上を向いて歩こう

 席替えをした。
 ウチの学校の教員の中で、空き時間に最も中学生たちのそばにいるせきねは、うわさなり何なりを聞くのはおそらく一番早い。
 せきね組のことも他のことも、たくさんの話を聞く。
 その中で、9月ころに、「せきね組で勝手に席替えをしてしまっている授業がある」と聞いて、どうしたものかと考えた。

 楽しい授業、いいことだ。
 自分なりに工夫をする授業、とてもすばらしい。
 しかし、一部の人間だけ都合の良い席を占めるのは、なにか違わないか?

「席替えなんか必要ない」と思っている教員も中にはいる。
 せきねは、そうは思わない。
 みんなが毎回の席替えを楽しみにし、大事に思っているのを、よく知っているから。

 席替えは公平で厳正でなければならない、と思った。
 きっちりとしなければいけないと思った。
 だから、「ルール違反をした者が自らの非を認め、『もうしない』と言うまで、席替えはずっとしない」と考えて、みんなの前できびしく言った。

 そして最近になって、せきねの知るかぎりの者たちが、全員、自分自身のルール違反を認めた。

 それによって、とてもきまりの悪い思いをした者もいるだろう。

 でも、こうして改めることができた。

 これはものすごく大事なことで、喜ぶべきことだと思う。
 なぜなら、集団生活でのルールを、改めて確認することができたからである。
 前進することができたからである。

 人として恥じるべきは。
 まちがえること、ではない。
 まちがいを改めないこと、向上しないこと、なのである。

 そもそも、「いたらない自分」を認めるのには、とても勇気が要る。
 そろそろ三十路のせきねでさえ、すぐにはできない。

 たとえば成績。
 せきねがどういう授業をして、どういう評価か。前回書き記した。
 こうして形に残し、他の教員や各ご家庭に公表することに対して、かなりためらった。

 たとえば席替え。
 教頭先生とカメヤマ先生とに朝の会へ来ていただき、その中でルールの再確認をした。教頭先生に「来てください」と言うかどうか、迷いもあった。

 たとえば授業。
 時にはやっている授業を他の教員に見てもらわないと、授業内容が高度で難しいのか、授業がへったくそで意味不明なのか、わからない。

 小さな自分の殻をうち破らなくては、より大きな自分になることができない。

 せきねは、他の人に後ろ指をさされるような毎日を送りたくない。
 こそこそとずるく立ち回るのではなく。
 相手によって意見を変えてしまうのではなく。

 それでは、自分の人生でもなんでもないじゃないか。

 みんなにも、誇り高く日々を生きてほしいと願っている。
 誰のものでもない、みんなひとりひとりの人生なのだから。

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