えんどうせんせい。
 
別れがあるからこそ人の世は美しく、出逢いがあるからこそ人の世はすばらしい

 えんどうせんせいは、大学を卒業してすぐ、初めて教員として本校に赴任なさった。
 高等部2年生の世界史の担当であった。
 ひどく苦労なさっている、とうわさに聞いたのが、えんどうせんせいを知った最初であった。

 当時、高等部1年を担当していたせきねだが、その授業を見に行った。
 
 壮絶であった。
 おしゃべり、マンガ、ケイタイ、ありとあらゆるものがごちゃごちゃになった教室だった。ブレザーではなく学ランだったら、どこかの学園ドラマかと間違えかねないほどの荒廃ぶりであった。
 普段は「勉強なんかで人は量れない」と言うくせに、「理系で受験に世界史を選択しない」と言うのであった。
 せきねはただ、圧倒されるだけであった。(今であれば片っ端から遊び道具を没収していただろうが)
 
 教員として脆弱であれば、尻尾を巻いて逃げ出していたかもしれない。
 けれど、えんどうせんせいはそうではなかった。
 
 どれほど恩知らずな生徒がいても、誠実に授業を続けた。
 ひたすら研鑽を続け、教員としての努力を重ねてきた。
 
 たしかに教員としては駆け出しであっただろう。
 
 けれど。
 真っ正直に、生徒の善性にはたらきかけ続けてこられた。

 そして中等部で、1年せきね組でも、2年のこのクラスでも、せきねの担任するクラスの社会を担当していただいた。どんなことがあっても、えんどうせんせいはひたすらに生徒の「学ぼうとする気持ち」を信じてくださった。

 えんどうせんせいの板書は字が大きく、カラフルに、しっかりと書かれている。
 日直が黒板を消すのに苦労するぐらい、しっかりと書かれている。
 社会科では、普段使わない言葉がたくさん出てくる。授業を受ける生徒たちが間違えないように、教室の後ろからでも見やすいようにと、えんどうせんせいが思ったからである。
 
 えんどうせんせいが授業のために用意なさるノートは、びっしりと埋められている。
 現行の中学社会科では不足している内容を、すみずみまで調べ上げているのである。
 調べるために、担任を持っていらっしゃらないにもかかわらず、夜遅くになるまで第二職員室にいるえんどうせんせいの姿を、何度も何度も見かけてきた。

 常に努力を重ねてきたえんどうせんせいの目標は、小学校の教員でいらっしゃる。
 小学校で1か月近く教育実習をすることと、授業を続けることは相容れない。
 いよいよこの学校をご退職されてそちらに専念なさると聞き、とてもさみしい気がする。
 けれど、えんどうせんせいらしい誠実さだとも思う。ずっとずっと、えんどうせんせいはこうして道を開き、児童・生徒のための先生であり続けるのだろうと思う。

 ウチのクラスの有志でお別れ会を開いたあと、第二職員室でえんどうせんせいから「とてもうれしかった」とお聞きした。
 
 みんなを「人としてえらい」としみじみ思った。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索