百人一首で、競技の始まる前に詠まれる歌。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花  王仁『古今集仮名序』
 【通釈】 難波の港に、咲きましたよこの花が。
     きびしい冬の間は籠っていましたが、
     今はもう春になりましたので、咲きましたよ、この花が。
 
 ここの「花」とは、梅のこと。
 おおらかに、春の喜びを述べた歌である。
 
 この歌は仁徳天皇(在位313〜399)が皇位についたことを喜んで、渡来した百済の王仁博士が梅の花にこの和歌を添えて献上したものだと伝えられている。
 仁徳天皇が皇位につくまで数年間は皇位が決まらず、民も荒れたが、難波に都を定め、農業の推奨や開拓事業などの便をはかり、大和朝廷の最盛期となったとか。
 仁徳天皇が和歌を詠んだのが難波高津宮で、それが和歌の始まりということになっているそうだ。王仁とは、応神16年に百済より来朝し、「論語」「千字文」を伝来した渡来人。日本に漢字を伝えたと言われている。
 
 平安時代の初期まで、日本では「花」と言えば「梅」であった。
 それだけ、きびしい冬(当時は現在よりも気温が低かったことが、研究の結果で明らかになっている)を抜けて春一番に咲く梅の花を、人々は待ち望んだのであろう。
 
 言ってみれば。
 梅の花は、希望。
 
 また、「花=桜」となっても人々に親しまれていたことは、さまざまな言葉からも判る。
 
「花も実もある」…外観も美しく、内容も充実していること。
 春に先がけて花が咲き香り、実っては食品として役立つことから、この花は「梅」を指すのではないかと言われる。筋も通り人情味も備わっていて手落ちのない人物を、この言葉を使ってたとえる。

「松竹梅」…中国で"歳寒三友"と称されるすぐれたもの。
 三友とは友としてふさわしい「正直な人・忠実な人・多聞な人」を言う。
 「松」は厳冬に落葉せず断崖絶壁にも良く根を張ることから、忍耐強く真心を尽くす人。
 「竹」も厳冬に青々とし、その姿から、節を持った人、隠し立ての無い正直な人を示す。
 「梅」は厳冬に咲く事から、きびしい状況でも笑顔を絶やさない人を。また梅の実がやがて落ちて芽を出す事から、生命のしるしともされる。

「梅は蕾より香あり」…才能のある人や大成する人は、幼い頃からそれが現れること。
 蕾の時からよい香りを漂わせる梅に、人の器量がたとえられた。「栴檀は双葉より芳し」ということわざと同じ意味。

「梅と桜を両手に持つ」…良いことの上に、さらに良いことがあること。
 良い物を両手に持つ、ということで、「両手に花」と同じ意味。香りのよい梅と、見た目の美しい桜をセットにしたもの。
 
 
 古文に出てくる植物や動物も、調べてみるとなかなかおもしろい。

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