お昼過ぎちょっとまで、地域の集い。
ちょっとした発表を依頼されたので、今回は参加。
直前でクレヨンが必要になって、職場と会場を行き来したりする一幕も。
地域で「あそこのガッコのセンセイ」とモロバレなので、あんまり欠席するわけにもいかず。
仕事外では教員でもなんでもないんだけれども、素朴に24時間センセイであることを期待されるのもなかなかしんどい。(^^;;
「ああ、あの落書きした子たちが居る学校の」なんていう認識のされ方もありましたよ、ええ。
これでせきねが不義理を働いて、名実ともに「地域の敵」になってしまうのもどうかと思うので…
もっとも最近では、「どうしてもイヤだ」と言うほどのものでもなくなってきた。
分を守っておとなしく、それなりに地域で働いてきたので、「まあ、せきねセンセがいたずらを勧めているハズ無いし」「通学路じゃないところをうろうろしていても、そう耐え難いほどでもないし」なんて言ってくれる年輩の方も出てきた。
なんとか、地域から「出てけ!」なんて言われずに過ごしたいものである。
16:00くらいから御茶ノ水方面へ。
…おかしいな、今日も42000円も本に使ってしまった。(汗
さすがに今月は多過ぎるな。と言いつつ雑誌の定期購読申し込みをまとめて出す予定だから、給料日区切りで言うと書籍代が確実に10万超えるわな。
えーと、中等部担当になってからこのかた、だいたい1か月で40000円は超えていたから、36か月で約150万を書籍代に充てていることになるのか。
多いような気もするけれども、まぁ新車買うよりは安いだろうから、そう大したこともあるまいて。
そもそも、職人だったら3年なんか修行したうちにもならん。やっぱり10年、15年と研鑽して、ようやく一人前になるかならないかなのだろうし。
仕事というものに対する考えはいろいろな観点があるだろう。
能力や適性も違う。
だから一概には言えない。
けれど、わたし個人としては「良い仕事をするには、それなりの覚悟と準備はしたほうが良いのではないか」と思う。
たとえば。
わたしの仕事は教員。
教えたもので、場合によっては「人の未来が変わる」。
コレはコワイ。けっこうコワイ。
あんまり考えすぎるとガクガクブルブルで仕事ができなくなるのでほどほどにしているが、こんな考え方もあるだろう。
それゆえに。
やっぱり覚悟と器量なんだろうなあ。
「授業をうけろ。でなければ、死んでしまえ」くらいの気迫を持てたらいいなあ、と思う。
…わたしにも本当に難しいけれど。
もし万が一にも。
普通の授業中に生徒が遊んでどうしようもないなんていうことが起こったとしたら、だよ。
究極的には、進退伺を書いて免職を賭け、生徒の退学を求めるかもしれない。
だって、確実にその子の未来が変わってしまうんだもの。
当然、自分が構築した授業の正当性と、その生徒の行為の正当性とが問われるわけで。
どちらにより多くの非があるのか、第三者の判断を仰ぐしかないだろうと思う。
責任を負うだけの授業が構築できていなければ、教員により多くの非が。
授業を受ける者としての自覚が足りなければ、生徒により多くの非が。
そもそも義務教育が徹底されてきたのは、(敢えて言えば)日本でもつい最近のこと。地球上で見るとそんな体制はごくわずかの国でしかない。
「学ぶ」ということは、実のところ本当に厳しい。
わたしが大学院で知った「勉強すること」とは、油断すれば斬殺されるかのような、まさしく「真剣」な世界であった。
真剣なゆえに、何時間もかけて予習をし、発表用のレジュメを書き、空気が凍るかのような場面も多々あった。そうしてその後に、教授も学生も心から楽しく同じテーブルを囲んで食事会をしたっけ。
……ああ、あの時はしんどいなあと思ったけれど。実はものすごく楽しかったかもしれない。
次はどこにものを教えに行くのかなあ。うーむ。
ちょっとした発表を依頼されたので、今回は参加。
直前でクレヨンが必要になって、職場と会場を行き来したりする一幕も。
地域で「あそこのガッコのセンセイ」とモロバレなので、あんまり欠席するわけにもいかず。
仕事外では教員でもなんでもないんだけれども、素朴に24時間センセイであることを期待されるのもなかなかしんどい。(^^;;
「ああ、あの落書きした子たちが居る学校の」なんていう認識のされ方もありましたよ、ええ。
これでせきねが不義理を働いて、名実ともに「地域の敵」になってしまうのもどうかと思うので…
もっとも最近では、「どうしてもイヤだ」と言うほどのものでもなくなってきた。
分を守っておとなしく、それなりに地域で働いてきたので、「まあ、せきねセンセがいたずらを勧めているハズ無いし」「通学路じゃないところをうろうろしていても、そう耐え難いほどでもないし」なんて言ってくれる年輩の方も出てきた。
なんとか、地域から「出てけ!」なんて言われずに過ごしたいものである。
16:00くらいから御茶ノ水方面へ。
…おかしいな、今日も42000円も本に使ってしまった。(汗
さすがに今月は多過ぎるな。と言いつつ雑誌の定期購読申し込みをまとめて出す予定だから、給料日区切りで言うと書籍代が確実に10万超えるわな。
えーと、中等部担当になってからこのかた、だいたい1か月で40000円は超えていたから、36か月で約150万を書籍代に充てていることになるのか。
多いような気もするけれども、まぁ新車買うよりは安いだろうから、そう大したこともあるまいて。
そもそも、職人だったら3年なんか修行したうちにもならん。やっぱり10年、15年と研鑽して、ようやく一人前になるかならないかなのだろうし。
仕事というものに対する考えはいろいろな観点があるだろう。
能力や適性も違う。
だから一概には言えない。
けれど、わたし個人としては「良い仕事をするには、それなりの覚悟と準備はしたほうが良いのではないか」と思う。
たとえば。
わたしの仕事は教員。
教えたもので、場合によっては「人の未来が変わる」。
コレはコワイ。けっこうコワイ。
あんまり考えすぎるとガクガクブルブルで仕事ができなくなるのでほどほどにしているが、こんな考え方もあるだろう。
それゆえに。
やっぱり覚悟と器量なんだろうなあ。
「授業をうけろ。でなければ、死んでしまえ」くらいの気迫を持てたらいいなあ、と思う。
…わたしにも本当に難しいけれど。
もし万が一にも。
普通の授業中に生徒が遊んでどうしようもないなんていうことが起こったとしたら、だよ。
究極的には、進退伺を書いて免職を賭け、生徒の退学を求めるかもしれない。
だって、確実にその子の未来が変わってしまうんだもの。
当然、自分が構築した授業の正当性と、その生徒の行為の正当性とが問われるわけで。
どちらにより多くの非があるのか、第三者の判断を仰ぐしかないだろうと思う。
責任を負うだけの授業が構築できていなければ、教員により多くの非が。
授業を受ける者としての自覚が足りなければ、生徒により多くの非が。
そもそも義務教育が徹底されてきたのは、(敢えて言えば)日本でもつい最近のこと。地球上で見るとそんな体制はごくわずかの国でしかない。
「学ぶ」ということは、実のところ本当に厳しい。
わたしが大学院で知った「勉強すること」とは、油断すれば斬殺されるかのような、まさしく「真剣」な世界であった。
真剣なゆえに、何時間もかけて予習をし、発表用のレジュメを書き、空気が凍るかのような場面も多々あった。そうしてその後に、教授も学生も心から楽しく同じテーブルを囲んで食事会をしたっけ。
……ああ、あの時はしんどいなあと思ったけれど。実はものすごく楽しかったかもしれない。
次はどこにものを教えに行くのかなあ。うーむ。
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