問題。
太平洋戦争を止めることができたのは誰ですか。
国家が軍隊を動かす際に、それを命令する責任者がいる。
ヒトラーでも、ムッソリーニにでも、フセインでもよい。
1941年にハワイの真珠湾を攻撃した時から、日米は戦争状態に入った。
問題。
開戦にあたっての日本の責任者をひとりだけ選ぶとしたら、それは誰ですか。
戦争を始めた時に存在した会議は2つ。
御前会議。
五相会議。
五相会議で大まかな決定がされ、天皇の前で行われる御前会議で最終的な決定が為された。
問題。
昭和天皇即位後、開戦までに御前会議は何回開かれていましたか。
16年間に、8回。うち4回が開戦前の半年間に開かれている。
7月2日、対英米戦を辞せず。
9月6日、十月上旬までに決意す。
11月5日、武力発動は十二月初。
12月1日、ニイタカヤマノボレ一二〇八。
(12月8日、開戦。)
問題。
4つの御前会議で、天皇はどれくらい発言しましたか。
0回。終始無言であったと伝えられる。
9月6日に明治天皇の和歌を口にした以外は。
四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と 思ふ世に
など波風の たちさわぐらむ
(四方の海がみな同族であると思う世の中であるのに、どうして波風が立ち、穏やかでないのだろうか)
※戦争を避けたいという気持ちを伝えたのではないかと言われる
問題。
天皇はなぜ自身の意見をはっきりと述べなかったのでしょうか。
大日本帝国憲法
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス(第十一条)
国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ、其ノ責ニ任ス(第五十五条)
(天皇は陸軍・海軍を統率する。そして国務の各大臣たちは天皇を補佐し、その責任を負う。)
天皇には強大な権力があるかのように見える。
しかし実際には、天皇のもとには軍隊はなく、国務各大臣の下に軍隊があり、国務大臣が会議をして決定したことは天皇といえども勝手に変更したりすることはできないというふうになっていた。(まさしく"立憲君主制"の君主なのである。)
問題。
ではこの太平洋戦争、真珠湾攻撃の時の司令官は誰ですか。
南雲忠一。ちなみにこの人物は司令官になるまで、一度も空母に搭乗した時がなかった。
この人事は法令によって決まっていた。
兵学校・海軍大学を先に出た者から順に選ばれていったのである。
軍令承行令
軍令は、兵科将校・官階の上下・任官の先後により順次これを承行す。(第一条)
問題。
日本が戦争に負けた原因を挙げるとしたら、それはどんなことですか。
昭和天皇は、「陸海軍の不一致」「常識ある指揮者の不在」を挙げている。
東条英機は、「根本は不統制が原因である。一国の運命を預かるべき総理大臣が、軍の統制に関与する権限のないような国柄で戦争に勝つわけがない」と述べている。
問題。
もし太平洋戦争を止めることができたならば、それはいつ、どの段階ですか。
問題。
日本が再び戦争の当事国と為らないためには、どうしたらよいですか。
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「戦争の記憶を風化させないように」と言われ続けて69年。
なぜこの国は、文学としてばかり戦争を語るのだろう。
もちろんそれは無くてはならない作業ではある。
けれどそれで「戦争を知ったこと」「戦争を学んだこと」にはならないと思う。
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