節分の行事は宮中での年中行事であった。延喜式をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。
もともと、この節分の鬼を払う行事は平安時代頃から行われている「追儺」(ついな)から生まれた。
恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に食べる太巻きの事。商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つ。「恵方寿司」とも呼ばれる。
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる。食べている間は、無言でなければならない。
七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もある。
近代から、上記に述べた年中行事が廃れ、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりするようになった。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛たりするところもある。 これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。
縹渺と吹く夜風のように、空虚な言葉が教室を満たす。
目先の快不快が、唯一の行動原理であるかのような有様。
改善する気など無い癖に、其の瞬間だけ何とかやり過ごそうとしていることのあからさまな緘黙と虚言。
「鰯の頭も信心から」という俗諺ほどの素朴な願いも持つことさえ叶わぬ教員は。
生徒の善性という神を殺されてから後、何を糧にして聖職者と称されるのだろう。
好意に対して嘲笑と怠慢を差し出される教員にとって。
恵方は一体どちらの方角を向けばいいのだろう。
柊を用いれば、見た目はギリシアの栄冠ふうでいて苦痛この上ない茨の冠ができあがる。この寒々とした木は、他者を傷つけることにとても長けている。
鬼として打ちすえられるのは、実のところ炒り豆を持つ者の恣意だ。
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