世間のデュエリストたちは「神河〜」って喜んでいるだろうにボクと来た日には。
 
 稲刈り。……の引率。
 
 別にキライではない。むしろこういう自然とふれあう系の行事は大好きである。
 けれど気になってしまうんである。
 まず、集合・移動ののんびりさはここのところずっと感じ続けてきたこと。

 それ以上に気になったのは、刈り取った稲穂を集める際にこぼれたものを拾わず、ほとんどの生徒が特に気にしないでいたこと。
 最後に落ち穂拾いをするのかな、と思っていたのだが、時間が来たら終わってしまってそのまま。
 
 違和感を覚えた。
 食べ物について学ぶのならば、"大切なお米"をいい加減に扱わないんじゃないだろうか。
 あとで田の持ち主の方たちが集めるのか、鳥が食べてもかまわないのか、そもそもそういうロスは生じて当然なのか、わからないのだけれど。
 
 そもそも、連休の初日でバス移動に時間がかかり、最初から予定時間より30分以上遅れていた。
 それで、コンバインで多めに刈り取り、生徒たちが田に入って、少し刈り残しがあっても終わりにして、適当に集めた稲穂を脱穀して帰る。
 
 初めから終わりまで何となく釈然としない1日だった。

 けれどせきねに責任が無いというわけではない。
 生徒にきっちりとやらせるべきところはやらせるべきであったし、落ち穂拾いなら落ち穂拾いできっちりと提案すべきであった。
 きっと、つかれていて感性がすり減っているんだと思う。
 
 精神的健康度の末期状態である。
 自分で、感性の鈍いせきねは価値がないと信じているから。
 
 まあケガ人がいなかっただけでも幸いだっただろう。
 
 
 学校帰還後は文化祭準備の様子を漫然とながめて、適当な時間に帰宅。
 洗濯しながら寝たり起きたり、21時過ぎには就寝。

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