ISBN:4061158902 外山滋比古 講談社 1977/01 ¥550 
解釈によって、生きていたものが葬り去られることもあるし、半死半生のものが生き返ったりもする。
 授業も、言ってみれば解釈だ。
 勉強する事柄がある。
 優れた教材であるにもかかわらず誰にも理解できないような授業内容になる場合もあるし、難解な学習事項も知的興味の尽きない授業内容にもなるだろう。
 
 
 授業をやっている。
 生徒が眠そうだ。
 ……ぐはっ。
 生きている生徒を次々と葬り去るせきね(仮名)の授業なのかっ
 
 学校とは基本的に凡人の教員が凡人の生徒にある程度の知識を与える場でしかない。天与の才が輝く生徒は稀であるし、その技量が伝説的とされる教員はさらに少なかろう。
 言ってみれば、何をしようがつまらないものはつまらないし、眠いときは眠い。
 それが現実的思考というものだろう。
 
 何をしようが学ぶ者は学ぶし、学ばない者は学ばない。
 大まかに見て、現代の日本では、生涯をかけて学んだか否かの結果を自分自身が受け取っていく。
 
 それならば、教員がどんな授業をしようが所詮は些事でしかない、とも言える。
 しかし。
 どうしても自分は、試験で良い点数を取ることのできる方がいいなあ、と思ってしまう。
 良い点数を取って、それが何なのだと言われると答えることができないし、あまり返事をしようという気にもならない。きっとそれは、良い点数を取った本人たちがそれからどうするかを考えていくべきなのだろうから。
 わたしはただの教員でしかない。
 ただ、教え込むだけ。
 師とは、それぞれが見つけていくべきものだ。
 それが教員である必要は無い。
 
 ともかく。
 うーむ、どうしたら眠くならないのだろう。
 特進クラスで聞いてみた。
 
 「黒板に書かない。口で言うだけ。生徒は必死にメモを取る。寝ようがない」
 「……いや、それはやめてください」
 板書に時間がかかっても、まあしょうがないワケか。
 
 「センセがおもしろいことを言うとか」
 「思いつかないし。……『フトンが吹っ飛んだー』とかどうよ」
 「………」
 (いや、界王さまは笑うんだけど……)
 
 「全部、生徒に書かせる。訳も文法も説明も」
 「センセはそれを見てチェックするだけ?」
 「そう……あ、ダメだ」
 「なんで?」
 「今でも授業が遅れ気味なのに、これ以上遅れたらとんでもないことになる……」
 
 「カカオ99%チョコでも食わせるか。きっと眠れないぞ。」
 「うは」
 「金かかりそうですね……というか授業中に菓子食べたらいけないのでは?」
 「生徒が勝手に食ってはイカンが、調理実習で作ったものは食べるだろう。教員が許可すればいいんじゃないのか?」
 「無理矢理食わせるんですか」
 「まあ、食べ物でなくてもいいよな。青汁でもいいのか」
 「いや、何か違う気がします…」
 
 うーむ。
 
 どうしたもんだか考え込んでしまって、教室で高校生を見ながらメシを食べた。
 休み時間くらいぱっちり目が覚めていたら、きっと授業のコストパフォーマンスも上がるだろうなあ……

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索