部活動の、高校最後の試合が行われてゆく季節となった。
 今までがんばってきた情熱を、この上ない「晴れ舞台」に置いてこよう。
 いろいろなことがあったはずだ。
 卒業していった先輩。
 君たちの後を追ってくる後輩。
 顧問の指導。
 ある時は心配し、ある時は喜んで、どんな時にも支えてくれていた家族。
 ともに悩み、ともに励まし合ってきた仲間。
 
 時にはめんどくさいと思ったときもあるだろう。
 勉強との兼ね合いに困ったときもあるだろう。
 むしゃくしゃした気分を、部活動で吹き飛ばしたときもあっただろう。
 
 それら全てを、コートに、フィールドに、ステージに。
 「晴れ舞台」に、輝かせる時が来る。
 
 わたし自身は、高校時代は文化部(生物部)、今は顧問としても文化部(文芸部)なので、実際に「晴れ舞台」と呼べるところに立ったことはない。
 けれども、高校時代には生徒会(会長)、今は顧問として生徒会(本部・執行部・文化祭実行委員)であるので、「晴れ舞台」に全力を賭けている仲間たち、生徒たちの姿を幾十幾百と見続けてきた。
 
 
  もしかしたら、勝つか負けるかは時の運なのかもしれない。
  けれども。
  最高に熱い試合をしてきてください。
  ひとりひとりが、遠い未来までずっと覚え続けているほど最高の。
  わたしたち全校生徒は、この学校から
  試合中の仲間たちのことを応援しています。
 
 いささか恥ずかしいが、高校3年の時、壮行会で生徒会長あいさつとして自分が言った言葉は、今も記憶に残っている。
 
 
 昨日14日は、わたしの知っているある生徒が、試合をしている日だった。
 わざわざ、決まった試合の日付をわたしに教えてくれたのである。
 変化した環境でも「がんばっている」「一生懸命にやっている」と。
 
 13日深夜まで、見に行こうかどうしようか、正直なところ迷っていた。
 
 結果として、そちらには行かなかった。
 そしてわたしは、今年度担当するクラスで次々と授業開きをしていった。そうすることが、自分なりの「晴れ舞台」というものに対する敬意だと思うことにしたからである。
 
 
 実は、「最初の授業」とは、教員にとって「晴れ舞台」たり得る。(個人的な見解であるが)
 自分の「晴れ舞台」を大切にせずに、他者の「晴れ舞台」を祝福することはできるのか、と自問した。その答えは、否であった。
 試合を見に行かないと決めたぶん、自分にはありきたりの授業開きができなくなった。
 普通に授業を始める予定を全部捨てて、今の自分にできることを考え、授業案を夜明けまで考えた。
 もちろん、必ずしもうまくいくかは、事前にはわからない。
 それでも、「晴れ舞台」で、自分のやりたいことをやろうと強く思っていた。

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