5限目。せきね組の国語。
 小説、辻仁成「そこに僕はいた」。
 
 一貫して「僕」の視点で描写されている作品なので、もうひとりの主要人物である「あーちゃん」について読んでいくことがポイントになると思われる。
 そこで問いかけたり、「自分で考えてノートに書きなさい」と作業の指示をしたりするのだが。
 
 板書をすれば書き写すために手が動く。
 ノートに書くための各自の思考の時間を空けると……手が止まる。
 問いかければ……板書で書き残されているひとつ前の読みを答えにしても……発言は止まる。
 
 クラス総板書マシーン。
 
 友情と人間関係という、この生徒たちこそ最も学ぶべきことが。
 
 「わかりません」発声器。
 
 教壇を蹴り倒したくなったがやめておいた。
 いちおう、今のところ暴力はせきねのウリにしていないので。

 一切ものを問いかけずに、ひたすら解説し板書していけばいいんだよね。
 
 
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 6限目は隣のタチバナ組。
 もちろん同じ教材。
 
 義足の「あーちゃん」と同じグループで遊んでいた「僕」は、秘密基地を作りに斜面をのぼっている途中、斜面の下にじっとたたずんでいる「あーちゃん」を見つける。
 「僕」は「あーちゃん」に配慮をせずに斜面をのぼったことを恥ずかしく思い、彼の元に戻って言う。

「すまんかった。」
 僕がすなおにそう言って手を差し出すと、彼は目をぱちくりさせたのだ。
 「なんで謝るとや。それになんなその手は。」
 僕はそれ以上は何も言えなかった。
 
 差し出した手をそのままで、「あーちゃん」は家に帰ってしまう。
 謝罪と拒絶との理解。
 その後に神経を使う「僕」。
「あーちゃん」がいなければもっといろいろな遊びができるのにと思い、その思いにつらくなる「僕」。
 
「『あーちゃん』て、ムカツクよね」「『僕』ってイイヤツだよな」などとわいわい言い合い、さらに教材の上に立ちながら今の自分たちの身に引きつけて考えることもできる。
 
「『僕』は『あーちゃん』との人間関係でいろいろ悩むけれど、簡単に悩まなくなる方法ってあるよね」
「シカトすること!」
「そうだね、『あーちゃん』が仲間からいなくなれば、悩むことさえ無いよね」
「でも、それって悲しくねぇか?」
「ヒトとしてヤバくねぇ?」
「そうだねぇ。みんなはどうだろうね。ある人が居て、なかなか人間関係がうまくいかないとき、どうするのがヒトとして良いんだろうね?」
 
 
 5時間目と6時間目。
 隣り合わせの教室。
 授業担当者は同じ。

 この、あまりにも大きな違い。
 
 担任は、誰よりも自分のクラスを身びいきしていたいのに。
 
 ふがいなくて、情けなくて。
 わき起こる怒りに身を焦がす。

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