終了式。

2006年3月22日 学校・勉強
 全校集会+いろいろなこと、の後に教室で通知表などを配布。
 
 
 通知表にある「所見」欄に書くべきコメントは、クラス全員に対して山のようにあった。伝えたいことがあとからあとから湧いてくるような気がしたのである。ひょっとしたらひとりにつき1000字を超えるくらい、学級通信1枚ぶんくらいはあったかもしれない。
 
 夜を日に継いで書き綴ろうとして、そのことにどれだけの意味があるだろうか、と考えた。
 熱意は大事だ。「思い」がなければ何事も動かないから。
 けれども。
 自分にとってそれはものすごい自己満足なのではないかと思ってしまった。満足するのはわたしだけではないのか、と。
 好きなだけ文を書き散らすのは、ただの趣味でしかない。
 それも、相当の悪趣味だ。
 
 世に幾多いる「熱血先生」の尊さは私にも判る。
 しかしわたしはそういう種類の人間では無い。
 
 必要なときに、必要なことを、必要なだけ行う。
 それでいい。
 
 
 ごく簡単に、他の配布物と同じように成績を配る。
 実のところ、もはや言うべきことは無い。
 
 わたしが担任をするには不相応なぐらい聡明な子たちであった、ということもある。
 
 それだけではなく、人の本質は次のようなものだと思うのだ。
 
 わたしだけを対象とするに限らず。
 他者から学ぼうとする者は、どこまでも成長していく。
 他者から学ばず自己の快不快で生きていく者は、充実も喜びも他者との交流も、すべて深みもなく濁ったままの日々を送るのだろう。
 
 親でも兄弟でも恋人でもない、ただの教員には。
 道を指し示す標識の役割しか無い。
 標識に目を向け気を払うか、在ることさえ気付かないかは受け取り手に委ねられてしまっている。
 
 
 春に、寒々とした風が吹く。 

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