夏休みは8月終わりまで続く、という法は無いのです。
 
 こんな発言を聞くとみんな
 
 * お お っ と *
 
 とも思ってしまいますが。(汗)
 
 ナイス校長! っていうわけで授業開始。
 
 
 当然ですが、「マヂですか」から「マジかよ〜」まで、濃淡さまざまな声は聞こえてくる。
 ただ、物事にはメリットデメリットの両面があるわけで、今回のこの件に関しては、個人的に「アリかな」と思う。

  
そのいち。
 
 9月からの「いきなり通常授業」よりは、8月から午前中授業を行うことによって学校へ通う習慣を取り戻し易くなる。
 
 遅寝遅起き、遠い距離の通学、長い授業時間、中学生が体調を崩しやすそうな要素はかなりある。ウォーミングアップの期間を設定するのは大事なことだ。
 (ちなみに9月にその期間を、ということは無い。二期制なので9月は学期の最後の月という位置づけでしかない。)
 
 
そのに。
 
 前期期末の試験前、その準備期間はもともと必要であった。
 
 カンチガイしてはいけないが、試験って、生徒が勉強する機会のために設定されている。
 別に、試験をすることによって教員側で生徒をランク分けしたいわけではない。偽悪的に言い換えれば、"教員にはそんなヒマはないし、そんなシュミもない"のである。(少なくともせきねにとっては)
 
 普段の授業でインプットしたものを、試験によってアウトプットする。この繰り返しで、たしかな学力を身につけることを意図している(はずだ)。
 
 ならば、試験のための勉強を充分にやる、というのはとても意味のあることだろう。
 逆に言えば、事前(もしくは)事後に勉強をしない試験の意義というのは非常に少ない。
 ここらへんが心底わかってないといけないなあ、と思う。教員も、生徒も。
 
 
そのさん。
 しっかりと学力を付けて、大学全入時代を超えないといけない。
 
 日本の大学全体の募集定員と受験者数が等しくなる、逆転する、その境目が2007年だと予測されている。あと3年後くらい。
 
 壮絶な時代だと思う。
 
 母校の大学が経営難で無くなってしまう、もしくは通っている大学がつぶれてしまう、そういう可能性があるということだ。
 
 ただ"大学"と名の付くところを出ただけでは、自分の望む仕事に就けない、という傾向がますます強くなってくる。
 経営が苦しくなれば、醜聞につながる動きを見せる大学もきっと多くなるだろう。
 「生きるために自分の足を食うタコ」という表現があるが、その日を生きるため、どうにもならずに、なにかをしでかす可能性はある。
 
 もちろんそれらは学生たちの直接的な責任ではない。
 でも波の飛沫をかぶるのは、その学校に縁する者たち全員である。
 「"負のブランド"をかぶって進路を探す」なんて、就職活動をした者にとってぞっとする構図だと思う。
 そんなことなんでもない、と心の底から言い切れればいい。
 けれど、少しでも苦労した人は「かんべんしてほしい」「どんなに少しでもいいから自分には追い風がほしい」って思うんじゃないだろうか。
 
 壮絶な時代である。
 まだ、みんなでモーレツに勉強、勉強と言っていた頃のほうが心を決めやすい時代だったんじゃないだろうか。
 
 無責任な風潮の日々を漂っていると、何もしなくてもいいような気がしてくる。
 「勉強しろ、なんてうるせーや」と思う。
 「アルバイトで生きていけるじゃないか」と思う。
 
 でも、ホントにそうなのかな?
 
 
 と、いろいろ考えてみると、こうやって8月から授業が始まってもしょうがないかな、と思うのである。

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