実習のまとめ、研究授業。
2006年6月20日 お仕事 長いようで短いような3週間の教育実習期間も、今日・明日で終わる。
いよいよ、教育実習での評価が下る、研究授業をしなければならない。
3クラスのうちの、どこのクラスで研究授業をしようか、という話は早くからあった。
3クラスとも中高一貫で、特進クラスと、普通クラスと、担任をしているクラス。
どこもそれぞれのクラスの雰囲気があって、また何時間目かによっても、やはりずいぶんと授業の雰囲気が違う。
「せきね(仮名)センセが研究授業をするとしたら、どのクラスでやりますか?」
その問いには、即答して言ったように思う。
「担任していない普通クラスの、午後もしくは1限めですね」
わたしが研究授業を行う一番の目的は、『今より良い授業をするため』という、ただひとつしかない。
そのためには。
最も不得意な教材や、最も労力を要するクラスで授業をして、それを見た他の教員からアドバイスを受けてマシになるしかない。
昨年度は、最も不得意な教材で、最も集中させる雰囲気を出しづらかったクラスで授業の公開をした。そこで敢えて厳しい評価や課題点を挙げてもらったことで、自分はおおいに学ぶことができたと思う。
だから。
今もし研究授業をやれと言われたら、わたしは担任をしていない普通クラスの、1限目か6限目を選ぶだろう。もちろんそれ以外でも指導してくださる方がいればものすごく有り難いし、日程の都合もあるわけだが。
担任している生徒たちもいとおしい。
けれども、気持ちで寄り掛かってしまうかもしれない。
特進クラスの生徒たちはすばらしい。
けれども、生徒たちの能力に寄り掛かってしまうかもしれない。
わたしは残りおよそ30年、教員をやっていきたいと思っているから、研究授業はそういうふうにやりたいと思っている。
「けれども先生の場合は」
実習生に言った。
実習生の研究授業は、大学の試験と同じように、その成果で評価が下るという大切な研究授業である。
決して課題山積の授業をしているわけではない。むしろ、並の教諭よりも良い授業展開をしているかもしれない。
だから、特進クラスの4時間目というこの上なく良い環境で、安心して研究授業をしてはどうか。
それはそれで、良いのではないかと思う。
こんなことを言うと、「しばらく考えます」と返事をした。
生徒に対するのと同じで。
細かいことでも直すといいなと思うことは、必ず言う。
大事な決断については、その選択をするとどうなるかの予測をしたあと、基本的に放置。
「自分で納得のいくこと」
「後悔してもしなくても、自分で選ぶこと」
これが一番大切だと思うから。
「担任しているクラスの、5時間目にします」
次の日、実習生はそう言った。
担任が言うのもナンだが、決して行儀のいい生徒たちではない。飽きれば授業への関心を失うし、時間や雰囲気にルーズな面はあるし、叱ったりなだめたりして、ようやく高入生と同レベル程度の国語の力を保っているのである。
実はムチャクチャかわいがっているけれども、毎日毎日叱らない日が無いような生徒たち。
しかも昼休みの後の授業。
「……いいんですか?」
「ええと、たしかに遊びから戻って来ない心配もあるんですけど、実習の担任クラスの生徒たちですから、ここで研究授業をやって、たとえどんな結果になっても納得できると思うんです」
すごいなあ。
しっかり考えて決断をして、そうして出した結果にウチのクラスを選んでくれた。それが我が事のように嬉しかった。
そうして。
参観した教員が10人を超えるほどで、あとで「自分で何を言っているか覚えていないところもあった」と言いつつも、悠然と研究授業をやりきったのである。
普段と同様、いやむしろ細かな流れは洗練されていた。
しかも、終了時間までぴったりという。
きっと「良い授業をしよう」という気迫が、ベストの結果をもたらしたのだろうと思う。
やはりどう考えても。
この期間で一番学んだのは自分のようである。
いよいよ、教育実習での評価が下る、研究授業をしなければならない。
3クラスのうちの、どこのクラスで研究授業をしようか、という話は早くからあった。
3クラスとも中高一貫で、特進クラスと、普通クラスと、担任をしているクラス。
どこもそれぞれのクラスの雰囲気があって、また何時間目かによっても、やはりずいぶんと授業の雰囲気が違う。
「せきね(仮名)センセが研究授業をするとしたら、どのクラスでやりますか?」
その問いには、即答して言ったように思う。
「担任していない普通クラスの、午後もしくは1限めですね」
わたしが研究授業を行う一番の目的は、『今より良い授業をするため』という、ただひとつしかない。
そのためには。
最も不得意な教材や、最も労力を要するクラスで授業をして、それを見た他の教員からアドバイスを受けてマシになるしかない。
昨年度は、最も不得意な教材で、最も集中させる雰囲気を出しづらかったクラスで授業の公開をした。そこで敢えて厳しい評価や課題点を挙げてもらったことで、自分はおおいに学ぶことができたと思う。
だから。
今もし研究授業をやれと言われたら、わたしは担任をしていない普通クラスの、1限目か6限目を選ぶだろう。もちろんそれ以外でも指導してくださる方がいればものすごく有り難いし、日程の都合もあるわけだが。
担任している生徒たちもいとおしい。
けれども、気持ちで寄り掛かってしまうかもしれない。
特進クラスの生徒たちはすばらしい。
けれども、生徒たちの能力に寄り掛かってしまうかもしれない。
わたしは残りおよそ30年、教員をやっていきたいと思っているから、研究授業はそういうふうにやりたいと思っている。
「けれども先生の場合は」
実習生に言った。
実習生の研究授業は、大学の試験と同じように、その成果で評価が下るという大切な研究授業である。
決して課題山積の授業をしているわけではない。むしろ、並の教諭よりも良い授業展開をしているかもしれない。
だから、特進クラスの4時間目というこの上なく良い環境で、安心して研究授業をしてはどうか。
それはそれで、良いのではないかと思う。
こんなことを言うと、「しばらく考えます」と返事をした。
生徒に対するのと同じで。
細かいことでも直すといいなと思うことは、必ず言う。
大事な決断については、その選択をするとどうなるかの予測をしたあと、基本的に放置。
「自分で納得のいくこと」
「後悔してもしなくても、自分で選ぶこと」
これが一番大切だと思うから。
「担任しているクラスの、5時間目にします」
次の日、実習生はそう言った。
担任が言うのもナンだが、決して行儀のいい生徒たちではない。飽きれば授業への関心を失うし、時間や雰囲気にルーズな面はあるし、叱ったりなだめたりして、ようやく高入生と同レベル程度の国語の力を保っているのである。
実はムチャクチャかわいがっているけれども、毎日毎日叱らない日が無いような生徒たち。
しかも昼休みの後の授業。
「……いいんですか?」
「ええと、たしかに遊びから戻って来ない心配もあるんですけど、実習の担任クラスの生徒たちですから、ここで研究授業をやって、たとえどんな結果になっても納得できると思うんです」
すごいなあ。
しっかり考えて決断をして、そうして出した結果にウチのクラスを選んでくれた。それが我が事のように嬉しかった。
そうして。
参観した教員が10人を超えるほどで、あとで「自分で何を言っているか覚えていないところもあった」と言いつつも、悠然と研究授業をやりきったのである。
普段と同様、いやむしろ細かな流れは洗練されていた。
しかも、終了時間までぴったりという。
きっと「良い授業をしよう」という気迫が、ベストの結果をもたらしたのだろうと思う。
やはりどう考えても。
この期間で一番学んだのは自分のようである。
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