今年度も、全20回予定で予備校講師がウチの学校にやって来るという土曜講座が行われる。
 
 今日ようやく、その土曜講座の中の古典に参加することができた。何年か前からの、ちょっとした念願だったりする。
 昨年度はクラスで遅刻する者多数だったので、講座に参加しようと思ってもそうすることができなかった。今年度は遅刻する者も今のところはそう多くもなく、いっそ割り切って参加していってもいいかな、とか思っている。
 
 担任の先生と講師の方とにあいさつをして、最初から最後まで、90分の講座を受けた。
 そのクラスの生徒には「なんで来るンですか」とか「オレの後ってイヤなんですけど」とか、かなりひどいジョークを言われたのだけれど、「いや、ティームティーチングとかじゃなくておれも講座受けるだけだから」とか「たとえおまえが寝ても血を吐いて死んでも放置するから」とか、さらにひどいジョークを言い返し、机を持ち込んで参加。
 
 結果は……かなりおもしろかった。
 普通に参加すると同時に、「この教材をおれならこう授業するとして、この人はこんな授業にするのか」と考え続けていたりして、90分がとても短いこと。
 
 
 間違いない、と感じたのは。
 この古文の講座はかなり有用だな、ということ。
 この講座についていけなかったら、まともな進路はないな、ということ。
 
 
 おれは。
 自分の授業が「つまんない」と言われても、「おもしろい」と言われても、「そうですか」としか実のところ返事ができない。
 なぜなら、自分でやっている授業を、自分自身で受けることはできず、したがって自分で客観的に評価することが決してできないから。
 
 
 しかし今日、講座を受けて感じた。
 他教科は知らず、今年度の土曜講座・古典に関しては、不都合が起きても講座を受ける側の問題であろう、というように。
 
 おそらく。 
 まじめな生徒は、文系で好きな進路を取るための大事な何歩かを、そのまじめさに応じて手に入れるだろう。
 そう思った。

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