高校生たちに残暑見舞いを書いたのはいいが、はて住所はホントに大丈夫かな、と思った。もう2年ほど離れているから、もし引っ越しているとせっかく書いたハガキが返ってきてしまう。
というわけで高校職員室へ確認に出かける。
ウチのガッコは「生徒カード」というモノがあって、住所やら家族構成やら通学の略地図やらを書いてある個票がある。もちろん部外秘で、たとえば教員が生徒に連絡をする時や家庭訪問をする際に活用されるわけだ。 それで住所を確認すればいいわけだ。
この「生徒カード」、入学後すぐに出される書類なので、変更は後から書き加えられていたりする。写真も、身分証明書用に撮られたものが追加で並べて貼れるようになっている。
つまり、入学前の顔(=1年の初め)、1年終わりのころの顔(=2年の初め)、2年終わりのころの顔(=3年の初め)、と並べてあるわけ。
思わず、「うっわー、こんなかわいかったっけか?」「オトナになったよなあ」なんてしみじみと思ってしまう。
こういうノって、本人からすれば実感がないものなのだけれどね。
ちょっと本来の目的から外れながらも、ふと気付いた。
「この表情の変化は、どこから来るのだろう」
1年、2年、3年、と並べてみると、当然顔のつくりは大人になっているはずだ。15歳から17歳に(そして18歳へ)なっていっているのだから。
けれど、それだけでは済まないものもある。
髪型、髪の毛の色、コンナモノはまだ良い。
(↑茶髪になっているやんちゃっ子とか、まだ良い。イヤだけど)
学年が上がるにしたがって、表情が良くなっている生徒と、表情が悪くなっている生徒と、その差がものすごいのだ。
普通、写真うつりが悪いとイヤな気分になるんじゃないだろうか。まして高校生。スタイルなどをけっこう気にする年頃だと思うのだけれども。
仏教で、"如是相(にょぜそう)"っていう言葉がある。
苦しんだり楽しかったりしている、それぞれの命の状態は「おもてに出る」ってことだ。
(っていっても残念ながら仏教にものすごく詳しいわけでは、ない。古典を読む背景程度しか知らない。)
なんでこんなにいやな表情なんだろう、と可能性を考える。
1)この写真を撮った業者がヘタクソ。
2)写真撮影の直前にいやなことがあった。
3)まわりでちょっかいを出していて、撮影に集中できなかった。
4)プリクラは良いけど身分証明写真なんかまともにやれない。
5)本人はそれなりにまともなつもり。
まあ大雑把に言って、「学校が楽しくない日々」を続けてきて、それが"如是相"にあらわれたんだろうな、と思うわけだ。
本当に、顔写真で毎年毎年の経過が並んでいるとすごい。
びっくりする。
「あー、充実してるんだねー」って、写真を見ると元気を分けてもらっているような感覚になる生徒もいれば、「コイツ何か大きな病気なの?!」って、ものすごく不安になる生徒もいる。
どうして「学校がつまらない」か、それは生徒個人の問題である(どうにかしようと思ったって、教員がどうにかできるものではない。高校生はそもそも教員が何を言おうと聞かないものは聞かない。)……のだが、生徒の表情にはどんな傾向があるのか、何が条件になっていそうか、は考えておくべきことだと思った。
かつて居た学年、700人弱。
生徒の表情のうつりかわりに注目して「生徒カード」を見直した。
ひょっとして、と思うことはあった。
……が、その"ひょっとして"は想像の範囲だし、どこかにこういった研究結果が明らかにされているかどうかも判らないので、非公開。
かつて担任した生徒、43名。
みんな、良い表情をしていた。
安心し、嬉しくなった。
というわけで高校職員室へ確認に出かける。
ウチのガッコは「生徒カード」というモノがあって、住所やら家族構成やら通学の略地図やらを書いてある個票がある。もちろん部外秘で、たとえば教員が生徒に連絡をする時や家庭訪問をする際に活用されるわけだ。 それで住所を確認すればいいわけだ。
この「生徒カード」、入学後すぐに出される書類なので、変更は後から書き加えられていたりする。写真も、身分証明書用に撮られたものが追加で並べて貼れるようになっている。
つまり、入学前の顔(=1年の初め)、1年終わりのころの顔(=2年の初め)、2年終わりのころの顔(=3年の初め)、と並べてあるわけ。
思わず、「うっわー、こんなかわいかったっけか?」「オトナになったよなあ」なんてしみじみと思ってしまう。
こういうノって、本人からすれば実感がないものなのだけれどね。
ちょっと本来の目的から外れながらも、ふと気付いた。
「この表情の変化は、どこから来るのだろう」
1年、2年、3年、と並べてみると、当然顔のつくりは大人になっているはずだ。15歳から17歳に(そして18歳へ)なっていっているのだから。
けれど、それだけでは済まないものもある。
髪型、髪の毛の色、コンナモノはまだ良い。
(↑茶髪になっているやんちゃっ子とか、まだ良い。イヤだけど)
学年が上がるにしたがって、表情が良くなっている生徒と、表情が悪くなっている生徒と、その差がものすごいのだ。
普通、写真うつりが悪いとイヤな気分になるんじゃないだろうか。まして高校生。スタイルなどをけっこう気にする年頃だと思うのだけれども。
仏教で、"如是相(にょぜそう)"っていう言葉がある。
苦しんだり楽しかったりしている、それぞれの命の状態は「おもてに出る」ってことだ。
(っていっても残念ながら仏教にものすごく詳しいわけでは、ない。古典を読む背景程度しか知らない。)
なんでこんなにいやな表情なんだろう、と可能性を考える。
1)この写真を撮った業者がヘタクソ。
2)写真撮影の直前にいやなことがあった。
3)まわりでちょっかいを出していて、撮影に集中できなかった。
4)プリクラは良いけど身分証明写真なんかまともにやれない。
5)本人はそれなりにまともなつもり。
まあ大雑把に言って、「学校が楽しくない日々」を続けてきて、それが"如是相"にあらわれたんだろうな、と思うわけだ。
本当に、顔写真で毎年毎年の経過が並んでいるとすごい。
びっくりする。
「あー、充実してるんだねー」って、写真を見ると元気を分けてもらっているような感覚になる生徒もいれば、「コイツ何か大きな病気なの?!」って、ものすごく不安になる生徒もいる。
どうして「学校がつまらない」か、それは生徒個人の問題である(どうにかしようと思ったって、教員がどうにかできるものではない。高校生はそもそも教員が何を言おうと聞かないものは聞かない。)……のだが、生徒の表情にはどんな傾向があるのか、何が条件になっていそうか、は考えておくべきことだと思った。
かつて居た学年、700人弱。
生徒の表情のうつりかわりに注目して「生徒カード」を見直した。
ひょっとして、と思うことはあった。
……が、その"ひょっとして"は想像の範囲だし、どこかにこういった研究結果が明らかにされているかどうかも判らないので、非公開。
かつて担任した生徒、43名。
みんな、良い表情をしていた。
安心し、嬉しくなった。
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