学級通信第16号・第17号(保護者会より)
2006年6月28日 学校・勉強 たとえば。
配布されたプリント。
行事の連絡事項。
試験の結果。
これらは本来「忘れた」「めんどくさい」で保護者に見せずに済むものではないのです。
「同じ家に住み、養われている限り、親の監督下にある」のですから、それ相応の義務を果たさねばなりません。それを厭うならば、独りで住み、生活費を稼いで自立するべきなのだと思います。
"最低限"ができているかどうか、この些細なことから見えてきます。
わたしはこのような思いから、率直の上に率直な、意見交換のできる保護者会を目指しております。成績についてもほぼすべて公開させていただきました。
世界史の結果についても多くのご質問があることと思います。
世界史はほぼ「高校になって初めて出会う教科」です。中学課程での歴史はあくまで日本史が中心であるからです。そして内進生も社会については先取り学習をしていない。
言ってみれば、「同じスタートライン」から始まっての、今回の結果なのです。
表現がとても悪いのですが、内進生は「試験を舐めています」。
本来、歴史とは考える学問です。しかしその遙か以前に、まず用語や人名や事件の名称を覚えていない状態なのです。
それでいて、「わからない」とすぐにあきらめる。
やって、できないはずはありません。
国語では、外進生も内進生も"学年で同じぐらいの平均"になるのですから。
「同じスタートライン」からの世界史で、そもそも差の付くはずがないのです。
しかし実のところ、入試のために懸命な勉強をしてきた外進生と、のんびりと勉強してきた内進生とでは、今までやってきたことの差がついても、ある意味ではこの時期ゆえの現象として仕方のないことでもあります。
けれども。
国語ではほぼ互角でした。
やらせればできるのです。
頭が悪いなどと卑屈になる必要は、全くないのです。
迷わずに、毎日の学習を着実にやれば良いだけなのです。
それでありながら、特に我が組の世界史が低迷している原因は、授業中配布された要点プリントに手を付けずに平気でいる、宿題が未提出でありながら開き直る、そういう生徒が少なからず居たという事実があるからであります。
出てきた試験結果を前に、担当教員とも話をいたしました。
提出物の悪さが目に余るようなら、すべて担任にお知らせください、課題の範囲と未提出者の氏名があれば、必ず強く指導いたします、というように。
もとより、教科の平均点、クラスの平均点は教員が負うべき責任であり、不振な結果であったのはお詫びの申し上げようもありません。
私学の教員は公務員ではありませんから、教科担当はその教科の結果によって、学級担任はそのクラスの結果によって、厳しく判断され、場合によっては左遷や退職もやむなきことであろうと考えております。
それが、私学の教員の拠って立つところではないかとも思っております。
しかしそのような教員側の世界とは別に、生徒には生徒に課されたものがあります。
言うまでもなく、「1教科でも学年の成績が30点未満であると留年」という規定です。
学年を通じて定期試験を実施していって、後になるにつれて点数が良くなっていくということはどれだけ一般的なできごとでしょうか。
普通、学校生活を送っていくにつれて、試験の点数は最初の中間試験よりもだんだん取れなくなっていきます。感覚的に言うと、「ものすごい努力をして、それで少しだけ得点が前よりも上がる」というふうな印象です。
ですので、お子さまたちには今の状況を危機的にとらえていってほしいのです。
このまま過ごすと、半分以上の生徒たちが留年することになりかねません。
でありながらも、中間試験明けも生活態度が変わらない者も見られます。
もはや留年をするつもりであり、今年度の学習に関心がないというわけではないと思いたいのですが。
ただ「いやだな」と思うだけでこれといった学習もせず、期末でも成績が不振であった場合、これはいよいよ進級できなくなった時のことを考えなければいけなくなります。
了承しがたいと思いますが、その時はご了承ください。
(つづく)
配布されたプリント。
行事の連絡事項。
試験の結果。
これらは本来「忘れた」「めんどくさい」で保護者に見せずに済むものではないのです。
「同じ家に住み、養われている限り、親の監督下にある」のですから、それ相応の義務を果たさねばなりません。それを厭うならば、独りで住み、生活費を稼いで自立するべきなのだと思います。
"最低限"ができているかどうか、この些細なことから見えてきます。
わたしはこのような思いから、率直の上に率直な、意見交換のできる保護者会を目指しております。成績についてもほぼすべて公開させていただきました。
世界史の結果についても多くのご質問があることと思います。
世界史はほぼ「高校になって初めて出会う教科」です。中学課程での歴史はあくまで日本史が中心であるからです。そして内進生も社会については先取り学習をしていない。
言ってみれば、「同じスタートライン」から始まっての、今回の結果なのです。
表現がとても悪いのですが、内進生は「試験を舐めています」。
本来、歴史とは考える学問です。しかしその遙か以前に、まず用語や人名や事件の名称を覚えていない状態なのです。
それでいて、「わからない」とすぐにあきらめる。
やって、できないはずはありません。
国語では、外進生も内進生も"学年で同じぐらいの平均"になるのですから。
「同じスタートライン」からの世界史で、そもそも差の付くはずがないのです。
しかし実のところ、入試のために懸命な勉強をしてきた外進生と、のんびりと勉強してきた内進生とでは、今までやってきたことの差がついても、ある意味ではこの時期ゆえの現象として仕方のないことでもあります。
けれども。
国語ではほぼ互角でした。
やらせればできるのです。
頭が悪いなどと卑屈になる必要は、全くないのです。
迷わずに、毎日の学習を着実にやれば良いだけなのです。
それでありながら、特に我が組の世界史が低迷している原因は、授業中配布された要点プリントに手を付けずに平気でいる、宿題が未提出でありながら開き直る、そういう生徒が少なからず居たという事実があるからであります。
出てきた試験結果を前に、担当教員とも話をいたしました。
提出物の悪さが目に余るようなら、すべて担任にお知らせください、課題の範囲と未提出者の氏名があれば、必ず強く指導いたします、というように。
もとより、教科の平均点、クラスの平均点は教員が負うべき責任であり、不振な結果であったのはお詫びの申し上げようもありません。
私学の教員は公務員ではありませんから、教科担当はその教科の結果によって、学級担任はそのクラスの結果によって、厳しく判断され、場合によっては左遷や退職もやむなきことであろうと考えております。
それが、私学の教員の拠って立つところではないかとも思っております。
しかしそのような教員側の世界とは別に、生徒には生徒に課されたものがあります。
言うまでもなく、「1教科でも学年の成績が30点未満であると留年」という規定です。
学年を通じて定期試験を実施していって、後になるにつれて点数が良くなっていくということはどれだけ一般的なできごとでしょうか。
普通、学校生活を送っていくにつれて、試験の点数は最初の中間試験よりもだんだん取れなくなっていきます。感覚的に言うと、「ものすごい努力をして、それで少しだけ得点が前よりも上がる」というふうな印象です。
ですので、お子さまたちには今の状況を危機的にとらえていってほしいのです。
このまま過ごすと、半分以上の生徒たちが留年することになりかねません。
でありながらも、中間試験明けも生活態度が変わらない者も見られます。
もはや留年をするつもりであり、今年度の学習に関心がないというわけではないと思いたいのですが。
ただ「いやだな」と思うだけでこれといった学習もせず、期末でも成績が不振であった場合、これはいよいよ進級できなくなった時のことを考えなければいけなくなります。
了承しがたいと思いますが、その時はご了承ください。
(つづく)
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