わたしは最近このように思っています。
 今の"学校"にできることなど、ほんの僅かなことでしかない。
  つい先日の奈良県での放火事件、医師の妻、次男、長女が焼死した事件で、高校1年の長男が逮捕されました。
 「なぜ?」という議論が今なお交わされております。
 しかし言葉は悪いですが、この少年がおかしいというように片づけてしまってもかまわないように思うのです。
 成績で叱責されることに悩み犯行におよんだということですが、それが真実ならば、この保護者会期間中にたくさんの家庭で放火が起きることになってしまいます。
 
 ただ、この少年が通っていた有名私立校は、次のように会見で述べています。
 「中学から剣道部に所属し、2段の腕前だった。目立たない生徒だったが、性格は明るくまじめだった(毎日新聞)- 6月22日14時12分」
 「最近は成績も上向きで悩んでいるような様子もなく、学校や身辺での目立ったトラブルもなかったようだ(産経新聞)- 6月22日16時18分更新」
 
 この学校が故意に少年の素行について隠蔽しているとは考えにくく、残念ながら「学校はこの程度のことしか認識していない」という現状であると言わざるを得ないのです。
 
 とてつもなく異様なものを抱え込んでいた少年。
 けれども。
 学校は「悩んでいるような様子もなく」としか言うことができない。
 
 
 こんな大きな事件でなくとも、学校の実状はそこかしこで確認することができます。
 通学路。
 登下校のマナー。
 服装。
 
 かつて、幾多の保護者の方からご指摘を受けました。
 「高校生の制服の着方がひどすぎる」と。
 実際に中学を終えて高校課程となった今現在、どうでしょうか。
 
 もちろん、毎日の朝に帰りに、「こんなことがあった」という話はしております。
 しかし。
 学校の中「だけ」で何かをやったとしても、その効果は無いに等しいのです。
 
 
 「学校」とは、生徒と教員と保護者とが居て、そして初めて、本当に理想的な「学校」となる。
 わたしはそう思います。
 
 「教員のいない」学校は、ただの遊びのみとなってしまいます。レジャーランド化した大学の姿を見ればそれは明らかです。
 「生徒のいない」学校は、それはそれは冷たいものでしょう。大人の都合のみで、動く死体のような生徒たちがそこに居るのみなのではないでしょうか。
 同様に、「保護者のいない」学校は、理想からほど遠いのです。
 ご家庭によって、さまざまな状況があろうかと思います。
 しかしながら、是非とも学校の動き、お子さまたちの動きにアンテナを立てていてほしいと思います。(この組の保護者の方々には、このような話は蛇足でございますが)
 
 
〈つづく〉

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