「いざという時にその人物の正体が解る」という(ような言い回しの)箴言がある。 
 もっとも、学校という(最近はそうでもなくなっているが)安全な環境には、基本的には上記のような生き死にに関わるような「いざという時」は来ないようになっている。
 
 けれども敢えて言えば、イベントの時などは充分な「いざという時」を推し量ることができるように思える。
 
 せきね(仮名)は教員であり、かなり本気で、どの生徒であってもいとおしく思い、どの親御さんであっても子どもを立派にしてあげたいという気持ちに共感する。
 けれどもせきね(仮名)の構成成分は教員だけではない。
 他人が卒業していった後も大学に在籍していた中で修得した程度の、人間観察力やら何やらはある。
 
 
 博物館見学に行った。
 自由な場所に置かれると、それぞれはそれぞれの判断で動き出す。
 博物館や美術館などの見学は、相当な知性と教養、知恵と知識が必要だと思う。
 ウチの学校の生徒たちは、どうだっただろう。
 
 こういう施設は大体が。
 オコサマが行くところではない。
 2ちゃんねるふうに言えば、「シロウトにはお勧めできない」。
 
 だからこそ。
 ウチの生徒たちが出かけていくことで、何らかを得てほしいと思うのだが。
 そもそも、今回は欠席な者もかなり居た。体調ではなく、各家庭の都合によるものもあったようだ。国立博物館の見学以上のものを得た土曜日であってほしい、と願わずにはいられない。
 
 こういった博物館見学などのことを「総合学習」というのは言い得て妙、であろう。
 この場合の「総合」は、「各教科の総合」ではなくて、「人間全体の総合」という意味で名付けられたのではないかと思えてくる。
 
 博物館とはどのようなものか。
 
 何かを得ようと思って訪れた者に。
 文物は、限りない先人の知恵をもたらしてくれる。
 そうでない者に。
 文物は、ガラクタとしての姿しか見せない。
 そして、その後に無限の連鎖が起こって人生は織りなされていく。
 
 
 生徒たちのその行動に。
 今後、何が連鎖するのか。
 
 観物、と言うべきなのか。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索