「センセ、センセ。来年はどうなるんですか?」
「何が?」
「クラス替え」 
 学年末が近くなって、よく質問されるようになった。
 学校という空間の、この時期特有の現象だ。
 
 そんなことせきねには判らないから。
 
 と言うのだが、なんか少しでもいいから情報が欲しいらしくて、けっこうみんな一生懸命聞いてくる。
 
 そこで、せきねは中学生たちをからかってみたくなってしまう。
「おまえは〜宿題やらないからな〜。とってもキビシ〜イ先生のトコロで修行しろ〜」とか。
「……ジツは新担任の先生がジャンケンをして、"はないちもんめ"のように生徒を取り合いするんだな〜」とか。 
「えっ!! マジっすか?」
 
 そんなこと有るわけ無いじゃん。
 授業では感心するぐらい大人びた姿を見せるのに、こんな時は笑っちゃうぐらい純真な子供なのである。
 
「だ〜ま〜さ〜れ〜た〜(w 」
 せきねは笑って頭をくしゃくしゃになでる。
 
 中学生って、ホントにおもしろい。
 
 
 
 人の出会いと別れは、何か大きなものによって動いている。
 
 そもそもせきね自身からして、縁あってこの学校の高等部に勤めはじめ、中等部に移り、そして類い希なる力量を持った担任集団のはじっこにぶら下がっている。毎日のように、本当に「すごいなあ」と感心する仕事ぶりなのである。(いずれ書くかもしれない)
 
 有り難い、本当に有り難い天命で、わたしは此の職場に在る。
 
 生徒たちに対しても。
 よろこび。
 いきどおり。
 かなしみ。
 たのしみ。
 毎日毎日は、不思議としか言いようのない縁で織り成されていく。
 
 忘れがちだが、未来とは必ずしも保証されているものではない。
 
 せきね個人に関して言えば。
 来年度にこの生徒たちを続けて担任するか、わからない。
 この生徒たちの国語を担当するか、わからない。
 中等部かもしれないし、高等部かもしれないし、転勤するかもしれないし、退職するかもしれない。
 そもそも明日には命絶えるかもしれぬ。
 
 力を与えられて回り続ける独楽のように。
 なんらかの力によってせきねは生かされ、生き続けている。
 
 それは、漢文にあるように「天命」ではないかと思っている。
 各人に等しく、天から与えられた使命だ。
 
 
 そんな「天命」の中で、わたしたちは出会う。
 ものすごい確率の中で、同じクラスで巡り会う。
 
 「ま、そんなことは考えたりしないか」
 おおげさすぎるかな、と苦笑をひとつ。
 休み時間の楽しげな生徒たちを見ながら、わたしは始業チャイムまでのわずかな時間を教室で過ごす。

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