日記っていうものは。
2005年2月27日 毎日そこそこの量、webページの日記を見ている。
他の人の日記って、おもしろい。
いろいろな意味で油断ならない、というか。(笑)
で、某チャットにおじゃましていて会話したこと。
日記メインじゃないwebページの管理人さんに、「ごめん、最近日記しか見てないのよ」と言いました。(・・・考えてみると失礼な発言のような・・・)
そうしたら、「日記を読まれているのは恥ずかしいw」とか、「裸足で逃げ出したいw」とか、「ちなみに、ボクの日記は文才もなければネタも最近は少ないので中身が薄いかとw」とかいうことでした。・・・えらく謙遜しはるなあ(笑)
んー。
自分自身も含めて、文才なんてものが有るか無いかはわからない。
もし仮に「それを換金できるか」を大雑把な基準として考えてみれば、むしろ文才の有る無しを言葉にすること自体が、その筋の人にとっては噴飯モノなのだろう。
だけど、ボクはそんな観点で日記を見たりしない。
日記を見て、その人に起きた出来事と、それに対する思考/試行錯誤を知る。
たとえ実生活で簡単に解決が付かなさそうな、やりきれない思いや不安を抱えていても、それでも日記の作者は生きて次の日記を書く。
そこでボクは思う。「ああ、この人もがんばって生活しているんだな」と。
そして、その日記を見ることで、「自分もあと少しだけ、がんばってみよう」という気になることができる。
それに。
知っている人の日記を見ると、たとえ永く会うことがかなわなくても、なんかつながり続けている気がする。
これって、くじけがちなボクには、とっても有り難い。
ここまで書いてみて、かつてノートPCを壊してあれほど慌てたのはなぜなのか、判った気がする。
このつながりが、今のボクには不可欠なものになっているのだろう。
インターネットができなくて平気でいる人が信じられない、と思うぐらいに。
そして、あらためて思う。
ここに来てくれている方たち。
ボクが見に行っている方たち。
本当に、ありがとう。
他の人の日記って、おもしろい。
いろいろな意味で油断ならない、というか。(笑)
で、某チャットにおじゃましていて会話したこと。
日記メインじゃないwebページの管理人さんに、「ごめん、最近日記しか見てないのよ」と言いました。(・・・考えてみると失礼な発言のような・・・)
そうしたら、「日記を読まれているのは恥ずかしいw」とか、「裸足で逃げ出したいw」とか、「ちなみに、ボクの日記は文才もなければネタも最近は少ないので中身が薄いかとw」とかいうことでした。・・・えらく謙遜しはるなあ(笑)
んー。
自分自身も含めて、文才なんてものが有るか無いかはわからない。
もし仮に「それを換金できるか」を大雑把な基準として考えてみれば、むしろ文才の有る無しを言葉にすること自体が、その筋の人にとっては噴飯モノなのだろう。
だけど、ボクはそんな観点で日記を見たりしない。
日記を見て、その人に起きた出来事と、それに対する思考/試行錯誤を知る。
たとえ実生活で簡単に解決が付かなさそうな、やりきれない思いや不安を抱えていても、それでも日記の作者は生きて次の日記を書く。
そこでボクは思う。「ああ、この人もがんばって生活しているんだな」と。
そして、その日記を見ることで、「自分もあと少しだけ、がんばってみよう」という気になることができる。
それに。
知っている人の日記を見ると、たとえ永く会うことがかなわなくても、なんかつながり続けている気がする。
これって、くじけがちなボクには、とっても有り難い。
ここまで書いてみて、かつてノートPCを壊してあれほど慌てたのはなぜなのか、判った気がする。
このつながりが、今のボクには不可欠なものになっているのだろう。
インターネットができなくて平気でいる人が信じられない、と思うぐらいに。
そして、あらためて思う。
ここに来てくれている方たち。
ボクが見に行っている方たち。
本当に、ありがとう。
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