修学旅行が差し迫り、慌ただしい中で日々を過ごしている。
 担任のせきねにいたらないところが多々あっても、それなりに判断をして動く生徒が今年度は相当多い。
 だから、何かの問題が起きてもけっこう余裕を持つことができている。個別の生徒の様子をうかがいながら、機会を待つこともできる。
 
 それゆえに。
 学級で毎日のように。
 
 ありがとうと声を掛け。
 ホントに良いクラスだと思う、と言う。
 
 
 放課後のほとんど誰も居ない教室で。
 セイタローが寄って来て、言う。
 
「先生は、前のクラスはきらいだったんですか」
 去年から、こういう時のセイタローは、真っ直ぐでいながらもおびえたような視線でものを問うてくる。
 
 しばらく考えて、答えた。
「きらいになったことは、ないよ」
 無言で見上げてくる視線に、繰り返して言った。
「せきね自身からきらいになったことは、一度たりとて無い」
  
「ふーん」とも「そーですか」ともつかぬ表情をして、返事らしい返事もなく、セイタローは校内のどこかへ出かけていった。
 
 怒ったこと。
 叱ったこと。
 指導したこと。
 それはいくらでもあった。というよりも、それだけで過ごした1年だったと言ってよかっただろう。
 
 教室を離れれば、急いで机を動かし、雑巾掛けをしたふりをして掃除を終わらせた。
 じっと見守っていなければ、両手をついて水拭きをしている姿勢から前方に雑巾を投げて水拭きの距離を稼ごうとした。
 学級文庫として置いた本のカバーを取って、校内でマンガ本を読むための隠れ蓑にした。
 授業中に、消しゴムその他の文具を投げあって遊んだ。
 された者がその後に隠れて泣くくらいの悪ふざけをしてのけた。
 他人への悪口だけで黒板を埋め尽くした。
 国道の歩道橋下、何もないところを横断し、改めなかった。
 座席を移動し、集中することもなく騒然と授業を受けた。
 作業や学習に役立てるために用意した文具で、校内を汚したり、傷つけてたりしてまわった。
 ……他にも。
 
 それらすべてに、ダメだ、と言った。
 
 一向に止まなかった。
 話をしても通じないことが、どうしようもなく苦しくて、持っている教具を廊下で投げつけてしまったこともあった。
 
 それでも、あきらめなかった。
 文化祭でどんなに誘われても、かつて担任した生徒たちの所ではなく、今現在担任している学級にいた。
 もしかしたらあとはずっと会わないかもしれない高校3年生の卒業ではなく、中学2年の進級のために仕事をした。
 学年の終わりかけに、合唱の姿を見て、泣いた。
 クラス全員が、ひとりとして欠けることなく舞台に立っていることが、うれしくて、うれしくて仕方がなかった。
 
 きらいだったら、こうもできなかったのではないか?
 
 教壇に立ってこのかた。
 おれの生徒に対する気持ちは変わったことがない。
 
 
 おれから、きらいになったときは、ないよ。
 すべて生徒の最善のために、ひたすら仕事をしてきたよ。
 
 そう言いたい相手は、校内のどこかに行ってしまっていて。
 
 
 教室には。
 カバーだけ失われた本と。
 かつて誇りを持って「せきね組」と書き、誰かが「組」の字を黒々と塗りつぶした箒とが在る。

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