虚構の文節を。

2008年12月31日 日常
ことばというものは、渾沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言葉とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区別された、もの(原文傍点)やこと(原文傍点)の集合であるかのような姿の下に、人間に提示してみせる虚構性を本質的に持っているのである。
   第一学習社・国語総合「ものとことば」…鈴木孝夫『ことばと文化』より

 ふと思い出して、引用してみた。
 
 【以下、本文とは離れているので注意】
 
 
 人間が作り出したものは、自分の周りのことをより良くするために使われている(はずである)。
 「ことば」も、生きていくために便利だから作り出され、使われてきた。
 他のものも、大なり小なり、「ヒト」が「人」としてより良く生きていくために必要だ、と考えて残してきたものだと思う方が良いのではないか。
 
 たぶん、「1年の節目」と言われるものもそうなのだろう。
 連続している「世界」は、大晦日と元旦をことさらに区別したりはしない。
 飼い犬や飼い猫や、庭にいる雀たちを見ていると、12月31日と1月1日を区別している様子は、無い。
 おそらく、「人」だけが、(現代の日本人が現代の日本人らしく)「人」らしくしていくために、この「1年の節目」というものが必要なのだろう。
 
 ごちゃごちゃとして、切れ目なんか無いこの「世界」で。
 過去を思い。
 未来に願い。
 現在のささやかな喜怒哀楽に気付く。
 
 連続した時間に「虚構の文節」を付け、大晦日や正月をまるで眼前に見るように取り出してくる。そして、他の文化を持つ民族と違って(もしくは他の生物と違って)、年末年始をことさらに重んじる。
 それが、今までの日本人がこの時期にやってきたことであるのだろう。
 
 
 年末年始を、年末年始として過ごすことができるのは、きっと幸福なことなのだろうな、と思った次第である。

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