新クラス発表など悲喜こもごもな生徒たちの相手をしながら午前中を過ごし、午後、お通夜の手伝いとして斎場に移動。
実は、今までこういったことの役員をやったことがない。"教職員互助会"のメンバーとして1年間の役割を引き受けたのである。
何事も経験であるし、ボク自身そもそもがたくさんの先生たちに助けていただいて仕事が続けていられるわけだから、その恩返しをしたい。
といっても葬儀はしんどい。
「できることならなるべくめでたいことで役員やりたいッスね」と移動中に言ったら、「せきねさんが結婚すりゃあ目出度いじゃん」と返されて、思い切り墓穴を掘った模様。
飢饉で年貢が納められませぬのです、お代官さま〜(苦笑)
50代後半の先生の、お母上が亡くなられたということで、御歳は90歳過ぎで在られた。「大往生ですね」と声を掛け合っていたけれど、正直言ってあまり好きな表現ではない。
何歳になろうと、家族は家族だ。
むしろ永く永く一緒に生きてきたぶんだけ、哀しさはつのるのではないかと思ってしまうから。
"教職員互助会"のメンバー3人で、学校関係者の受付を行う。
教職員、60名近く。
その先生が長く顧問を務めていた部活の卒業生(といってもボクよりも年上の人たちだが)、20名ほど。
いずれも年度初めで仕事が忙しい中、参列するのが当然という雰囲気でやって来て、家族代表のその先生にごあいさつをし、焼香をし、帰っていく。
「ありがとう」「もうしわけないね」と、その先生は穏やかに微笑みかけていた。母親に対して、哀しくない筈も無いというのに。
しめやかにお通夜はすすみ、無事に終わった。
明日の午前中、告別式にもお手伝いをしようかという話になって、"互助会"3人が申し出たところ。
「そりゃあ気持ちは有り難い。けれど」
その先生は、今まで穏やかにしていた表情を改めて、ボクたちに言った。
「教員はね、死んだ者のために在るんじゃない。
明日は入学式があるじゃないか。
あなたたちもそっちの仕事があるだろう。
教員が、生きている、"これから"がある、大切な生徒のために動かなくてどうするんだ?」
静かに、本当に静かに言ったその言葉は。
ボクの心に、真っ直ぐに突き刺さった。
むろん比喩なのだけれど、本当に、胸にぷっすりと突き立ったような気がした。
少し話し合いをして、一番長くいっしょに働いている先生が、自分からの気持ちとして告別式に参加したいと告げて、役員を終えて学校に帰ってきた。
職員室。
自分の机に戻ってきて、中2のクラスのモノをしまった。
苦しかった。
落書きで、黒板に他人の悪口を書くようなクラスだった。
苦労をすることがバカらしいと思うようなクラスにしてしまった。
まじめなことがまるで損であるかのようなクラスにしてしまっていた。
担任の教科でもある国語で、良い点数を取らせてあげることができなかった。
ボクは、もう二度と返ることのない中学2年の生活に、楽しさと充実の両方のあるクラスを、38人全てに保証することができなかった。
新年度の切り替わりで。
自分のできなかったことはもう永遠にそのままであるという事実。
身震いがしていた。
死んだ者のためではなく。
今目の前に生きている者のために働け。
たしかに真実、その通りだった。
終わってしまったクラスのことは、少しの間だけ忘れていよう。
今ここに、これから始まろうとしているクラスがあるから。
良いクラスにしたい。
だから、これからのことだけ考える。
ごめんね。
実は、今までこういったことの役員をやったことがない。"教職員互助会"のメンバーとして1年間の役割を引き受けたのである。
何事も経験であるし、ボク自身そもそもがたくさんの先生たちに助けていただいて仕事が続けていられるわけだから、その恩返しをしたい。
といっても葬儀はしんどい。
「できることならなるべくめでたいことで役員やりたいッスね」と移動中に言ったら、「せきねさんが結婚すりゃあ目出度いじゃん」と返されて、思い切り墓穴を掘った模様。
飢饉で年貢が納められませぬのです、お代官さま〜(苦笑)
50代後半の先生の、お母上が亡くなられたということで、御歳は90歳過ぎで在られた。「大往生ですね」と声を掛け合っていたけれど、正直言ってあまり好きな表現ではない。
何歳になろうと、家族は家族だ。
むしろ永く永く一緒に生きてきたぶんだけ、哀しさはつのるのではないかと思ってしまうから。
"教職員互助会"のメンバー3人で、学校関係者の受付を行う。
教職員、60名近く。
その先生が長く顧問を務めていた部活の卒業生(といってもボクよりも年上の人たちだが)、20名ほど。
いずれも年度初めで仕事が忙しい中、参列するのが当然という雰囲気でやって来て、家族代表のその先生にごあいさつをし、焼香をし、帰っていく。
「ありがとう」「もうしわけないね」と、その先生は穏やかに微笑みかけていた。母親に対して、哀しくない筈も無いというのに。
しめやかにお通夜はすすみ、無事に終わった。
明日の午前中、告別式にもお手伝いをしようかという話になって、"互助会"3人が申し出たところ。
「そりゃあ気持ちは有り難い。けれど」
その先生は、今まで穏やかにしていた表情を改めて、ボクたちに言った。
「教員はね、死んだ者のために在るんじゃない。
明日は入学式があるじゃないか。
あなたたちもそっちの仕事があるだろう。
教員が、生きている、"これから"がある、大切な生徒のために動かなくてどうするんだ?」
静かに、本当に静かに言ったその言葉は。
ボクの心に、真っ直ぐに突き刺さった。
むろん比喩なのだけれど、本当に、胸にぷっすりと突き立ったような気がした。
少し話し合いをして、一番長くいっしょに働いている先生が、自分からの気持ちとして告別式に参加したいと告げて、役員を終えて学校に帰ってきた。
職員室。
自分の机に戻ってきて、中2のクラスのモノをしまった。
苦しかった。
落書きで、黒板に他人の悪口を書くようなクラスだった。
苦労をすることがバカらしいと思うようなクラスにしてしまった。
まじめなことがまるで損であるかのようなクラスにしてしまっていた。
担任の教科でもある国語で、良い点数を取らせてあげることができなかった。
ボクは、もう二度と返ることのない中学2年の生活に、楽しさと充実の両方のあるクラスを、38人全てに保証することができなかった。
新年度の切り替わりで。
自分のできなかったことはもう永遠にそのままであるという事実。
身震いがしていた。
死んだ者のためではなく。
今目の前に生きている者のために働け。
たしかに真実、その通りだった。
終わってしまったクラスのことは、少しの間だけ忘れていよう。
今ここに、これから始まろうとしているクラスがあるから。
良いクラスにしたい。
だから、これからのことだけ考える。
ごめんね。
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