防災より減災。

2007年8月18日 日常
 地震が多い。
 いつまで続くんだか続かないんだか、収束するんだか大災害になるんだか、まぁ予測のしようがない。
 
 阪神・淡路や。
 東海や。
 仙台や。
 新潟や。
 そういう地域で大きな自然災害が起きていて。
 
 関東の地だけ安穏に過ごしたい、という気持ちはとても自然であるが、その一方でとてつもなく独り善がりの発想である。
 
 ああいう状況は大変だな、と本当に思うのならば。
 自分にも、タンスが倒れ、ガラスが飛散するくらいの災害に遭ってむしろ当然だというくらいの認識があっても良いのでは無かろうか、という気がする。
 
 
 恵まれていることに。
 現在のこの国は、災害に遭っても3日間自分で生き延びれば援助を受けることができる。
 
 
 1日に必要な飲料水は、大人で3リットル。
 家族一人につき、ペットボトルの水を段ボール1箱買ってくればいい。
 あとはトイレ用にでも風呂桶1杯ぶん、雑用のための水。
 寝るところに靴。
 なんでもいいから防災セット。
 軍手とマスク。
 救急箱。…ケガは軽傷に済ませて、痛みは耐えるしかない。
 あとは現金があれば、おそらくどうにかなる。
 
 
 「ひとり暮らし」とは、ひとりで生きるということで、そして、ひとりで死ぬことだ。
 そう思う自分にとって、部屋の壁一面の本棚が倒れる可能性と同時に、できるだけ生き延びる配慮をするのは気張ることもなく当然なことだと感じられる。
 
 自然災害を無くすことはできない。
 つまり、防ぐことはできない。
 だから、事象としては「防災」という二字熟語は非常にナンセンスだ。
 けれども。
 被害を減らすことはできる。
 「減災」という言葉をある政治家から聞いて、造語かと思いつつもその発想には感銘した。
 
 なるほど、「頭を使う」とはこういうことか。
 
 
 
 
 ……ただ、そこに、他者が在るとどうにも弱い。
 自分はひとりで死んでも構わないが(いや、実際には凡人だからとてもイヤだが)、身近に他者が苦しむのを見るのは勘弁してほしい。
 
 どこかの車に轢き逃げされて、なお身もだえする野良猫を、ただ抱えて見守るだけでも苦しさに涙が出る。
 それは、たかが畜生なのに。
 
 まして。
 
 ………。
 いや。
 マヂ勘弁。

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