5日の夕方近く。
6日の入学式の流れを考えて最終確認をしたところ、あることに気付く。
壮絶な1年の開始になるかもしれない、大切な高等部入学式だと思っていたから、親御さんにも生徒にも聞き入れてもらえるような、願いを込めたあいさつをしたいと考えていたのであったが。
中等部3年の担任をしていたころから、考えて準備してきた話を使おうと思っていた。
どういう言い方をすると願いが伝わっていくか、それぞれが前向きな学校生活を送っていこうと思うことができるか、ずっと考えてきていた。
そして以前に3回ほど、やんちゃっ子集団への授業にかけてみた。やんちゃはやんちゃなりに話に付いてきていて、これなら新出発に語るべき言葉にふさわしいだろう、と思ったのだが。
……入学式前日になって無理っぽいということが発覚。
おーい(泣)
実は(というほどでもないのだが)せきね(仮名)は、ものすごく"本番に弱い"。
突然の出来事に対して、どうしても後手に回ってしまう。
とっさに的確な判断を出すことができる同僚がたくさんいる中で、これはかなり痛い。
記念すべき日に、準備したことが使えない。
いっそ適当にしゃべって終わりにしようかと、ちらと思った。
……なにか違う気がした。
中等部で、いろいろなことがあった。
苦しい思いをしている生徒がいなかったと言えば、それは大嘘になるだろう。
わたしは自分なりに力を尽くしたが、それでもたくさん間違えた。
では。
あやまちを犯したら、それで終わりだろうか。
苦しい思いをしたら、そのまま、それで終わりだろうか。
いやそうではない、と思いたい。
「人には無限大の可能性がある」らしい。
生徒も人であるし、わたしもきっと人だ。
ならば。
「今まで」ではなく「これから」に望みをつなぎたい。
それは生徒たちへの願いであると同時に、わたし自身への誓いでもある。
なにか、新出発にふさわしい話はないか。
家の本棚の中身のほとんどを床に積み、webのリンクからリンクをたどって一晩。
どうしよう、と思いながら朝になってしまった。
一晩かけて、一度も生徒に話したこともないし、blogでも学級通信でも取り上げたことのない話の原稿がいちおうできた。
web上からプリントアウトした紙をかき集めた。
入学式が始まり、どうしようどうしようと思っているうちに終わってしまった。
もう考える時間もない。
体育館での入学式から、保護者と生徒を連れて直接教室へ行き、ホームルームをすることになっていた。
さらに、副担任の先生にも急遽仕事が入ったのか、ホームルームに顔を出せるか出せないかわからないと言う。
……独壇場(汗
「大失敗をするより無難な方が良いかもしれない」
だから、簡単な自己紹介と行事予定をまとめた学級通信1枚と、いつの間にか3号ぶんになっていた学級通信と、どちらを出すか最後まで迷った。
教室に着いてみると。
後ろにはひさしく無いぐらい多くの親御さんたちが。
「中学も高校もたいして変わらないじゃん。どうせ同じ学校だし」
そう言う生徒たちに、いつの間にか影響されていたらしい。
しかし本当にたいしたことがないのなら、こんなに多くの保護者が学校に来るわけがない。
子どもに、立派になってほしい。
たとえ今までいろいろなことがあっても、これから高等部でがんばってほしい。
そう心から願っているから、この忙しい御時世に、まさしく万障繰り合わせて学校に来るのだろう。
自分たちの息子や娘が学校でどんな姿か見たい。
大丈夫、きっとうまくやっていける、と期待したい。
その思いもまた、わたしと同じではないのだろうか。
教室を改めて見渡す。
どんな縁からか、これから1年間ともに過ごす生徒たち。
「授業をします。せきね(仮名)がとても大事だと思っていることについてです」
一晩勉強して、それでもなお迷っていた方を、手に持った。
「今まで」ではなく「これから」を。
わたしたち全て、「人には無限大の可能性がある」こと。
結局、わたしが一番伝えたいことを伝えた。
いろいろあった選択肢の中で、一番大変な道を選んでしまった。
今日やったことで果たしてどれだけを伝えられたかわからないけれど。
大丈夫。
担任が少しくらいへなちょこだって、何か問題が起きたって、この子たちとなら、この親御さんたちとなら必ず越えていける。
入学式に、そう思うことができた。
幸せに仕事をさせてもらっているのかもしれない。
6日の入学式の流れを考えて最終確認をしたところ、あることに気付く。
壮絶な1年の開始になるかもしれない、大切な高等部入学式だと思っていたから、親御さんにも生徒にも聞き入れてもらえるような、願いを込めたあいさつをしたいと考えていたのであったが。
中等部3年の担任をしていたころから、考えて準備してきた話を使おうと思っていた。
どういう言い方をすると願いが伝わっていくか、それぞれが前向きな学校生活を送っていこうと思うことができるか、ずっと考えてきていた。
そして以前に3回ほど、やんちゃっ子集団への授業にかけてみた。やんちゃはやんちゃなりに話に付いてきていて、これなら新出発に語るべき言葉にふさわしいだろう、と思ったのだが。
……入学式前日になって無理っぽいということが発覚。
おーい(泣)
実は(というほどでもないのだが)せきね(仮名)は、ものすごく"本番に弱い"。
突然の出来事に対して、どうしても後手に回ってしまう。
とっさに的確な判断を出すことができる同僚がたくさんいる中で、これはかなり痛い。
記念すべき日に、準備したことが使えない。
いっそ適当にしゃべって終わりにしようかと、ちらと思った。
……なにか違う気がした。
中等部で、いろいろなことがあった。
苦しい思いをしている生徒がいなかったと言えば、それは大嘘になるだろう。
わたしは自分なりに力を尽くしたが、それでもたくさん間違えた。
では。
あやまちを犯したら、それで終わりだろうか。
苦しい思いをしたら、そのまま、それで終わりだろうか。
いやそうではない、と思いたい。
「人には無限大の可能性がある」らしい。
生徒も人であるし、わたしもきっと人だ。
ならば。
「今まで」ではなく「これから」に望みをつなぎたい。
それは生徒たちへの願いであると同時に、わたし自身への誓いでもある。
なにか、新出発にふさわしい話はないか。
家の本棚の中身のほとんどを床に積み、webのリンクからリンクをたどって一晩。
どうしよう、と思いながら朝になってしまった。
一晩かけて、一度も生徒に話したこともないし、blogでも学級通信でも取り上げたことのない話の原稿がいちおうできた。
web上からプリントアウトした紙をかき集めた。
入学式が始まり、どうしようどうしようと思っているうちに終わってしまった。
もう考える時間もない。
体育館での入学式から、保護者と生徒を連れて直接教室へ行き、ホームルームをすることになっていた。
さらに、副担任の先生にも急遽仕事が入ったのか、ホームルームに顔を出せるか出せないかわからないと言う。
……独壇場(汗
「大失敗をするより無難な方が良いかもしれない」
だから、簡単な自己紹介と行事予定をまとめた学級通信1枚と、いつの間にか3号ぶんになっていた学級通信と、どちらを出すか最後まで迷った。
教室に着いてみると。
後ろにはひさしく無いぐらい多くの親御さんたちが。
「中学も高校もたいして変わらないじゃん。どうせ同じ学校だし」
そう言う生徒たちに、いつの間にか影響されていたらしい。
しかし本当にたいしたことがないのなら、こんなに多くの保護者が学校に来るわけがない。
子どもに、立派になってほしい。
たとえ今までいろいろなことがあっても、これから高等部でがんばってほしい。
そう心から願っているから、この忙しい御時世に、まさしく万障繰り合わせて学校に来るのだろう。
自分たちの息子や娘が学校でどんな姿か見たい。
大丈夫、きっとうまくやっていける、と期待したい。
その思いもまた、わたしと同じではないのだろうか。
教室を改めて見渡す。
どんな縁からか、これから1年間ともに過ごす生徒たち。
「授業をします。せきね(仮名)がとても大事だと思っていることについてです」
一晩勉強して、それでもなお迷っていた方を、手に持った。
「今まで」ではなく「これから」を。
わたしたち全て、「人には無限大の可能性がある」こと。
結局、わたしが一番伝えたいことを伝えた。
いろいろあった選択肢の中で、一番大変な道を選んでしまった。
今日やったことで果たしてどれだけを伝えられたかわからないけれど。
大丈夫。
担任が少しくらいへなちょこだって、何か問題が起きたって、この子たちとなら、この親御さんたちとなら必ず越えていける。
入学式に、そう思うことができた。
幸せに仕事をさせてもらっているのかもしれない。
コメント