書いた字にはその人の状態が如実にあらわれる。
書家ではないが、とみにそう思えてならない。
「指先は第二の脳」と言われる。だから、小学生の時に鉛筆を使わない子の成績は伸び悩む。
筆記具としてどちらも変わらないようだが、シャープペンは鉛筆よりも力の入れ方が難しいのである。
かくて小学生への指導に曰く。
「ノートを書くときは、鉛筆の先から煙が出るくらい力強く、すばやく書きなさい」
手と口を動かして勉強した方がいいのは、誰でも経験から感じられると思う。
大脳新皮質上の、体の各器官を司る分布図というものがある。(保健の教科書に、ひょっとしたら載っているかもしれない)を見ると、手と口とが圧倒的に広い分布になっている。やはり脳に多くの刺激を与えることができるのであろう。
で、試験期間になって(授業の時よりも)真剣に答案用紙に向かって書き付けてある字を見ると、「こいつ、まじめにやっているな」とか「最近スランプみたいだな」と思えるのである。
たとえば、去年担当していた生徒のいるクラスに試験監督で行って、ひさびさにその字を見ると、驚くほど変わっていることがある。
うまい、へた、ではない。
丁寧かどうか、字への力のいれ具合はどうかという点である。
その試験で出てくる成績は別として、その生徒がこれからどうなっていきそうか、なんとなく予想ができるような気がする。
字がしっかりしていると何とかなる。
たとえ今の成績が悪くても、努力できる気力があると感じられるから。
字が曲がっていたり途中で力が抜けていたりすると、けっこう危機感を覚える。
たとえ今の成績が良くても、これからの取り組みに集中を欠きそうな気がするから。
極端な例だが、こういうふうにたとえることもできる。
眠くて眠くて今にも意識が途切れそうな時に、きっちりとした字を書くことができるか。いささか無理な話だろう。
字がきれいだからといって成績が良いとは限らないが、成績が良い生徒は間違いなくしっかりした字を書いてくる。
おそらく勉強に集中できているからだろうと思う。
これから幾千もの生徒を見ていくうちに、この仮説が実証できていくかもしれない。
書家ではないが、とみにそう思えてならない。
「指先は第二の脳」と言われる。だから、小学生の時に鉛筆を使わない子の成績は伸び悩む。
筆記具としてどちらも変わらないようだが、シャープペンは鉛筆よりも力の入れ方が難しいのである。
かくて小学生への指導に曰く。
「ノートを書くときは、鉛筆の先から煙が出るくらい力強く、すばやく書きなさい」
手と口を動かして勉強した方がいいのは、誰でも経験から感じられると思う。
大脳新皮質上の、体の各器官を司る分布図というものがある。(保健の教科書に、ひょっとしたら載っているかもしれない)を見ると、手と口とが圧倒的に広い分布になっている。やはり脳に多くの刺激を与えることができるのであろう。
で、試験期間になって(授業の時よりも)真剣に答案用紙に向かって書き付けてある字を見ると、「こいつ、まじめにやっているな」とか「最近スランプみたいだな」と思えるのである。
たとえば、去年担当していた生徒のいるクラスに試験監督で行って、ひさびさにその字を見ると、驚くほど変わっていることがある。
うまい、へた、ではない。
丁寧かどうか、字への力のいれ具合はどうかという点である。
その試験で出てくる成績は別として、その生徒がこれからどうなっていきそうか、なんとなく予想ができるような気がする。
字がしっかりしていると何とかなる。
たとえ今の成績が悪くても、努力できる気力があると感じられるから。
字が曲がっていたり途中で力が抜けていたりすると、けっこう危機感を覚える。
たとえ今の成績が良くても、これからの取り組みに集中を欠きそうな気がするから。
極端な例だが、こういうふうにたとえることもできる。
眠くて眠くて今にも意識が途切れそうな時に、きっちりとした字を書くことができるか。いささか無理な話だろう。
字がきれいだからといって成績が良いとは限らないが、成績が良い生徒は間違いなくしっかりした字を書いてくる。
おそらく勉強に集中できているからだろうと思う。
これから幾千もの生徒を見ていくうちに、この仮説が実証できていくかもしれない。
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