還る。

2003年10月17日 お仕事
 中高一貫・先取り学習の一環で、中3の古典が「児のそら寝」と用言に入っている。・・・なんてまったくの同業者にしかわからない表現だ。
 簡単に言えば、中等部が終わった頃に、普通の高校1年の夏休みくらいまで勉強が進むということだ。

 3年前、4年前、かつて何回もやった授業内容。
 幾人もの職人芸を目の当たりにし、批評を受けてきた授業内容。
 それを、そのままなぞることになる。

 どこでどういう発問をするとどうなるか。
 どういう所でひっかかるか。
 どういう話をするとおもしろいか。

 とても愉しく教壇に立つ。
 耳の底に、かつていっしょに仕事をした人たちの温雅な声を聞きながら。

 もちろん、違うところもある。
 最も違うのは、生徒たちの雰囲気である。

 かつては高校に入学してすぐ、緊張感を持って授業に取り組むことができる者たちばかりであった。
 今は。
 高校で喩えれば2年の後半、学ぶことに意欲のある者のほうが少ないような教室。

 いたらない授業を公開し、指導を仰ぐこと4年にして13回。上を見ればきりが無いが、授業をする力は、現在が最も高いとは思う。
 だが。
 いいところ、4割ほどしかしみ込んでいかない。ひょっとしたら2割ほどかもしれない。

 とにかく面倒なことは避けたがる。
 初めて習う事柄でありながら、活用表ひとつさえも満足にまとめずに、「わからない」を連発する。

 でも、不思議と落胆はしない。
 逆説的に言えば、ここで通じる指導があれば、それは、初めて詳しい古文に触れる高校1年生に絶対に受け入れられるモノだからである。

 ナマイキな言い方をすれば。
 もしこのだらしなくもある生徒たちに知識を身に付けさせることができたならば、そこで初めて、恩義ある人たちの力量を凌駕する可能性が出てくるのである。

 わくわくしてくる。
 救い難い性格だと自分でも思うが。

 わくわくしながら、締め切りを過ぎかけている「後期学習指導計画」を教務係に提出した。

10月…用言
11月…『徒然草』「ある人弓射ることを習ふに」
        「能をつかんとする人」
12月…漢文「蛇足」
     「漁父の利」
     「狐、虎の威を借る」
1月・2月…『伊勢物語』「芥川」or「あづさ弓」
           「筒井筒」
3月…漢文「水魚の交わり」

 チームを組んでいる教員に、「ホントにやるんですか?」と驚かれた。
 用言もやらずに「夢買ふ人の事」(宇治拾遺)なんかやろうと言う人なのに(笑)
 ↑けっこう無謀なのです

 まあ、やれなくても構わないとは思っている。
 所詮、何をやろうとほとんど忘れてしまう。ならば、ひとつの教材を3時間程度で終わらせて同じ発問を繰り返してもいいじゃないか。そうしていくうちに、「あ、コレ、読める」「あ、コレ、解る」となればいい。

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