってしまった。うーむ。
 中等部入学試験。
 本日の業務は、正門より入場の誘導。および採点。
 
 在校生が補助員となって、ものすごい寒さの中、それこそ日も昇らないうちから仕事をしている。尊い。
 通学路に立って学校への案内に立つ。
 あいさつをする。
 受験生を教室に誘導する。
 いざ体調を崩した者が出た時に保健室へ誘導するために、廊下で待機し続ける。
 試験終了後に教室内を整理整頓する。
 
 本当に尊いことだ。
 苦労を知る者は、そのぶんだけ成長する。
 
 
 塾関係者も正門に駆けつけて受験生の激励をしている。
 保護者も子どもと共にやって来る。
 子どもは入学試験を受ける。
 
 それぞれ、しっかり身についている立派な振る舞いを見ることもできれば、メッキが剥がれていることに本人が気付いていない姿を見ることもある。
 
 塾関係者であれば、学校職員にどれだけ気を配っているかでわかる。
 塾の生徒を激励している時に、学校の迷惑になっていないか、気を配ることができているか。他人の動きを妨げていないか。
 補助員であろうが年輩の教職員であろうが、ていねいな礼ひとつが出てくるかどうか。
 
 保護者は、なんと言っても携帯電話の使い方である。
 どこで通話しているか、どれぐらいの声の大きさで通話しているか、それだけで学校にどんなことを言ってくる保護者かが見えてくる。
 
 子どもは、あいさつをされて返事をできるか。
 目線が地面を向いているかどうか。
 試験のあいだの休み時間にどんな会話をしているか。
 試験が終わったあとの机と椅子がどうなっているか。
 
 
 別に、普通にしていればいいんだけれどね。

魔法の、限界。

2004年12月25日 お仕事
 つかれるねぇ。

学級通信57号。

2004年11月15日 お仕事
クラス懇親会

☆13日(土)に、クラス懇親会が行われた。
 12:00〜14:00、多目的ホール。
 役員として動いてくださったのは、Hさん、Sさん、Oさん。
 23名の保護者の方々と、ノモト先生、せきねが参加した。
 
☆昼食をしながら懇談を、ということであったのだが、担任・副担任の合流が遅くなり、食事になったのは12:40ころ。
 教員の仕事は昼食の時間がずれて当たり前、というところがあるのだが、その時間まで保護者の方をお待たせしてしまったのは本当に申しわけないことだった。
 
☆食事ののち、せきねからクラス内のことを報告。
 授業ビデオの上映と、デジカメで撮った写真をスライドショーにしてお見せした。
 両方あわせて10分ちょっとくらいだったか。

☆授業参観は、我が子の様子を見に来るため。
 保護者会は、我が子の様子を聞きに来るため。
 なれば教員はクラスでの姿をどれだけ伝えることができるかであろう。まして保護者の方々で企画した会である。「来て良かった」と思ってくださるようなものにするべきであった。

☆授業ビデオは音楽。マツイ先生にお願いして、11/5(金)に撮影してもらったものである。

☆女子はアルトパートをずっと歌っていて、初めてソプラノパートにわかれたということであった。まだ楽譜を見て歌う段階なのだろうか、目線が音楽の教科書を追っている者が多かった。
 その中で、Eさん、Oさん、Iさんの立ち姿は良かった。さすが合唱部だ。
 また、Aさんのピアノが良い。
 総じて女子は、合唱へのまとまりが早い。
 今回のビデオでも、それぞれが良い姿であったと思う。
 
☆合唱が良くなるかどうか、は男子がカギと言ってよい。ハーモニーを支えるのは男子パートの強さによるとも言えるからである。
 ビデオで見たところ、若干恥ずかしがっているような姿も見受けられた。
 そのなかで、SくんとSくんの姿が良かった。落ち着いて歌っていた。
 すべてはこれからである。「俺の歌を聴け」というような悠然たる合唱を期待したい。

☆写真は学級通信にも使ったものをスライドとした。
 臨海公園、球技大会、田植え、勉強合宿、稲刈り、文化祭、日常風景、あわせて90枚ほどである。
 カメラを向けるとすーっと遠ざかる人もいるので、全員の写真が無かったのは残念なところであった。できれば写ってくれるといいなあ、と思う。
 
☆ともかくも、「問題が起こらないのが良いわけではない。細かい問題がありながらも、その解決を目指していくことのできるクラスにしていきたい」「『いろいろあったけれども、最高の中学2年を送ることができた』と言うことができるようなクラスにしたい」とお話しさせていただいた。
 そして、その報告を学年末の保護者会でしたいと、担任は心から願っている。
 
☆懇談会のおみやげとして「家庭教育ツーウェイ」という雑誌をお配りした。小学生の子を持つ家庭向けの記事が多いが、どの執筆者も「お宅の今年の担任はいいわね」とうらやましがられるような教員であり、その日々の教育実践から具体的に書かれているものである。もしよろしければ参考にしていただきたい。

回天詩。

2004年11月8日 お仕事
三決死矣而不死  三たび死を決して而して死せず
二十五回渡刀水  二十五回 刀水を渡る
五乞閑地不得閑  五たび閑地を乞うて閑を得ず
三十九年七処徙  三十九年 七処に徙る
邦家隆替非偶然  邦家の隆替 偶然に非ず
人生得失豈徒爾  人生の得失 豈に徒爾ならんや
自驚塵垢盈皮膚  自ら驚く塵垢の皮膚に盈つるを
猶余忠義填骨髄  猶ほ余す 忠義 骨髄を填む
嫖姚定遠不可期  嫖姚 定遠 期す可からず
丘明馬遷空自企  丘明 馬遷 空しく自ら企つ
苟明大義正人心  苟しくも大義を明らかにし人心を正さば
皇道奚患不興起  皇道 奚ぞ興起せざるを患へん
斯心奮発誓神明  斯の心奮発神明に誓ふ
古人云斃而後已  古人云ふ 斃れて後已むと
 
  
藤田東湖

 東湖、名は彪、字は斌卿、通称は虎之助、後誠之進と改む。東湖は其の号である。出生の地水戸市梅香は、其の束仙波湖に臨むを以て斯く号した。
 東湖夙に文武に勝れ、度量海の如く、大義を明らかにし、名分を正すを以て己が畢生の任と為し、国家の事変に遭遇する毎に常に死を以て自ら誓ひ、敢へて何ものにも畏れざるの気魄があつた。
 
 回天詩は、弘化元年五月の作で、当時藩主烈公、幕府の冤罪を蒙り、致仕して江戸駒込別邸に謹慎の身となるや、東湖もまた小石川藩邸内に蟄居を命ぜられ、切々の感慨遂に此の詩をなしたものである。
 持ち上がりで担任をやって、また教科担当をやってきた。
 顔を合わせない日がない、ということになれば、当然のごとく期待を寄せる生徒もいる。
 
 31歳になる年と、14歳になる年。
 年齢の差は17。
 親子と言えば有り得なくはないし、教員なんかであれば同僚ということもそれなりに普通である。25歳と42歳の担任がいる学年、なんて珍しくもなんともない。
 「ああ、近い将来、いい仕事をしそうだな」と、感じることもある。
 親ではないけれど親のような、友人ではないけれど友人のような、そういう気持ちに近い心情になることもある。
 
 だから、そのように期待をかけている生徒がいい加減なことをすることは、常にも増して悔しい。
 
 そこらへんの学校に行っている中学生や高校生が何をしようと、一般人以上の感慨を持たない。
 変なことをしていれば「バカだ」と思うし、良いことをしていれば語感軽く「すごいねー」と言うだろう。
 敢えて冷酷に言えば、他で何をしようと、知ったことではない。
 
 自分が関わりを持つ生徒に対しては、そうはいかない。
 力の限り叫びたくなる。
 
 おまえは自分の才能をドブに捨てるのか。
 
 けれど。
 親のような気持ちになっても、実際の親には及ぶまい。
 友人のような気持ちになっても、実際の友人には及ぶまい。
 たかが一介の教員ごときに、些細なことでなじられる理由も無い。
 
 まるで過去は無かったかのように、距離はひらく。
 どちらもどちらなりに、それなりの理由はあるわけであるが。
 
 
 これから何度こんな思いを繰り返すのか。
 耐え難くなったとき、わたしはこの世界から去るのだろう。

成績仮説。

2004年11月3日 お仕事
 言われたことがひとつできないごとに、試験の成績が90%になる。
 
 上履きをきちんと履く。
 制服を正しく着る。(ネクタイ・リボンをきちんとする。ワイシャツ、スカート丈を乱さない。)
 遅刻をしない。
 宿題を遅れずに提出する。
 教科書・ノートを授業の時にきちんと使う。
 忘れ物をしない。
 授業に集中する。
 掃除に積極的に参加する。
 家庭学習をする。
 
 
 例・本気ならば80点を取ることができる生徒。
 
 上履きのかかとをつぶして履く。
 制服の着方が乱れる。
 たまに遅刻する。
 宿題の提出が大幅に遅れる。
 掃除の手を抜く。
 家庭学習はたまにする。
 
 80×0.9^5=80×0.59=47.2
 
 
 75点なら44.3。
 70点なら41.3。
 
 だいたいこんなものか。
 わたしは自分の職業を、教員と呼ぶ。
 日々の生活で先生と言うことはあるが、教師とは呼ばない。
 
 師であるかどうかは、教える側が決めることではないからだ。
 
 「与える側」がどんなに全力で教壇に立とうとも、「受け取る側」は全力で受け取ることもあれば、全力で受け取らないこともある。
 
 師であるかどうかは、教わる側が決める。
 
 「教える」ということが技術である以上、明確に差というものがある。心ある教員たちは、自身がより良い技術を持とうとして努力を重ねる。
 
 それでは、良い教員さえいれば学校という組織に潜むすべての問題は解決するのか。
 わたしはきわめて懐疑的である。
 
 どんなに荒れている教室でも授業を落ち着いて受けようとする者はいるし、どんなに優れた教室でも最低限の宿題をやらない者はいる。
 
 生徒が学習をしても、学習をしなくても、基本的には教員の報酬は変化しない。
 生徒が何をしようが、何をしなかろうが、基本的には教員の生活に利害はない。
 しかし折に触れて指導するのは、それが本人のために必要であると感じているからだ。
 「与える側」が仮に全力で教壇に立っていたとする。
 「受け取る側」は、全力で受け取ることもある。
 「受け取る側」は、全力ではねのけることもある。
 受け取れば、それは「教師」と呼んでもいいだろう。
 ただ、わたしが観察するに、どの日本人も教えられたその時の都合に合わせて受け取る者がほぼ全員であるようだ。(日本以外はわからないが)
 日本では、「教師」は絶滅に瀕している。
 
 
 やるヤツはやるし、やらないヤツはやらない。
 
 自分がやっていることにどれだけの意味があるのか、雨降る夜に答えは見えない。

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