古今和歌集

2005年11月5日 読書
ISBN:4003001214 佐伯梅友 岩波書店 1981/01 ¥735
 
 なんか写真が無いのもさみしいので岩波文庫を。
 実際に読んでいるのは「新日本古典文学大系」なのですが。
 
 
 実のところ、詩歌はあまり好きじゃありませんでした。
 大学でいちおう万葉集の授業を取ったけれど、どちらかと言えばそれは単位のため、あとは教授の人格が尊敬できたから。
 
 
 それが、どうして気にかけるようになったのかというと、前の勤務地にいた時に「恋のウタ」という本があることを教えてもらったから。
 さらにものすごく気にするようになったのは、昨年度の短歌の授業をやってから。
 石川啄木から寺山修司まで、10人を越える歌人を取り上げ、短歌のグループ発表をさせ、それの評価をしたという壮絶な時間だった。各歌人でノートを一冊ずつ作って、いくら調べても調べきれない中、学習内容の取捨選択をして毎時間毎時間タイムアップになるぎりぎりまで粘って授業の展開を考えた。なにしろ、調べたグループによって同じ歌人・同じ歌であっても全くちがうレジュメが出てくるのである。玉石混淆を目の当たりにして、玉であれば良い飾り台に載せてあげたいし、石であれば場合によっては激しく磨き上げるようでなくてはならぬ。
 ともかくも、狂気に近いなと我ながら思いつつ勉強して、それ以降、詩歌に関心を持つに至ったわけである。
 

「あー、大学に行って勉強したい」
 そう、しみじみ感じる。
 
 どんなに必死になっても、師がいるかどうかがとても大切だということを実感しているから、よけいにそう思う。
 独学も熱意も、なくてはならぬものだ。
 けれども、我流に陥り、果ては「自分は充分やった」と錯覚することが怖い。
 
 
 建設的な意味で、退職して勉強をしたいとも思わなくもない。そういうための研修制度なんかはこの職場には無いから。……まあ、そんな金銭的余裕も、再就職を必ずできるという自信もないし。

 次善は、副担任をさせてほしいな、とか。
 もしくは同じ学年を連続してやりたい、とか。
 副担任をやる(もしくは担任・副担任ともになく学年付きになるだけとか)ことで、教科担当としての仕事に力を傾けたいな、そうするともっとましな授業をできるかな、と思う。
 同じ学年で担任をやれば、過年度の蓄積があるから授業にしても行事にしても漏れがないようにできるし、目の前にいる生徒により向き合うことができるような気がする。
 
 ともかく、「学校生活の流れ」も「学習教材」も同時に新しいものをやるという仕事がこの勤務地に来てからずっと続いていて、徹底してやれていないことを、ちらと後悔めいて思うことがあるのは事実だ。
 
 
 もちろん、思うようにならぬ環境にただ手をこまねいているだけではない。生徒たちには、(うるさくも)「現実に対して不満のみを言うな」と言っておりますゆえ。
 
 いろいろ仕組んでみているんだけれど、そのひとつにこの日記も含まれている。
 
 漫然とでも書き連ねていると、振り返って自分が何を考えていたか、忘れていても思い出すことができる。
 「思考のバックアップを取っている」と言っても良い。
 
 あとはありがたいことに、webはリンクとかアクセス元とかを追跡できる機能があるから、それをたどるとより有益なものにぶつかる可能性が多々あるということ。
 自分の欲しい情報や考えたこともない新鮮な発想がやってくるのだ。涙して感謝してます。
 「東方から賢者がやってきた」なり「カモがネギしょってやって来た」なり、せきね(仮名)が喜んでいると思ってくんなまし。
 ↑こら

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