身のほどを知らず
去年の末から、みんなにずっと伝えたいニュースがあった。
ライト兄弟復元機“失速” 100年前の再現ならず
【キティホーク17日共同】米国のライト兄弟による人類初の動力飛行から100周年を記念し、米ノースカロライナ州キティホークで開かれた式典で17日午後(日本時間18日未明)、兄弟の複葉機「フライヤー」を忠実に復元した飛行機が当時の再現飛行に挑戦したが、離陸に失敗。100年前のライト兄弟の偉大さをあらためて印象付けた。
復元した飛行機の最初の挑戦飛行は17日午後零時半(日本時間同午前2時半)前。当時と同様に滑走用に作られた50メートルほどの木のレールの終点近くで、パイロットのケビン・コチャスバーガーさんが昇降舵(だ)を操作して飛び上がろうとしたが、機体は持ち上がらず、水たまりの中に突っ込んでストップ。息をのんで見つめていた約3万人の観衆のため息に会場は包まれた。
主催者側は「離陸の途中で急に風が弱くなったため」と失敗の理由を説明。午後4時ごろにも再度の挑戦を試みたが、風が弱く断念した。(共同通信)[12月18日8時40分更新]
ライト兄弟が世界で初めて飛んでから100周年の日に記念式典を行ったが、肝心の飛行機が飛ばなかった、というしょんぼりな事件である。
もちろんこの祭典のために相当な準備がされていた。ライト兄弟が開発した複葉機「フライヤー」を、現在の先端技術を駆使して細かな部品までほぼ忠実に復元したのだそうである。力を合わせたのは、民間のパイロットだけでなく、アメリカ航空宇宙局(NASA)や飛行機関連の企業。初飛行当時の写真や研究者の論文などを手掛かりに、ねじ1本まで可能な限り正確に復元したらしい。
それでも、飛ばすことができなかった。
人が空を飛ぶ。
誰でも空を飛ぶ鳥を見て考えた時があるだろう願いを、ライト家の三男ウィルバーと四男オービルは、持ち続けたまま大人になった。自転車屋でありながら、人の乗る飛行機をつくりつづけた。
大学で研究を学ぶこともなく、何度も、実現は無理ではないかと思った。
「神は人に翼を与えなかった。人が飛ぼうとするなど身のほど知らず。飛ぶことなど求められていないのだ」
キリスト教の国であるから、このようにも言われたらしい。
それでも、ライト兄弟は飛んだ。
100年後に最先端技術で同じ物をつくっても飛べなかったのであるから、彼らの「なんとしても飛ぶ」という断固とした希望、目指したものに対する執念が、この世界初の偉業を成し遂げたのであろう。
身のほどを知らなくたって、それのどこが悪いんだ。
笑われたって、それがなんだというのだ。
わかってもらえなくたって、それがどうだというのだ。
願わなければ、飛ばない。
抱えきれないほどの大きな夢に向かって進む、そういうわたしたちで在りたいですね。
去年の末から、みんなにずっと伝えたいニュースがあった。
ライト兄弟復元機“失速” 100年前の再現ならず
【キティホーク17日共同】米国のライト兄弟による人類初の動力飛行から100周年を記念し、米ノースカロライナ州キティホークで開かれた式典で17日午後(日本時間18日未明)、兄弟の複葉機「フライヤー」を忠実に復元した飛行機が当時の再現飛行に挑戦したが、離陸に失敗。100年前のライト兄弟の偉大さをあらためて印象付けた。
復元した飛行機の最初の挑戦飛行は17日午後零時半(日本時間同午前2時半)前。当時と同様に滑走用に作られた50メートルほどの木のレールの終点近くで、パイロットのケビン・コチャスバーガーさんが昇降舵(だ)を操作して飛び上がろうとしたが、機体は持ち上がらず、水たまりの中に突っ込んでストップ。息をのんで見つめていた約3万人の観衆のため息に会場は包まれた。
主催者側は「離陸の途中で急に風が弱くなったため」と失敗の理由を説明。午後4時ごろにも再度の挑戦を試みたが、風が弱く断念した。(共同通信)[12月18日8時40分更新]
ライト兄弟が世界で初めて飛んでから100周年の日に記念式典を行ったが、肝心の飛行機が飛ばなかった、というしょんぼりな事件である。
もちろんこの祭典のために相当な準備がされていた。ライト兄弟が開発した複葉機「フライヤー」を、現在の先端技術を駆使して細かな部品までほぼ忠実に復元したのだそうである。力を合わせたのは、民間のパイロットだけでなく、アメリカ航空宇宙局(NASA)や飛行機関連の企業。初飛行当時の写真や研究者の論文などを手掛かりに、ねじ1本まで可能な限り正確に復元したらしい。
それでも、飛ばすことができなかった。
人が空を飛ぶ。
誰でも空を飛ぶ鳥を見て考えた時があるだろう願いを、ライト家の三男ウィルバーと四男オービルは、持ち続けたまま大人になった。自転車屋でありながら、人の乗る飛行機をつくりつづけた。
大学で研究を学ぶこともなく、何度も、実現は無理ではないかと思った。
「神は人に翼を与えなかった。人が飛ぼうとするなど身のほど知らず。飛ぶことなど求められていないのだ」
キリスト教の国であるから、このようにも言われたらしい。
それでも、ライト兄弟は飛んだ。
100年後に最先端技術で同じ物をつくっても飛べなかったのであるから、彼らの「なんとしても飛ぶ」という断固とした希望、目指したものに対する執念が、この世界初の偉業を成し遂げたのであろう。
身のほどを知らなくたって、それのどこが悪いんだ。
笑われたって、それがなんだというのだ。
わかってもらえなくたって、それがどうだというのだ。
願わなければ、飛ばない。
抱えきれないほどの大きな夢に向かって進む、そういうわたしたちで在りたいですね。
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