なみだは一流の証
 
 
 こんなに、もらっても残念に思う銅賞もめずらしい気がした。
 
 舞台というものはものすごく恐ろしく、そしてものすごく楽しい、というような言葉を演劇関係で聞いたおぼえがある。
 舞台では、予期せぬことが起きるのだ、と。
 実力以上のものが出てくるときもある。
 逆に、実力の一万分の一さえも出せなくて終わってしまうことがある。
 うまく行けば涙が出るほどうれしいし、涙を流して悔しいと思うこともある、と。
 
 先日のオペラ鑑賞でお会いした我が校卒業生の方も、そういう喜びや悔しさで涙を流す時も経て、一流のオペラ歌手として日本とイタリアとで活躍されているのだと思う。
 
 
 無いものが欲しいとねだって流す涙は、子どもの涙だ。
 現状が不満で、ただ愚痴をこぼしながら流す涙は、愚か者の涙だ。
 でも。
 自分の持てる限りの力を尽くして、そして得た結果からの涙は、かけがえのない宝だ。
 
 
 野球部の高校3年生たちが夏の大会に全力を尽くして挑んでいくのを、せきねは何度も見てきた。
 必死で。
 必死で。
 必死で。
 それでも勝負が決まって、ひとつの区切りがつく。
 
 セミの声以外、なにも聞こえない静寂。
 照りつける日差しで、漂白された風景。
 その中で、18歳が、17歳が、レギュラーが、補欠が、マネージャーが、涙を流す。
 うれしくも、くやしくも、その涙はかけがえのない宝となって、彼らの人生を輝かせるだろう。

  
 合唱祭前日、せきねは音楽の授業を見に行った。
 みんなの練習を聴いた。
 
 感動して、涙がこぼれそうになった。
 みんなの正面で合唱を聴いているのを後悔した。涙を流せないから。
 
 合唱、とても良かった。
 こんなに良かったのに、なぜ銅賞どまりなのだろう、と思った。
 3年生も2年生も押しのけて金賞を取れなかったのはものすごく残念だ。
 
 本当に、残念だ。
 
 
 でも、合唱祭のあと、深夜、せきねは新しい楽しみを思いついてワクワクしている。
 
 来年、別のクラスになった「もとせきね組の仲間」が、最高レベルの歌を競うのだ。
 ある場合には、指揮者として。
 ある場合には、伴奏者として。
 ある場合には、それぞれのクラス・それぞれのパートを支える柱として。

 なんと恐ろしく、そして楽しいことだろう。
 
 だからみんなには。
 さらに、さらに、前向きにがんばってほしいと思う。

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