未だ白雉は落ちざるなり。
2006年5月24日 お仕事 やっばりあれはマズイ、と結論づけた。
兆しである。
昨日、外部模試があった。
英・国・数、それぞれ80分程度の試験である。
朝の連絡をした後、そのまま担任したクラスで試験監督をした。
10分の放送によるリスニングテストから、80分の英語の試験へ。
放送の音が小さくてドタバタするというハプニングはあったものの、試験自体は通常どおり流れていくはずであった。
というか、流れた。
しかし、どうしても気になることがあったのである。
英語試験開始後に、幾人もの生徒が寝ているのである。
残念ながらおれは英語の授業に通じていないので、担任ではあるもののどういう展望とどういう実情の中でウチの学校の英語教育が行われているか実情を掴み切れていない。
英語の試験開始後、20分しないうちに幾人かの生徒が寝ている。
今の予備校での模試などでもこんな状景なのだろうか。
おれが思う「80分ならば80分に相当するだけの問題量がある模試」なのだろうという感覚は古いものなのだろうか。
「模試をまともに取り組まない者は、大学入試のことごとくが不合格であった」
「ちょろっと定期試験前に勉強をして成績を稼いでいた者が、最後の最後になって実力を糊塗し得ず、それまでの生活にふさわしい結果を受け取っていった」
この学校で掴んだ実感では無い。
最新の実感でも無い。
だからこそ、この悪寒が誤りであることを願いたい。
違う教室で国語の試験問題を見ながら、丁寧にやってくれているだろうか、と思い続けた。
一風変わった現代文が2題出題されていたが、考える持続力さえあれば決して難しくはない。これよりも過去に中等部で受けた模試の方が難しいぐらいである。
……「考える持続力」さえあれば。
古文は、少し先を見て展開していた授業がかなり的を射ていると思えた。出題された作品などまさしく予測的中という。それは自分なりに自慢ではあるが、全員が高得点をあげられたかどうか、ねばり強く解答したり見直ししたりしてくれたかどうかはむしろ不安でさえあった。
「個別に、生徒へおれの持っている国語を教えることができたら、この現状からどれだけの高みへ行けるだろう」と考えかけ、それが埒もないことに気付いて考えるのをやめた。
おれは家庭教師ではない。
そもそも信条として自身を教員と名乗っているのだから、師弟的なものを望もうという時点で矛盾も甚だしい。
幾人が無事に卒業まで辿り着くことができるのだろう。
幾人が希望通りの進路をたどることができるのだろう。
幾人が留年したり退学したりすることになるのだろう。
おれがやれるのならば代わりたいぐらいだが、数学・英語を中心とした教科を学び、進学校の生徒として与えられた課題をクリアしなくてはならないのは生徒それぞれなのだ。
暗澹たる思いを抱えながら、おれができるのは「単なる国語」でしかない。せいぜい過度の負担にならないように、わかりやすく、おぼえやすく、教材の急所を押さえられる理解をできるような授業を目指す程度である。
けれども、宿題を出す・出さない、勉強をする・しない、これはおれにはどうにもならない。
職員室で。
ひょっとしたら蒼ざめた顔をしていたおれのところに、数学の先生がノート提出一覧表を持ってきてくださった。
毎週月曜日に数学の問題10問を解いたノートの提出をさせ、提出した生徒、そうでない生徒、それぞれ色つきの表でわかりやすくまとめて下さっている。
今まで、月曜以外にこの表をもらったことはなかった。
なぜ今日にも?という思いを察したのか、その先生はこうおっしゃった。
「来週が中間試験前の最後のノート提出ですので。なるべく良い点数が取れるように、生徒への呼びかけの機会を多くできれば、と」
教員も人である。
時には(もしくは毎回の)授業の中で生徒たちのだらしなさに辟易することもあるだろう。それでもなお、前進の道がどこかにないか探してくださっていた。
言ってみれば、ただの課題提出表だ。けれどもそのわずかなことの中に込められた気遣いが有り難い。
またちがう時間に。別の数学の先生に会った。
おれがもらった表をのぞき込んで、「なかなかがんばってますね」と言った。
「そうですかね? まあ、毎週この表をもらっていますから、生徒に声を掛けてます。それに、生徒もよく言うことを聞いてくれる方かなあ」
「そうですか」
返却のために渡された小テストを受け取って、生徒たちの点数を見ながら聞いてみる。
「どうですか?……留年を覚悟しなければならないような生徒はいますか」
正直言って、訊きたくない質問だったが。
「今までのこともあるので大変でしょうが、それでも皆よくがんばっていますよ。問題を解き、課題をやり、わからないことを無くしていく繰り返しです」
文字では表現できないような、沈着にして、それでいて前向きな調子の言葉だった。
涙が出てきた。
誰もあきらめていない。
誰もあきらめていない。
湿った木から火を熾すように、未来を開こうとしてくださっている。
叱咤激励の限りを尽くして、最後の最後まで。
おれも。
持っているものの全てをかけていこう。
兆しである。
昨日、外部模試があった。
英・国・数、それぞれ80分程度の試験である。
朝の連絡をした後、そのまま担任したクラスで試験監督をした。
10分の放送によるリスニングテストから、80分の英語の試験へ。
放送の音が小さくてドタバタするというハプニングはあったものの、試験自体は通常どおり流れていくはずであった。
というか、流れた。
しかし、どうしても気になることがあったのである。
英語試験開始後に、幾人もの生徒が寝ているのである。
残念ながらおれは英語の授業に通じていないので、担任ではあるもののどういう展望とどういう実情の中でウチの学校の英語教育が行われているか実情を掴み切れていない。
英語の試験開始後、20分しないうちに幾人かの生徒が寝ている。
今の予備校での模試などでもこんな状景なのだろうか。
おれが思う「80分ならば80分に相当するだけの問題量がある模試」なのだろうという感覚は古いものなのだろうか。
「模試をまともに取り組まない者は、大学入試のことごとくが不合格であった」
「ちょろっと定期試験前に勉強をして成績を稼いでいた者が、最後の最後になって実力を糊塗し得ず、それまでの生活にふさわしい結果を受け取っていった」
この学校で掴んだ実感では無い。
最新の実感でも無い。
だからこそ、この悪寒が誤りであることを願いたい。
違う教室で国語の試験問題を見ながら、丁寧にやってくれているだろうか、と思い続けた。
一風変わった現代文が2題出題されていたが、考える持続力さえあれば決して難しくはない。これよりも過去に中等部で受けた模試の方が難しいぐらいである。
……「考える持続力」さえあれば。
古文は、少し先を見て展開していた授業がかなり的を射ていると思えた。出題された作品などまさしく予測的中という。それは自分なりに自慢ではあるが、全員が高得点をあげられたかどうか、ねばり強く解答したり見直ししたりしてくれたかどうかはむしろ不安でさえあった。
「個別に、生徒へおれの持っている国語を教えることができたら、この現状からどれだけの高みへ行けるだろう」と考えかけ、それが埒もないことに気付いて考えるのをやめた。
おれは家庭教師ではない。
そもそも信条として自身を教員と名乗っているのだから、師弟的なものを望もうという時点で矛盾も甚だしい。
幾人が無事に卒業まで辿り着くことができるのだろう。
幾人が希望通りの進路をたどることができるのだろう。
幾人が留年したり退学したりすることになるのだろう。
おれがやれるのならば代わりたいぐらいだが、数学・英語を中心とした教科を学び、進学校の生徒として与えられた課題をクリアしなくてはならないのは生徒それぞれなのだ。
暗澹たる思いを抱えながら、おれができるのは「単なる国語」でしかない。せいぜい過度の負担にならないように、わかりやすく、おぼえやすく、教材の急所を押さえられる理解をできるような授業を目指す程度である。
けれども、宿題を出す・出さない、勉強をする・しない、これはおれにはどうにもならない。
職員室で。
ひょっとしたら蒼ざめた顔をしていたおれのところに、数学の先生がノート提出一覧表を持ってきてくださった。
毎週月曜日に数学の問題10問を解いたノートの提出をさせ、提出した生徒、そうでない生徒、それぞれ色つきの表でわかりやすくまとめて下さっている。
今まで、月曜以外にこの表をもらったことはなかった。
なぜ今日にも?という思いを察したのか、その先生はこうおっしゃった。
「来週が中間試験前の最後のノート提出ですので。なるべく良い点数が取れるように、生徒への呼びかけの機会を多くできれば、と」
教員も人である。
時には(もしくは毎回の)授業の中で生徒たちのだらしなさに辟易することもあるだろう。それでもなお、前進の道がどこかにないか探してくださっていた。
言ってみれば、ただの課題提出表だ。けれどもそのわずかなことの中に込められた気遣いが有り難い。
またちがう時間に。別の数学の先生に会った。
おれがもらった表をのぞき込んで、「なかなかがんばってますね」と言った。
「そうですかね? まあ、毎週この表をもらっていますから、生徒に声を掛けてます。それに、生徒もよく言うことを聞いてくれる方かなあ」
「そうですか」
返却のために渡された小テストを受け取って、生徒たちの点数を見ながら聞いてみる。
「どうですか?……留年を覚悟しなければならないような生徒はいますか」
正直言って、訊きたくない質問だったが。
「今までのこともあるので大変でしょうが、それでも皆よくがんばっていますよ。問題を解き、課題をやり、わからないことを無くしていく繰り返しです」
文字では表現できないような、沈着にして、それでいて前向きな調子の言葉だった。
涙が出てきた。
誰もあきらめていない。
誰もあきらめていない。
湿った木から火を熾すように、未来を開こうとしてくださっている。
叱咤激励の限りを尽くして、最後の最後まで。
おれも。
持っているものの全てをかけていこう。
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