ヤリタ先生が放課後の会議に遅れていらっしゃった。とてもめずらしい。
会議後にヤリタ先生を含めて数名の教員でお茶話をしていたら、こんないきさつだった。
生徒の下校時に、その教室の窓が開いていて「窓、閉めて」と言った。
しかし3人居た男子生徒たちは、3、4度声をかけられても知らんぷりをして、そのまま帰ろうとしたらしい。
で、先生が、出ていこうとする生徒のひとりの肩をつかんで「待ちなさい」と言ったところ。
「人にものを頼む時は『〜してください』でしょ」
だそうだ。
「なんだと?」と思いつつ名前を聞いても、「言う理由はありません」と突っぱねたそうな。
他の教員の意見を総合すると、その生徒のひとりは、今日、課題をまったく出さずに手ひどく叱られ、頭にキていたらしい。
だからそういうことをした、んだそうな。
ある教員が言う。
「生徒と教師の差をつけさせない先生がいるから…」
「生徒とじゃれたりする先生、いるからねぇ」
・・・・・・あ、ボクですか?(^^;;
そうですか。
ごめんなさい。
生徒と遊んだりしてしまうから、そういう事件が起こってしまうんですね。
====================
諏訪哲二氏は言う。
「子どもは家庭においても主体であり、この爛熟した商品経済においても消費主体として自立している。」『なぜ授業は壊れ、学力は停滞するのか』洋泉社,2001
全世界が「自分中心」であることを疑いもしない者が、自分の気に入らない事をするわけが無い。
強要された課題など、意識に入れるはずもない。
他者の指示に従おうという意志を持つはずがない。
これを諏訪氏らのように、時代の趨勢で逆らいようがない、とする主張もごくまっとうで、正しいと思う。
社会が総レジャーランド化する中で、過去から続く学校という施設は、もう機能を果たし得ないと認めてしまうのである。
ゲームよりもおもしろい、メールよりもおもしろい、そんな勉強は存在しないのだ、ということである。
会議後にヤリタ先生を含めて数名の教員でお茶話をしていたら、こんないきさつだった。
生徒の下校時に、その教室の窓が開いていて「窓、閉めて」と言った。
しかし3人居た男子生徒たちは、3、4度声をかけられても知らんぷりをして、そのまま帰ろうとしたらしい。
で、先生が、出ていこうとする生徒のひとりの肩をつかんで「待ちなさい」と言ったところ。
「人にものを頼む時は『〜してください』でしょ」
だそうだ。
「なんだと?」と思いつつ名前を聞いても、「言う理由はありません」と突っぱねたそうな。
他の教員の意見を総合すると、その生徒のひとりは、今日、課題をまったく出さずに手ひどく叱られ、頭にキていたらしい。
だからそういうことをした、んだそうな。
ある教員が言う。
「生徒と教師の差をつけさせない先生がいるから…」
「生徒とじゃれたりする先生、いるからねぇ」
・・・・・・あ、ボクですか?(^^;;
そうですか。
ごめんなさい。
生徒と遊んだりしてしまうから、そういう事件が起こってしまうんですね。
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諏訪哲二氏は言う。
「子どもは家庭においても主体であり、この爛熟した商品経済においても消費主体として自立している。」『なぜ授業は壊れ、学力は停滞するのか』洋泉社,2001
全世界が「自分中心」であることを疑いもしない者が、自分の気に入らない事をするわけが無い。
強要された課題など、意識に入れるはずもない。
他者の指示に従おうという意志を持つはずがない。
これを諏訪氏らのように、時代の趨勢で逆らいようがない、とする主張もごくまっとうで、正しいと思う。
社会が総レジャーランド化する中で、過去から続く学校という施設は、もう機能を果たし得ないと認めてしまうのである。
ゲームよりもおもしろい、メールよりもおもしろい、そんな勉強は存在しないのだ、ということである。
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