などといっても特に大したこともなく。
 学年末試験が明日からなので、試験範囲のまとめをやったりやらなかったり。
 熱く語る先生もどこかにはいらっしゃるのだろうけれども、おれはそういうこともなく授業をして過ごした。
 
 今年度も終わり。
 幸不幸は判別つかぬが、1年生からずっと持ち上がり続けてきて、そんな中等部の授業が終わる。
 それでも、特別の感銘もなかった。
 むしろ冷ややかなほど平穏な気持ちで教室に向かい、戻ってきた。
 
 語るべきことは、毎時間の授業の中で語り尽くしている。
 もちろんそれもある。
  
 それもあると同時に。
  
 教員が何をしようと。
 学ぶ者は、なんらかを学ぶ。
 学ばない者は、なにものも学ばない。
 そんなごくごく当たり前の事実を、この目の前の生徒たちから教えられて、おれ自身が納得したからでもある。
 
 
 おれ自身が兄と思い、師匠と私淑してきた教員で、今の授業の組み立て方のほとんどを学んだ人がいる。
 あざやかな授業の構成と知的な教養を、穏やかで退屈させず毎時間展開していた。それでいて学力をも高める授業であって、どうしたらこんなふうな授業ができるようになれるだろう、とため息を何度ついたかわからなかった。自分が生徒でこの先生の授業を受けられたらどんなに良かったことか、と本気で思った。
 それでも。
 生徒で居眠りをする者がいた。
 ごくたまにではあったが、確かにいた。
 
 今なおその教員の作る授業に、おれは遠く及ばない。
 あとを追えば追うほど距離が遠ざかる気さえする。
 
 教員が何をしようと。
 学ぶ者は、なんらかを学ぶ。
 学ばない者は、なにものも学ばない。
 授業の技量あふれるほどの教員でさえ、そうなのだ。
 まして。
 おれごときではどうなのだ。
 
 こんな当たり前の事実から、おれは目を逸らし続けてきたのではなかろうか。
 いまさらながら思う。
 
 
 この生徒たちの入学式迎え入れのころから。
 準備に準備を重ねて。
 何が最善かを自らに問い続け。
 心を込めて話しかければ必ず納得してくれるのではないかと思い続け。
 人であるからには、トラブルも欠点もあるものと思い、それを越えてより良くなることを願って。
 生徒たちの過ごしやすい教室を整えようと動いて。
 
 そうして3年間働き続けて疲労で倒れた時。
 おれは。
 立ち上がれなくなった。
 
 能力も器量も「いつか良くなる」はずの、その「いつか」まで保たないことを思い知らざるを得なかった。
 凡人で。さしたる能もなく。
 かなしんでいいのか、がっかりしていいのか、それさえもわからずに、ただぼんやりと天井を見ながら寝ているしかなかった。
 
 
 今の体調はいたって普通だが、一度思い至ってしまったことは消えない。
 おれができることは、何なのだろう。
 おれにはどうしようもないと割り切って良いものは、何なのだろう。
 
 転んだら、自分で起きあがるしかない。
 そうして。
 起きてからどう動き出すか、自分で決めるしかないのだと思う。

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