「生活記録」

 きちんと内容を書くように、しっかり提出するように、と言って15回が過ぎた。
 
(データ提示。略)
 
 とてもすばらしいことである。本人の自覚、家庭の教育力、いずれも並々ならぬものがあるのだと思う。
 「継続は力なり」といわれる。
 この言葉を実感できる者は、おそらく少ない。かく言うせきねも「実感が足りない」と指摘されるクチなのかもしれぬ。
 しかし少なくとも、「生活記録」の件に関してはこう言える。
 
  提出するか否かで、1日につき、約60〜130文字の文章構成力の差が付いている。
(字の大きな者、小さな者、余裕をもって書く者、詰めて書く者、さまざまである)
 
 試験で例を挙げるならば、「30字以内」「45字以上60字以内」といった指定のある設問は必ずある。君たちの幾人がきっちりと正解を書くことができるだろうか。
 ちなみに、千葉県の公立高校入学試験には、必ず課題作文が国語の問題に含まれるようになってきている。以下のように。
 
 敬語を使用したときの自分の体験等の例をあげ、その体験から感じたり考えたりしたことを、作文上の注意事項にしたがって作文しなさい。字数は150字以上、200字以内とする。句読点やかぎかっこなども字数に数える。  (2002年度)
 
 中高一貫にいる君たちは、きっと取り組むことのない問題だ。
 しかし、だからといって「解けない」のでは情けない限りである。

 さらに言えば、学生の内だけ「文を書く力」が必要なのではない。むしろ、大人になってから、好ききらい関わりなくたくさんの文を書くようになるのである。

 社会人として、「企画書」「報告書」が的確に書けない者は「使えない」。

「子ども」と言われるうちは、欠点を直す機会をまわりの大人たちが作ってくれる。しかし大人は、自分の至らぬ点を指摘されることが圧倒的に少なくなる。
 その時までに、ある水準以上の力を身につけなければならない。
 そうでないと、いつしか、知らずに、つまらない仕事ばかり回ってくるようになる。
 大事なことは任されない。
 仕事ができないからである。
 まともな文章が書けないからである。

 何度でも言う。
 
 時にやむを得ぬ事情があっても、「生活記録」はしっかり取り組みなさい。
 
 
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 作文指導・日記指導が思った以上に大事なことなのではないか、と思いついた。
 そして何かやれないかと考えた時、つい足元には「生活記録」なんていうスゴイモノがあったのである。
 
 じつは担任にとって、この「生活記録」はけっこうな負担である。
 できればやりたくない、という思いが担任団の正直なところだろう。自然、コメントも少なくなりがちである。
 もちろん生徒の側から考えても負担である。
 提出しない者、「つかれた」というひとことを書き続ける者、それなりにいる。
 ヘタをすると、誰もがうんざりするシロモノとも思いかねない。
 
 そこに、意味を与えてみることにした。
 
 昨年度は「どんな形であれ、必ず提出する習慣をつける」ことを第一の目的にした。年度末には、38名の生徒のうち、36名までの提出は当たり前になった。これはこれで意義があったと思う。学年末試験の結果は、学年平均を700点満点で16点上回った。各教科で幅はあるが、学年平均を下回った教科が無かった。(まあ、教科担当に恵まれていたのだが)
 
 今年度はどうか。
 昨年度、前年度から引き続いての中学担当者は、数量・図形・英語・生物・技術・保健体育・音楽・美術。
 今年度、続投している担当者は、国語・数量・英語・社会・技術・情報・保健体育・音楽・美術。
 見た目はそう変わらないようだが、危ういような気もする。
 そこに、「きっちりと書いた『生活記録』」を持ってきてみようと思う。
 「書き続ける努力が、成績が上がるという結果に結びつく」ということを明らかにしたい。
 
 ……。
 ……。

 なんか論理的じゃないな。
 あー、もっと明確にしないと。勉強が足りンね、ボク。

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