アナハイム・エレクトロニクス社の試作機。
2006年5月30日 お仕事 「5単位・国語総合」を3クラス、というのが今年度わたしの担当する授業である。
長所としては「毎日忘れようがなく国語がある」という点なのだが、その一方「授業の連続で修正を考える余地がほとんど無い」というあたりはなかなかしんどい。
わたしは中等部からずっと持ち上がり続けている生徒たちが相手なので、どんな意味からしても「慣れている」のでどうにかなってしまう。けれどもこの5単位とは、一度関係がこじれたり小さな誤解がふくれあがったりするとえらくつらい時間になるだろうな、と思う。
つらいのだけれど、わたしは教壇では退かない。
わたしにとって、授業は45分で勝負をかけるコートのようなものになっている。
たとえミスをしようとも、そこで立ちすくめばサービスエースで沈むだけだから、雰囲気を自分に引っ張り寄せるために気を張ってい続けるべきだろうと思う。
それはさておき。
この「5単位」で少しでもまともな授業をしたいと思うと、事前にそれなりの準備をしておきたい。けれども下手をすると授業が連続していたり、そうでなくてもその日のうちに全部のクラスで学習内容が終わってしまう。のんびりと途中で修正している時間がない。
授業の構成ならば、まだ事前から時間をかけて考えればいい。(実際に授業をしたら良くない、なんていう時も当然あるが)
かなり致命的なのは、プリントを自作してそこに誤りがある場合である。
これはヤバイ。
訂正に時間が取られる。
訂正を徹底しなくてはならない。
間違えて覚えてしまうと余計な遠回りをする。
だから、実はプリントなんか出したくないのが正直な気持ちである。適切な問題集を買って、それをやることで済ませたいのが正直なところだ。
けれども、教員からただ一方的にしゃべって生徒に力が付くわけでもない。自分でやってみなくては修得できないのである。勉強に限らず万事に渡ってだけれども。
だからワークシートを作らざるを得ないのだな。
間違いが無く、生徒に力の付くような、適切な作業プリント。
うーむ。
放課後に考え込んでいると、某君がいた。
全部の発音に濁点が付くかのような声で「うわー」「やだー」とか言ってますが即捕獲(w
なぜその生徒か。
(1)わたしが良く知っていて。
(2)わたしの授業を受けてなくて。
(3)放課後に勉強をすることになってもまじめに取り組んで。
(4)プリントのミスに良く気付いて。
(5)授業でその内容を既に習っていて。
(6)率直に話ができて。
余計なところで従順とは言いがたいのだが(ヘンにへそ曲がりとも言う)、試作機のテストパイロットとしてはまあ優秀で、様子によっては量産化に踏み切ることもできる。
今日は他の子も居たのでいっしょにやってもらった。そっちは時間が無いとか言いながら抵抗せず。……某君とはえらい違いだ。でも、その子が最近の国語のどこでどう点が取れないのか今ひとつ判らないので、その点だけ微妙。
ふたりが帰った後で検討し、プリントに変更を加えたのは約10箇所ほど。同時に授業の展開を3つ考えた。
5人ぐらいいると良いかもしれないな、と思った。
と同時に。
高校の時の恩師を思い浮かべた。
恩師も、特定の高校生たちを連れて歩いているようなところがあった。
けれどそれは、「ひいき」とは雰囲気が違っていた。
少しだけそのメンツに入れてほしいな、とも思ったが、結局何も言わなかった。
ひょっとしたらあの時の恩師も、高校生たちの動きを見て、授業や仕事に役立てていたのかもしれない。
同じようなことをしていたのかもしれないなあと、ふと思った。。
長所としては「毎日忘れようがなく国語がある」という点なのだが、その一方「授業の連続で修正を考える余地がほとんど無い」というあたりはなかなかしんどい。
わたしは中等部からずっと持ち上がり続けている生徒たちが相手なので、どんな意味からしても「慣れている」のでどうにかなってしまう。けれどもこの5単位とは、一度関係がこじれたり小さな誤解がふくれあがったりするとえらくつらい時間になるだろうな、と思う。
つらいのだけれど、わたしは教壇では退かない。
わたしにとって、授業は45分で勝負をかけるコートのようなものになっている。
たとえミスをしようとも、そこで立ちすくめばサービスエースで沈むだけだから、雰囲気を自分に引っ張り寄せるために気を張ってい続けるべきだろうと思う。
それはさておき。
この「5単位」で少しでもまともな授業をしたいと思うと、事前にそれなりの準備をしておきたい。けれども下手をすると授業が連続していたり、そうでなくてもその日のうちに全部のクラスで学習内容が終わってしまう。のんびりと途中で修正している時間がない。
授業の構成ならば、まだ事前から時間をかけて考えればいい。(実際に授業をしたら良くない、なんていう時も当然あるが)
かなり致命的なのは、プリントを自作してそこに誤りがある場合である。
これはヤバイ。
訂正に時間が取られる。
訂正を徹底しなくてはならない。
間違えて覚えてしまうと余計な遠回りをする。
だから、実はプリントなんか出したくないのが正直な気持ちである。適切な問題集を買って、それをやることで済ませたいのが正直なところだ。
けれども、教員からただ一方的にしゃべって生徒に力が付くわけでもない。自分でやってみなくては修得できないのである。勉強に限らず万事に渡ってだけれども。
だからワークシートを作らざるを得ないのだな。
間違いが無く、生徒に力の付くような、適切な作業プリント。
うーむ。
放課後に考え込んでいると、某君がいた。
全部の発音に濁点が付くかのような声で「うわー」「やだー」とか言ってますが即捕獲(w
なぜその生徒か。
(1)わたしが良く知っていて。
(2)わたしの授業を受けてなくて。
(3)放課後に勉強をすることになってもまじめに取り組んで。
(4)プリントのミスに良く気付いて。
(5)授業でその内容を既に習っていて。
(6)率直に話ができて。
余計なところで従順とは言いがたいのだが(ヘンにへそ曲がりとも言う)、試作機のテストパイロットとしてはまあ優秀で、様子によっては量産化に踏み切ることもできる。
今日は他の子も居たのでいっしょにやってもらった。そっちは時間が無いとか言いながら抵抗せず。……某君とはえらい違いだ。でも、その子が最近の国語のどこでどう点が取れないのか今ひとつ判らないので、その点だけ微妙。
ふたりが帰った後で検討し、プリントに変更を加えたのは約10箇所ほど。同時に授業の展開を3つ考えた。
5人ぐらいいると良いかもしれないな、と思った。
と同時に。
高校の時の恩師を思い浮かべた。
恩師も、特定の高校生たちを連れて歩いているようなところがあった。
けれどそれは、「ひいき」とは雰囲気が違っていた。
少しだけそのメンツに入れてほしいな、とも思ったが、結局何も言わなかった。
ひょっとしたらあの時の恩師も、高校生たちの動きを見て、授業や仕事に役立てていたのかもしれない。
同じようなことをしていたのかもしれないなあと、ふと思った。。
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