「最初の教材」というものには、教員のセンスと技量が問われる。
 端的にその教員の姿勢を示し、授業の方向性を形作る。
 
 4月初めの授業などを想定すればよくわかる。
 授業のルールを決めて、学ぶことへの厳粛さを求めるということもあるだろう。
 とっておきの授業を出してきて、知的な楽しさを再確認するということもあるだろう。
 あるいは教員の自己紹介の中に生き方を考える、ということもあるかもしれない。
 
 その教員の「らしさ」が問われる。
 
 
 だから、最初の授業というのは大切なものなのだ。
 どんなに考えても、考えすぎることはないぐらいに。
 
 
 中等部3年。
 新年の授業内容には多くの選択肢があるなかで。
 現代文・古典の両方を、公立高校の入試過去問にした。
 あえてわたしが提案し、その通りになった。
 
 
 中高一貫にとって、高校入試は基本的に縁のない行事である。
 それでも。
 生徒たちにやらせたい、と思った。
 
 1月中に予定されている外部模試のための、問題演習をしたかった。
 静かに勉強に取り組む時間を、思い出してほしかった。
 
 さらに。
 この中等部の生徒たちの地元にいる友人が、どんなものをこれから受けようとしているのか、わかってほしかった。
 これから出会うであろう新たな友人が、どんなものを受けた末に高等部へ入学してくるか、理解してほしかった。
 
 そして。
 中等部の卒業を機会に学校を去る生徒たちに、何かをしたかった。
 これを受けに、同じ学校で過ごした自分たちの仲間が出かけていくんだぞ、と感じさせたかった。
 
 畢竟、入学試験の結果は。
 すべて、自分自身が受け取るもの。
 過去の成績が記された内申書も。
 事前の準備も。
 当日の緊張も。
 突然の体調不良でさえも。
 すべて、我が身ひとつで背負わねばならぬもの。
 誰にも肩代わりのできぬもの。
 
 それでも、わたしにとっては無関心に過ごすことはできなかった。
 高等部へ進む生徒にも、他校に行く生徒にも。
 役に立つことはないか。
 何かできることはないか。
 
 
 すみません、と他の国語担当に言った。
 
 大切な「最初の授業」を一律に決めてしまって。
 問題演習という授業準備の大変なものにしてしまって。
 解説の時間もないに等しい、わずかな時間の計画にしてしまって。
 
 「ぜーんぜん!」と、とんでもなく朗らかに返事をされて、ありがたいな、と思った。
 
 
 寂しさは已まないけれど、どうせなら晴れやかに「さようなら」と言えるような結果をつかんでほしいな、と思った。

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