試験期間で生徒はみんな早く帰っているのに、教員業ときたら成績やら出欠席やらのデスクワークで、なぜか帰宅するのは7時8時9時。

 たらたらと道を歩く帰途、声をかけられた。
「センセー」
「せきねセンセーですよねー?」
 
 せきね自宅近くの大きな道路、その向かい側の歩道から女性ふたりが手を振っていた。 
 ウチのクラスの女子生徒たちは絶対にこんな声かけしないよな、つぅかむしろこっちが仮にあいさつしても無視するよな、なんて思って少し考えたら、このあいだ卒業したばかりのスヅキさんとカハノさんだった。
 暗くてわからないし、卒業式の時から髪型も(髪の毛の色も)変えてるし。
 彼女らの側に移動して言った。
「なぁんだ、キミたちか。そういえばスヅキさんはこの近くだっけ?」
 以前、スヅキさんが「センセのウチと近いかも」なんて言っていたのを思い出して言った。
「あたしもこの近くなんです、家」とカハノさんが言う。
「そうなん? マヅイなあ〜。せきねのヘンな姿を見てもナイショにね〜」
 笑いながらけっこう目はマヂだったと思うよ、我ながら(笑)
 
 カハノさんは現役合格。
 スヅキさんは合格した大学があったけれども、浪人生活へ。
 片方の家でのんびりしていて、気分を変えるためにふたりで外を散歩していたらしい。
「担任の先生は『もったいないー』って、言ってましたけどね」
 スヅキさんは、くすりと笑って言った。
「自分で考えて決めたわけだ。えらいなあ」
 大学受験をし、そのいくつかに合格しても、入学しようとした時に迷うことはある。自分自身でぎりぎりまで真剣に考えて、そう決断したのだろう。
 で、どこか予備校に行くのかと聞くと、迷っている、と言う。どこに行けば一番良いのか、今ひとつ不明だ、ということだった。目指す大学によって選ぶべき予備校も決まってくる、という話をそれなりに詳しく話をした。(……具体的な予備校名はここでは勘弁)
 
「気をつけてね」
 せきねは言った。
「予備校は、高校みたいに『勉強しろ』って言わない」
 
 浪人というつらい道を選んだことに対して、追い打ちをかけるような言葉だったけれど、言わざるを得なかった。
「浪人の半分は、勉強に飽きて現役生の時よりも実力が下がる。もう半分は、つらくて苦しくて前が真っ暗のような思いのなかをがんばり続けて、希望通りの進路に行く」
 スヅキさんは、はい、とだけ言った。
「酒も、タバコも、オンナも、誰も止めてくれない。自分で気持ちをしっかり持っていかないと、際限なく落ちていってしまうからね。自分で決めた道を、なんとしても貫いていくんだよ」
 ふたたび、はい、と返事をしたスヅキさんの気高さは、かつて授業の時にすっと姿勢を正していた時と同じだった。
 
「でもセンセ、」カハノさんがにっこり笑って言った。
「わたしたち、女なんですけど」
「いやいやいや、キミら美人だから悪いオトコに捕まってはいかんと思ってな。ムスメを嫁にやる頑固ヲヤジの心境なんよ〜」
 3人で、笑った。
 せきねの言いたいことなんか、判ってくれている。
 せきねが応援している気持ちも、判ってくれている。
 
「立場がちがっても、ずっとずっとキミらは友達でいてな」
「もちろんです」
「学校にも、遊びに行きます」
「おいでおいで。あとで知り合いの女の先生においしいお菓子を教えてもらって、用意して待ってるから」
 
「じゃ、ね。いつまでも、いつまでも、いつまでもお元気で」
「センセも。ありがとうございました」
「さようなら」
「さようなら」
 
 
 卒業した子たちに、何もできないと思っていたけれど。
 
 せきねでも、まだできることがあった。
 彼ら彼女らがときたま戻って来た時に、元気でいること。
 お茶とお菓子を用意して、にこにこしながら待っていること。
 
 もし願い事をしてかなうならば。
 いつか命尽きるその日まで、わたしは教員で在りたい。
 懐かしき思い出の扉の、守人で在りたい。

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