「どこが勝ってもおかしくない」
 行事をするたびにそう思った。

 合唱祭など、その良い例だった。
 リハーサルで「大丈夫かな」と思ったクラスも、ちゃんと歌っていた。「本番での3年生は、どのクラスもきちんとした合唱になっていた」そう思う1日だった。
 
 球技大会もしかり。
 どのクラスにも、どのチームにも、球技が得意な者も不得意な者もいるわけであるが、今回はすごいことに、男子バスケ、女子バスケ、ドッジボールで優勝した。サッカーも負けてしまったけれども、大差を付けられることなく奮闘していた。
 
 そして、クラス総合でも優勝。
 学年で5枚ある優勝の賞状のうち、4枚をわがクラスが飾ることとなった。
 
 すごいことである。
 大偉業である。
 
 実際のルール確認やメンバーの割り当ては、体育委員の二人を中心に、今回すべて担任が入らずに行われた。
 自主自立や自己決断とは、能力のある生徒集団でなければできないことである。
 それゆえに、せきね(仮名)には殊更に素晴らしいことだと思われる。
 
 さらに言えば。
 これらの競技は、ただ運動能力の高い者がいるだけでどうこうできるものでもない。それぞれのスポーツに長けた者は、他の各クラスにもいる。
 球技を得意とする者が中心になるとしても。
 不得手とする者が脇を固める、もしくは不得手なりに熱心に試合に出ていった、そんなことが、わずかな差を生んだのではないかと思うのである。
 得意でないからあきらめる、やる気を出さない、そんなことではなくて、それぞれが自身のできるだけのことをした、そういうことではないのだろうか。

 せきね(仮名)がつい最近に読んだ本では、次のように述べている。(趣意)
「何か新しいことを始めよう」「大成功しよう」と思ったときに、さまざまな性格の数人を集めて会議をする。その人間の組み合わせ方によっては、天才をもしのぐアイデアを生み出すことも可能である。
 ただし、熱意のない者、他人の熱意をそぐ者だけは話し合いに混ぜてはならない。形になりかけたものが全て消えてしまうからである
 たとえばクラス全体で何かをするとき、「大成功しよう」と思う者がどれだけいるか、一生懸命な人に協力する者がどれだけいるか、そのあたりがポイントなのではないかと思うのである。
 
 一事が万事に通じる。
 今回の球技大会から、たくさんのことを学んでいる諸君であってほしい。
 
 本当におつかれさま。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索