油断
 
 
 任侠ものの映画などで有名な俳優の菅原文太には、菅原加織という息子がいた。
 平成13年10月23日の深夜11時過ぎ、彼は小田急線踏切で新宿行きの電車にはねられて亡くなった。
 今後が期待される俳優とされていた菅原加織は、深夜に携帯電話で話をしながら歩いていたが、下り電車が通過した後、遮断機をまたいで踏切内に入り、上り列車にはねられたのであった。
 
 毎日のように使っている道ならば、ある程度の予測ができる。
 踏切であれば、「この上りが行けば遮断機が上がるな」とか、「このあとまだ下りが来るな」とか、ある程度予測ができるようになるものだ。
 そして、踏切は列車が過ぎ去った後でも、すぐには遮断機は上がらない。しばらく経ってからようやく警報機が鳴り終わって、それから遮断機が上がる。
 この数秒の時間が、慣れてくると意識の中で「もう電車は過ぎた」という合図に変わってしまう。
 
 しかし、列車の時間というのはいろいろな事情で変化するものだ。月曜の地震のように、ダイヤが変わってしまうことのある。「いつもこの時間の上りは行ったら遮断機は上がる」と思いこんでいても、その通りなのかどうかは実はわからないのである。
 
 "思いこみ"というのは、ときに取り返しのつかないことになるのだ。
 
 かなりの人が所持している携帯電話であり、歩行中の通話もそこかしこで行われている。
 しかし、電話で話をしていると周囲の状況がわかりにいくい点は、携帯電話が普及しているほどには理解されてはいないようだ。
 実際に試してみるとわかる。電話を持った手によって右なら右側、左なら左側の視界がかなり狭まるという事実。つまり、携帯電話を持つことで、自分の目に入る視野が一段と狭くなる。
 
 さらに、携帯電話をあてている方の耳だけでなく、あいている方の耳も実は通話に集中しているのである。
 「相手の話を聞こう」という姿勢が「聞く」という動作を集中させるので、自然とあいている耳も周囲の音を遮断するのだ。人込みの中や、騒がしい中でも電話ができることや、何かに集中しているとすぐそばのテレビやラジオの音も聞こえていないことがあるのを思い出せば判るだろう。

 このように電話で通話していると「視界がせまくなっている」「音が聞こえにくくなっている」という事実がある。
 「見ているつもりで」「聞いているつもりで」周りのことが判らない状態なのだ。
 
 通話中は、実に無防備な状態にある。
 さらにそこに予測していない車や電車などが接近してきたとき、若き役者は"期待の新人"のままで生涯を終えることとなった。
 任侠映画で一世を風靡した父・文太は、過保護と言われようが、同じく俳優の道を進んだ加織へのバックアップを惜しまなかった。
 菅原文太はその日、仙台で仕事をしていた。深夜、訃報が飛び込んだ。新幹線はもうない。ためらわずタクシーに飛び乗った。5時間かかった。
 息子と対面した時、どんな荒くれ者の役も演じきる文太が、必死に涙をこらえていたという。
 
「大事故」とは、ささいなことの相乗効果で引き起こされることもある。
 
 せきねは今まで携帯電話の許可証係として、手ずからルールを伝えてきた。その中に、「携帯電話の使用は家の最寄り駅までで、それ以外の登下校途中では使わない」というルールもある。
 また、「通学路を守る」というごく基本的なルールもある。
 
 昨年度、通学路の坂の途中で携帯電話を使用している生徒を何度か注意した。
 また、国道の歩道橋の下(当然、何もない)を横切る生徒を指導したこともあった。
 
 どちらも些細なことに思えるかもしれない。(実際にそういうことをしている近隣の住民もいる)
 皆にはたいしたことのないように思える油断がふたつ。
 しかし、このふたつの油断が、悲劇を引き起こす可能性があるのだ。
  
 生徒諸君がさまざまなルールの意味を考え、「毎日無事に過ごす」というかけがえのないことに敏感になってほしいと、せきねは常々思っている。
 自分自身、そして大切な大切な家族のために。

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