人、それぞれの在りよう

 とある女子バレー部の生徒がいる。
 この夏に、高校3年の最後の試合を終えて引退した。

 高校に入ったすぐの頃から、ものすごくアグレッシブなプレイをする生徒だった。
 身長もそう高い方ではない。ベストのタイミングでジャンプしてスパイクを打ち込むことができるくらいだった。
 試合になれば選手の誰もが必死だから、連携の充分でない時なんかいくらでもある。けれど彼女はいつだって守りに回ることなんかなかった。
 それで相手方有利だった試合の流れを曲げて、大逆転した時もある。
 最後の最後でスパイクが決まらずネットにかかり、負けてしまった時もある。
 勝った試合の後、熱心にスパイク練習をしていた。
 負けて悔しくて涙を流した後も、熱心にスパイク練習をしていた。

 そんな生徒だった。
 一方、普段の学校生活は、というとこんな感じだった。

 必ず、課題は出した。
 文句の付けようのない最低限で。
 
 時々行った小テストも、必ず合格した。
 ぎりぎりのラインで。
 
 授業は必ず聞いていた。
 とってもつまらなそうに。
 
 「なんでかなぁ」とか「こまったものだ」とか思ったこともあった。
 しかしある日、唐突に気が付いた。

 すべては、自分のやりたいバレーボールのためだった。
 言われたことは必ずやる。
 やらないと、バレーボールをやるかけがえのない時間が減るのである。
 1分、1秒たりとも居残りややり直しで練習の時間を減らしたくもないし、注意されるようなことをして大切なバレーボールをおとしめたくはない。

 なるほどなぁ、と思った。おもしろいなぁ、と思った。
 "自分の大事なもの"に対する、こういう態度もあるのだ、と教えられた気がした。
 教員に対して良い顔をするばかりが、必ずしも"良い生徒"では無いだろう。
 自分のすべてを賭けるものがあるという日々、これってものすごく尊いことだ。

 まあ、その後も何が変わるでもなかった。
 誇り高い生徒だから、何を言ったって迷惑がるだけだ、と思っていたから。
 せきねは授業をし、課題を出す。
 彼女はつまらなそうにし、けれど最低限はやる。

 せきねはその後に中学担当になってしまったけれど、その生徒についてだけは「バレーボールを続けている」と聞くだけでずっと安心だった。
 きっと、どんなにつらいことがあっても果敢に立ち向かい続けたことだろう。

 多分こうやって学級通信に書いたことを知っても、そっけなく最低限の礼儀で「そうですか」って彼女は言うだろうな、と思う。それもまたおもしろい。

 放課後、君たちが元気よく部活動に出ていくのを見て、こんなことを思い出した。

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