1限め後に、突然鳴り響く非常警報。
「3階から、火事です」と機械の音声が校舎すべてに流れる。
3階職員室にいたボクは、急いで廊下に出て、何が起こったのか見て回る。特にどこかから出火している様子もなく、誰のイタズラか、半ばいらだたしい気持ちで3階を見て回った。
廊下にあるどの非常ベルのランプも点いていない。続々やってきた教員たちも、何も判らない様子。
訝しげに思ってうろうろしていると、自分のクラスが騒がしい。
覗いてみると、あおざめた一人の生徒。
それを遠巻きにするクラスメート。
聞けば。
友人と追いかけっこをしていて気に障ることがあり、思わず足で上履きを放ったところ、コントロールは狂いに狂って真上にあるセンサーにヒット。全校に騒ぎを及ぼすこととなったらしい。
笑い話に類する事ではあるけれど、聞けば聞くほどあきれたのも事実。
折悪しく、休み時間終了のチャイム。
「また後で聞くから。とにかく授業に行きなさい」
ボクにも他のクラスの授業があったから、言い捨てるようにそう指示していったん切り上げた。
授業が終わってすぐに、ウチのクラスの生徒が呼びに来る。
「センセ」
呼ばれるままに行けばウチのクラス。
「あの子、ずっとああだったんですよ」
2限めの授業を担当した英語教員が、指し示して言う。
見れば、例の生徒が机の上に突っ伏したまま。
「あと、頼みますね」
他の生徒は次の授業のために移動教室で、カギ締め係も困ったようにしている。
「みんなは移動しなさい。カギもそのままでいいから」
誰もいなくなる教室。チャイムが鳴って、3限めが始まる。
光差す教室。エアコンの音が静かに鳴り続ける。
「どうしたの? 悲しいの?」
「ぼくは、ぼくは……こんなつもりじゃなかったんです……」
背もたれを前にし、近くの席に腰掛けて、ボクは続く言葉を待った。
「今日こそは、失敗しないようにしよう……そう思って」
「そう」
簡単に言えば、トラブルメーカー。「やれやれ」「困ったものだ」と思った時もこの3か月に少なからずあった。
「1日静かに、今日は普通に過ごそうと思って……。朝読書はうまくいったのに」
思い出した。青にりんどう。吉川英治文庫のしおり。広げている文章を追えば、『三国志』だった。やや意外に思った。
「休み時間に遊んで……あんなことになっちゃって……」
「悲しいの? くやしいの?」
「自分で……自分が、情けない……んです……」
「……消えられるんだったら、消えちゃいたい……」
この子は、自分を責め続けて。
ずっと、泣いていた。
かつての自分を、思い出す。
あまりにも不甲斐ない自分に、嘆いて苦しんで、悔しかった日々。
姿形はまったく違うけれど。
この突っ伏して涙を流している魂は、ボク自身だ。
「消えちゃって、本当にいいの?」
静かに、言った。
「『こんなに情けない自分』で終わっちゃって、本当にいいの?」
「大事なのは、『これから』だよ。悲しくて情けなくて、だけどここで止まっちゃったら、情けない自分しか残らないよ。いいの?」
突っ伏したままの心に、淡々と言った。
「キミは、ここで終わっちゃうの? それってとっても悲しくないか?」
ボクは、情けないままじゃ終われなかった。
だから、魂を削るようにして前進したいと願ってきた。
その思いを、静かに投げ掛けた。
起き上がってボクを見つめるその子に、言った。
「『これから』良くなっていけばいいじゃないか。決意して、1時間めまでがんばれた。今度はもっと長く落ち着いているようにしようよ。段々、良くなればいいじゃない」
「上履きだって、火災報知器にぶつかったくらいで良かったじゃない。人の顔に当たったら大変なことになっていたよ。蛍光灯に当たったらガラスが降ってきたんだよ。不幸中の幸い、ってヤツじゃん」
「そう、思わない?」
「……たしかに」
「でしょ?」
「……はい」
くすり、と笑う。
照れたような笑顔が、返ってきた。
「誰かが馬鹿にするかもしれない。今回のことをあげつらうかもしれない。でも、耐えるんだよ。『今よりも良くなっている自分』になるために、自分で考えて、できるだけのことをするんだよ。ボクが支えてあげるから」
「はい」
「そうそう。そうでなきゃあ」
頭をなでると、にっこり笑った。
「じゃあどうする? 移動教室したところに行く? 英語の勉強しておく?」
「英語やります」
「じゃ、黒板をノートに書いておこうか」
「はい」
ボクは職員室からデスクワークを持ち込んで、その子は英語のノートまとめをした。
チャイムが鳴る。
「終わりにしよう。号令」
戸惑ったようにしてから、その子は号令をかける。
「起立」
「気をつけ。礼」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
ボクもその子も頭を下げ、同時に頭を起こす。
光差す教室で。
にっこり笑った顔は、けっこう良かった。
「3階から、火事です」と機械の音声が校舎すべてに流れる。
3階職員室にいたボクは、急いで廊下に出て、何が起こったのか見て回る。特にどこかから出火している様子もなく、誰のイタズラか、半ばいらだたしい気持ちで3階を見て回った。
廊下にあるどの非常ベルのランプも点いていない。続々やってきた教員たちも、何も判らない様子。
訝しげに思ってうろうろしていると、自分のクラスが騒がしい。
覗いてみると、あおざめた一人の生徒。
それを遠巻きにするクラスメート。
聞けば。
友人と追いかけっこをしていて気に障ることがあり、思わず足で上履きを放ったところ、コントロールは狂いに狂って真上にあるセンサーにヒット。全校に騒ぎを及ぼすこととなったらしい。
笑い話に類する事ではあるけれど、聞けば聞くほどあきれたのも事実。
折悪しく、休み時間終了のチャイム。
「また後で聞くから。とにかく授業に行きなさい」
ボクにも他のクラスの授業があったから、言い捨てるようにそう指示していったん切り上げた。
授業が終わってすぐに、ウチのクラスの生徒が呼びに来る。
「センセ」
呼ばれるままに行けばウチのクラス。
「あの子、ずっとああだったんですよ」
2限めの授業を担当した英語教員が、指し示して言う。
見れば、例の生徒が机の上に突っ伏したまま。
「あと、頼みますね」
他の生徒は次の授業のために移動教室で、カギ締め係も困ったようにしている。
「みんなは移動しなさい。カギもそのままでいいから」
誰もいなくなる教室。チャイムが鳴って、3限めが始まる。
光差す教室。エアコンの音が静かに鳴り続ける。
「どうしたの? 悲しいの?」
「ぼくは、ぼくは……こんなつもりじゃなかったんです……」
背もたれを前にし、近くの席に腰掛けて、ボクは続く言葉を待った。
「今日こそは、失敗しないようにしよう……そう思って」
「そう」
簡単に言えば、トラブルメーカー。「やれやれ」「困ったものだ」と思った時もこの3か月に少なからずあった。
「1日静かに、今日は普通に過ごそうと思って……。朝読書はうまくいったのに」
思い出した。青にりんどう。吉川英治文庫のしおり。広げている文章を追えば、『三国志』だった。やや意外に思った。
「休み時間に遊んで……あんなことになっちゃって……」
「悲しいの? くやしいの?」
「自分で……自分が、情けない……んです……」
「……消えられるんだったら、消えちゃいたい……」
この子は、自分を責め続けて。
ずっと、泣いていた。
かつての自分を、思い出す。
あまりにも不甲斐ない自分に、嘆いて苦しんで、悔しかった日々。
姿形はまったく違うけれど。
この突っ伏して涙を流している魂は、ボク自身だ。
「消えちゃって、本当にいいの?」
静かに、言った。
「『こんなに情けない自分』で終わっちゃって、本当にいいの?」
「大事なのは、『これから』だよ。悲しくて情けなくて、だけどここで止まっちゃったら、情けない自分しか残らないよ。いいの?」
突っ伏したままの心に、淡々と言った。
「キミは、ここで終わっちゃうの? それってとっても悲しくないか?」
ボクは、情けないままじゃ終われなかった。
だから、魂を削るようにして前進したいと願ってきた。
その思いを、静かに投げ掛けた。
起き上がってボクを見つめるその子に、言った。
「『これから』良くなっていけばいいじゃないか。決意して、1時間めまでがんばれた。今度はもっと長く落ち着いているようにしようよ。段々、良くなればいいじゃない」
「上履きだって、火災報知器にぶつかったくらいで良かったじゃない。人の顔に当たったら大変なことになっていたよ。蛍光灯に当たったらガラスが降ってきたんだよ。不幸中の幸い、ってヤツじゃん」
「そう、思わない?」
「……たしかに」
「でしょ?」
「……はい」
くすり、と笑う。
照れたような笑顔が、返ってきた。
「誰かが馬鹿にするかもしれない。今回のことをあげつらうかもしれない。でも、耐えるんだよ。『今よりも良くなっている自分』になるために、自分で考えて、できるだけのことをするんだよ。ボクが支えてあげるから」
「はい」
「そうそう。そうでなきゃあ」
頭をなでると、にっこり笑った。
「じゃあどうする? 移動教室したところに行く? 英語の勉強しておく?」
「英語やります」
「じゃ、黒板をノートに書いておこうか」
「はい」
ボクは職員室からデスクワークを持ち込んで、その子は英語のノートまとめをした。
チャイムが鳴る。
「終わりにしよう。号令」
戸惑ったようにしてから、その子は号令をかける。
「起立」
「気をつけ。礼」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
ボクもその子も頭を下げ、同時に頭を起こす。
光差す教室で。
にっこり笑った顔は、けっこう良かった。
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