最近のせきねは、教室で掃除をしない。

 「担任自身が率先して学校行事に当たるべきだ」なんて言う者もいるかもしれないが、せきね的にはそれが通じるのはごく一部の場面。

 なさけないことに、ほとんどの生徒は目を離すとまともに掃除をしない。ウチの中等部だけなのかは判らない。とにかくだらだらと掃除をしているフリをし、ほんの少しの真面目な生徒が丁寧にやっていって、それに便乗して時間が経って、「きれいになった」と言って掃除が終わる。ひどい者になると、適当におしゃべりをし続けて「やった」「終わった」と言う。

 責任の所在を明確にし、できあがりを厳正に判断する他ないように思われるのだ。
 観点は、「どれだけきれいになったか」。
 きれいになっていなければ、担当した者を呼んでやりなおし。
 担当した者も明確になっていなければ、全員で担当を決め直す。
 分担が不明瞭な場合は、一番手を抜いている者を見つけて掃除させる。
 他の掃除場所にいる生徒とおしゃべりをしている生徒を呼び戻す。
 これだけやるには、担任が自分で掃除をしていたら生徒たちの動きが見えてこない。
 
 だから、せきねは掃除の時には掃除をしない。
 
 
 放課後に、しばしば掃除をする。
 本当は、生徒たちにやらせるよりも、せきねがやった方がきれいになる。
 去年はそう思って、放課後の掃除に力を入れた。
 
 結果。
 見事なまでにだらしない生徒たちができあがった。
 おおらかでのびのびしていてかわいかったが、万事に適当な生徒たちだった。
 
 あらゆる意味において、「やってもやらなくても同じ」ではダメだと思い知った。
 努力すれば誉め讃えられ、努力しなければ強制される。
 それが学校なのだなあ、としみじみ思った。
 
 
 かつて生活していた校舎の中に、「何を偉そうに」と反発していた教員はいなかったか。
 はたしてそれは本当に傲岸不遜だったのか、すべてを考えた上で指導をしていたのか。
 
 当時の眼力の未熟さを補うすべは、もはや無い。

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