昔の人の戒め。
 心の師とはなるとも心を師とせざれ
 この古文の場合、「心」とは絶えず移り変わっていく「揺れ動く心」を指していると考えられる。意味を付け加えて現代語訳・解釈をすると、以下のようになる。
 ころころと変わりやすい心・感情を、師匠が教え導くようにコントロールするようにするべきであり、逆に感情に支配されて、その心のままに生きていくようなことがあってはならない

 今、せきねが一番好きな勉強は国語、その中でも古典だったりする。
 漢文を読むと、"中国4000年の歴史"から将軍や軍師や皇帝や、自分の仕事をやり抜いた人たちが飛び出してきて、目の前に立っていたり一緒に大平原を駆けているような気がしてくる。"卑弥呼より古い" 三国志の英雄が、戦場を暴れている姿が見えるようだ。
 古文を読むと、1200年くらい昔からのご先祖さまがいて、祖父・祖母から昔話やちょっといい話を聞いているような気分になる。たまに話が長くて退屈しかける時もあるけれど、どんな時代に生きていても、人間ってあたたかいな、と思う。
 他の教科のどこらへんが楽しいかは他の先生に聞くとして、国語の楽しみはこのあたりかな、とも思う。
 
「その時の気分で生きるのはなるべくやめよう」
「自分で気持ちをコントロールしていこう」
 そう、昔の人たちは言っている。語り伝えているのだから、それは昔からずっと難しいことで、いろいろな人が苦労してきたに違いない。だって、そうでなかったら伝えられる必要のない言葉になるからだ。
 
 ひとりでがんばり続けるのは、難しい。
 だから「学校」がある、と言ってもいい。
 みんなで競い合ったり。
 真剣になったり。
 のんびりしたり。
 語り合ったり。
 それが充実した生活であればあるほど、きっと世界に羽ばたく強靱な翼を持つことができる。
 
 基礎練習を軽んずるスポーツ選手は大成しない。
 たとえば走り込みをしなかったとすれば、動き続けることのできる時間が短くなってしまう。
 だから、基礎練習に対して 「なんでこんなこと」と思ったとたんに、最高峰から遠ざかる。
 
 学問も同様だ。
 数学の計算。
 英語の単語。
 理科や社会の専門用語。
 
 そして。
 国語の漢字。
 中編の小説教材と同じだけの時間をかけて、本校中等部・国語科は漢字の授業を持つ。
 おそらく他の学校には見られないほどの情熱を注いで、基礎基本をやりなさいと言う。
 
 
 漢字検定、おつかれさま。
 合格の峰へ、心をコントロールしてたどり着けるといいのですが。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索