せかいにひとつだけのはな。
2007年8月20日 日常 コメント (2)『世界に一つだけの花』(せかいにひとつだけのはな)は、SMAPが歌う楽曲で、2003年の代表曲の一つである。ビクターエンタテインメントから2003年3月5日にリリースされた。作詞・作曲・編曲は槇原敬之。
wikipedia
(音でます→)http://www.momo-mid.com/mu_title/sekaini_hitotsudakeno_hana.htm
言うまでもなく、人口に膾炙している名曲。
教員の中でもこの歌に述べられるような精神を体現したいと望む者は多いのではないかと思われる。
理想がない生き方は、人間性に欠ける。
けれど、ただ夢想するだけではなく、現実を直視しなければならないのも、また人間。
たとえば学校という環境があって。
そこには、30名や40名程度を定員とする学級があり、それが束ねられて学年があり、学年が縒り合わされて、学校総体となる。
「全校生徒」とは。
それは単なる数字ではなく、個性の集合であり、「もともと特別な only one」になり得る者たちが存在している。
ひとつとして同じものはないから。
すべてを大切にしていきたい。
たぶん。
そう願いながら初めて教壇に立つ者は多い。
そうして、教室のひとりひとりの生徒の側に立っていこうとする4月。
それは、些細なことから始まる。
「給食のこのおかず、残してもいいですか」
こんなところから、始まる。
余ったデザートを誰が食べるか。
給食当番はどうやって盛りつけをするか。
盛りつけは多いか少ないか。
いつ食べ始めていつ食べ終わるか。
勝手に食べ始める。
勝手に食べ終わる。
他人の食事にいたずらする。
食べないものを特定のひとりに押しつける。
食べたいものを奪う。
食べるべきもので遊ぶ。
「だってあいつはいいって言ったじゃん!」
そうしてその荒れは、給食だけにとどまらない。
掃除。
休み時間。
放課後。
授業。
学校外。
あらゆるところで発火する。
新任の、意欲に燃えていた教員は。
理想に燃えていたのではなく、業火に焼かれるようになる。
その間、わずか3ヶ月余。
誰も、こうなった教員を助けない。
子どもたちは教室サバイバルを生き抜くのに必死であり、保護者は我が子を守るのに必死であり、隣の教室ではやはり似たような事態に必死であり、世の風潮は誤った者に対しては殊の外きびしい。
夏休み明け、教壇を去る者が居る。
それは単なる数字ではなく、輝く可能性と個性の集合であり、「もともと特別な only one」を世に送り出そうと、使命を胸に抱いた者たちであった。
担任が去った教室。
他の教員たちが片づけて、それでもまだ残る荒廃の跡。
夕暮れに陽が落ちかけ、換気扇だけが回る暑い教室の外で、蝉が勢いを増して鳴き続けていた。
誰に聞かせようという思いもなく、ふと出たこの歌は。
きっと挽歌なのだろう。
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